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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
こぼれ話 “おおかみさん”と赤頭巾の日々
50/58

狼と怖い夢

 本編後日譚。

 クロードは二十二歳で副団長になる前。ソニアは十歳でまだ初等部の生徒。


 ついでに“迷いの森”の方も更新しています。

 クロードの過去話なので先に読んでおいた方がいいかも……? (※読まなくても大丈夫です)

 真っ暗な闇の中、伸ばした手が空を切る感触にハッと目が覚めた。

 何かを掴もうとしたはずの拳は何も掴めないまま宙をさまよっている。握って開いて――それを繰り返してやっと混乱した頭はここが現実であることに気づいた。

 夢を見ていたようだ。懐かしい夢を。


「そうか、もうそんな時期か……」


 面白くもない過去を夢に見た理由に思い当たり、クロードは独りごちる。


 忘れていたわけではなかった。……それは、忘れられるようなものじゃなかった。ただ、日々があまりに穏やかで幸福だから――差し迫った“その日”を意識していなかっただけで。

 クロードは浮かれているのだろう。ソニアが父親ではなくクロードを選んでくれてから……いや、ソニアを拾って一緒に暮らすようになってから、ずっと。気が緩んでいると言った方がいいかもしれない。


 王都に越して来てから二年。クロードももう二十二歳だ。それだけの時間が経ったと思えば、どんなに大事で己の中に深く刻み込まれていることであろうと忘れてしまってもおかしくない。


 自分でもずいぶん変わったものだと思う。

 昔は“その日”が近づくにつれ毎日のように過去の夢にうなされたし、クロードの人生を変えたあの出来事が頭から離れたことなんてなかった。ずっとそれは変わらないと思っていたのに、昔のクロードが今のクロードを見たらどう言うだろうか。


 ――目を逸らすな。


 記憶のなかの少年は我ながら笑ってしまうほど頑なだ。クロードのなかにいるもう一人のクロード。その瞳に燃える炎はあの日から変わることのない怒りをたたえていた。

 守れなかったものを、失ってしまったものだけを後生大事に抱いた過去の残像。それも確かに自分の一部であることをクロードは知っている。


 お前はまだ許せてないんだな。


 許せる日なんてこない。昔のクロードだったらそう言うだろう。

 今のクロードだって許せたわけじゃない。何も守れなかった自分を許せるわけがない。


 でも、受け入れることはできる。


 昨日(かこ)ではなく明日(みらい)のために生きる。過去を夢見てうなされるよりよほど建設的だろう。


「喉、渇いたな」


 再び眠りに落ちるには目が冴えてしまっている。クロードは思い切って身体を起こしてみた。眠っている間に汗をかいていたらしく、額に貼り付く前髪が鬱陶しい。

 喉の渇きを覚えて手を伸ばしたが、水差しは空だった。窓の外に見える景色は真っ暗で、今が深夜であることを告げている。面倒だが厨房まで取りに行くしかない。


 ソニアは……もう寝てるか。


 こんな時間まで起きていたら問題だ。いくら明日が休日でも子どもの夜更かしを許す気はない。……ないのだが、なぜか無性にソニアの顔が見たかった。


 昔のクロードになくて今のクロードにあるもの。自覚なく変わることを拒んでいたクロードを変えたもの――そんなもの一つしか思い浮かばない。


 ソニアを連れて行こうか、とふと思った。


 明日は命日だ。クロードが生まれた村が滅んだ日。

 これまでずっとクロード一人で墓参りに行っていたが、明日は違うかもしれない。墓参りなんて好き好んで行くものでもないし、誘っても断られるかもしれないが。

 ただ、なんとなくソニアはついてくる気がした。毎年この時期になると見せていた物言いたげな顔を笑顔に変えて。


 次に眠ったとき、きっとあの夢は見ないだろう。



   ◇◇◇



 何か飲もうと厨房に向かうと、食堂の明かりがついていた。こんな夜中に、と訝しく思いながら扉を開けると食堂内にいた二人の視線がクロードに注がれる。

 ロラとエクトルだ。この二人は住み込みなのでこの時間に食堂にいてもおかしくないのだが、深夜の食堂に相応しくない人物が一人、テーブルに突っ伏して寝息を立てていた。


「どうしてこんなところでソニアが寝てるんだ?」


 クロードが疑問を口にすると、眠っているソニアに配慮したのか小声でロラとエクトルが答える。


「怖い夢を見たそうです。なんでも学校(アカデミー)で怪談が流行ってるそうで」

「そのせいでオバケが出てくる夢を見て飛び起きたらしいですよ。お嬢さんがここに来たとき俺もここにいましたけど半泣きでしたから、よっぽど怖かったんでしょうね」


 やや面白がる様子のエクトルと違い、ロラはソニアの話を思い出して自分も怖くなったのか強張った顔をしている。

 エクトルがソニアから聞いたと言う魔法学校で流行っている怪談を一つ話すと、ロラは恨めしそうに彼を見た後、自分の身体を抱き締めて身震いした。


「怪談、か」


 また両親の夢でも見たのかと心配したが、そうではなかったらしい。クロードは呟きと同時にホッと胸を撫で下ろした。


「旦那は怖くなさそうですねえ」


 クロードの胸中を知ってか知らずか、エクトルがつまらなそうな声を上げる。


「俺が怖がると思うか?」

「いいえ、まったく。ただ怖がったら面白いなーとは思いましたけどね」


 その言葉に思わず呆れてしまった。大の男が怪談話を怖がるなんて気持ち悪いだけだろうに。

 まあ、マルセルやフェリクスあたりなら面白がりそうなネタだが。なぜかクロードの周りにはひとをからかってくるタイプの人間が多い。昔助けてもらった恩返しに雇ってくれと押しかけてきたエクトルもその例に漏れないようだ。恩に着るなら、隙あらばからかおうとするのを止めろとクロードは言いたい。


「私は怖かったですよ……うう、今日眠れないよぅ」


 ロラがぼやく。

 エクトルは怖くて眠れないという彼女に付き合ってやっているらしい。……それにかこつけて酒を飲んでいるだけの気もするが、それを指摘するとロラが独りで夜を明かすことになった場合に恨まれそうなので口を挟むのは止めておいた。いくらエクトルが手にしているのがクロードの酒でも。


「旦那も飲みます?」


 エクトルはそう言って、中身が半分ほど減った酒瓶を掲げて見せる。


「それは俺の酒だがな」

「ははは。まあまあ、いいじゃないですか。注ぎますよ」


 エクトルが差し出してきたグラスを渋面のまま受け取った。クロードは酒好きというわけでもないし、この酒にしてもただの貰い物なので別に構わないと言えば構わないのだが、こうも軽く流されると癪に障る。

 なんでこんな男を雇ってしまったのか。押しかけて来たのを追い返すのが面倒臭いと受け入れてしまったのが間違いの元だったのだろう。


「いい加減、解雇(クビに)するぞ」

「またまた、そんなこと言って。(へりくだ)られるの嫌いじゃないですか、クロードさん」


 エクトルは元冒険者の顔を覗かせて苦笑する。

 こういうところで気が楽だと思ってしまうから雇い主として駄目なのだろう。モルガンに叱られるわけだ。


「ところで、旦那。こんな時間にここに来るなんて珍しいですね」


 こいつ、毎晩ここで酒飲んでるんじゃねえだろうな。


 嫌な考えが脳裏を過ぎった。あながち外れてもいなそうでげんなりする。やはりちょっと締め上げた方がいいのかもしれない。


「怖い夢でも見たんですか?」


 からかうような言葉だ。ニヤニヤと嫌な笑みでも浮かべているのだろうというクロードの予想に反し、以外にもエクトルは真面目な表情だった。


「あー、いや、怖い夢っつーか嫌な夢、ですかね。冒険者なんて夢見のいい職じゃないでしょう。旦那は今は騎士ですけど、冒険者だった頃のやんちゃ話はいろいろ聞いてますから」


 一応、心配されているらしい。

 元冒険者だからこそ思い当たることがあって心配してくれているのだろうが、エクトル曰く“冒険者だった頃のやんちゃ話”を彼に吹き込んだ男の顔が浮かんでイラッとした。この場にいない元相棒の魔導師の顔を脳内で殴る。いったい何を言ったんだか。


「夢見は悪い方じゃない。今日は少し……少し、懐かしい夢を見ただけだ」


 エクトルは“そうですか”とだけ応える。何か察したのかもしれない。

 “黒狼”の生まれ故郷の話はそれなりに有名で、クロード本人が広めたわけではないが、冒険者なら誰でも知っていておかしくない程度には真実も偽りも入り混じった噂が流布している。


「旦那様、お酒飲まないんですか?」


 ロラに言われ、クロードは自分が酒の入ったグラスを握ったままだったことに気づいた。

 透き通るような琥珀色をした酒は寝酒にするには悪くないもののはずだが、なぜか口を付ける気にならない。


「そうだな……酒はいい。ロラ、何か適当に飲み物を用意してくれ。水でも紅茶でも何でもいいから」


 手に持ったグラスをエクトルに押しつけ、ロラに頼む。

 水ならまだしも紅茶なんて夜に飲むものでもないが。飲んだからといって眠れなくなるような繊細な身体は持ってないから大丈夫だろう。問題はロラの淹れる紅茶の味だ。今日は飲めるものであってほしいと願う。寝る前に劇物を口にするなんてぞっとしない。


「では、紅茶を……あっ」

「ん?」

「せっかくだし、お嬢様と同じものにします?」

「ソニアと?」


 眠るソニアの脇には空のマグカップが置かれている。


「はい。我が家秘伝のホットミルクです。どんなに眠れない夜でもこれを飲めばぐっすり眠れますよ」

「それはお前が飲んだ方がいいんじゃないのか? 眠れないんだろう?」

「今寝たら絶対に怖い夢見ちゃうから嫌です!」


 怖がりというのもなかなかに難しい。

 冒険者時代も騎士団でも怪談じみた話はいくつか聞いた。怪談を怖いと思わないクロードからすれば笑える話もあったためいつかソニアに話してやろうと思っていたのだが……ガクガク震えるロラを見ながら、ソニアも怖がるだろうからその類いの話はしないようにしようと心に決める。


「えっと、どうしますか? ホットミルクじゃなくて別のものにしますか?」

「いや、それでいい。適当に用意しておいてくれ。――俺はソニアを部屋まで運んでくる」

「え?」

「はーい」


 返答が意外だったのか固まるエクトルと夜だからか小声で、しかし元気に返事をするロラ。そんな使用人二人を尻目に、クロードは眠っているソニアを起こさないように抱き上げて食堂を後にする。


「え、ホットミルクを? 飲むの? 旦那が?」


 食堂の扉を閉める直前、困惑した声が後ろから聞こえてきた。



   ◇◇◇



「………………」

「我が家のホットミルクはたっぷりハチミツを入れるんです。甘くて美味しいですよ」

「……甘い」

「だから酒にしとけば良かったのに」

「エクトル、お前も飲むか?」

「俺には(これ)があるんで」

「ロラ、こいつにも作ってやってくれ」

「はーい」

「いや、いりませんからね? ……って、おいロラ! どんだけハチミツ入れる気だ!!」



 ――――その後、眠りに就いたクロードは大嫌いな甘い物に埋もれるという悪夢を見た。





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