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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
37/58

赤頭巾そのよん―再会まであと少し

 二人が気になっていることを察したソニアは自分が売られた経緯について簡単に話した。といっても、幼く舌足らずな少女の説明だ。十分なものであったとは言い難い。

 それでも、テオとジルには伝わったらしく、彼らは揃って申し訳なさそうな顔をした。


「すまない、言いたくなかっただろうに」

「すみません、言いにくいことを」


 同じようなことを同時に言った二人に少し笑う。


 へいき。そにあはだいじょうぶ。


 まだ、大丈夫。自分は笑えている。

 他者の感情に敏いソニアにしては珍しく、その笑みを見たテオの表情が曇ったことには気づかなかった。


「ておのおにいさんはどんなひと?」


 声を弾ませて尋ねる。


「僕の兄か?」

「うん」


 ソニアは家族の話を聞くのが好きだった。幸せそうな家族の話を聞くと、自分にも幸せを分けてもらえるような気がしたから。

 仲の良い家族の話を聞いて、楽しそうに話す相手を見て、想像するのだ。愛情深い父親と優しい母を。お腹いっぱいに食べられて、両親が微笑みながら自分の話を聞いてくれる日々を。出会ったこともない幸福を想像して、そして――現実に立ち返って絶望する。その繰り返し。


「僕に兄は四人いるが……どの兄も個性的だな」


 テオは遠い目をする。

 彼の隣ではジルが強く頷いていた。


「一番上の兄はおうた……いや、ええと、将来、家督を継ぐ予定だ」

「かとく?」

「家の仕事、と言ってわかるか?」

「……うーん」


 首を捻っていると、さっそくつまづいて困り顔のテオの代わりにジルが口を開く。


「ソニア、好きなお店はありますか?」

「おみせ? ……おかしやさん」


 見かけたことはあるが、行ったことはない。

 両親と街に住んでいた頃は縁遠いものだったし、クロードはよくお菓子を買って来てくれるが、ソニア自身が森から出ないと宣言しているため連れて行ってもらったことはなかった。

 クロードやマルセルから聞いた話や絵本で得た知識から、甘い匂いに満ちた楽園だと認識している。


「店には……そのお菓子屋さんには一番偉いひとがいます。誰かわかりますか?」

「………………てんちょうさん?」


 小さな声で呟くように答えたが、自信はない。

 お菓子屋さんには行ったことがないから知らない。というより、お店全般に関する知識がほとんどない。何せ、ソニアの想像する店長はコック帽をかぶり、お玉を持ったクマだ。……もちろん、絵本の登場人物である。


「そうです、店長さんです」


 どうやら正解したらしいと嬉しく思う。

 満足気なジルの隣では何が面白いのかテオが腹を抱えて爆笑している。しばらく“店長さんって!”と手を叩いて笑っていたが、ジルに無言で足を蹴られて笑い声を呻き声に変えた。


「では、ソニア。その店長さんが年を取ってお店を辞めたいと思ったとき、どうすると思いますか?」

「みせをたたむ」

「……意外と難しい言葉を知っていますね。そうですね、その選択肢もあります」


 当たったが、ジルの望む答えではなかったようだ。

 痛みから復活したテオが“偉いぞ”と頭を撫でてくれた。


「ううーん」

「少し、難しいですか?」

「あっ! ………………」


 思いついたが、また間違ったら嫌だなという思いが答えを口にすることを躊躇わせる。


「大丈夫だ、ソニア。きっとお前の考えは当たってる。僕が保証しよう」

「何を根拠に……」

「ソニアはなかなか頭のいい子だからな。何度か間違ってしまってもきっと正解に辿り着くさ」


 にこっと笑いかけてくるテオに背を押され、ソニアは口を開いた。


「ほかのひとにてんちょうさんになってもらう?」

「その通りです」

「やっぱりな。さすが、ソニアだ!」


 正解して誉められた嬉しさと撫でてくれる手の温かさに思わず頬が緩む。

 テオの頭の撫で方は、少しだけクロードに似ていた。もっと撫でてと言いたいほどに心地良い。


「その次に店長さんになってもらう“他の人”ですが、誰でもいいわけではありません」

「ぼんくらがつぐとみせがつぶれる」

「……ソニア。その言葉の意味、わかってますか?」

「え? えーと、ぼんくらさんっていうおにくやさんのむすこさんが……てんちょうさんになると、おみせがなくなっちゃう?」

「そんな感じだ! よく知ってるな!」

「そこのボンクラ。適当なことを言わないように」


 テオはグッと親指を立てたが、ジルは渋い顔をしている。

 以前、ソニアの家の近所の女性達が集まって話していたのだが、何かが違ったようだ。

 両親と暮らしている頃のソニアは外に出ていることが多かったので、その間、物陰でこっそり近所の人々の話を聞くのが趣味だった。……ひとは、それを立ち聞きと言う。


「ておもぼんくらなの?」


 テオは多大なる衝撃(ダメージ)を受けた。


「ソ、ソニア……僕は……」

「そうです、ボンクラです。……このことからわかるように、ボンクラというのは人名ではなくその人物の性質を表す言葉です」

「いや、そのボンクラは確実に悪口だろう……」


 何だかテオが落ち込んでいる。言ってはいけない言葉だったようだ。

 “ごめんね、てお”とソニアが謝ると、少し困ったように笑いながらも許してくれた。……まだちょっと落ち込んでいたが。


「話が逸れましたね」

「ジルのせいだ」

「それで、さっきソニアは“店長さんの息子さんが店長になる”と言いましたが、その通りです。これを店を継ぐと言います」

「てんちょうさん、かわりにやってもらう?」

「そうです。貴族社会において、このときの“店”にあたるのがテオが言っていた“家督”です」

「きぞくしゃかい」

「それは今は置いておいてください」


 ソニアは目の前にあるはずの“きぞくしゃかい”を手に持って、横に置いてみた。


「……何をしてるのか、訊いても?」

「“きぞくしゃかい”をおいてるの」

「……あ、はい。ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ジルはやや呆然としながらもソニアの頭を撫でる。テオの真似だろうか。でも、大雑把なテオとは違い、年下のソニアにも噛み砕いてわかりやすく説明してくれるジルらしく丁寧で優しい撫で方だった。妹がいると言っていたので、それもあるのかもしれない。


 その隣ではテオが小刻みに肩を揺らせていた。

 しばらくしてジルはハッとした顔をした後、気まずげに咳払いをする。


「ごほん。……では、話を続けます」

「うん」

「さっき俺は店にあたるのが家督だと言いましたが、その意味がわかりますか?」

「うん、わかる」


 今度は、ソニアは自信満々に答えた。


「ておがかとくをつぐとかとくがつぶれる」


 狭い室内に沈黙が降りる。

 この言葉を機に、ジルはソニアに家督の意味を説明することを諦めた。



   ◇◇◇



 テオが意気消沈したままなかなか浮上しなかったり、ジルが説明の仕方が悪かったかと頭を悩ませたり、ソニアがそんな二人を不思議そうに見ていたりと色々あったのだが、現在三人は取り留めのない話に花を咲かせていた。

 わからないことがある度にジルが説明してくれるので脱線することも多いが、二人との雑談はソニアにとって楽しいものだ。そう、ソニアが思わず自然な笑みを浮かべてしまうくらいに。


「で、その後ちちう……父さんが兄さんに言った言葉が――」


 扉の外の異変に真っ先に気づいたのは、テオだった。


「テオ」


 次に気づいたのはジルで。


「どうしたの?」


 二人の様子を訝しく思ったソニアも、何となく何かが起こっていることを感じ取っていた。

 不安そうなソニアに何を思ったのか、テオは安心させるように微笑んでソニアの頭を撫でる。“大丈夫だ”と言われても、二人から伝わってくるピリピリした空気にソニアの不安は募った。


「……っ。…………っっ!」


 扉の外から漏れ聞こえる声と音。

 どたどたと荒々しい音を立てて、誰かが扉の前から走り去って行く。


「見張りが離れた、か?」

「おそらくは。……何があったのでしょうか?」

「わからない。だが、ここの奴らにしてみれば緊急事態だろうな。ハッ、計画が崩れたノエの顔が見てみたい」

「同感です」


 部屋の中を走り回っていたネズミたちがぴたりと動きを止め、控えるようにジルの傍に伏せた。

 嫌でも緊張感が高まっていく室内。

 外は騒がしくなるばかりで、何かが起こって慌ただしくしていることは想像に難くない。


「チッ、剣を持ってくれば良かったな」

「今さらです。俺も杖を持ってきていません」

「残念だったな。僕は短剣なら持っている」

「奇遇ですね。俺も魔石なら持ってきていますよ」


 二人は扉を睨みつけるように見つめながら話を続ける。

 “ジルベール”とテオがジルに呼びかけた。二人の雰囲気に呑まれたまま、ジルは愛称だったのかとソニアはぼんやり考える。


「僕のために死ぬな」

「仰せの通りに。確約はできませんが」

「……ジルベール」

「これだけは譲れません。……俺が主より後に死ぬことはない」


 テオとジルの睨み合いは長かった。

 少しして、苛立ったようにテオは前髪を掻き上げる。


「チッ、このわからず屋」

「何とでも」

「もういい――行くぞ」

「はっ!」


 意を決したように扉を開けるテオ。テオの隣で構えるジル。

 ソニアはそんな二人に疎外感を覚えた。


 ……ひとりぼっち。


 テオとジルが長い付き合いなのはわかる。二人がソニアを気にしていられないのも。今が独りぼっちだとかそんなことを言っている状況でないのも。

 けれど、孤独だと叫ぶ心を静める術をソニアは知らない。そんな方法があるならとっくに試している。


「………………」

「………………」

「誰もいませんね」

「ああ、見張りもいない。さっきまで騒がしかったのに今は静かだ。……静かすぎるほどに、な」

「どう見ます?」

「これが嵐の前の静けさだと?」

「いえ、そこまでは……」

「僕は……助けが来たのだと思う」

「楽観的すぎませんか?」

「僕は兄を――騎士団を信じている。あの人が、副団長の不正に気づいていないわけがない」

「……初めから泳がせていたとすれば、今、この状況で踏み込んで来たことにも頷けますね」

「ああ、僕は愛されてるからな」

「兄弟揃ってブラコンですね」


 テオが言うには助けが来たらしい。

 きっと、テオとジルを迎えに来たのだ。彼らは家族に愛されているから。


「羨ましいだろう?」


 羨ましいなんて、思うわけがない。……思ってはいけない。


 よろこばなきゃ。


 寂しい。悲しい。独りぼっちは嫌だ。なぜ自分は独りなのか。

 湧き上がる暗い感情に蓋をする。そうすれば、最後に残るのはキレイな感情だけだ。


「ええ、歯噛みしたくなるほど」


 それはソニアには手に入れられないものだけれど、仲良くなった二人が持っていてくれてよかった。


 ……るー。


 いつか手を離した白い毛並みの友達。

 大切に思う相手はみんな去っていく。

 ソニアに迎えは来ないけれど、ルーやテオとジルには迎えが来る。当たり前だ。彼らはソニアみたいに“悪い子”じゃない。……親に、愛されている。


 世界にたった一人、立っているような感覚。馴染み深いはずのそれが、今はひどく辛い。


「よかった」


 込み上げてくる何かを呑み込んで、ソニアに目を向けない二人に笑顔を向けた。

 別れは、笑顔で。

 それはソニアの中での決め事。できることなら、あのひとにも笑ってお別れを言いたかった。


「おむかえ、きたんだね」


 おおかみさん。


 幸せをくれたひと。

 赤い花畑に置いていって、でも拾ってくれたひと。

 誰にも顧みられないソニアを迎えに来てくれた、唯一のひと。

 助けに来てほしいなんて、もう一度迎えに来てほしいなんて思わない。欲を言えば最後に一目会いたいけれど、それももういい。


 あのとき、むかえにきてくれてありがとう。


 それだけで、ソニアには十分だったから。


「ソニア……」


 ハッとした顔で黙り込んだ後、ジルは唇を噛み締めた。

 ソニアは売られてきた子ども。ここで助け出されても彼女が親元へ帰ることはないと、たとえ帰ったとしても不幸にしかならないと知っていたから。

 だが、テオは違った。


「違うぞ、ソニア。助かるなら三人で、だ!」


 暗雲なんて吹き飛ばすように笑う。その笑顔はきらきらと眩しい。


「助け出されたら離れ離れになるが、僕から会いに行くよ。また会おう。会うのは難しいかもしれないが……ソニアなら僕と同じ学校に入れるはずだから、そうしたらずっと一緒にいられる」


 テオの語る明るい未来はソニアには眩しすぎた。

 ずっと一緒にいたいと願ったひとは、もうソニアの傍にいない。ソニアが壊してしまった。宝物も幸せも、全部。


「ソニア、助け出されたら、君が一番信頼しているひとに法力のことを話してみてください」

「それで、その人に王立魔法学校(アカデミー)に通いたいって言ってみるといい」


 信頼するひと?

 そんなひと、もういない。

 裏切られるのに、誰かを信じたりなんかしたくない。

 我儘を言える相手も失った。いや、初めからそんな相手はいなかったのだ。我儘を言えるのは“いい子”だけ。……家族に愛されている子供だけ。

 どこにいても、誰といても、ソニアは独りぼっちだ。


「一緒に学校に通おう。一緒に遊ぼう。一緒に授業……は受けられないけど、もっともっと色んな話をしよう。僕たちは待ってるから――お前が来るのを」


 手を差し出される。まるで連れ出してあげると言うように。


「うん、ありがとう。てお、じる」


 その手を取らないまま、ソニアは二人に微笑む。

 悲しそうな顔でひかれた手を申し訳なく思いながら、部屋の外へ出ていくテオとジルの背中を見送った。



   ◇◇◇



「……う終わりな…だ……! どうせ………道連れ…し…やる!」

「逃げろっ、テオ! 俺が……る間に……っ、早く!!」

「ジル……ていけ…けない……」

「……しろ…………った後………ガキも……ように殺して……から」

「ふざけるなっ!!」



 ――――外が恐ろしくて目を閉じ耳を塞いでしまったから、大切なひとが近くまで来ていることには気づかない。





《 ソニア視点 》


 おそるおそる目を開けて、両手を耳から離した。

 怒鳴り声や叫び声は聞こえない。

 代わりに聞こえた声は、ソニアが忘れるはずのないもので。


「ソニア……っ!」


 ずいぶんと長い間、その声を聞いていなかった気がした。

 驚きや喜び、色々な感情がごちゃまぜになって押し寄せてくる。

 嬉しい。

 でも喜んじゃいけない。

 でも嬉しい。

 嬉しいのに、胸が痛い。

 声が聞こえた。それだけで胸が震えるほど。

 ソニアにとって唯一のひとの声。間違えようもない、あのひとの声。

 また会えると歓喜する心を抑えられなかった。ソニアにはもう会う資格なんてないのに。


 ………………っ!


 頭の中は真っ白で。

 思わず、扉の前に駆け寄った。


「っ……おおかみ、さん?」


 誰にも聞こえないくらい小さな声は、扉一枚を隔てた先に届くはずのないもので。

 それでも、クロードには届いたとソニアにはわかる。ソニアがクロードの声を聞き逃さないようにクロードもソニアの声を聞き逃さないと信じていた。


 そんな傲慢な自分に気づき、愕然とする。

 そして、幼い心はそれを自覚しないまま悟った。――彼に捨てられたら、自分の心は壊れてしまう。父親だけでなく、こんなに信じているひとにまで裏切られたら、ひびだらけの心が粉々に砕け散ってもう二度とは元に戻らなくなる。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ……いやだ!


 もう我儘なんて言わない。

 絵本もおもちゃもほしくない。

 傍にいてほしいなんて……望まない。

 だから。だから、どうか。


 すてないで、きらわないで。


 その扉を開けないでと叫んだ。

 それ以上自分の心に踏み込んでくれるな、と。

 醜い自分に気づかないままでいてほしい、と。

 今、クロードを前にしたらきっとこの感情をぶちまけてしまう。

 だから、笑って“さようなら”を言えるまで待ってほしい。


 まって、もうちょっとだから。


 もう少しで、この涙を止めて笑えるようになるから。

 そうしたら、“いい子”のように振舞うから。

 それまで“悪い子”の自分に気づかないでいて。


 おおかみさん、おおかみさん、おおかみさん……っ!

 だいすきだから、こないで……っ!



 ――――もう誰にも裏切られたくないから、孤独を嫌った少女は大好きなひとを拒絶した。





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