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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
35/58

赤頭巾そのに―赤い花の名前

 あれから、どれくらい時間が経ったのだろう。

 ほんの少しの時間のようにも、ずいぶん経ったようにも感じる。ぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開くが、ソニアの周りを囲む暗闇には少しの変化も見られない。

 笑顔で金を受け取る父親を見たのが最後の記憶。

 気がつくと、狭くて暗い闇の中だった。


 こわい。こわいよ…………お――。


 頭を振って、脳裏に浮かんだ名前を打ち消す。彼がいたならこの暗闇だって怖くないと思う心には蓋をして、何も考えないように再び目を閉じた。


「おい、出ろ」


 濁声(だみごえ)とともに光が差し込む。

 そろりそろりと瞼を上げるが、眩しさに慣れるまでには時間がかかった。反応のないソニアに苛立ったのか、声をかけた男はやや乱暴にソニアの腕を引っ張って立たせる。

 そこでやっとソニアは、どうやら自分は箱に入れられていたらしいと気がついた。


「……っ」


 掴まれた腕の痛みに顔を歪めるソニアを気にも留めず、男は隣の男に話しかけている。


「――じゃ、地下(ここ)でいいんだな?」

「ああ、ノエ様のご指示だ。どのみち、明日の競売(オークション)には間に合わないからな。あそこ(・・・)に入れるような商品でもないし……」


 そのとき、一瞬だけ男の視線がこちらに向けられたが、ソニアにその意味はわからなかった。


「ノエ様の指示なら間違いないだろ。で、ノエ様はもう会場の方にいるのか?」

「いや、競売に関しては全部マルシャンに任せるらしい」

「へえ。あんな馬鹿に任せて大丈夫かよ」

「お前ほどではないだろ」

「なんだと、この野郎」


 しばし雑談に興じた後、男の一人がこの場を去って行く。

 残った男から向けられた視線にソニアの身体が強張った。

 ソニアを運んできた男とは別の男だ。先程の男より体格は悪いが、顔や腕に刻まれた傷がもともと悪い人相をさらに恐ろしいものへと変えていた。


「歩け」


 冷たい声に足が竦みそうになるが、男に促されるまま足を動かす。

 従わないとどうなるかをソニアは何となく察していた。


「ここだ」


 どんっと背中を押され、勢いよく前に倒れる。

 こけなかったのが幸いだ。押された勢いのまま硬い石の床に倒れ込んでいたらきっとどこかに怪我をしただろう。

 ソニアが振り返る間もなく、がちゃんと後ろから錠のかかる音がした。

 ここは牢屋のようだ。周りを見渡すと、何人もの女性や子どもが閉じ込められている。


「お母さん……っ」

「誰か、誰か助けて!」

「嫌よっ、奴隷になんてなりたくないわ!」


 泣いている者、助けを呼ぶ者、諦めたように俯いている者。


「僕たち、売られちゃうのかな……」

「大丈夫だよ、きっと父さんが助けてくれる」


 兄弟だろうか、寄り添って励まし合う者もいた。


「あなた、大丈夫?」


 ソニアが周りの様子に呆然としていると、一人の女性が心配そうに声をかけたきた。

 入ってきてから一言も発さず立ち尽くしたままだったため、怪我でもしているのではと心配になったらしい。


「そに……わたしはだいじょうぶ。おねえさんは?」

「ありがとう、私も平気よ。立ったままだと疲れるでしょう。冷たいけれど床に座ったら?」


 自分の隣をぽんっと叩く女性に倣い、ソニアも床に座った。女の言葉通り石造りの床は冷たかったが、我慢できないほどではない。

 “どうしてここに?”と問われ、たどたどしく父親に売られたことを話すと、女性はソニアを抱き締めて頭を撫でてくれた。


「私もよ」


 ハッとして顔を上げかけるが、ソニアを抱き込む手に阻まれる。

 女性がどんな顔をしているかはわからなかった。


「おねえさんはやさしいね」

「……っ」


 今度は逆にソニアが女性の頭を撫でる。

 彼女は戸惑っているようだ。それでも、“いいこ、いいこ”と撫で続けるとぎゅっと強く抱き締められる。

 自分より十は年上の女性なのに、ソニアを抱き締めたまま肩を震わせる姿はやけに幼く思えた。



   ◇◇◇



 ソニアの後から入ってくる子どもはおらず、みんな疲れたような顔でじっとしている。泣き叫ぶ者ももうおらず、牢の中はしんと静まり返っていた。

 唐突に辺りに響いた靴音に、数人が俯けていた顔を上げる。

 牢の前には一人の少年が立っていた。


「あの子も……かしら」


 ソニアの隣の女性が小さく呟く。

 だが、女性の想像とは違い、彼はこちら側ではなく向こう側だということをソニアは知っていた。


「ノエ様、どうしますか?」

「足りないって言っても二、三人だし、適当に見繕うよ。――開けて」

「わざわざ中に入らなくても……」

「苛つくなあ、さっさとしてよ。ボクに逆らう気?」

「いえっ、滅相もない!」


 がちゃがちゃと不快な音を立てながら、ノエと呼ばれた少年に指示された男は鍵を開ける。

 ほんの十二、三歳くらいの少年に(へりくだ)る男の姿は滑稽だったが、この状況でそれを笑う者はいない。

 彼が誰かはわからずとも、ここにいる女性や子どもを連れてきた男たちの上役であることは確かだ。それを悟った者は今から何をされるのかと恐怖に震え、顔を蒼褪めさせた。


「ノエ様ー、子どもッスか? それとも女にしときます?」


 連れ立って牢に入ってきた青年の質問に、ノエは思案するような仕草で応える。


「商品価値によるけど……目玉になるようなのはもういらないから、そこそこの容姿の女一人と子ども二人ってとこかな」


 “その、そこそこが難しいんだけどね”と肩を竦めてみせるノエ。

 彼の言葉に反応してか、何人かの女性が見られまいと顔を伏せた。その様子に眉を(ひそ)め、ノエが近くに控えている男たちに命じて無理やりに俯いた女性たちの顔を上げさせる。

 彼女たちの顔は蒼白だ。それでも抵抗一つしないのは恐怖からだろう。女性たちを検分するノエの口角がゆっくりと持ち上げられた。まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。


「ちょっと、あなた!」


 一人の少女が立ち上がり、びしっとノエに指を突き付けた。


「まずはこの女ね。あとは……そこの子ども。いや、やっぱりその隣の子かな」

「なっ、弟をどうする気だ!」

「へえ、兄弟なんだ。じゃあ、二人一緒に売ってあげる。兄弟で奴隷なんて、面白いね?」


 少女にちらりとも視線をやらず、ノエは連れていく人間(しょうひん)を決めていく。

 選んだ三人を連れて牢を出ようとするノエの背に、再び少女の声がかかった。


「ちょっと、待ちなさいよ! ……ノエ!!」


 ソニアと同じくらいの年の少女だ。

 “勇気あるわね、あの子”という隣の呟きに頷く。顔は強張っていて足も僅かに震えているが、仁王立ちでノエを睨みつける少女は確かに勇気があるのだろう。

 怖いと思うものに立ち向かうなんて、ソニアには考えることすらできないから、どこか憧れにも似た気持ちで彼女を見ていた。


「ねえ、キミ……今、ボクを呼び捨てにした?」


 やっとノエは少女に目を向ける。だが、それはいいことではなく。


「っ」


 強く肩を押されて後ろに倒れ込んでしまった少女をノエが冷たく見下ろす。これから暴力を振るわれることは明白だった。


「ノエ様、商品に手を出すのは……」

「うるさい!」


 男の制止を一蹴し、ノエは再び少女に視線をやる。


「キミ、立場わかってる? ノエ様、だろ? ――なあっ」

「きゃああっ!!」


 ドスっと嫌な音が辺りに響く。

 腹部を蹴られた少女は悲鳴を上げ、蹴られたところを守るように身体を折り曲げた。わずかに聞こえる呻きが彼女の痛みを知らせている。


「売り物なら何もされないとでも思った? ざーんねん。キミくらいの商品ならいくらでもいるし――死んじゃっても誰も気にしない」


 ノエは、今度は手首を踏みつけた。足を動かし少女のまだ幼い腕を踏みにじる様は見ている方が痛いほど。


「いっ、痛……っ!!!」


 でも、きっと彼女が感じている痛みには敵わない。

 多くの子供が、女性が、目を閉じ耳を塞いだ。見たくないと、見てはいられないと。

 ソニアは、助けられない自分を無力に思いながらも目に焼き付けるように少女とノエを凝視する。何もできなくても、何の力もなくても、知らないふりをして目を閉じるのは違うと思った。恐怖していても立ち向かえる彼女に憧れを抱いたからこそ、違うと。


「ノエ様ー、商品減らすとボスが怒るッスよー」


 少女をさらに痛めつけようと足を上げたノエに間延びした声がかかる。


「っ、ボクに指図するな!」


 それすらも不快なようでノエは声をかけてきた男に怒鳴るが、少し気が落ち着いたのか、振り上げた足を地面に下ろした。

 また踏まれると思っていた少女はぎゅっと目を瞑っている。


「フン。これに懲りたら、ちょっとは大人しくしとくんだね。そうじゃないといいご主人様に買ってもらえないよ?」


 そう言って背を向けたノエの言葉に少女は唇を噛み締めた。

 ノエはもう少女に興味をなくしたのか、こちらに注意を払っていない。それを確認して、ソニアはそろりそろりと少女に近づく。


「だいじょうぶ?」

「………………」


 返事はない。


「どこかいたい?」

「何よ、痛いに決まってるじゃない」


 怒ったように返された声は掠れていた。

 睨むような眼に戦いて、ソニアは咄嗟に謝る。自分は他人を不快にさせることしかできないのだろうか。


「……ごめんなさい」

「べ、別に謝らなくても……」


 気まずげに逸らされた視線にホッとする。許してくれるようだ。


「あなた、名前は?」

「……え?」


 向き直った少女の問いに戸惑う。

 宝物は、もう名乗れない。

 名乗るとしたら一つしかないのに、咄嗟に言葉が出てこなかった。

 忘れたわけではもちろんない。けれど、ソニアの口は凍りついたように動かなかった。


「な、ま、え! ……私はロザリーっていうの。ありきたりだけどいい名前でしょ? 結構気に入ってるの。あなたの名前は?」

「…………わたしは……」


 父親が付けた名前を名乗るのか。名乗れるのか。

 この、自分の名を誇らしげに語る少女の前で。

 とってつけたような、誰にも呼ばれぬ名を。

 ……彼女と、同じ名を。


「そにあ」


 逡巡した後に口から漏れた名は、あの家に置いてきたはずのもの。

 名付けてくれた彼を、自分の幸せを祈ってくれた彼を思い出して泣きたくなる。


 ……おおかみさん。


 自分勝手な自分をどうか許してほしいと心の中で願った。


「ソニア? ふーん、思ったより可愛い名前じゃない。どういう意味?」

「あかいおはなのなまえなの」

「へえ。素敵ね」


 名前を誉められて嬉しい気持ちはある。

 ただ、少女のように胸を張って名乗れないことが恥ずかしかった。


「あなたに似合ってると思うわ」


 幸せの名なんてソニアには似つかわしくないのに、わかっているのに、ロザリーの言葉に心が浮き立つ。

 ソニアは、そんな自分が嫌で仕方なかった。


「私の名前はお祖父様が付けてくれたんだけど……」


 言いながら、ロザリーが腹部を押さえていることに気づく。蹴られたところが痛むのだろうか。

 よく見れば、彼女の腕は傷だらけだった。痛みのせいか額に汗も滲んでいる。


「おなか、いたいの?」

「……うん」


 頷きはするものの、かなり辛そうだ。

 もしかしたら、話すのも辛いくらい痛みが増してきたのかもしれない。


「そうだ! いたくなくなるおまじないやってあげる!」


 何かできることはないかと考えていたソニアの頭に浮かんだもの。

 つい、声が弾む。


「おまじない? それ、私も知ってると思うわ」

「そうなの?」

「ええ、有名だもの。でも、それ、効かないわよ」

「そんなことないよ。おおかみさんがやってくれたら、いたくなくなったもん」


 胸を張って言うと、ロザリーはしぶしぶ腹部から腕をどけた。ソニアがお礼を言うとちょっと笑って“さっさとしなさいよ、おまじない”と言ってくれる。

 ソニアは少し緊張しながらロザリーのお腹にそっと手をかざした。

 もし、痛みを代わってあげられるなら代わってあげたい。痛いのは嫌だ。でも、痛がっているひとを見る方がソニアは嫌だった。


 いたくなくなりますように。


 それだけを願う。


「――いたいの、いたいの、とんでいけー」


 ぽうっとソニアの手が光を放ち、温かい力が溢れた。


「っ」

「え? え? ……ひかった?」


 ソニアもロザリーもその光景に目を見開く。

 手を閉じたり開いたりしてみるが、もう光は出ない。ソニアが戸惑っている間、ロザリーは痛みが消えていることに気づいた。


「っ、あなたがやったんじゃないの?」

「え? そに……わたし、しらない」


 ふるふると首を横に振るソニアに嘘はない。二人で首を捻り、手を振ったり手を合わせたりしてみるがもう一度光が現れることはなかった。

 理由はわからないが、痛くなくなっていると告げるロザリーに、純粋に喜ぶソニア。

 ふと視線を感じて振り返ると、こぼれ落ちんばかりに目を見開く女性と目が合った。さっきまで隣に座っていた女性だ。


「法力……っ」


 思わずと言ったように女性の口から漏れた呟きを耳が拾う。


「おねえさん、ほうりきってなあに?」

「しっ……駄目よ、隠さないと」


 尋ねると、女性は慌ててソニアの口を塞いだ。内緒話をするように小さな声で注意される。

 事情がわからないソニアは目を白黒させるばかり。近くにいるロザリーも訝しげだ。


「もし見つかったら――」


 女性の声が不自然に途切れる。

 もし見つかったら? その先は?


「遅いよ」

「っ」


 隠そうとする女性を嘲笑うように声が響いた。

 女性が息を呑んで声の先を確かめると、いつのまにか自分たちの傍にノエが立っている。もうとっくに牢から出ていると思っていたのに。


「あは、見ちゃった」


 そう言ってニンマリと笑うノエの視線はソニアに向いている。

 近づいてくるノエにソニアは身を震わせた。自分も蹴られたり踏まれたりするのだろうか。今の彼は機嫌が良さそうに見えるが、ひとが暴力を振るうのは機嫌の悪いときだけでないとソニアは知ってしまっていた。

 腕を掴まれ、持ち上げられる。


「法力持ちが混じってるなんて……ボクはやっぱり運がいい」


 ソニアには何のことかわからない。

 けれど、何かが起こる予感がした。



   ◇◇◇



「ソニアをどこに連れていく気よ!」

「またキミ? うるさいなあ。少し黙っててよ」

「っっ!!」

「ろざりー……っ!」

「いっ、たいわね! もうっ!! ソニアを連れていくなら私も一緒に連れていきなさい!」

「この子は高く売れるから別室に入れるけど……キミにそんな価値はないよ」

「っ、いた……っ!」

「ろざりー!?」

「さ、行くよ」

「そにあは、そにあはだいじょうぶだから!」

「……っ、ソニア!!」



 ――――初めての人間の友達との別れは、出会いと同様に呆気ないほど急だった。





《ロザリー視点》


 ロザリーは大商人の娘だ。

 身代金目的の誘拐を警戒し、本来なら一人で外を出歩くことはない。それなのにこうして牢に囚われているのは行き過ぎた好奇心のせいだった。


 全部全部、ジェフのせいだわ!


 自分の行いを棚上げし、原因の一つである男を責めるロザリー。

 ジェフはロザリーの家の使用人で、彼女が常々怪しいと思っていた男である。根拠のない疑いであったが、ロザリーの勘は正しく、ジェフは彼女の家の物を持ち出していた。ロザリーはたまたまそれを目撃し、危険を顧みず後を追った結果、今に至ると言う訳だ。人身売買組織の人間にロザリーを引き渡して金を受け取ったときのジェフの顔を思い出すと怒りで気分が悪くなってくる。

 自分でも浅慮な振る舞いだったとは思うが、“まさかこんなことになるなんて……”とロザリーは唇を噛み締めた。プライドの高い彼女にとってこんなところにいるのは屈辱でしかない。


 ソニアはどうしてここにいるのかしら。


 ちらりと隣に座る少女を窺う。赤い頭巾をかぶった少女はロザリーと同じか少し下くらいの年齢だろう。可愛らしい顔立ちと立派な金髪は羨ましくなるほどだ。


 誘拐、でしょうね。ぼんやりしてそうだもの、この子。


 内心そんなことを思いながらソニアと話していると、忘れようとしていた身体の痛みが無視できないくらいに増してきた。

 思わず、お腹を押さえる。傷になっている手首や腕も痛むが、一番痛いのは腹部だ。ノエは手加減なしで蹴ったのだろう。彼が力のなさそうな少年だったから良かったものの、脇に控えていた大人の男が相手だったらと思うとぞっとする。

 暴力とは無縁な生活を送ってきたロザリーにとって、蹴られるという体験はかなりの衝撃だった。痛いし、怖いし……それ以上に悔しかった。

 もう二度とは体験したくない。そう思うが、意地っ張りな性格が災いしてまた暴力を振るわれるのではないかと少し冷静に自分をみてもいた。性格を変えることはできないし、考える前に口が動くタイプだという自覚はあるので、蹴られる覚悟はできている。


「私の名前はお祖父様が付けてくれたんだけど……」


 ソニアの前では取り繕って平気な顔をしているが、だんだん言葉数が減っていることは自分でもわかっていた。


「おなか、いたいの?」

「……うん」


 やせ我慢ができなくなる程度には痛くて、ロザリーが素直に首肯してしまうくらいにはソニアはいい子だ。

 でも、ロザリーは意地っ張りで捻くれているから。


 なんで、あなたの方が痛そうなのよ。


 そんな言葉が喉元まで出かかる。

 ソニアは素直すぎてロザリーの手に負えない。痛いから痛いと告げたのに、なぜこんなむずがゆい気持ちにさせられるのか。


 ――いいかい、ロザリー。他人の痛みがわかる人になりなさい。


 ふと、尊敬する祖父の言葉を思い出した。

 ソニアを見て思う。……きっと、そういうことだ。


「そうだ! いたくなくなるおまじないやってあげる!」


 憎まれ口を叩きながらも“おまじない”を受け入れたのは、ソニアがするおまじないなら効きそうな気がしたから。

 それに、おまじないに縋りたいくらい痛いのも確かだった。

 ――だから、このとき頷いたことを後悔するなんて夢にも思わなかったのだ。






 ソニアが出した光が何かなんて知らなかったし、ノエがソニアを連れていこうとする理由もわからなかったが、ノエの口から出た法力持ちという言葉にピンときた。

 ノエの中でソニアの値段が上がったのだ。ロザリーの家は真っ当な商売しかしていないので人間の値段なんて見当もつかないが、付加価値がある方が高いことは彼女のような子どもにも想像がつく。

 ソニアが、自分が――ひとが売られるということが急に身に迫った気がして、背筋に冷たいものが走った。

 しかし、ノエに腕を掴まれたソニアを見て、震えている場合ではないと自分を奮い立たせる。


「ソニアをどこに連れていく気よ!」


 友達が連れていかれるのを指を咥えて見ているなんてできるはずもない。


「またキミ? うるさいなあ。少し黙っててよ」

「っっ!!」

「ろざりー……っ!」


 だから、また蹴られるとわかっていてもロザリーは叫んだ。


「いっ、たいわね! もうっ!! ソニアを連れていくなら私も一緒に連れていきなさい!」


 痛みと恐怖を怒りに変える。気休めかもしれないが、怒っていればその間だけは痛みを感じなくて済むから。

 自分の反抗なんて小さなもので、何の意味もない。ノエは意にも介さない。

 そうわかっていても、立ち向かわずにはいられない。それがロザリーの性格だし、友達のために怒るのは当たり前のことだ。


 震えるな、震えるな、震えるな! 私の足! こんなヤツに負けるな!!


 ノエに怯えて震えそうになる足を叱咤して、挫けそうになる心を立て直した。


「この子は高く売れるから別室に入れるけど……キミにそんな価値はないよ」


 再び蹴られることはなかったが、力一杯髪を引っ張られる。ぶちぶちっと何本か髪が抜ける音がした。

 前髪を持ったまま顔を近づけられたロザリーは目の前にある顔を思いきり睨みつける。反抗的な態度にノエは不愉快そうだ。ざまをみろと笑ってやりたいが、また強く髪を引っ張られてそれも敵わない。


「っ、いた……っ!」

「ろざりー!?」

「さ、行くよ」


 咄嗟に伸ばした手は優しく振り払われる。


 ……なんで、ソニアがそんな顔するのよ。


 痛いのなんてずっと我慢していれば良かった。

 あんなに辛かった身体の痛みより、友達(ソニア)が悲しそうな顔をしている方がよっぽど痛い。


「そにあは、そにあはだいじょうぶだから!」


 それはロザリーを気遣う言葉に他ならない。それがわかるから……悔しい。

 ノエが憎くてたまらない。

 それ以上に、ソニアを連れて行かせるきっかけになった自分が、“だいじょうぶ”なんて言わせてしまう自分が許せなかった。


「……っ、ソニア!!」


 親が金持ちでも、ロザリー自身はただの子ども。

 友達一人助けられない無力な自分に吐き気がする。


「ソニアっ! ……絶対、絶対に! 助けに行くから!!!」


 だから、去り行く友の背にそう誓った。





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