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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
34/58

赤頭巾そのいち―幸せが終わる日

 この話を読んだ相方から一言。

 「お前、よくこんなクズ書けるな」

 ……え?


 ということで、なんだかソニアちゃんが辛い目に遭う最終章ソニア編です。

 読んで気分を悪くされた方がいたらすみません。でも、最終的にソニアちゃんはちゃんと幸せになりますので、ご安心を!


 “おおかみさん”との穏やかな日々の終わりは、あまりに唐突だった。

 彼がくれた名前も日々も、すべて幸福に繋がるもの。幸せが続かないことなんてとうに知っている。ソニアが知るかぎり、幸せというものは呆気なく手から滑り落ちていくものだ。

 けれど、それでもこんなに胸が苦しいのは、この幸せが終わらないことを心の奥底で願っていたから。


 あんなに待ち望んでいた両親の迎えも嬉しくない。

 帰りたくないと、あの日々に戻りたくないと心が叫んでいる。――そんな自分は、きっととても“悪い子”で。


 だから、両親は自分を愛してくれず。

 だから、一番の宝物すら失い。

 だから、あの優しい人と一緒にいられない。


 幸福があると知らなければ、不幸も知らずに済んだのに。

 終わりがあるなら――全部なくなってしまうなら、初めから何もいらなかった。



   ◇◇◇



 今日はなんだか悲しいような寂しいような、きゅうっと胸が締め付けられるような、そんな気分だ。クロードがいないからだろうか。


 ……おおかみさん、はやくかえってこないかな。


 クロードの帰りを待つとき、いつも思うことはそればかりで。

 首を振って思考を払う。我儘ばかりではいけないと自分を戒めた。


 おるすばん、いやだな。


 留守番は嫌い。

 クロードが帰ってくると信じているけれど、シュテファンが傍にいてくれるけれど、それでもソニアは留守番が嫌いだ。シュテファンのおかげで家の中はクロードがいるときよりも賑やかなのに、ソニアにはどこか寂しく感じられる。

 シュテファンが話してくれる冒険譚に耳を傾けながら、ソニアは大事な大事な預り物をぎゅっと握り込んだ。


「ソニアのお嬢」


 ふいに明るい口調で語られていた話が途切れ、強張った声で名前を呼ばれる。


「……どうしたの?」


 クロードが帰ってきたのだろうか。

 だが、それにしてはシュテファンの様子が変だ。険しい表情で扉の方を見つめている。

 今のシュテファンを取り巻くのは何かを警戒するようなピリピリした空気。何が起きているのかわからなくても、ソニアの不安を煽るには十分だった。

 扉を叩く音に、シュテファンの声が掻き消される。


 だれかな? ……しらない、ひと?


 扉を叩いて訪ねてくる人物に心当たりはない。

 不安で不安で仕方なかった。何が不安なのかわからない。けれど、心臓はうるさいくらいに早鐘を打っていて。


「私はアベル・ベルトラン! 怪しい者ではない。冒険者ギルドの剣士だ。ここを開けてほしい」


 怖がるところのないその声に恐怖を覚えた。

 自分の身体を掻き抱く――そうしていないと、何かを失う不安に押しつぶされそうだったから。






 突然の訪問者はシュテファンの知り合いらしい。

 銀髪の青年はソニアの父親に頼まれてソニアを迎えに来たと語った。


「おとうさんが……そにあをむかえにきてくれるの?」

「いや、この森は危ないからお父さんの代わりに私が来たんだ」


 嫌だと叫び出してしまいそうだった。……でも、そんなことはできない。

 ソニアはずっと両親の迎えを待っていたはずだから。クロードと共にいるのも両親の迎えが来るまでの約束だったから。

 何より、視界の端をちらりとかすめたライターがそれを許さない。まるで、この場にいない父親に“悪い子だ”と責められているよう。


 おおかみさん、おおかみさん、おおかみさん……っ!


 心の中で必死にクロードを呼ぶ。

 いつもみたいに“いい子”だと頭を撫でてほしかった。

 ここにいてもいいと言ってほしかった。

 “いてもいい”ではなくてソニアに一緒にいてほしいと言ってほしかった。……今まで、一緒にいたいなんて一度も言われたことはないのに。

 当たり前だ。いくらクロードが優しくても、悪い子のソニアとずっと一緒にいたいなんて思うわけがない。


「お父さんが愛する娘である君を心配する気持ちに変わりはないよ」


 愛なんて、笑ってしまいそうな言葉。

 父親が“おちぶれた”のも母親がソニアをぶつのも“せいかつがくるしい”のも、全部全部ソニアのせい。ソニアが悪い子である限り、愛なんて上等なものは手に入らない。

 愛してほしいと泣くことすら、許されなかった。


「そにあといっしょにいるってやくそくしてくれたもんっ!」


 クロードは約束してくれた。けれど、約束はソニアの我儘でクロードの意思じゃない。ソニアの言葉はクロードを縛るだけ。

 与えられるだけで何も返していないのに、一緒にいたいなんておこがましい。

 ソニアはすっかり忘れていたのだ。自分の存在が迷惑になるということを。あんなに両親に言われていたのに。

 ここに来て、両親を思い出すことが減ったから……だから、自分が悪い子だということも忘れたふりをしていた。


「お嬢は、クロードの旦那と一緒にいたいんですね」

「…………っ」


 そう、一緒にいたいのだ。両親ではなくクロードと。

 でも、悪い子の自分はクロードと一緒にはいられなくて。


「お嬢、本当にこのまま帰っていいんですか? クロードの旦那から預ってるものがあるんじゃないですか?」


 いい子になったら、ここにいられる? 両親は愛してくれる?

 クロードは一緒にいたいと言ってくれる?


「クロードの旦那に、会わなくていいんですか――?」


 いい子になりたい。

 でも、方法がわからない。


「かえらなくちゃ……おとうさんのところに」


 頭に浮かぶのは古びたライターと笑う父。そして、父親に初めて買ってもらった甘いパン。

 親の言うことを聞く子はいい子? ならばそうしよう。


「――“わたし”は、ろざりーだから」


 一番の宝物と一緒に、幸せが壊れる音がした。



   ◇◇◇



 まだ両親と暮らしていた頃、彼女はいつも外にいた。

 雨の日も雪の日も関係なく、両親に“邪魔だからしばらく出てろ”と外に放り出された。嫌だと泣くことはとっくに止めている。

 その日も、彼女は外にいた。




 今日はどれくらいで家に帰れるんだろうと思いながら、少女は空を見上げる。

 天はあいにくの曇り空。一面を雲が覆っている。晴れていれば雲の形で遊べたのにと、少女はつまらなく思った。


 ……さむいなあ。


 初冬の風は幼い身体にも容赦なく吹きつける。

 さすがに風邪をひかれたら困ると渡された外套は母親の着古しで、少女には大きすぎた。隙間から入ってくる風が冷たい。

 ちょっとでも暖を取れるようにと膝を抱えて座り込み、大きな外套のなかで身を縮めた。それでも吹き付ける風は冷たくて、母の外套は少女を温めてはくれない。

 何をしたって寒くて寒くてどうしようもなくって、まるで身体の奥に氷があるみたい。


「お嬢ちゃん、そんなところでどうしたのかな?」


 声をかけられたことに気づいて顔を上げると、いつの間にか目の前に老人(おじいさん)が立っていた。にこにこと笑っていて、優しそうな人だ。

 父親も母親も少女の前ではあまり笑わないから、笑いかけられてもどう反応したらいいかわからない。


「まってるの」

「お父さん? お母さん?」

「どっちも」


 正しくは両親が出す帰宅の許可を、だが。


「なんだ、そうだったのか。私はてっきり迷子かと思ってしまっていたよ。良かった、良かった」

「………………」


 寒さが思考を奪っていく。

 老人の話を少女はほとんど聞いていなかった。


「お嬢ちゃん、私もひとを待っているんだが、隣で待たせてもらっても良いかな?」


 それだけは何とか聞こえて、こくりと頷く。


「ありがとう。君は優しい子だね」


 そう言って、乾いた手が少女の頭を撫でた。

 心も身体も冷え切っていたが、それだけで心の中に小さな火がともる。手の温度なんて感じなかったのに、なぜか少女にはその手が温かいと感じられた。


「それにしても、今日は冷えるね――そうだ、いい物を見せてあげよう」


 老人は懐からライターを取り出した。

 それは、少女の父親が持っている物より古びていて大きい。


「ライターは知って……いるみたいだね。お父さんが持っているのかな」


 カチッと音がして、小さな炎が老人の顔を照らした。


「実はね、これは魔法のライターなんだ」


 老人は内緒話でもするように小さな声で教えてくれる。

 魔法という言葉と、急に寒くなくなった不思議に少女はじっとライターの火を見つめた。

 これが、魔法?


「お嬢ちゃんにはちょっと難しいかもしれないが、これは魔導具の一種でね。使用者の周囲を暖めてくれるんだ。……寒い日にはもってこいの魔法だろう?」


 茶目っ気たっぷりのウィンクに、思わず笑ってしまう。

 本来少女は人見知りなのだが、なぜかこの老人にはすぐに心を許してしまえていた。彼の持つ穏やかな雰囲気や慈愛に満ちた眼差しが心地良かったからかもしれない。


「おじいさんのおきにいり?」


 ライターを扱う手がとても大事な物に触れるように見えて、気づけばそう訊いていた。何か思い出の品なのだろうか。

 初めて自分から質問してきた少女に老人は嬉しそうに笑って答える。


「ああ。もう煙草は止めたんだけどね、これはお気に入りのライターなんだ。若い頃、妻が贈ってくれたんだよ」


 少し照れたようなその表情に、本当に大切なのはライターではなく彼の妻なのだろうと思う。妻が大事だから、ライターも大事に扱うのだ。

 幸せそうに妻を語る老人がなぜか眩しい。でも、彼の話を聞いていると少女の胸も温かくなった。


「もっとおはなしして」


 祖父がいたらこんな感じなのだろうかと思いながら、話をせがむ。

 孫に話をせがまれた祖父はちょっと驚きながらも、きっとこう言うのだ。


「もちろん、いくらでもしてあげよう。次は何のお話がいいかな?」


 日が傾くまで、少女は名も知らぬ老人とともに過ごした。

 この日も両親は少女と一緒にいてくれなかったけれど、誰かが傍にいて独りじゃなかっただけ今日はマシな日だ。






 帰路に着く老人の背を見送る。

 ひとを待っていると言っていたが、彼は妻に叱られて家を出ていたらしい。小さな鳥が運んできた手紙を受け取った老人は、そろそろ帰ってきなさいって言ってもらえたからやっと帰れるよと照れくさそうに笑った。

 “君はまだ帰らないのかい?”と心配そうな顔をする老人に、家はすぐそこだからと近くの見知らぬ家を指差す。どこか寂しい気持ちになりながらも、少女の言葉を疑わず安心したと笑顔で手を振る老人と別れた。


 ……あっ!


 少女の隣にはなぜかあの古びたライターが。

 忘れていってしまったのだとライターを手に遠ざかっていく背中を慌てて追いかけた。


「おじいさん!」


 少女の声は小さい。大きな声を出すと、うるさいと怒られてしまうから。

 でも、小さな声では相手に届かなくて。


「おじいさんっ!!」


 精一杯の大きな声で叫んだ。

 呼び止められた老人が振り返る。

 気づいてくれたとホッとしたのも束の間、ぐらりと老人の身体が大きく傾いた。そのまま、誰に受け止められるでもなく彼の身体は地面に沈む。


 っ、……え? え?


 混乱する少女の目に映るのは倒れた老人と、その後ろに立つ父親。


「おーおー、金持ちそうなジジイだな、こりゃ」


 少女の父親はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、老人の荷物を漁る。

 金目のものをすべて抜き取るまで、父親の眼が少女に向くことはなかった。


「上手くやったじゃないか」


 父親はそう言って、呆然とその場に立ち竦む少女の頭に手をおいた。誉められているのに、撫でられているのに、全然嬉しくないのはなぜだろう。

 さっきまで温かかった身体は指先からどんどん冷えていって、最後には心まで凍りつく。


「お、とうさん」

「これでしばらくはもつな。金がないとローズがうるさいからなあ」

「おじいさんが……」

「あ? 別にこれくらいで死にゃあしねえよ。それより、金も入ったしパンでも買ってやろうか? 腹減ってるだろ?」


 確かに、朝から何も食べていない身体は空腹を訴えていた。だが、少女はそんなことより老人の身が心配で。


「こんなの、だめ! やっちゃいけないことだよ、おとうさん!」


 助け起こして謝ろうと手を引っ張る娘を、父親は冷たい表情で見下ろす。白けたようなその顔に、少女は身体が硬くなった。


 なぐられる……っ!!


 目を閉じて衝撃を待つ。

 予想通り、握り込まれた父親の拳は少女の身を襲った。

 いつもより痛くないのは、父親の機嫌がいいからだろう。衝撃に吹っ飛ばされることなく、少しよろける程度ですんだ。


「あー、悪い悪い。つい、な。お前もあんまうるさくすんなよ。ほら、パン買いに行くぞ」


 父親に手をひかれ、心をその場に残したままパン屋に向かう。

 パンを買うお金は老人のもので、悪いことだとわかっているのに、買ってもらったパンは美味しかった。


「ん? なんだそりゃ」

「っ、それ、おじいさんの……っ」

「ああ、なんだ。お前も盗ってきたのか――悪い子だなあ、お前」


 手に持った物は奪われ。

 違う、という言葉は聞いてもらえない。


「パンの礼に俺がもらってやるよ。でも、こんなボロいライター売れないよなあ。仕方ねえから俺が使うか」


 その日から、少女は父親がライターを見る度に息が苦しくなるようになった。

 父親はライターを見せると少女が楽に言うことを聞くと喜ぶが、聞きたくて聞いているのではない。それを見ると、“悪い子だ”と言われると、いつだって身が竦む。

 “悪い子だ”という父親の言葉ばかりが頭の中をこだまして、いつしか老人とのやり取りも忘れてしまった。

 あのひとはどんな顔をしていた? どんなことを言っていた? ……わからない。

 けれど、夢で見る彼はいつも少女を責めている。




 父は、少女のせいで実家から追い出されたと怒る。

 母は、少女なんて生まなければ良かったと嘆く。

 両親は、少女を邪魔なものとしてしか扱わなかった。

 存在自体が迷惑だと、生まれてきたことが間違いで生かしてやるだけでもありがたく思えと――そう教えられて少女は育った。


 きっと、あの優しい老人があんな目に遭ったのも少女(じぶん)のせい。



   ◇◇◇



 久しぶりに見る父親は記憶にある姿より少しやつれていた。娘が攫われた心労でやつれたというわけではないことは、誰よりも自分がわかっている。


「ああ、良かった! 怪我はないか? ……ロザリー」


 名前を呼ぶまでに不自然な間があった。また、名前を忘れたのかもしれない。

 そう思うのに、他人(アベル)がいるから優しくしてくれるのだとわかっているのに、心配したと父親に抱き締められるのは嬉しくて。

 実は父親は自分を愛してくれているのではないかなんて幻想を抱く。何度も何度も期待して、何度も何度も裏切られてきた。それなのに、優しくされる度に期待することを止められない少女は両親の言う通り馬鹿なのだろう。


「怪我もなく、お嬢さんは元気ですよ。本当に良かったですね、ロベールさん」

「はいっ、なんとお礼を言っていいか……っ」


 肩を叩くアベルに、父親は感極まったように言葉を詰まらせて俯く。

 下から父親の顔を見上げる少女には、彼の口元が堪え切れないというように笑っているのが見えた。


「いえ、お礼なんて。当然のことをしたまでです。私は騎士ではないので、この子を攫った男を捕まえることはできませんが……」

「いいえ! 娘が戻ってきただけで十分です! 本当にありがとうございました!!」


 父親と共に頭を下げ、にこやかに去っていくアベルを見送る。父親の態度ががらりと変わったのは、彼の背が見えなくなってからだった。

 “ああ、やっぱり”と心の中でもう一人の自分が呟く。


「へっ……やっぱり、ちょろいな。あのお坊ちゃん」


 父親はアベルが去って行った方角に嘲るような顔を向けた。

 豹変した父親に驚くことはない。これこそ彼の本性だと少女は知っていた。


「おい、お前、捨てられたってわかってたか?」


 隣に立つ少女を見下ろしながらニヤニヤと笑う男こそ、少女の父親。


「わかってなかったのかよ! 相変わらず馬鹿だなあ、お前!!」


 捨てられたと認めるのが怖くてふるふると首を振った少女に、父親は堪らず噴出した。

 ぎゃははと笑うその声が、その言葉が、どれだけ少女を傷つけるかきっと父親は知らない。知ろうとも思わないのだろう。

 ひーひー言う父親に連れられ、向かった場所は人気のない裏路地。


「…………っ」


 なぜここに来たのかわからない。

 不安になって父親の服の袖を掴むと、鬱陶しそうに振り払われる。傷つくことがわかっていても、どうしても縋ることを止められなかった。


「なんで……」


 ここに?

 そう続けられるはずだった言葉は父親の声に遮られる。


「もうちょっとしたらひとが来るから、愛想良くしてろよ。お前だって、安い金で買われたくないだろ?」


 ひと? ……おかね?


 それだけでは、少女には何のことかわからない。

 けれど、嫌な予感はずっと胸の中に渦巻いている。これ以上に裏切られようもない父親に、これからさらに裏切られることになるのだろうということだけは確かだった。

 期待なんてしてはいけない。希望なんて持ってない。


「うーん、小奇麗になってっし、洗う必要がねえのはいいが……なんか飾りでも付けとくか」


 “その方が高く売れるかもしれないしな”と独りごちて、父親はごそごそとポケットを漁る。しかし、出てくるのは煙草と小銭くらいなもの。女物の飾りなんて彼が持っているはずもなかった。


「そういや、お前、ローズになんかもらってただろ? ほら、あの赤いやつだよ」


 何のことだろうと首を捻っていると苛立ったように促され、びくっと肩が震える。刻み込まれた恐怖は消えることがなく、父親の機嫌に過敏なほどに反応してしまう。


 そう、これが少女の父親。

 自分が待っていたのは、果たして彼の迎えだったのだろうか。

 森に初めて行ったとき、確かに両親の迎えを望んでいた。だが、今、望んでいるのは“ロザリー”という呼び名でも不機嫌そうな父親の手でもなくて。

 一番の宝物の名前を呼んでくれる声と不機嫌でも温かい手。そして、あの微睡(まどろみ)のように優しく幸せな日々。


 そ……わたしは、わるいこだ。


 自分から置いてきたのに、それでも望んでしまうなんて。


「これ?」


 少女は父親の言う“赤いやつ”をポケットから取り出し、広げて見せる。

 満足気に頷いた父親に、機嫌が直ったことを察して胸を撫で下ろした。


「それだ、それ。付けとけ……付け方がわからねえとか、言わねえよな?」

「う、うん」


 赤い頭巾をかぶって髪を整えながら、ふと、疑問を口にする。


「おとうさん……おかあさんは?」

「ローズは夜逃げした」

「よ、にげ? ……おかあさん、どこかにいっちゃったの?」


 泣き出しそうな顔をした少女に、父親はニタァと笑みを向けた。


「ローズはなあ、お前があんまりにも悪い子だから、どっかに行っちまったよ」


 傷つけるつもりで発せられた言葉は、容易く少女の心を切り裂く。

 でも、なぜだか涙は出なかった。


「………………」


 泣きも笑いもせず黙り込んだ少女から父親はつまらなそうに視線を外す。それと同時に、少女は頭巾の端を引っ張り顔を隠すように目深にかぶった。

 久しぶりに出た、彼女の癖。泣きたいときに、それでも泣けないときに出る癖だ。


 おおかみさん、おおかみさん、おおかみさん……っ!


 心の中で必死にクロードを呼ぶ。

 もう彼を呼ぶ権利なんてないとわかっていても、会いたくてたまらなかった。



   ◇◇◇



「お、なかなかの上玉じゃねえか」

「これなら高く売れそうだな。借金返しても釣りが出るんじゃないか?」

「ほ、本当ですか!?」

「ボクにも見せて」

「っ、ノエ様。どうぞどうぞ」

「ふうん、悪くないね。このくらいでどう?」

「そんなに!? い、いいんですか!?」

「もともと女の子は相場が高いしね。金髪にこの容姿なら高値がつくだろうから構わないよ」

「売ります、売ります! ありがとうございます!!」

「……にしても、ひどい親父だなあ。お前」

「そ、そうですかねえ……」

「あはははっ、ほんとにな!」

「まあ、でも、こいつも最後に親の役に立てて喜んでますよ。なっ、ロザリー?」

「ひでーなぁ、おい!」

「ぎゃははっ!! ほんっとにサイテーの親だな!」

「はははっ!」



 ――――赤頭巾の少女は、見知らぬ男達に自分を売る父親をただぼうっと見つめていた。





《 シュテファン視点 》


 もっと強く引き止めていればと思わなかったと言えば、嘘になる。けれどそうしなかったのは、少女の心が今にも壊れそうだったから。

 クロードがいればまた別だっただろう。

 しかし、今この場にいないクロードと父親の間で揺れる少女は今にも壊れてしまいそうで、あれ以上何も言えなかった。


「本当に、クロードの旦那に何も言わずに行っていいんですかい?」


 彼が家に背を向ける少女に最後に言えたのは、その一言だけ。

 ――答えは返ってこなかった。



   ◇◇◇



 アベルに連れられて家を出て行った――正確には両親のもとに帰った、のだが――少女を追って街に下りたシュテファンは、アベルが去ってからもその場に留まり、じっと彼女の父親だという男を観察した。

 どこをどう見ても、あれは碌でもない男だ。シュテファンの主なら“絵に描いたような最低男”とでも評するのだろう。

 父親に再会してもちっとも嬉しそうではない少女の様子に胸が痛む。今よりも幼い頃からずっと、辛く当たられてきたに違いない。


 早くクロードの旦那に知らせて、迎えに来てもらいやしょう。


 これ以上は見ていられないと、一刻も早く父親から引き離さねばと、そう思ってシュテファンは飛び立とうとした。

 しかし、翼を広げた瞬間、聞こえてきた男の言葉に耳を疑う。


「もうちょっとしたらひとが来るから、愛想良くしてろよ。お前だって、安い金で買われたくないだろ?」


 まさか、お嬢を売るつもりで……っ!?


 胸中を廻るのは激しい怒りと考えが足りなかったという後悔。

 捨てた子どもを迎えに来た理由に今の今まで思い至らなかった自分が情けない。


「うーん、小奇麗になってっし、洗う必要がねえのはいいが……なんか飾りでも付けとくか」


 魔導師の使い魔とはいえ、シュテファンはしがないカラスの身。少女を助け出す力はない。

 せめて誰に売るのか見届け、必要最低限の情報を得てからクロードのもとへ向かおうと決める。

 焦りのせいか、潜んでいる時間がやけに長く感じられた。


「おーい、ロベール!」


 少女の父親の名を呼びながら現れたのは五人の破落戸(ゴロツキ)風の男たちだ。

 思っていたよりも人数が多い。もしかしたら、個人ではなく組織的な人身売買かもしれない。

 この国では人身売買は禁止されているが、奴隷制度の名残か、まだ多くの人間が人を買い・人を売るという最低の行為を平気で行っている。


「それがお前の子どもか?」

「お、なかなかの上玉じゃねえか」


 値踏みするような眼で少女を見るなと、彼らの目を突いてやりたかった。


「恨みますよ、アベルの旦那……っ」


 父親と男たちのやり取りにシュテファンの苛立ちは募るばかり。

 つい小声でそう漏らしてしまうが、十分に距離をとっているせいもあって男たちは気づかない。

 だから、油断していたのだ。


「誰の使い魔か知らないけど……ボクの邪魔、しないでくれる?」


 背後をとられたと気づいたときにはもう遅かった。

 後ろからの衝撃に、シュテファンの意識は闇に呑まれていく。


 早くクロードの旦那に知らせないと……っ!


 そうすれば、きっと少女の身も心も救い出せると、最後にシュテファンが思ったのはそんなことだった。





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