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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
36/58

赤頭巾そのさん―囚われの王子様

 右に曲がって、左に曲がって、真っ直ぐ進んで……また曲がる。

 ソニアが連れてこられた建物はずいぶん大きいようだ。逃げないように数人の男たちに囲まれながらノエの後についていくが、すでにソニアは自分がどこから来たかわからなくなっていた。


 どこにいくのかな……。


 ちらりと斜め前を歩くノエの顔をうかがう。前を歩いている姿はどこから見ても普通の少年にしか見えなかった。

 彼の背はソニアの目線よりは高いが、周りの男たちと比べるとかなり低い。クロードを見上げることに慣れたソニアには余計にノエが小さく感じられた。


「ノエ様ー。部屋、通りすぎちゃいましたけど」

「この子はあの二人と同じ部屋に入れる」

「あの二人?」

「あの問題児の二人だよ」


 ノエは疲れたように溜め息を吐いた。

 今の彼からは、牢でロザリーを蹴っていたときのような暴力性はうかがえない。


「ああ、あの坊ちゃん二人組か」

「そう。放っておくと逃げそうだけど、あそこにばかり見張りを割けないからね。お荷物がいれば逃げにくくなるでしょ? あの金ぴかの性格からして女の子を放って自分たちだけ逃げることはなさそうだし」

「さすがノエ様! よくそれだけ悪知恵が働きますね!」

「それ、誉めてるの?」


 ソニアは“問題児”で“坊ちゃん”な二人組のいる部屋に連れて行かれるらしい。

 彼らにはソニアを痛めつける気はないようだが、何のために牢から連れ出されたのかがわからず不安だったのだ。詳細はわからずともどこに行くかがわかって少しだけホッとした。


 きんぴかって、なんだろう?


 ノエの言葉に引っ掛かりを覚える。

 物ではなく特定の人物を指すような口ぶりだったが、まさか“金ぴか”という名前ではあるまい。金ぴかという単語そのものに馴染みがないソニアにはあまり想像がつかないが、ピカピカしたひとなのだろうか。


「さあ、着いたよ。さっさと中に……」


 ノエが一つの扉の前で足を止め、取っ手に手をかけたときのことだった。


「行くぞ、ジル!」

「はっ!!」


 声とともに勢いよく二人の少年が飛び出してくる……が。

 ソニアが目を白黒させている間に彼らはノエの連れている男たちの手によって捕まっていた。


「くそっ! もうちょっとだったのに……っ」


 あっさり縛り上げられた少年の一人はかなり悔しそうだ。

 彼のキラキラしい金髪を見て、ソニアは“あっ”と思った。


「何度も何度も、何度も……っ! 本当に手がかかるね、キミたち。捕えてるのに手間がかかるなんておかしいでしょ」

「そう思うなら逃がしてくれ」

「これも何度も言ってるけど、ボクたちのことをバラされたら困るからね。お断りだよ」

「チッ」

「にしても、厳重に縛り上げてたはずなのにどうして出てこれるのかなあ? 教えてくれる?」


 そう問いかけるノエは表面上はにこやかだが、口調に苛立ちが滲み出ていた。


「縄抜けは得意なんだ」


 そんなノエに気づいているのかいないのか、少年は得意げな顔で答える。

 彼の横で一緒に縛られているもう一人の少年が呆れたように息を吐いた。


「ふーん。……やっぱ、連れて来て正解だったね」


 ノエの言葉につられるように少年の視線がソニアに向く。

 二人が口を開くのは同時だった。


「その子は?」

「きんぴか?」


 ソニアの言葉の意味がわかったノエと男達が思わず噴き出す。

 “金ぴか”という呼称に頷いてしまうほどキラキラピカピカした少年は、まるで童話から飛び出してきた王子様のようだった。



   ◇◇◇



 縄で縛られた少年二人と同じ部屋に入れられたソニアだが、少年たちのように前科がないせいか、ソニアも縄で動きを封じられるということはなかった。


 ……どうしよう。


 二人の縄を解いた方がいいのだろうか。


「ほどく?」

「? 何だ? 僕に何か用か?」


 話しかけられると思っていなかったようで金髪の少年は驚いたように目を見開いた後、首を傾げた。

 ソニアのものより濃い金髪がさらりと揺れる。青い瞳と目が合って、やっぱり王子様みたいだと思った。


「その子は縄を解くかと聞いているんですよ」


 もう一人の少年が呆れたように言う。

 彼は栗毛のおかっぱ頭で、開けているのかいないのかわからない細い目が特徴的だ。細面に目尻が吊り上がった糸目。あまりに絵本に出てくるキツネそっくりなので、ソニアはこっそり心の中で彼のことを“きつねさん”と名付けた。


「ああ、そうなのか。悪かったな、気づかなくて」

「ううん」


 ふるふると首を横に振る。上手く言えなかったソニアが悪いのだ。

 言葉は知っているのに、言いたいことは頭の中に確かにあるのに、口に出すと上手く言えない。クロードとの生活でだいぶ改善されたが、ソニアはひとと話すことに慣れていなかった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 沈黙が続く。

 ソニアは黙ったまま目を逸らさずにじっと金髪の少年を見つめた。

 少年は不思議そうな顔でこちらを見ている。


「……ほどく?」


 しばらく待っても返答がなかったため、おそるおそるもう一度尋ねた。

 少年のハッとした顔に、うるさくしてしまっただろうかと不安になる。ロザリーと仲良くなれたように、ソニアより二つ三つ年上に見える彼らとも仲良くなりたいと思ったのだが、失敗したかもしれない。

 そう思ってソニアは内心落ち込んだ。


「ああっ、縄のことだったな。訊いてくれていたのに重ね重ねすまない。……だが、心配は無用だ」


 金髪の少年が“ジル”と隣の少年を呼ぶ。


「はいはい。――スーリ、エリッソン」


 茶髪の少年・ジルの呼びかけに応じるように床に光る絵が浮かんで、そこから二匹のネズミが現れた。

 ネズミたちは嬉しげに鳴きながら縛られたままの彼の腕にじゃれつく。


 わあ、ねずみさんだ。かわいい。……いいな。


 二匹のネズミは彼の友達なのだろうか。それならぜひ紹介してほしい。


 きつねさんなのに、ねずみさんとなかよし。


 そんなことを考えながら、ソニアは少年の縄をかじり始めたネズミを眺める。

 ふと、動きを止めたネズミの一匹と目が合って、思わず微笑んだ。ソニアの笑みに応えるようにチュウと鳴く様が可愛らしい。


「君は……ネズミを見ても悲鳴を上げないんですね」


 ソニアとネズミのやり取りを見ていたらしいジルがぽつりと呟いた。


「良かったな、ジル」

「ええ、まあ。自分の使い魔が嫌われるのは悲しいですから」


 つかいま?


 どこかでその単語を聞いた気がする。

 なんだったっけと首を捻る前に、頭の中にぽんっととんがり帽子が浮かんだ。


 そうだっ、まるせるさんだ!


「まどうし?」


 思ったことがそのまま口から洩れる。


 確かマルセルは魔導師だと名乗っていた。それがどんなものかはソニアもよく知らないけれど魔法を使う仕事だということは本人から聞いている。

 そういえば、ジルと呼ばれた少年がネズミを呼び出したときに床に浮かんだ光る絵には見覚えがあった。正しくは、似たようなものをどこかで見かけた気がする。一体どこで目にしたのだったかと記憶を探って、マルセルが魔法を使うときに宙に描いていたものがそれとよく似ていたことを思い出した。


「よく知ってるな。ふむ、魔導師というのは市井の子どもにも知られているのか」

「いや、普通は知らないと思いますよ。魔術師ならともかく魔導師は滅多に塔から出ませんからね」

「なら、なぜこの子は知っているんだ」

「いや、俺に聞かれても……」


 そこで、それまで金髪の少年と言葉を交わしていたジルがソニアに向き直った。


「残念ながら俺は魔導師ではありませんよ。まだ王立魔法学校(アカデミー)を卒業していないので魔術師でもありません。まあ、魔術師資格の取得方法は王立魔法学校の卒業だけではありませんけどね」


 説明してくれるが、よくわからない。


「では何かと言われれば……魔術師見習いか魔力持ちが妥当でしょうね」


 ちんぷんかんぷん。

 と、ソニアの顔にそう書いてあったのかは知らないが、金髪の少年が助け舟を出してくれた。


「ジル、その子には難しいようだぞ?」

「……そのようですね。魔導師も魔術師も魔力持ちも魔法を使える人間のことです。それだけわかっていれば十分ですよ」

「まほう? そにあもつかえる?」


 マルセルも魔法を使うが、それは彼が大人だからだと思っていた。

 ソニアよりは年上だが、ジルも子どもだ。もしかしたら自分も魔法を使えるのだろうかと少しわくわくしながら尋ねる。

 魔法という魅惑の言葉に気を取られ、自分を“そにあ”と呼んだことには気づかなかった。


「いえ、魔力を持ってないと使えないので……簡単なものなら使えるひとも多いですが、君が魔力を持っているかどうか俺には判断がつきません」


 “すみません”と謝られ、暗に使えないと言われたように感じて落ち込む。

 魔法を使えたら、マルセルみたいになれたら、クロードの傍にいられたかもしれないのに。


「いや、使える可能性はあるんじゃないか? ここに入れられるくらいだし、その子には何かあるんだろう」

「確かに。貴族ではなさそうですから、魔力持ちの可能性は高いですね」


 ジルは考え込むように顎に手を当てた。

 腕を縛っていた縄はとっくに解けている。ネズミを呼んだのは縄を解くためだったようだ。床に無造作に置かれた縄にはネズミの噛み痕が残っていた。

 金髪の少年もすでに縛めから解放され、胸の前で腕を組んでいる。


「だろう? 初めは僕たちが逃げられないように連れて来たのかと思ったが、それなら誰でもいいからもっと早くに連れて来ているだろう」


 自分がきっかけのようだが、何の話をしているのかイマイチわからないソニアは少年たちから視線を外した。

 真面目な顔で話す二人の間にはジルの使い魔だという二匹のネズミ。役目を終えたらしい彼らは“いい仕事したぜ”という顔でまったりしている。


「ノエが痺れを切らしただけかもしれませんよ?」

「それはない」


 じっとネズミを見ていると、視線に気づいたのか二匹ともソニアの方を見た。

 ちょいちょいと手招く。


「即答ですか……なぜです?」

「僕たちのために人を動かすなんて、負けたみたいだろう? そこらの貴族よりもプライドの高そうなあいつがそんなことをするはずがない」

「よく、わからないのですが」

「うん? わかりにくいか? ……たぶん、あいつは計画通りに物事を進めるのが好きなタイプだ」

「それはわかります」

「利用価値や商品価値によって監禁場所を変えるのは計画の一部のはずなんだ。だから、僕たちを逃がさないために価値の低い商品をこの部屋に入れるのは計画から外れる行為――つまり、ノエにとっては負けなんだよ」

「では、この子は?」


 少年たちの視線がソニアに向けられた。

 いつのまにかネズミと戯れているソニアに気づき、二人は驚いた顔をする。


「何してるんだ?」

「ねずみさんとあそんでるの。……だめ、だった?」


 クロード曰く使い魔はペットのようなものらしい。

 勝手に触ってはいけなかっただろうか。


「いや、僕は別に構わないが……」


 戸惑ったようにそう答えながら、金髪の少年はちらりと横目でジルを見た。


「俺だってそんなこと気にしませんよ」


 ジルは金髪の少年にそう言ってから、ソニアに向き直る。

 彼の顔は怒ってはいない。困ったような、でも何だか嬉しそうな、そんな表情だ。


「スーリとエリッソンと遊んでくれてありがとうございます。こいつらも喜んでますよ」

「どっちがすーりさん?」

「白い方がスーリで、灰色の方がエリッソンです。そんな大層なものではないので呼び捨てでいいですよ」


 “たかがネズミですし”と付け加える。

 ジルの言葉にチュウチュウと抗議する二匹のネズミの背を宥めるように撫でて、ソニアは微笑んだ。


「すーり」


 呼びかけながら白いネズミの腹を撫でる。

 嫌がらないということは呼び捨てでもいいのだろうか。


「えりっそん」


 灰色ネズミは自分からすり寄ってくる。スーリよりも毛が硬い。

 名前を呼ぶと返事をするようにチュウと鳴いた。


「そう言えば、自己紹介をしていなかったな」


 今思い出したと、金髪の少年がぽんと手を叩く。


「それもそうですが、さっきの話の続きを……」

「後でもいいだろう。どうせ、ここに入れられた理由はこの子に聞かなくてはわからない。――それに、だ。スーリとエリッソンの名を知っていて僕たちの名を知らないなんて……情けないだろう、僕たちが」

「……まあ、そうですね」


 渋々といった風に頷くジルとは反対に、“そうだろう”と笑う少年の表情は晴れやかだ。

 

「ソニアと言ったか?」

「しってるの!?」

「さっき自分で呼んでただろう?」


 あ……っ!


 もうソニアではないからと呼ばないようにしていたのに、うっかり呼んでいたらしい。

 自分の名前はロザリーだと早く訂正しなくてはならない。……それなのに、なぜか声が出なくて。

 ロザリーだと名乗れても、ソニアじゃないとは言いたくなかった。


「ソニア、いい名だな。僕はディ……いっ!?」


 金髪の少年の自己紹介は不自然に途切れる。


「彼はテオで、俺はジルと言います」


 ソニアとテオの間に割り込んだジルがにこやかに名乗った。

 ジルの足がテオの足を踏んでいるように見えたが、気のせいだろうか。


「おま、何で僕の足を……っ」

「自分の名前を忘れてるみたいなので。あなたの名前はテオ、ですよね?」

「……そう、だったな」


 二人は何やら顔を近づけて話している。


「? すーり、どうしたの?」


 ソニアの膝の上で丸まっていたスーリがもぞもぞと動き始めた。何かを訴えるようにこちらを見上げている。


「ああ、スーリは自分で名乗りたくなったんですよ」


 器用にも後ろ足で立ち上がって何事かと思っていたが、ジルの言葉に納得した。

 どうやら、スーリは自己紹介してくれているらしい。


「ありがとう、すーり。わたしは……そにあだよ」


 少し逡巡したが、笑顔で名乗れた。

 ふと、前から視線を感じ、膝の上のスーリから顔を上げる。


「?」


 テオがソニアの顔をまじまじと見つめていた。


「あ、いや……可愛いなと思って」

「? ……ありがとう」

「うん、やっぱり、笑顔は扇で隠したりなんかせずに見せてくれた方が良いな」

「かくすの?」


 そんな人がいるのだろうか。


「ああ、くだらない慣習に縛られている者がどこにでもいるんだ。――だが、お前は違うんだな」


 テオはそう言って、眩しげに目を細めた。

 ソニアにとっては笑顔を隠す方が変なことだ。不思議に思うと同時に、テオとソニアの間には大きな差があるように感じられた。


「その方がいい。そうやって笑ってる方が、可愛い」


 その言葉に、目の前にいるテオではなく別の人の顔が頭に浮かぶ。

 以前、言われた言葉を思い出した。


 ――そうやってずっと笑ってろ。


 くしゃりと頭を撫でてくれた手も向けられた笑みも、今はもうない。

 もう、手放してしまったから。手を離したのはソニアの方だから。


 いたい。


 胸が痛い。ぽっかりと穴が開いたみたいだ。

 なんでクロードのことばかりがこんなに頭の中を占めるのか、そんなことソニアにはわからない。


 ……おおかみさん。


 だって、忘れられないのだ。忘れたくもない。

 忘れたら幸せになれると言われても、ソニアはあの優しい思い出を忘れない。見知らぬ幸福より大切な幸せの記憶を選ぶ。失ってしまうくらいなら始めからいらなかったとも思うけれど、それでももう知ってしまったものを忘れることはできなくて。

 どうせ一緒にいられないなら、もっと我儘を言えば良かった。


 もっとなまえをよんで。

 もっとあたまをなでて。

 ずっといっしょにいて。


 伝えたいこともたくさんあったのに。

 一番大事な一言すら、ソニアはクロードに伝えていない。


 おおかみさん、おおかみさん、おおかみさん……っ。


 心の中で必死に名を呼んでも、その相手はここにいない。

 さよならすら言えなかったと悔やんでも、もう何一つ彼に伝えられない。


「おおかみさん、だいすき」


 まして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟かれた言葉なんて届くはずもなかった。



   ◇◇◇



「どうしたんだ、ソニア?」

「どこか痛いんですか?」

「ううん、だいじょうぶ。おもいだしただけだから」

「? 何を思い出したんですか?」

「………………」

「何でもいいが、あまり悲しそうな顔をするな。僕は笑ってるソニアの方が好きだぞ」

「うん。ありがとう、てお」



 ――――その思い出に幸せがあるから、これから先どんなに悲しいことがあってもずっと笑っていようと思った。





《 テオ視点 》


 叡智と探求の国と謳われるクラルティ王国の第五王子――ディオン・ヴァリエ・ロデ・クラルティ。

 それがテオの本当の名前だ。

 お忍びと称して王都を歩くときはいつもテオと名乗っているし、今までそれに罪悪感を覚えたことはなかった。だが、彼女の真っ直ぐな新緑の瞳に見つめられると、どうしてだか己を偽っていることを申し訳なく思ってしまう。


「ソニア、本当に怪我などはしていないのか?」


 向かいに座る少女に尋ねる。

 ソニアは不思議な少女だ。彼女のような人間には今まで会ったことがない。

 それはディオンの知り合いのほとんどが王侯貴族であるためかもしれないが、こんなにも素直で真っ直ぐな心根の持ち主は市井にもいないのではないだろうか。


「うん、いたいとこないよ」


 あまりに自然に向けられた笑みに胸が高鳴る。

 初めに心惹かれたのは、この笑顔だった。


 何で、そんなに悲しそうなんだ?


 思わず口をついて出そうになった言葉を呑み込む。

 ディオンの前で笑うソニアは自分がどんな顔で笑っているか気づいていないのだろう。

 初めて見たとき、なんて悲しそうに笑うのだろうと思った。笑っているのに悲しそうなんておかしいかもしれない。でも、ディオンにはそう見えたのだ。

 なぜ彼女の笑みは悲しげなのか、そんなことはわからない。ただ、顔で笑ってはいても心で泣いているような、そんな笑みがディオンの頭に焼き付いて離れなかった。


「そうか、それは何よりだ」


 心から嬉しそうに笑ってほしいと願うこの気持ちが恋だというのなら、きっとこれこそがディオンの初恋だ。



   ◇◇◇



 簡単な自己紹介を終え、ジルベールがソニアに問いかけた。


「それで、ソニア。なぜこの部屋に連れて来られたかわかりますか?」


 ジルベールはディオンの乳兄弟であり、最も信の置ける従者だ。この春から王立魔法学校にも共に通っている彼はディオンにとって友人のような存在だった。


「しらないの。……ごめんなさい」

「いえ、聞いただけなのでお気になさらず」


 ジルベールは常に敬語で話す。それは、主であるディオンであっても年下の少女であっても変わらない。

 昔はこうじゃなかった。ジルベールもディオンも、二人共もっと幼かった頃は。

 あの頃は本当の友人同士のように気安く話せていたのだが、成長するにつれジルベールはディオンに対して臣下として接するようになってしまった。

 ディオンには、それがひどく悔しい。

 だから、こうしてお忍びと称してジルベールを連れ出すのかもしれない。街に下りると、敬語は崩れないけれど態度が少しだけ砕けるから。


 王子として扱われたくない……なんて、僕の我儘だな。


 思考を振り払い、ディオンもソニアに問いを投げかけた。


「じゃあ、ソニアはどうしてここに? 攫われたのか?」

「…………わたしは」


 暗い顔で言葉を濁すソニアにしまったと思う。

 不躾な質問をしてしまった。傷つけてしまっただろうか。

 ジルベールもそう思ったのか、隣から手刀を食らう。ちょっと痛かった。……こういう気安さはいらない。


「すみません、うちのバカが。言いたくなかったら言わなくてもいいですよ」


 謝りつつ、知りたいと思っていることを匂わせる。


「ううん、いいの。わたしは、おとうさんに……」


 そこでまた言葉が止まった。

 何かを堪えるようにキュッと服の端を握りしめる仕草が痛々しい。

 こんな顔、させたくない。こんな顔をさせたかったわけじゃない。


「ソニア」


 強く呼びかければ、こちらに視線が向いた。


「お前は魔法が好きか?」


 何の脈絡もない問いかけにソニアは目をパチクリさせる。

 その反応ににやりと笑ってみせて、ディオンは指を鳴らした。指先がほのかに光り始める。


「ジルほどじゃないが、僕も魔法が使えるんだぞ」


 正確には魔術。

 魔法は魔術と法術の総称で、魔力を行使する術を魔術、法力を行使する術を法術と呼ぶ。魔力はたいていの者が生まれ持つが、法力を持つ者が生まれるのはごく稀だ。

 ディオンやジルベールが使えるのは魔術の方で、大昔は黒魔法などと呼ばれていたらしい。戦にも生活にも使われ、魔術の発展度が国力に大きく関わる。他国に比べ、クラルティ王国は魔術や法術が盛んで研究機関も多い。この国が叡智と探求の国と謳われる所以だ。

 魔術を学び、古くから伝わる数多くの技を習得した者が魔術師であり、その中でも魔術機関“(しるべ)の塔”に認められた者を魔導師と呼ぶ。


「お前には魔導師の知り合いがいるんだろう?」

「!」


 なぜ知っているのかと驚いた顔をするソニア。

 その反応に“やっぱりな”と思いつつ、もう一度指を鳴らした。

 ジルベールにはディオンが何をしようとしているのかバレているのだろう。手伝おうかと視線で問われる。それには首を横に振って応えた。


「ジルにも魔導師にも敵わないが、僕も魔法が使える――お前を笑顔にさせることができる」


 言い終わると同時に光が弾ける。

 握り込んでいた手を開くと、一輪の赤い花。


「わあ!」


 目を輝かせるソニアに内心ホッとした。かなり初歩の魔術だから、魔導師の知り合いがいるという彼女にはつまらないかもしれないと思ったのだ。

 咲かせたかったのは花じゃなくて彼女の笑顔……なんて、くさすぎるけど。ソニアが笑ってくれて良かった。


「お前の名の花ではないが、美しいだろう?」


 そう言いながら、ソニアに花を差し出す。

 ソニアと同じ名前の花はディオンも知っているが、あれは神聖な花で特定の場所にしか咲かず、魔術の影響を受けない。

 ディオンが使ったのは成長を早める術で、種を持っていなければできない術だ。別の場所にあるものをここに出したり、無から生み出したりすることはディオンにはできない。だから、たまたま持っていた薔薇の種を使った。

 花を咲かせる魔法は子どもに人気で、お忍びで孤児院に行くときに大活躍するのだ。ディオンが攫われたのは孤児院に行った帰りだったが、種が余っていて良かった。


「情けないですね、テオ。これくらいして見せたらどうです?」


 ソニアの笑みにディオンが満たされた気持ちになっていると、そこに水を差す者が現れる。……ジルベールだ。


「すごい!」


 ジルベールが出した赤い花(ソニア)の花束にソニアの関心が移ったのがわかった。


「この花は魔術で作れないので本物ではなく造花ですけどね」


 “すごい、すごい”と素直に称賛の声をあげるソニアに珍しくジルベールが照れている。

 普段は澄ました顔で“当然です”とか言っているのに、となんだか悔しくなった。


 魔術の授業、もっと真面目に受けよう。


 そう心に誓う。

 ディオンが目指しているのは騎士なので、中等部になったら剣術科に入るしと適当に聞き流していた魔術の授業だが、これからは心を入れ替えて臨もうと決意した。……堂々と居眠りする王子に手を焼いていた魔術担当の教師が聞けば感激するだろう。


「そ……わたしにはできないの?」


 すぐに暗い顔になるソニアはネガティブな性格なのかもしれない。

 ソニアにもできると言ってやりたいが、安請け合いはできない。法力と比べて魔力を持って生まれる者は多いとはいえ、まったく魔法を使えない者がいないわけではないのだ。


「それは……」

「ソニア、手を出してみろ」

「て?」


 ディオンが言えば、ソニアは素直に手を出す。

 自分より小さな幼い手に、ノエたちに奪われないよう隠し持っていた指輪を置いた。


「ジル、後は頼んだ」

「は? あ、ちょ……っ」


 慌てるジルベールに少し笑って、ソニアに指輪を握らせる。

 ジルベールの反応からして、ディオンが何をするつもりで彼に何を望んでいるかは伝わっているだろう。

 この指輪は魔導具だ。わずかでも魔力があれば魔法が発動し、火矢が放たれる。……その火矢が自分たちを傷つけないように対処しろとディオンは暗に言ったのだ。


「………………」

「………………」

「………………」


 静かな部屋に火矢が生じる気配はない。


「何もおきませんね」

「あー、ソニア? 悪いが、お前には――」


 “魔力がないみたいだ”と言いかけた口が止まる。ジルベールも同じように驚いた顔をしていた。

 自分たちの周りに薄い膜のようなものができていることに気づいたのだ。


「っ、法力持ちか!」


 思わず叫ぶ。

 ディオンもすっかり忘れていたが、この指輪は魔導具でありながら法具でもあるという国宝級の代物だ。なぜそんな物をディオンが持っているかというと、過保護な兄が何度言ってもお忍びを止めない弟を心配して“いざとなったらこれでやれ”と持たせたからだったりする。……ディオンの同母兄はブラコンなのだ。宝物庫から持ち出した国宝をぽんと弟に渡すくらいには。


「ほうりきもち?」


 本来、魔導具は魔力に反応して魔術を発動するもので、法具は法力に反応して法術を発動するものだ。だが、この指輪はどちらの性質も持っており、魔力を注げば火矢を発射し、法力を込めれば周囲に結界を張る。

 火矢は生じなかったが、三人の周りに結界が張られた。――それは、ソニアが法力を持っているということ。


「そうか、それで……ここ、なのか」

「納得です。こんなに価値の高い商品はなかなか手に入らないでしょう」


 この部屋は利用価値や商品価値の高い商品が入れられる場所だ。ノエから聞いたわけではないのでおそらく、だが。

 ちなみに、ディオンとジルベールのお忍びスタイルは街の子ども……のつもりだったのだが、ノエに“明らかこいつら貴族でしょ”と言われ、この部屋に放り込まれた。利用価値はあるが、国内では絶対に売れないし、ディオンたちが口を割らないので身代金を要求することもできない。

 ……まあ、ノエ曰く大きな仕事とやらが終わったら、二人ともじっくり尋問され、身元がバレるのだろうけれど。そうなったときに王家の弱みにならないために死ぬ覚悟くらいはディオンにもジルベールにもある。


「ソニア、この力をノエに見られたのか?」

「ちから?」

「っ、自覚がないのか……」


 ソニアには法力を持っているという自覚がないらしい。

 自覚なく法術を発動し、それをノエに見られたと考えるのが妥当だ。

 法力持ちは希少で、どこも欲しがる。売るのか、ノエの所属する組織で使うのかはわからないが、このまま時間が経てばソニアはその法力を利用されるだけの人生を送ることになるだろう。


「くそっ、ソニアだけでも逃がせないのか……っ」


 ディオンは騎士団長である兄が助けに来ると信じている。

 だが、いつになるかはわからない。最悪、騎士団が来る頃にはソニアは売られているかもしれない。


「ジル! スーリとエリッソンをあにう……兄さんのところに送れないのか!?」

「無理です。悔しいですが、俺の力ではこの建物の周りにかけられてる幻術を突破できません」


 おそらく、中にいる者を逃がさないようにするための幻術だろう。屋内に魔術を禁止する術はかけられていないようだが、外界との連絡を断つ妨害魔術(ジャミング)もかかっているとみた。


「ておとじるには、おとうさんとおかあさんいる?」


 唐突に尋ねられ、勢いがそがれる。


「あ、ああ、いるぞ。兄弟姉妹もいる。自慢の家族だ」

「俺も両親ともに健在です。あと、姉や兄はいませんが、妹が一人」


 そう答えると、ふふっとソニアが微笑んだ。

 幼い少女には似つかわしくない大人びた笑い方だ。なぜか、彼女を遠くに感じる。


「なかよしなんだね」

「? 確かに家族仲は悪くありませんが……なぜそう思うのですか?」

「ふたりともたのしそう……うれしそう?」

「いや、俺に聞かれても」


 ジルベールにはよくわからないようで困惑しているが、ディオンには何となくわかった。

 家族のことを語るとき、二人の表情が緩んだからと言いたいのだろう。言われてみれば、確かにそうだ。


「ふたりのおとうさんとおかあさん、きっとむかえにきてくれるよ」


 “じゃあ、ソニアの家族は?”と聞くことはできなかった。





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