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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
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終幕―おおかみさんと一緒

 最終話。前話から二年が経過しています。

 事前に言っておきますが、ソニアちゃんの話し方は誤字ではありません。成長してひらがなしゃべりを卒業したんだと思ってください。

 その家の中は空っぽだった。

 いや、机や椅子や寝台などの家具はあるのだが、衣服や本、食器類は事前に引っ越し先の邸に送っているため、お気に入りのマグカップも初めて街に行ったときに買ってもらったぬいぐるみも今のこの家にはない。家の中身だけそっくりそのまま移し替えたといってもいいくらい、向こうの家は“元の家”のままだ。そうとわかっているのに、今日で別れる家のがらんとした様子に少女は寂しさを覚えた。


 あれから、二年。

 今日は青年と少女が王都へ引っ越す日だった。引っ越しに二年もの月日が必要だったというよりは青年の転職に時間がかかったという方が正しいだろう。高ランクの冒険者が一国の騎士になるのはなかなか難しい。自由なはずの冒険者にも世のしがらみというものは多くあって、それらが彼を一国に縛り付けるのを良しとしなかった。

 そんな二年という期間を長いと感じるか短いと感じるかは人によるだろう。だが、時間をかけ、兼ねてより準備していたおかげで少女を王都に慣れさせる機会も設けられた。住居の選定には手間取ったが、引っ越しは問題なく進んだし、新しく買い入れる物以外の必要な物はすべて新しい邸に送ったために当日の荷も少ない。長く世話になった森の家の掃除も昨日済ませた。もう身一つで新居に移れるくらいだ。


 すっかり生活感のなくなった部屋にまったく感傷的な気持ちにならない、と言えば嘘になる。

 かつて、青年は“空っぽの家”に絶望すら覚えた。けれど、今の空っぽの家は青年を絶望させるに足らない。

 なぜなら、彼の家が(から)になるのは家具がなくなったときでも服や本がなくなったときでもないから。


「そろそろ行くぞ、ソニア」


 たった一つ。

 それだけがあれば、青年の家は満たされる――その傍だけが彼の居場所だから。


   ◇◇◇



 思い出ばかりが詰まった空っぽの家。

 何も置かれていない古びたテーブルを前に、少女は何事か考え込んでいた。

 本人に自覚はないだろうが、眉間に皺を寄せながら悩み込むその姿は家主の青年にそっくりだ。そんな些細なことにすら、二人がともにいた時間の長さとお互いへの影響の大きさがうかがえる。


 少女が意を決したように俯けていた顔を上げると、その動きに合わせて腰まで伸びた金糸の髪が揺れ、陽を浴びてきらきらと光った。

 少女はしばしの逡巡の後、ポケットから取り出した赤い頭巾をテーブルの上に置く。畳んだ布の端が不揃いなことに気づき、躊躇いながらもゆっくりと畳み直して、またテーブルに置いた。青年に声をかけられたばかりだが、焦る様子はない。少女が答えを出すまで――それこそ日が暮れたって、彼は待っていてくれることを知っていたから。


 色褪せてしまった赤い頭巾。

 どれくらいかはわからないが、もうずいぶんと長いことこの頭巾を身に付けていない。今、少女の髪を彩っているのは青年から贈られた赤い花を模した髪飾りだ。


 森に捨てられる前に母親から貰った赤頭巾。

 もう使わないそれを、いらないものだと言ってしまうのは簡単で。

 でも、捨て去るには躊躇する。


 大切に思っていたときが、確かにあった。

 捨てられるわけないと、そんな選択肢なんてないと思っていたときがあった。

 ――だけど。


 これは、今のわたしに必要なの? ……まだ大切だと思ってるの?


 己に問いかけても応えはない。

 当然だ。少女はまだ答えを出せていないのだから。

 それは、何より大切なものへの裏切りじゃないのかと少女の心が叫んだ。






「ソニア」


 テーブルの前で――正しくは頭巾を前に固まるソニアを見かねたクロードに名前を呼ばれた。途端に金縛りから解けるように身体から力が抜ける。ホッと息を吐いて、そのとき初めて自分が緊張していたことに気づいた。

 振り向くとクロードと目が合う。その優しげな視線にわけもなく泣きたくなった。


 こんなに大切に思っているのに、この人のために自分は何一つできない。

 だって、過去の残骸を捨てることすらできないじゃないか。


「持って行けよ」


 クロードは折り畳まれた赤い布をソニアの手に置いた。


「大切なんだろ? 持って行けばいい」


 ソニアの葛藤なんてなかったように、そう言って。


「た、いせつ?」


 そう、大切だった。

 色々あって、その感情は複雑に絡まっていて……それでも捨てられないくらい、今も大切に思っている。だってこれは、ソニアにとって唯一の両親との繋がりだから。


 わたしにはもうお父さんなんていないのに。お母さんなんていないのに。


 そう思っていても……そう思い込もうとしても捨て切れないのは、それでも育ててもらった恩なのか、わずかばかりの情なのか、それともこの身に流れる血のせいなのか。はたまた、“両親からの愛情”なんてものへの憧れなのか。……本当は憧れなんて綺麗なものじゃなくて、ただ与えられなかった(もの)に対する執着なのだろうけれど。


「いや、大切か大切じゃないかなんて関係ねえな。捨てるか迷うなら持っとけ――俺はお前に後悔だけはさせたくない」


 いつもそうだ。

 待っていてくれるのも、背を押してくれるのも、手を引いてくれるのも――全部、クロードだった。

 “大好き”だと言って抱きつくソニアには応えてくれないくせに、それより何倍も温かくて嬉しい言葉をくれる。好きだと言われるより、よほど大事にされているとわからせてくれる。


「おおかみさんにもあるの?」

「ん?」

「捨てられないもの」

「……ああ、山程ある。名前も、本当は捨てちまった方がいいんだがな」


 ソニアとクロードなんて重なるところの方が少ないのに、ふとした瞬間に自分たちは同じだと感じる。


「名前? クロードさん?」

「クロード・ラージュ・ルーガルー。本名はクロード・ルーガルーだけどな。ラージュは……もうどこにもない村の名前だ。俺一人が名乗ったって何の意味もないのに、つい名乗っちまう」


 自分たちは同じだから傍にいられるのだろう。

 いつか全然違う存在になっても傍にいられるだろうか。

 ソニアの檻をクロードが開けてくれたように、クロードの傷をソニアが癒せる日はくるだろうか。


 遠い未来に夢を馳せても現実はどうなるかわからないけれど、ずっと先の未来にもクロードの傍にソニアがいて、一緒に笑い合えていたら良いなと思う。

 互いが互いの幸せになれるように、これからを歩んでいきたい。



   ◇◇◇



 この家にある全ての物に一つ一つ思い出がある。綺麗で、儚くて、触れたら壊れてしまいそうな宝物たち。ソニアにとって、それは幸せと同じだ。

 ――否、同じだった。




 この家の机も椅子も寝台も、匂いも色も雰囲気も全部、これで最後。

 だって、これからまた新しい生活が始まるから。

 クロードとともに新しい家で新しい日々を送っていく。それはとても素敵なことだ。でも、それでも、今までの幸せも嬉しさも――悲しみも切なさも、たくさんの想いと記憶が詰まった宝物のような家を離れるのは少し寂しい。

 そう思って、ふいに目頭が熱くなった。ぎゅっと目を瞑って、溢れ出しそうになるものをやり過ごす。


「ありがとう」


 自然と口から漏れた一言は誰の耳にも届くことなく、窓から差し込む陽にとけていった。


 これは、別れじゃない。置いて行くのでも、捨てて行くのでもない。

 大事に大事に宝物を抱えて、思い出を心に詰め込んで、温もりを抱き締めて……この森を出るのだ。今日は旅立ちであり、巣立ち。

 暗くて不気味な森でソニアは幸せを見つけた。始めは怖くて仕方なかったけれど、今はずっとここで穏やかに暮らしていきたいと願うほどに好きだ。けれど、ソニアは狭い森の中ではなく、広い世界で生きていく。もう自分を縛るものは何もないから。……心細くないようにと、大切な人が手を引いてくれるから。


「――行ってきます」


 玄関の扉が閉まる音に合わせてそう言うと、先に出ていたクロードが笑う気配がした。その笑顔が見たくてすぐに振り返る。が、クロードはすでに森の方を向いていた。

 少しだけそれを残念に思いつつ、浮き立つ心を抑えないでソニアはクロードのもとへと駆け寄る。隣に立つと自然と差し出される手が嬉しい。当たり前のように手を繋いだ。


 おおかみさんと一緒。


 心の中で呪文を唱える。

 これはソニアが幸せになれる魔法の呪文。法力も魔力も何の力もいらない、ソニアにだけ使える特別な魔法だ。

 魔法の効果は抜群だけれど、ソニアはいつまでこの魔法が使えるんだろう。クロードとずっと一緒にいたいと思うが、“ずっと一緒”なんて無理かもしれない。でも、ソニアが望むかぎり、そしてそれをクロードが許すかぎり、二人はずっと一緒にいられるはずで。

 ソニアは自分が好きじゃないし、だからこそ変わりたいと思っているけれど、何が変わってもこの想いだけは変わらないでほしい。クロードが騎士になって、ソニアが大人になって、取り巻く世界がどれだけ変わってしまっても。

 ひとは永遠に変わらないものなんてないと言うけれど、それでも永遠を願ってしまう。


 幸せが続かないことなんてとうに知っている。

 後になって、大きな不幸が押し寄せてくるかもしれないとも考えている。いつか一緒にいられなくなるかもしれないなんて不安もある――それでも、ソニアは前に進む。怖いけど、怖くない。たとえ二人の手が離れても、繋がっていたときの温もりはきっと忘れないから。


 一緒にいるだけで、その思い出だけで、幸せにしてくれる存在をひとは何と呼ぶのだろう。

 “ソニア”は幸せの名だけれど、ソニアにとっての幸せは黒い青年の姿をしている。


「おおかみさん、だーいすき!」


 おおかみさん。

 それがソニアの唯一で、宝物以上の宝物。

 


   ◇◇◇



「お引越しって初めて」

「あー、そうだろうな」

「王都のお家、広いけど他のひとも住むの?」

「いや、フェリクスに言われて買っただけだからな……おいおい、使用人は雇わなくちゃなんねえだろうが」

「使用人? メイドさん?」

「俺は男でも女でもどっちでもいいが。使用人に関わらず、何か希望があるなら早めに言っとけよ」

「うーん……あっ!」

「なんだ」

「おおかみさんと一緒のお部屋がいい!」

「それは…………。………………。……十歳くらいまでならいい、のか?」



 ――――これは、森に捨てられた少女が不器用な青年に拾われて幸せになる話。少女の幸せが続くように、二人が森から離れても物語は続いていく。





 この話をもちまして『“おおかみさん”と一緒』は完結となります。

 長い間お付き合いくださいましてありがとうございました。カメ更新にも関わらず読んでくださっている皆様への感謝の念でたえません。


 次話は登場人物紹介です。読まなくても問題ありませんが、頑張って書いたので良かったら読んでやってください。




【お知らせ】

 最終話と第二部を繋ぐ……ような気がする内容の小話を『“おおかみさん”と迷いの森』に置いています。

 もともと本編完結記念に拍手小話として書いたものですが、よろしければそちらもどうぞ。


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