赤頭巾たちの雪合戦事情
“小話 赤頭巾と狼の雪合戦前夜/狼と夜の雪合戦”の続きです。続きといっても内容的には独立していますが。
時間軸としては、本編第二章“赤頭巾と雪だるま その三”の後のお話になります。
ソニアは拗ねていた。
理由はとても簡単で、大人たちからすれば他愛ないこと。
テーブルに突っ伏していたマルセルだったが、ソニアとクロードの話し声にようやく顔を上げる。
「おはよー、二人共。……ねぇ、クロード。なんか身体痛いんだけど、俺昨日何かした?」
二日酔いか謎の全身の痛みのせいかはわからないが、いつも楽しそうな彼にしては珍しい顰め面だ。昨日の酒がまだ残っているようで、動きはいつもよりも緩慢としていた。
マルセルに答えるクロードも深酒の名残か眉間に皺を寄せている。……まあ、クロードのそれはいつものことだが。
「酔っ払って俺を外に連れ出した挙げ句、何を考えたのか魔法で雪玉をぶつけてきた」
「あちゃー……。記憶にないや、ごめん」
「気にするな、すぐに沈めたから大した実害はない」
普段と同じような顔で朝食の用意をする姿には酒の名残はないようにも見えた。クロードが二日酔いだと――いつもと違うことに気づけるのはソニアやマルセルくらいだろう。
ソニアが雪だるまを見に外に行っている間にテーブルの上やら下やらに転がっていた酒瓶はきれいさっぱりなくなっていたが、クロードが片付けたのだろうか。今のテーブルの周りはソニアが起きたときとはまるで違っていて、昨日のことなど忘れたかのようにいつも通りだ。
「道理で……酒の飲み過ぎにしては変なとこが痛むと思ったんだ」
「…………」
楽しげに話す二人に、ソニアは思わず沈黙した。だって、二人のやり取りで、昨夜ソニアが寝た後にクロードとマルセルが外に出たことがわかったから。
“雪玉をぶつけてきた”とクロードは言った。きっと二人は雪合戦をしたのだろう。ソニアにとって未知の遊びで、憧れの雪遊び。雪合戦なんて絵本で見たことしかない。だからこそ、雪だるまを作るのと同じくらいソニアの心をくすぐる。
……ずるい。
クロードに甘やかされた心は素直にそんなことを思った。我儘だとは自分でも思うけれど、クロードと遊んだのだろうマルセルが羨ましくて仕方なかった。
まるせるさんだけ、ずるい。
クロードは雪だるまを作るのを手伝ってくれたし、ソニアが失くしてしまった手袋を探してきてくれたのに――それだけじゃ足りないなんて贅沢なことをソニアは思っていて。
昨日、ルーと遊んだのもクロードとマルセルとカードゲームをしたのも楽しかった。昨日は楽しい一日だったけれど、ソニアはクロードに遊んでほしかったのだ。他の誰でもなくクロードと雪遊びがしたかった。
でも、クロードは雪が好きではなさそうだったし、何より寒いのが嫌いだと言っていたから、ソニアは“いっしょにあそんで”という言葉を飲み込んだのに。
そにあのうそつき。
心の中で、もう一人のソニアが言った言葉。それはどこまでも正しい。
どんな言い訳をしたって無駄だ。だって、ソニアの本音はソニアが一番よくわかっているのだから。クロードに“いっしょにあそんで”と言えなかった理由なんて――我儘を言えない理由なんて、誰よりも自分が一番よくわかっている。
「……? ソニア、どうした?」
ふいにクロードに声をかけられた。ソニアが先程から黙り込んでいるせいか少し心配げだ。
クロードの黒い瞳に浮かない顔のソニアが映り込んでいる。こんなに楽しい日には、こんなに温かい雪の日には似つかわしくない暗い顔。
“いっしょにあそんでほしい”と、どうしてもその一言が言えない。
クロードは優しい。彼自身が思うよりもずっと。ソニアが落ち込んでいたらすぐに気づいてくれるくらいに優しくて、何よりずっと温かい。だから、遊んでほしいと言ったら遊んでくれるだろう。我儘を言ったら叶えてくれるだろう。
でも、そんなに気にかけてもらえる価値なんてソニアにはないから。
そう思って、口から飛び出しそうになった言葉を飲み込んで、飲み込んで、飲み込んで――何度も漏れそうになるから、気を抜くとこぼれてしまいそうだから、その度に内に留める。
「ありがとう、おおかみさん」
こんな自分を気にかけてくれてありがとう。
そう思いながら、ソニアは本当に言いたいことは言わずに感謝の言葉だけを伝えて笑った。そうすれば、クロードが笑い返してくれると知っていたから。
「……でも、なんでもないから――」
足にすり寄ってきたルーに、ソニアの台詞が途切れる。“だいじょうぶ”と続けるはずだった言葉は中途半端に空に散らばった。
「るー?」
小さなソニアよりさらに小さな友達。
しゃがみ込んで、どうしたのかと足元にいるルーの背を撫でた。ふさふさとした毛の感触はずっと撫でていたくなるほど気持ち良い。
「ガウガウ!」
ソニアには滅多に吠えないルーが、吠える。
それは威嚇じゃないとソニアにはわかった。怒っているわけでもない。
――勇気を出せ!
ルーは魔物だから人の言葉とは違うけれど、確かにそう言っているようにソニアには聞こえた。
友達だからわかること。それはソニアもルーも同じだ。
「ありがとう」
がんばる……そにあもがんばるよ、るー。
友達に恥じないために、そう心に決める。
「おおかみさん、まるせるさんとゆきがっせんしたの?」
「は? ……あー、まあ、雪合戦つーか、お互いに雪玉ぶつけ合っただけだけどな」
ソニアの突然の問いにクロードは戸惑った様子だったが、少し言い淀んでから答えた。……酒のせいとはいえ大人げなく本気で雪玉の投げ合いなんてものをしてしまった自覚があるため、クロードは気まり悪げだったのだが、そんな大人たちの夜の事情などソニアには与り知らぬことだった。
「えー、あんなに楽しく雪玉を投げ合ったのに……あの熱い雪合戦をそんな風に言うなんて、クロードひどい」
マルセルに酒を飲んだ後の記憶はなく、クロードをからかっているだけなのだが……もちろん、ソニアはそんなことは知らない。
マルセルの言葉を聞いたソニアは決意に満ちた瞳でクロードを見つける。
「おおかみさん――そにあも、おおかみさんとゆきがっせんしたい」
それは、拗ねているのだか燃えているのだかわからない眼だったと後にクロードは語った。
◇◇◇
手を抜くのが下手なひとだと子ども心にそう思う。
ソニアの投げる雪玉に当たったり当たらなかったり、それはクロードもマルセルも同じだ。
でも、クロードが雪玉を投げる相手はほとんどマルセルで、たまにソニアにも雪玉が投げられることがあるが、雪玉の硬さも速さもマルセルに向けるものとはまったく異なる。……第三者がいなければ、わからなかったかもしれないけれど。
そんな手加減下手なクロードに反して、一見本気か本気じゃないかわからないのがマルセルだ。
クロードの雪玉を魔術ではじいたり、逆に魔術で雪玉を飛ばしたりしているところを見るとソニアに対しては手を抜いているとも思えるが……当たるのが上手いのだ。避けようとして当たったと見せかけるのが上手い。ソニアがそういうことに対して敏感で、彼女持ち前の子どもらしからぬ疑り深さがなければ、よく雪玉に当たる彼を見て単純にマルセルは雪合戦に弱いと断じたかもしれない。
あ……まるせるさん、いまのわざとあたった。
口には出さないけれど、わかるものはわかる。
それを指摘しないのは、ソニアを気遣ってくれる大人たちへの子どもからの気遣い。子どもの遊びに大人が本気になることなんてない。それがわかっているから――わかっているのに、なぜか歯痒く思う。
「ソニアちゃん投げるの上手いねぇ。ホントに初めて?」
マルセルから放たれた雪玉を避けつつ、マルセルの問いに頷いた。
「うん、はじめて。るーはいっしょにできないから」
「あははっ、確かに犬の前足じゃ雪玉作れないよね。……あー、めっちゃ楽しい。雪合戦とかいつ振りだろ?」
ソニアに手加減しているはずなのに“誘ってくれてありがとね”とマルセルは笑う。
子ども相手で手を抜かないといけないから大人には面白くないだろうに、彼は全然退屈そうではない。全力で雪合戦を楽しんでいるように見える。それこそ、子どものように。
そんなことを考えていて、気づいた。
同じ大人でもクロードとマルセルでは“遊び方”がだいぶ違うことに。
マルセルは雪合戦を楽しもうとしていて、クロードは雪合戦をせがんだ子どもを楽しませようとしている。だから、マルセルは楽しそうで、クロードは戸惑ったような様子なのだ。ソニアに力一杯投げるわけにはいかなくて、でも投げないとソニアが楽しめないと思うから、クロードはごくたまに弱い雪玉を投げる。どこまですれば良いかわからないから、どうすればソニアに怪我をさせずに雪合戦を楽しませられるかわからないから、その戸惑いが遊び方にも遊んでいるときの表情にも表れている。
マルセルに雪玉をぶつけるのはクロードにとっての“逃げ”だ。
「ソニアちゃんに比べて……クロードは下手だよねえ」
「何がだ」
「遊ぶのが、だよ……っ」
話しながら、マルセルはクロードに向けて全力投球する。いや、正しくは、魔術で宙に浮かせた玉を全部クロードに向けて飛ばした。
マルセルはクロード相手でなくても――ソニア相手でも同じことができる。その後で、クロードとは違って雪玉に当たって雪まみれになったソニアを助けて、魔術か何かで温めてくれるのだろう。それがきっと、マルセルの言う“上手な遊び方”だ。
「うるさい。やったことないんだから仕方ないだろうが」
「えっ、やったことないの? クロードって寒いとこの出身じゃなかったっけ?」
「それはそうだが、本当に雪が深い地方はそんなことしてる暇ないぞ。雪の日は屋根の雪を下ろすのでほぼ一日が終わるしな。……つか、マルセル。お前、俺が寒いの嫌いなのも知ってるだろ」
「子どもは寒くてもやるもんでしょ? 子どもの頃にやらなかったの?」
「やらなかった。誘われても断ってたしな」
ソニアにとってマルセルは優しくて賑やかで、自分を楽しませてくれる大人だ。
でも、そんな大人なマルセルより、子どもから見れば大人なのに大人になり切れないクロードがソニアは好きだった。
「――ソニアの頼みじゃなきゃ、誰がこんな寒い中で雪の投げ合いなんてするか」
大人も子どもも関係ない。
楽しませてほしいわけでも、上手に遊んでほしいわけでもなくて、楽しいと思うものを共有したい。楽しいという気持ちを共有したい、とそう思う。
そんなのまるで楽しさの押しつけだ。でも、それでも、我儘なソニアはクロードと同じ場所に立って同じものを見て同じ気持ちになりたいと願ってしまう。
一緒に雪合戦を楽しみたいと――クロードにも自分との遊びを楽しんでほしいのだと思っていることに、そこで初めてソニアは気づいた。
クロードに遊んでもらえるのは嬉しくて。
でも、手を抜かれるのは悔しくて。
一緒に楽しめないのは寂しい。
おおかみさん、わらって。
そんな我儘を言うことはソニアにはできない。それに、言われたから笑うのでは意味がない。だから、ソニアはクロードの名を呼んだ。
「おおかみさん!」
遊ぶのが何より上手いのは子どもなのだと、わかっているようでわかっていない大人たちに教えるために。
◇◇◇
ソニアが声を張ってクロードを呼ぶ。
それと同時に声の主がいるのと同じ方向から雪玉が飛んできた。当たるか当たらないかを少し考えるが、結局避けることにする。安直ではあったが、さっきも当たったしそう何度も当たらない方がいいだろうと思ったからだ。
“おおかみさん”とクロードを呼ぶのはソニアだけで。それ以外の人間にそう呼ばれてもクロードは反応する気がないから、今もこれからもそれはきっとソニアだけのものだ。
はじめは慣れなかったはずの呼び名にも、もうすっかり馴染んでしまった。
名前を呼んでから雪玉を投げたのはソニアなりの作戦だろう。隙を作ろうとするなんて、幼い子どものわりによく考えている。
ひょいとかわしてしまった雪玉に、子どもが一生懸命考えたであろう作戦が成功するよう当たってやっても良かったかと少しだけ後悔した。
素直な性格なのに、ソニアは意外と頭脳派だ。
頭がいいと贔屓目なしに思う。場を読むのが上手いし、ひとをよく見ている。それは、ソニアが他者の悪意から自身を守るために身につけたものなのだろう。少しでも自分が傷つかないために――傷つけられないために。
おそらく、彼女を一番傷つけてきたのは彼女の両親だ。そうとわかっているから、ソニアの大人しさや聡明さを感じる度に苦いものが込み上げてくる。
さて、とりあえずはやり返すか。
ソニアが子どもらしく遊びに夢中になれるように、何の憂いもなく笑えるように――心から楽しいと思えるようにするのはクロードの役目だ。
楽しみ方を知らないくせに、楽しませてやろうなんて偉そうなことを考えていた。……が、その考えはすぐに変わることになる。
「あ……っ」
「っ、ソニア」
雪に足をとられたらしいソニアの身体が大きく傾いで、小さな少女は盛大にこけた。
距離があって雪の上ともなればさすがにクロードでも止められない。危ないと伸ばした手は虚しく空を切るだけで終わった。
「大丈夫か?」
ズボッと音を立てて雪の上に倒れ込んだソニアを助け起こすために手を差し出す。
どこもかしこも雪まみれだ。濡れているはずだし、早く身体を温めないと風邪を引くだろう。雪合戦は中断だなとクロードは余所事を考えていた。
クロードは忘れていたのだ。
彼らがしているのは雪“合戦”で、ここは戦場だということを。
子どもだ大人だ遊びだ何だと考えているから、これが勝負だなんてすっかり忘れ去っていた。
だから、ソニアがクロードの手を取ろうとする動作にも、それとは反対の手に隠されたものにも気づかない。
ソニアの赤い手袋がクロードの黒い手袋に重なった瞬間――クロードの顔にべしゃっと冷たいものがぶつかった。
「っ!?」
直撃。
まさにその一言。そう表現するに相応しい一撃だ――ソニアが投げた雪玉は見事にクロードの顔に命中していた。
不覚にも、一瞬クロードは何が起きたのかわからなかった。
ソニアがそんなことをすると思わなかったなんて言い訳にもならないが、どんな言葉で飾ろうとも彼女を侮って油断していたことに変わりはない。
「ぷっ……ぶはっ! あははははっ、ソニアちゃんサイコー!! クロード、だっせえ!」
動揺こそ大きかったもののクロードの復活は早かった。呼吸困難で笑い死にしそうなほど、文字通り腹を抱えて笑っているマルセルを超高速の一発で沈めると、やけにゆっくりとした動きでソニアに向き直る。
その様子に、ソニアの肩がわずかに揺れた。それはただ単に雪玉に身構えたようにも見えたが、思わぬ場所で肉食獣に遭ってしまった小動物のようでもあった。……藪をつつけば蛇が出る。哀れな小動物はそれを知らなかったようだ。
「よーし、よくわかった。雪合戦の遊び方ってのがな」
口角が上がり、笑みを形作るのが自分でもわかる。
雪玉をぶつけられるという攻撃を受けたにも関わらず、クロードはクロードなりにこの状況をひどく楽しんでいた。あくまでクロードなりに、ではあったが。
「ソニア――覚悟はできてるな?」
そう言うクロードは満面の笑みだ。しかし、いつもの不機嫌顔が嘘のような、一点の曇りもないその笑顔にはどこか凄みがある。
クロードの笑みは確かに楽しそうなものではあったが、それ以上に好戦的で。例えるならば捕食者。それこそ、狼の名が似つかわしい獰猛な笑いだ。
それに対して、自分が想像していたものと違うとクロードの笑顔を見たソニアが思ったかどうかは定かではない。
だが。
「もちろん」
クロードの言葉に力強くそう返したソニアの視線は少し泳いでいた。
結局、その後、雪合戦を制したのはクロードだった。
当然と言えば当然の結果で、ソニアは残念そうだったが、予期せず本気のクロードを相手取る羽目になったマルセルは勝敗に文句をつける元気も勝者をからかう余裕もなくぐったりしている。マルセルの言葉通り――きっかけは彼でないにしろ――遊んだ結果がこれなのだから、自業自得という他ない。
勝ったのはクロードで、負けたのはソニア。
だが、勝者であるクロードが感じていたのは奇妙な達成感と晴れやかな敗北感だった。
ソニアの投げた雪玉が本当の意味で当たったのはあの一回だけだったけれど、あれほど鮮やかな負けは初めてで、これから先もきっとないだろう。
――――寒いのはご免だし、雪も嫌いだが……ソニアと過ごす冬は悪くないだろうと、まだまだ先の冬の訪れを少し楽しみにしている自分に気づいて、クロードはひっそりと笑った。




