幕間―どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ
ノエ視点の幕間。
本作品の魔剣の設定はテキトーです。
ただ単に血みどろ描写を書きたくなかった、というより書けないから作った設定だったり。まあ、子どもが出てくるのに血飛沫ブシャーもなぁと思ったのもありますが。
一応、この作品はほのぼののつもりです。……ほのぼの暗い。
その少年は貧民街に生まれた。
親はいない。
もちろん、少年を生んだ人間はいるのだろうが、顔も知らないし会ったこともない。それは彼がいた地域では珍しいことではなかった。
幼い頃の記憶はほとんどない。
ただ覚えているのは、ずっと腹を減らしているような惨めな子どもだったということだけ。
気づけばチンケな盗賊団にいた。
そこは食うに困って盗みを行うような者たちの集まりだったが、仲間や同じ境遇の者に対しては優しく、互いに支え合って生きていた。……そうしないと生きていけないほど劣悪な環境だったとも言える。
少年は数少ない学のある連中に読み書きや計算などを教わっていた。彼らは故あって貧民街に流れ着いた者たちだったが、知識が力になることを彼に教えてくれた。
今にしてみれば、貧民街に生まれた子どもの生活としてはそう悪くないものだったと思う。
――少年が暗黒街のボス・ツェーザルと出会い、ノエと名乗るようになるのは貴族に捕まった盗賊団の頭が処刑されてからだった。
そのとき七歳だった少年は盗賊団の頭にそれなりに恩義を感じていて、彼を処刑した貴族に復讐してやろうと思ったのだ。
だが、貴族を相手にするには少年は無力すぎた。
だから、まずはその貴族と敵対するものを探した。敵の敵は味方とまでは言わないが、利用できる相手であることは間違いない。残った盗賊団のメンバーや貧民街の他の子どもをまとめ、子どもながらに色々と画策していたのだが、あと一歩というところで露見した――復讐相手の貴族本人ではなく、その貴族と手を組んでいた裏組織の男に。
その男こそ、今の少年のボスであるツェーザルだ。
正直、始末されると思っていた。
だが、彼は少年の手腕を高く評価し、組織に入れば見逃してくれると言う。もちろん、一も二もなく頷いた。別にいつ死んでもいいとは思っていたのだが、生きる道があるのに自分から死を選ぶ気にはなれなかったし、せっかくの復讐が台無しにされたままなのは悔しかったから。
飼い慣らされてやるものかと心に刃を隠したまま、従順な顔で組織に忠誠を誓い、ツェーザルに与えられた名を名乗る。肩に刻まれた蛇が疎ましい。
それもこれも組織を乗っ取るまでの辛抱だ――そう思っていたのは、はじめだけで。
少年が組織に馴染むのに、彼らを家族と呼ぶのに――自分の意思でノエと名乗るようになるのに、そう時間はかからなかった。
――あの貴族の首が欲しいのか? 別に構わない。使い道があるうちはやれないが、お前が俺の右腕となった暁には好きにさせてやる。それまで我慢しろ。
自分より大切なものなんてなかった。
生きる意味なんて持ってなかった。
生まれたから生きていて、死ななかったから死んでいない。……ただそれだけだったのに。
――今日から俺たちは家族だ、ノエ。
彼にとって名前は誇り。
彼にとって家族は宝。
彼にとってボスは唯一にして絶対の存在。
自分の生に意味を見出してしまったから……大切なものができたから、死ねなくなった。
◇◇◇
伝令の言葉にノエは舌打ちする。
「いくらなんでも早すぎ! この国の騎士団長はお飾りじゃなかったの!?」
苛立ちも露わに近くにいた男を蹴り上げた。
八つ当たりで蹴られた部下の一人は情けない声を上げながらノエから距離をとる。
「だいたい、騎士団の副団長を抱き込んでるのに騎士団の動きを今の今まで掴めなかったってどういうこと!?」
「その副団長が騎士団の方に切られたっぽいッスねー。ま、とーっくにバレちゃってたってこと」
ノエの言葉に、カストはのんびりした口調で答えた。
呑気な腹心にノエの苛立ちは募るばかりだ。
「そんなのわかってるよ!」
そう怒鳴って、イライラと親指の爪を噛む。
たった今、冒険者ギルド・ヴァナディースの冒険者たちが騎士団長直筆の委任状を持ってこの国では禁じられている人身売買の摘発に来たのだ。とりあえず表門に部下を向かわせたが、数も個々の力も圧倒的に負けている。すぐに突破されるだろう。
まあ、いいや。どうせ表の方は陽動だろうし。
目的は攫われた女子供の保護のはず。
見張りからの連絡が途絶えていることから考えて、地下牢に別動隊が向かっていると思われる。本来なら商品の移動を優先させるのだが、魔法でごまかされていたせいで別動隊に気づくのが遅れた。今からでは間に合わない。
だが、目的がわかった分、考えやすくもなった。彼らにとっての保護対象の安全が確保されるまでは時間が稼げるだろう。
「ノエ様、競売場の方に連絡して……っ」
「馬鹿じゃないの? そっちにも手が回ってるよ。今はこっちをどうにかするのが先」
ここを攻めているのは騎士団の依頼を受けた冒険者たちだ。なら騎士団の本隊はどこで何をしているのか。そんなの考えるまでもないことで。意外に仕事熱心らしい騎士団長が外部に任せて高みの見物を決め込むはずもないだろう。
ノエは考えればわかることを訊かれるのが嫌いだ。
「まさかバレてるなんてっ」
「ノエ様、俺たち一体どうすれば!?」
「ちょっと黙って。ボクがいるんだから、こっちはなんとかしてみせるよ」
ノエは喚き立てるくらいしかすることのない馬鹿どもに向けて強気に笑ってみせた。それだけで安心して気を抜くのだから、なんて単純な。使えないやつばかりでうんざりする。
救いがあるとするならば、競売場の方は捨て駒だったこと。
あそこが騎士団にバレていることは知っていた。
だから、ボクは行かなかったんじゃないか。ホントに、どいつもこいつも馬鹿ばっかり!
「この国でも結構稼がせてもらったけど、もう潮時だね」
「ここを捨てるんですか!?」
「当たり前。今回の分の稼ぎがまるまるなくなるけど、今までの分があるし」
「商品がなくなっちまうのは惜しいッスねー」
余計なことを言う腹心の部下をギロリと睨む。
痛いところを突かれた。この男は頭は軽くないが、口が軽い。
「とにかく、ギルドの連中に捕まる前に逃げるよ」
部屋にいる全員にそう告げた。
ほとんどが焦った顔をノエに向けるが、カストだけは意味ありげな視線を向けてくる。
「あの、逃げるって言ってもどうやって逃げれば……?」
「外は包囲されてるけど、隙がないわけじゃない。館の西に抜け道がある。そこは森に通じてるから、森から隣国へ抜ければやすやすとは追って来れないさ」
館周辺の地図を広げ、逃走経路を示した。
国境というのは何かと便利なものだ。騎士団ではなくギルドが捕縛に来たのもここが国境にほど近い場所だからだろう。
だから、もし騎士団が来るとしてももっと時間がかかると思ったんだけどな……まさか冒険者ギルドに頼むなんて。
計算外のことに顔が歪む。頭の足りていない部下も役に立たない協力者も無能はみんな嫌いだが、ノエは自分の策を狂わされるのが何より嫌いだ。
せめて王都の冒険者ギルドだったら事前に情報が得られたのに。そこまで読まれていたことが悔しい。わざわざノエが注意を払っていなかった地方のギルドを使ってくれたこの国の騎士団長はなかなかのやり手だったらしい。
お飾りだとか嘘を抜かした使えない男を心のなかで罵倒する。やはり手を組む相手はもっと吟味するべきだったと今さら思っても遅い。
「ノエ様ー、あいつらは捨てていくんッスか?」
逃走経路を聞いて我先にと逃げ出した部下たちが全員部屋からいなくなった後、ノエはカストにそう訊かれた。
さすがに付き合いの長い彼にはわかったらしい。
隣国に逃げ込まれたら困るのは向こうだ。伏兵だけでなく、森には罠も張られているだろう。
それに、たとえ運よく隣国へ逃げ込めたとしても、隣国にも多少融通が利く教会の者の手によって捕まるだけで逃げられないことに変わりはない。教会が協力していることを知っているのはノエとそれを報告してきたこの男だけなので、逃げた男たちには寝耳に水だろうが。
「あいつらはマルシャンの部下であってボクの部下じゃない」
カストの問いを鼻で笑い、ノエは冷たく言い放つ。
マルシャンは奴隷商人だ。組織の人間ではない。わざわざ連れて来ている腹心の部下・カストにすら言っていないが、今回の競売をマルシャンに任せたのは、最近増長して他の組織とも繋がりを持とうとしている彼を切り捨てるため。
元々、撤退する気だったのだ。ギルドが来なくても、今回の競売を最後にこの国での商売は終えるつもりだった。……まあ、それもノエの計画では商品の移動を終えた後での話だったのだが。
「ひでー」
そう言いつつ、カストはからからと笑った。
「で、俺とノエ様はどーやって逃げるんで?」
「キミはこれでも使えば?」
ノエは転移魔石を投げて渡す。
難なくそれをキャッチしたカストはちょっと困った顔をした。
「ノエ様は?」
そう、真面目な顔で尋ねられる。
転移魔石は貴重かつ高価なものだ。おいそれと手に入る物ではない。ノエが非常時のために持っているのは一つだけ。それを腹心である彼は知っている。
「ボクは攫われた子どもに混じったら逃げれるよ、たぶんね」
一応、捕まる気はないことを告げる。
ノエの容姿は目立たないし、この国ではあまり顔を知られていないから、気づかれる可能性は低い。ただ、この国の騎士ではなく、様々な国で活動する冒険者が相手なのでノエの顔を見知っている者もいるかもしれない。それだけが気がかりだ。
「商品に混じる? 顔見られてるじゃないッスか」
カストは自分だけが安全に逃がされることが不満なようだ。
それはわかっていたが、ノエなら五割はある逃げ切れる確率もカストなら零。カストなら確実に捕まってしまう。それがわかっていて自分だけ転移魔石で逃げることはできない。……さっき騙した男たちと違って、カストはノエの家族だから。
「髪型をいじって雰囲気を変えればバレないよ」
印象に残りにくい顔でバレにくいというのは確かだが、ノエの言葉は希望的観測にすぎない。
残念なことに、ノエもカストも楽観主義者じゃなかった。
「俺はノエ様のお守……じゃなかった、護衛を任されてるんッスけど」
「幹部でもないボクに護衛はいらないっていつも言ってるでしょ」
「ノエ様は参謀じゃないッスか」
「そんな地位、うちの組織じゃたいして重要じゃないよ」
「……アンタに何かあったら、俺がボスに殺される」
カストが唸るように言った。
いつも余裕そうな彼も今ばかりは表情が崩れている。それがノエには愉快で堪らない。
減らず口ばかり叩く彼が真面目にノエを心配しているのを見るのは悪くない気分だ。普段なら心配されるなんて侮られているみたいで気に食わないが、こういう場面で言われるのは家族っぽくて嫌いじゃない。
「じゃあ、一筆書いてあげるよ。ボクのカストを殺さないでって」
「書くんじゃなくて、自分の口でボスに言ってください」
いつになく強い口調。
でも、ここは譲れない。
「わかったよ、ボクが魔石を使う」
「っ、ありがとうございます」
「お礼を言うのはおかしいでしょ」
ノエがカストから転移魔石を受け取ると、カストはあからさまにホッとしたようだった。
だが、すぐに顔を顰める。くすくすと笑うノエに違和感を持ったらしい。
今さら気づいても遅いよ、カスト。
その違和感の正体に気づいてももう遅い。
ノエは握り締めた魔石に魔力を注いだ。
元々たいしてない魔力が急激に減っていくのを感じる。隣国の王都に転移できるのだが、それなりに距離があるぶん魔力を多く使うのだ。これでは念のためにと持っている魔導具もしばらく使えないだろう。
「ばいばい、カスト。ボスによろしく」
魔石がひと際強く輝いた瞬間、ノエはそう言ってカストに魔石を押しつけた。
カストの姿が光に包まれ、消えていく。
「……っ、…………!」
「あはっ、何言ってるかわかんない」
転移する寸前、カストが怒鳴るように何かを言ったが、ノエの耳には届かなかった。声はしないのに怒る姿がおかしくて、思わず笑ってしまう。
行かなくちゃ。
捕まるわけにはいかない。
犯罪に巻き込まれたただの子どもや利用された子どもとしてなら捕まってもいいが、ノエだとバレたら捕まった後に待っているのは拷問と処刑だ。
ボクは死なない。……死ねない。
だから、どんなに無様でも生き延びてやる。
暗い廊下をひた走る。
思った以上にひとがいない。
このまま逃げ切れるんじゃないかと考えたとき、廊下の先に数人の男が見えた。
くそっ、こんなところで……っ!!
もうすぐ、もうすぐなのに。
見た感じ男たちは別動隊だろう。門からも地下牢からも遠いここになぜいるのか。女子供を保護してさっさと帰るなり本隊と合流するなりすればいいものを。
なんでこんなところにいるんだよ!
内心毒づきながら、どうやって回避しようかと考えを巡らせた。
物陰に隠れてやり過ごしてしまいたいが、おそらくノエの存在は気づかれている。あの人数で潜入してきたのだとしたら相当の手練れだろう。真正面から当たって勝てる相手ではない。というか、ノエは冒険者とやり合えるほど強くない。
っ、あいつらになら攫われた子どもで通るかも!
ノエの頭に一つの考えが浮かぶ。
だが、その思いつきについて熟考する暇はなかった。
「大丈夫か!?」
銀髪の男が駆け寄ってきたからだ。
「っ」
今気づいたというように目を見開き、男を見てびくりと震えたフリをしてみせる。
すると、銀髪の男は安心させるように微笑みかけてきた。ノエの演技は通じたようだ。
「だ、誰……!?」
「安心してくれ、怪しい者ではない。私たちは君のような攫われた子を助けに来た冒険者だ」
ノエが何も言わずとも、彼は眼前の少年を攫われた子どもの一人と信じ切っているらしい。
“馬鹿じゃないの”と呆れるが、そんな心の内はおくびにも出さず、安心したように身体から力を抜いた。銀髪の男が想像以上にちょろかったせいか、心底安堵したという演技は思ったより上手くできた気がする。
「どうしてこんなところに?」
「向こうの部屋に閉じ込められてたんだけど……外が騒がしくなって、鍵が開いてたから出て来たんだ。逃げようと思って」
「そうか、別の場所に……。他にもまだ子どもがいるかもしれない。君がいた場所に案内してもらえるか?」
「ごめんなさい。夢中だったから……どっちから来たのかわからないんだ」
「それもそうか。怖かっただろうに、思い出させるようなことを聞いて悪かった。答えてくれてありがとう」
銀髪の男はノエの言葉にうんうんと頷いた後、振り返って声を張った。
「マルセル!! この子も魔法で逃がしてやってくれ!」
どうやら、転移魔法で逃がしてくれるらしい。ありがたいことだ。
「わかった! すぐに準備するよ」
「ああ、助かる。良かったな、君」
「はい! ありがとうございます!!」
本当に、心の底から感謝したい。
敵である自分を逃がしてくれるとはなんて親切な奴らだ、と。頭がおめでたいようで何よりだ。
ちょっと焦ったけど、むしろ良かったかもね。
どこからともなく取り出した杖を構える魔術師だか魔導師だかを見ながら、ノエは胸を撫で下ろす。
カストに再会したら、とんでもなく親切な馬鹿に助けられたと話してやろう。無理やり転送させたことを怒っているかもしれないが、何事もなく過ぎてしまえば笑い話で済む。
「ノエ……っ」
ふと、名前を呼ばれた気がした。この場にいる誰が自分の名を知るのか、気のせいだと頭を振る前に黒い影が視界に迫る。
油断していたわけでは、なかった。たとえ何をされるかわかっていても、きっとそれは避けられない。
ノエの瞳に黒い剣が映った瞬間、それを認識する前に衝撃とともにノエの左腕に強烈な痛みが走った。
っ、いたいっ、痛い痛いいたいいたいいたいぃいぃいい!!!!
声もなく絶叫する。
左腕が斬り落とされた。
思わず右腕で左腕を抱える。
……抱える? 斬り落とされたのに? 本当は斬り落とされていないのか?
もし斬り落とされていないとしたら、今確かに感じている痛みと喪失感は何だというのだ。斬り落とされていないなら、なぜノエの左腕は動かないのだ!
「っっっ」
動かそうと左腕に力を込めて、痛みで目の前が白く光った。
なにこれ、なにこれ、なにこれ……っ!!!!
どうして、なんで、この左腕は斬られていないのに動かないのか。
「っっ、うわあぁぁぁ!!!」
わもわからず、ただ叫んだ。廊下にノエの声が反響している。
ノエの周りで男たちが何か言っているが、頭に入ってこない。痛みと混乱で意識が遠くなっていく。
「一体、何を斬ったんだ……?」
「感覚だ」
「……感覚? 魔法も使わずそんなものどうやって――」
「グラムは何でも斬れる魔剣じゃない。斬りたいものだけを斬る魔剣だ……この前まで使えてなかったけどな」
「はあぁぁ……クロード、その子がノエなんだったら俺たちにも声くらいかけてよ」
絶え間なく襲う痛みで、自身に捕縛の魔法がかけられたことにも気づけなかった。
気を失う寸前にノエが見たのは、黒く禍々しい魔剣を持った男と――。
あのっ、ガキ……っっ!!!
自分を睨む、見覚えのある少女だった。
◇◇◇
ノエは牢獄でぼうっと月を見上げていた。
手の届かない場所にある小さな窓から見える景色は、まるで夜空を切り取ったよう。
……きれいだな。
ぼんやりとそんなことを思う。
どれくらいそうしていただろうか。
空が明るみ始めた頃、窓からひらりと紙が入ってきた。二つに折りたたまれたメッセージ。中を読まなくてもわかる。
助けに、来たんだ。
拾い上げた紙を広げると、案の定。
放っておいてくれたらよかったのにと思わなくもない。
もし、捕まったのが他のヤツでボスが助けようと言い出したらノエは止めるだろう。この国はノエが生まれ育った国ほど悪人に優しくない。牢から脱獄させるのにもなかなか骨が折れるのだ。
今回、ノエを迎えに来るのにもそれなりに犠牲を払ったはずで。
自分にはそんな価値なんてない、とは言わない。
ボクは助け出す価値のある人間だ。組織にとって有益な人間だ。……そうじゃなくちゃ、いけない。
ボスはカリスマ性はあるけれど気分屋だし、組織の幹部は強いけれど馬鹿ばっかり。ノエがいなくてもやっていけるだろうが、ノエがいれば死ぬ仲間が減る。金に困らなくなる。
自分たちで何でもできるくせに、今頃ノエが捕まったと騒いでいるのだろう。それくらい容易に想像できる。
どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。
だからノエは生きる。
決して素直に口にはしないけれど、尊敬する恩人に自分のために使わせてしまったものを返さなくてはいけないから。
馬鹿な身内のために、馬鹿な他人を食い物にする。
「カストは逃げ切れた?」
ノエを助けに来た男に問うた。
声が掠れている。意識した途端に身体中を痛みが襲った。そこまで重傷ではないが、自分の足で歩くのは無理そうだ。
「はい。ノエ様のご指示通りの場所にひとを配置していましたので。向こうもこちらが転移魔石を持っているとは思っていなかったようですね」
あのとき使用した転移魔石は塔の魔導師から買ったものだ。
転移系の魔石や魔導具は、本来ならば国の許可なく手に入れることはできない。だが、組織の協力者である魔導師に依頼すれば、値が張るうえに数は手に入らないものの入手することが可能だった。
組織全員は無理でもいざというときのために、ボスと幹部の分くらいは用意しておきたかったのだ。ノエが持っていたのはボスの分なので――この国に来る前にお前が持っておけと渡された――また新しく買い入れなければならないだろう。
導の塔の魔導師に目をつけたのはノエだった。
彼らは魔術研究のためなら命すらも弄ぶ。それを知っていたから、研究材料を手土産に声をかけた。魔法の発展のためには人体実験も必要なのにそれがわからない愚者が多いらしい。……彼らの研究に理解を示してみせたら、いとも簡単に釣れた。それ以来、魔導師との繋がりは重宝している。
「一つだけだったけどね。……組織の損失は?」
転移魔石一つにしても大きな損失だ。
それもこれもノエの失策のせい。さらに、今もこうして手間をかけさせている。それを思うと内側から何かが込み上げてくるような気がして、ごまかすために大きく息を吸って吐いた。
「意外にもごくわずかでした」
「そう。マルシャンには悪いことしたかな」
「っ、まさか、ノエ様、そのために……?」
「さあね」
ほとんど計画通りだったとはいえ、捕まったのは計算外だった。
しばらくこの国で仕事をする気にはなれないが、いつかは戻ってくるだろう。今回の礼をしなくては。
――お前は俺の未来の右腕だ。お前を馬鹿にするやつがいたら誰を馬鹿にしたのか思い知らせてやれ。
わかってるよ、ボス。あなたの敵はボクの敵だ。
違う道もあったのかもしれない。
だが、ノエは手を汚し続ける。
「さて、早く帰って損した分を取り返さないと――我らがボスのために」
生きる意味が、そこにあるから。
◇◇◇
「……ボス」
「おおっ、帰ったか、ノエ!」
「おーい、みんなー! ノエが帰って来たぞー!!」
「………………」
「どうした?」
「なんでっ、なんで責めないの……っ!?」
「そりゃ、お前……家族が帰ってきたのを喜びこそすれ、責めるやつはいないだろ」
「だって、ボクは……っ、ボクは組織にめいわくを……っ、ぼ、ぼすのかおにも、どろをぬって…………っっ!!!」
「ノエ」
「……っ」
「よく、頑張ったな。おかえり」
「おかえりー!」
「怪我ないか―!?」
「……っ、もうほんと、みんな……馬鹿なんだから」
――――誰に認められずとも、彼らは確かに家族だった。
《 セルジュ視点 》
こんな子どもが、という思いはあって。
幼いからといって彼が犯した罪が許されることはない。それでも、確認せずにはいられなかった。
「本当にこの子が首謀者なのかい?」
セルジュの眼前には気を失った少年が横たわっている。彼にかけられた捕縛の魔法はマルセルのものだろう。少年を縛り上げる魔法の縄は淡い光を放っていた。
「はい。先に捕縛した男たちにも確認しましたが、首謀者はこの少年――ノエで間違いないそうです」
セルジュの問いに重々しく頷いたのはアベルだ。苦々しい表情が彼の心境を物語っていた。
「狡賢い大人たちに罪を押しつけられた……というわけでは、ないのだろうね」
子どもが罪を犯す。それはとても悲しいことだ。言われてやっているのではなく自分の意思で行っているなら、なおさら。
犯罪に手を染めないと生きていけない者がいることをセルジュは知っている。この少年もきっとそういった境遇にあるのだろう。……それがわかるからこそ、やりきれない。
司教といっても無力なものだな。
罪を許してはいけない。だが、生きていくために罪を犯した子どもに罪を犯すなと説教することは、生きるなと言っていることと同じだ。劣悪な環境に生まれながらも生きようとする子どもに“生きるな”なんて、一体誰が言える?
誰に彼らを否定する権利があるというのだ。……そんな権利、きっと神にだってありはしない。
「セルジュ殿、治せますか?」
深く思考の海に沈んでいたセルジュはアベルの声で我に返った。
「不勉強で申し訳ないのですが、法術で感覚を戻すことなど可能なのでしょうか?」
「クロードがやったんだろう?」
「はい。……あいつは、魔剣の力を完全に引き出しているようです」
アベルの声が暗く沈む。悔しさもあるが、クロードに対する劣等感が強い。
本当にアベル君はわかりやすいねぇ。クロードとは大違いだ。まったく、私の弟はどうしてあんなに捻くれているのだろうね?
クロードも根は素直な性質だと思うが、育ちのせいか幼少期の体験のせいか、アベルと比べるとずいぶんと捻くれている。……彼の自称兄としては、そこが可愛いのだが。からかいたくなるという意見にはマルセル辺りも同意するだろう。
「私も、もっと剣技を磨かねば」
ぐっと唇を噛み締めるアベルに苦笑する。
優れたものを持っているのに、自分とはまったく違うクロードと比べてばかりでそれに気づかないアベル。それは、あまりにもったいないことだ。他人が口を出すことではないので、これから先もセルジュから何か言うことはないだろうが、いつか自身で気づいてくれればいいと思う。そうすれば、比べるのではなく競うことでクロードと対等になれるだろう。そこで初めてアベルの望んでいる本当の好敵手になれるはずだ。
弓の方が得意なのに、なんで剣にこだわるのかな?
こんな不躾な質問をぶつけるほど、セルジュはアベルと親しくない。一度聞いてみたいとは思っているが、彼のなかで何か深い理由があるなら興味本位で訊いていいことでもないだろう。
「クロードの魔剣のことなら、本人から聞いているからだいたいのことは知っているよ。おそらく、法術で治せる範囲だろう」
話を戻し、アベルからノエに視線を移した。
まだ幼い少年の顔は苦悶に歪んでいる。彼が感じている痛みは錯覚なのだが、このまま放置していたら精神に異常をきたしそうだ。
……魔剣・グラムか。つくづく、器用な剣だ。
かの魔剣は斬りたいものだけを斬ることができると言う。それは形あるものだけに限られない。どこまでできるのかは知らないが、感覚を斬ることができるなら魔術や法術といった魔法も斬ることができるのではないだろうか。
クロードが斬ったのは感覚。話を聞くかぎり、おそらく神経も斬っている。だから斬られたところは動かず、斬られた相手はそこがなくなったように感じるのだろう。
クロードが率先してそれらを斬っているのはきっと相手を無傷で無力化するためだ。昔は血塗れで剣を振るっていたのに優しくなったものだと思う。
それとも、血の匂いをさせて帰ることを躊躇わせる誰かがいるからか。
出会いが出会いだったから、セルジュにとって血を纏っている印象が強いクロードだが、いつかそれも記憶とともに薄れていってしまうのだろう。そうと確信する程度に彼の変化は顕著だ。
さて……あの子のことも、どう転ぶかな。
大事な弟に変化をもたらした人物に思いを馳せる。
セルジュはクロードが大事にしているらしい少女に会ったことがない。だから彼女が何を考えてクロードの家を出たのかは知らないが、クロードも少女もどちらも満足のいく道を選んでほしいと願っている。……そうでなければ、どちらもあまりに報われない。
「そうですか。……良かった」
治せると聞いて、アベルはホッとした様子だ。
「この子が心配だったのかい?」
「はい。この少年が犯罪者だということはわかっているのですが、どうしても……」
「いいんじゃないかな。その優しさは美徳だよ。それで犯罪者を見逃してしまうというなら、単なる甘さだけどね」
「……彼がちゃんと罪を償って、更生してくれればいいとは思います」
「そうだね」
それが難しいことだとわかっていて頷いた。
「そのためにも早く治してあげようか」
そう言って、セルジュは青い貴石が埋め込まれた杖をノエに向かって構える。
時折、呻き声が上がるもののノエが目覚める気配はなかった。
「こんなやつ、治さなくてもいいのに……」
詠唱を始めたセルジュを責めるように、ぼそりと呟かれた言葉。
術の展開中だというのに、思わず声の主を見てしまう。……さすがに、詠唱を途切れさせることはなかったが。
「ロザリー、そんなことを言ってはいけない」
ずっと、二人の隣でノエを睨みつけていた少女をアベルが窘めた。
ロザリーという名の少女は“ノエに一言でも何か言ってやらないと気が済まない”らしく、この場に留まっている。彼女の家族とは連絡が取れているそうなので、しばらくしたら迎えが来るだろう。
「なんで? こいつ、私を蹴ったのよ? それだけじゃないわ。こいつのせいで、みんなひどい目に遭ったんだから!」
「ロザリー……」
セルジュが詠唱を終えると、ノエの左腕が光に包まれる。やがてひと際大きく光った後、光は少年の腕に吸い込まれるようにして消えていった。
ノエの腕を触って術の効果を確かめながら、ロザリーに声をかける。
「お嬢さん。淑女が“こいつ”なんて言っていいのかい?」
「…………だって」
「確かに、彼がしたことを考えれば腕の一本くらい安いものかもしれない」
「だったら……っ」
なぜ治したのかと少女が問う前に、セルジュは再び口を開いた。
「でもね、彼を裁く権利は私たちにはないんだ。彼には彼の罪に応じた罰が用意されている。それを無視して勝手に罰するのは――それは、私刑だ」
「……国に任せろって?」
十にも満たない少女には難しい説明だっただろうに、聡明な少女だ。その聡明さに、不満そうな幼い顔がアンバランスで微笑ましい。
背伸びがしたい年頃なのだろうが、きちんとした教育を受け知識を身につけている。たかが子どもと侮っては、彼女にやり込められるだけだろう。小さくとも彼女は一人の立派な淑女なのだから。
「小さな淑女はそれじゃご不満かな?」
「……ふん、別にいいわ。ノエなんかに構ってる方が時間がもったいないもの」
“私、そんなに暇じゃないの”と言って、ロザリーはつんと顔をそむけた。
そして、ハッとして目を見開く。その視線の先には二人の男女がいた。おそらく、彼女の両親だろう。
「迎えが来たから帰るわ」
「君の代わりに私からノエに何か言っておこうか?」
「伝言ってこと? 別にもう……」
言いかけて、止める。
しばし考え込んだ後、ロザリーは満面の笑みでセルジュに伝言を託した。
「……もしかして、ノエに何か言われたのか?」
ロザリーの伝言を聞いていたアベルが微妙な顔で尋ねる。
それにフンと鼻を鳴らし、ロザリーは強気にアベルを見上げた。挑戦的な眼差しに、なぜかアベルがたじろぐ。
「淑女は根に持ったりしないものよ」
セルジュとアベルは去っていく幼い少女の背を見ながら、彼女にだけは根に持たれるようなことをしてはいけないなと思った。




