狼とおつかいの裏側 その二
前回の続き。
しばしの間、ソニアの見守りをマルセル一人に任せてその場を離れたクロードは先に目的地へと向かっていた。
ソニアに採ってくるように頼んだ実がなる大木が生える場所にはあっという間に着く。
もとより大人の足で歩けばすぐに到着する距離だ。……まあ、ソニアたちがなかなか辿り着けない理由は歩く速さというより道に迷っているからだろうが。
早々に迷子になった一人と一匹にクロードも懸念を抱いていたが、それについては今頃マルセルが何とかしているはずだ。魔術で蝶の幻影を生み出していたから、それを使って案内してやるのだろうと大方の予測はつく。
離れる直前、やたら自信ありげな顔で“綺麗でしょ?”と尋ねてきたので無視してやった。ソニアは喜びそうだが、あの相棒の趣味はクロードには理解できない。
あー……やっぱりほとんど落ちてねえな。
クロードが見上げる木の枝には多くの実が生っている。
しかし、地面に落ちている木の実は少ない。ほぼないと言っていいだろう。
「面倒くせ……っと」
そうぼやきつつ、クロードは目の前に鎮座する大木を思いきり蹴った。
人間が木を蹴っただけだとは思えない音を立てて、大木が揺れバラバラと辺りに実が降り注ぐ。
ソニアが拾うときに苦労しないようという配慮だったが、その目的に対して落ちた木の実や葉の数は明らかに多い。足蹴にされた木にとってはかなりの災難だろう。
――っ、来たか。
こちらに近づく気配を察して、クロードは身を潜めた。
程なくして、さっきまでクロードがいた場所にソニアとルーがやって来る。
『わあ、いっぱいある!』
森に響く、嬉しそうなソニアの声。
それを聞いて自分の仕事に満足したクロードは辺りを探ってマルセルと合流した。
「よっ、クロード。お疲れー」
「ああ、任せて悪かったな……つってもお互い、疲れるほどのことはしてねえけどな」
「そりゃそうだけどさ――って、ええ!?」
声を上げるマルセルの視線の先には木の実がこれでもかというほど落ちている。普通ならイノシシでも突進してきて落ちたのかと疑うほどの量だが、残念なことにそのイノシシの正体をマルセルは知ってしまっていた。
「クロード……いくらなんでも、やりすぎでしょ。これじゃ森林破壊だって」
真顔でそう言った相棒にさすがのクロードも内心反省する。……マルセルの言葉に素直に頷きつつも顔だけは仏頂面だったが。
大人たちが痛めつけてしまった大木のことを案じている近くで、おつかい中の子供はまたしても森の生き物との交流を図っていた。
『あっ、うさぎさんだ!』
ソニアの声に、クロードとマルセルはそちらに目を向ける。
「ねえ、クロード」
「なんだ」
「あれ、ウサギに見えるかな?」
「リュゼイユと違って色も形もウサギにそっくりだろ。……角が生えていること以外は」
「それ、大きな違いだと思うのは俺だけ?」
マルセルの問いにクロードは答えなかった。ソニアには悪いが、クロードにもあれをウサギと断じる気持ちはわからなかったからだ。
ソニアがウサギだと思っている生き物は魔物の一種で、さっきのリスもどきよりよほど危険な存在である。その、コルヌコニーヌという名の魔物はランクこそDだが、見た目に似合わず好戦的で油断していると群れに襲われることも多い。
実はそこそこ大型の魔物――とくにルプスの主食だったりするのだが、クロードがルーにいつも与えている肉の正体がアレであることをソニアは知らない。これから先もクロードがそれをソニアに教えることはないだろう。
「まあ、コルヌコニーヌならソニアちゃんの優秀な番犬くんが退治してくれるでしょ。あっ、番犬って、クロードのことじゃないからね!」
“安心してね!”と余計なことを言いながら、クロードに笑いかけるマルセル。
「黙れ」
「……ぐはっ」
彼は本日二度目の鉄拳を喰らって地に沈んだ。
地面と再会の抱擁を交わしているマルセルを放って、クロードはソニアとルーの方へ視線を移す。
マルセルの台詞の後半はふざけたものだったが、前半にはクロードも同意だ。まだ子供とはいえあの魔物の天敵であるルーがいるかぎり、ソニアを攻撃することはないだろう。
――そう、思っていたのに。
『うさぎさん』
チッ、あんの役立たずが……っ!
ソニアがコルヌコニーヌの近くにいるにもかかわらず、蝶を捕まえようと夢中になっているルーを見て、クロードは心の中で吐き捨てた。本当に使えないやつだ。
「ごめん、クロード。アレ、番犬じゃなくて駄犬だったね」
復活したマルセルが隣でそんなことを言っているが、構っている暇はない。
クロードが出て行くかマルセルが魔術を使えば解決する問題だが、隠れている身ではそう迂闊なこともできなかった。ソニアに悟られないように守るにはどうすればいいか、クロードは必死で考える。
「こうなったら仕方ないよ。別にバレたって――」
マルセルが言い終わる前に、クロードは自分たちがいる場所から少し離れたところの茂みに向かってその辺りに落ちていた石を投げた。ソニアの注意を引くためだ。
予想通りソニアはそちらに気をとられる。その隙に、今度は持っていた石をコルヌコニーヌに投げつけた。
くすんだ灰色をしたそれはただの石ではない。
封印石と呼ばれる魔石で、上級冒険者の中でも限られた者しか持っていない特殊なアイテムだ。……子どものおつかいを恙無く終わらせるためなんていう理由で使うには、あまりに高価で希少な代物だった。
『……あれ?』
魔物は無事に封じられ、その場には封印した魔物と同色に変化した魔石が転がっている。苦労の甲斐あってソニアは魔物が封印される瞬間を見ていなかったらしく、不思議そうに首を傾げていた。
その様子に、クロードはホッと安堵の息を吐く。
「クロード、お前……」
そんな相棒をマルセルは信じられないものを見る目で見ていた。ソニアのためとはいえ、躊躇いなく封印石を投げた相棒に動揺を隠しきれない。本当に危険だったならともかく、あれくらいならどうとでも対処できたはずだ。……いくらなんでも親バカが過ぎる。
「………………」
「………………」
絶句するマルセルに、クロードは黙ったまま素知らぬ顔で返した。マルセルの心のうちは容易に察せられたが、今口を開けば藪蛇になりそうだったからだ。
影で見守る大人たちには気づかずに初めてのおつかいを満喫する子どもたちの楽しそうな声だけが森に響いていた。
◇◇◇
お土産にと摘んだ花と籠いっぱいの木の実を戦利品に、ソニアはルーを連れてその場を離れる。それを追う大人たちも、おつかい帰りの一人と一匹とともに帰路についた。
家に近づいてきた頃、唐突にマルセルが手を打つ。何かに気づいたようだ。
「クロード!」
「……なんだ」
“このやり取り今日何度目だ”とうんざりしつつ、クロードはおざなりに応える。今日一日付き合った相棒相手にひどい態度だが、いい加減にしろと殴らないだけ彼にしてはマシなのかもしれない。
「お前……家、いないとマズいんじゃない?」
どうせくだらないことだろうというクロードの予想に反し、マルセルの言葉は非常に重要なものだった。
現在、当たり前だがクロードの家には誰もいない。
子どもにおつかいを頼んで見送った保護者――もといクロードは、本来なら家で夕食を作りながら待っていなければならなかった。ソニアの安全のために後をつけていたものの、当のソニアはクロードは家で待っていると信じて疑っていないはずだ。
素直なソニアだが、対人関係においてはかなり敏く疑り深いところがある。幼くとも頭が悪いわけでは決してない。おつかいから帰ってクロードが家にいなければ、尾行されていたことに気づいてしまう可能性があった。
「……マルセル、あとは頼んだ」
「え、ちょ、頼んだって――」
事が露見するのを恐れたクロードは頼りになる相棒にこの場を任せ、答えも聞かずに家に向かって駆け出す。
彼の頭の中はソニア相手に上手く取り繕う方法とすぐに作れる夕食の献立でいっぱいだった。
マルセルと別れてから全力疾走で自宅に戻り、ソニアたちが帰ってくるまでに夕食を作り終えたクロードの動きは軽く人間を越えていたが、それを知るものはどこにもいない。
かくして、クロードの必死の証拠隠滅は実を結び、ソニアがおつかいの裏側に気づくことはなかった。
◇◇◇
「ただいまっ!!」
「おかえり、ソニア。初めてのおつかいはどうだった?」
「たのしかった! これ、おおかみさんにおみやげ」
「ああ、ありがとな。どっか飾っとくか……うち、花瓶なんてあったっけな」
「あっ、こっち、こっちはきのみ。いっぱいひろってきたの。……あれ?」
「ん? どうかしたか?」
「おおかみさん、つかれてる?」
「……いや? …………そんなことはないぞ?」
「………………」
「そういや、マルセルがもうすぐ来るから――」
「やっほー、クロード、ソニアちゃん!! ご飯食べに来たよー!」
――――初めてのおつかいが大変なのは大人も子どもも同じらしい。




