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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
33/58

幕間―さあ、お父さんのところに帰ろう

 魔の森に隣接する街・エトルタにある冒険者ギルド・ヴァナディース。

 国内でも有数の魔物討伐数を誇り、魔物の被害に遭いやすいエトルタ市民の感謝と尊敬を一身に受けているギルドだ。所属する冒険者たちはSランクの二人を頂点に猛者ぞろいで知られ、エトルタのみならず国中から人気を集めている。


 ギルドマスターである戦場の雌獅子(めすじし)・オルガ。

 最年少でSランクになった剣士・黒狼のクロード。

 光魔法において他の追随を許さない魔導士・青雷(あおいかづち)のマルセル。

 他にも名も実も伴った冒険者は多くいるが、この三人に次いで名を挙げるならば“銀弓(ぎんきゅう)の狩人”だろう。


 銀弓の狩人・アベルは色んな意味で有名な剣士だ。

 彼はまだ十九という年齢ながらAランクにあり、世に十二振りしかない聖剣・ミスティルテインを所持している。それだけでも注目を浴びそうなものだが、彼の場合その程度では終わらない。

 アベルを語るとき、真っ先に挙げられるのは彼が貴族階級の人間でありながら冒険者をしていることだろう。アベルは由緒正しきベルトラン伯爵家の三男で立派な貴族である。

 貴族としては型破りな、冒険者としては変わった経歴を持つアベルだが、彼自身は信義に厚く礼儀正しい好青年だ。そのため、アベルの故郷であるベルトラン伯爵家の領地でもこのエトルタの街でも彼を悪く言う者は少ない。猪突猛進の気があり、熱血すぎるのが難といえば難だが、持ち前の正義感と卓越した弓の腕――彼の自称は剣士だが――で老若男女問わず数多くの人を救ってきた。

 アベルは伯爵領の領民からすれば“自慢の坊ちゃん”で、エトルタに暮らす者からすれば“頼りになる冒険者”である。


 しかし、アベルをよく知るギルドメンバーは口を揃えてこう言う――あれはギルド屈指のトラブルメーカーだ、と。




 そのとき、アベル・ベルトランはかつてない衝撃に見舞われていた。

 父親譲りの琥珀色の瞳は驚愕に彩られ、口はパカッと音がしそうなほど大きく開かれている。“黙っていればとびきりの美男”とギルドの女性たちから太鼓判を押される顔も今は間抜け面にしか見えない。


「っ……あれ? アベルじゃん」


 はじめは、自分に誰かがぶつかってきたことにもその相手が声をかけてきたことにも気づかなかった。


「おーい、アベル? どうした?」

「ぼけっとするなら他のとこに行けよ。こんなとこ突っ立ってたら邪魔だろ」


 驚きを絵に描いたような姿で立ち尽くすアベルを訝しげに見る男と煩わしそうに注意する男。

 どちらもアベルと同じギルドに所属する冒険者だ。年が近いためそれなりに交流があり、ギルドメンバーでもお互い言葉を交わしたことがない者もいることを考えれば、アベルと彼らは親しいと言っていい仲である。


「っ!」


 目の前でひらひらと手を振られても微動だにせず、髪を引っ張られてやっとアベルは衝撃から立ち直った。


 ちなみに、アベルは白銀の長い髪を三つ編みにしている。今、引っ張られたのは後ろに垂らされた三つ編みの部分だ。“揺れる三つ編みを見ているとなぜか無性に引っ張りたくなる”とは近所の少年の言である。

 この髪型は子どもの頃からで、数年前までは毎朝アベルの姉が喜々として髪をいじっていた。そのせいで髪を束ねていないと落ち着かず、だからといって髪を切る気もなく、姉が嫁いでからも自分で髪を編むのが朝の習慣になっている。


「っっ、すまない! 助かった!」


 周りを見回して自分の状況を察すると、アベルは二人に礼を言ってすぐさま道の脇に退いた。先に行くかと思われていた二人も実は暇だったのか一緒についてくる。


 立ち尽くしていたのは往来の真ん中だ。所狭しと店が立ち並び、この街のどこよりも人通りが多い。

 そんなところで立ち止まっていてはさぞかし通行人の邪魔になったことだろうと考え、アベルは一人落ち込んだ。他人の助けになるどころか迷惑になるなんて、と地にめり込みそうな勢いである。


「あー、悪い。そんな落ち込むなよ」


 がっくりと肩を落とすアベルに、言葉がきつかったかと男は頬を掻きながら謝った。


「変な顔して立ってたけど、なんか悩みでもあるのか?」


 “悩みがあるなら聞いてやるよ”ともう一人の男が肩に手を回す。

 二人とも柄が悪そうなせいで傍目からは金持ちそうな優男に絡むチンピラにしか見えなかったが、この街の人間は三人を知っているので横目でちらりと見るだけで何事もなかったかのように通り過ぎていく。

 気の毒そうな顔をする者やアベルを見て足を早める者は某トラブルメーカーの被害に遭った者だろう。


 アベルは男の問いにしばし黙ったままだったが、二人に視線で促され重々しく口を開く。


「クロードの……黒狼の噂を知っているか?」

「噂? ドラゴン倒したとか魔王倒したとか実は勇者の生まれ変わりだとか、そういうの?」

「いや、そうではなく……」


 普段は正直で直截なアベルだが、いつになく歯切れが悪い。


「なんだ、言い難い内容なのか?」

「言い難い、と言えばそうだが……」

「アベルには言い難い黒狼の噂? うーん、何かあったかな…………あっ! 黒狼が子どもを囲ってるってやつか!!」


 最近増えたクロードの噂の一つを思い出し、男は思わず手を打った。

 アベルは苦い表情で頷き、誰に問うようでもなくぼそりと呟く。


「……本当なのだろうか」

「さあな」

「ま、今までそんな話聞かなかったし、ガセじゃない?」

「黒狼とはあまり関わりがない。俺たちよりお前の方が知ってるんじゃないのか?」


 何か思い当ることでもあるのかと問われ、アベルはふっと遠い目をした。


「昨日、クロードが本屋で絵本を買っていたんだ。それも大量に」


 そのときのことを思い出し、不気味だったと身を震わせる。今思い出しても鳥肌が立つほど、あまりに似合わない組み合わせだった。

 うっかり想像してしまった二人も顔を引き攣らせる。


「不思議には思っていたんだが、そのときは噂を聞く前だったから……」


 いつになく言葉を濁してしまう程度には認めがたい噂だ。

 アベルにとってクロードは生涯の好敵手(ライバル)であり、目標とする人物。クロードの実力を認め、自分には敵わぬその剣の腕には尊敬の念すら抱いている。……まあ、アベルは剣士と名乗っているものの剣術より弓術の方が得意なのだが。付けられた二つ名もそれを示している。


「さっき噂を立ち聞きしてしまって、まさかなと。……我が好敵手を疑いたくはないのだが」

「黒狼が絵本……噂は本当だったんだな。幼女囲ってるって、騎士団に通報するレベルだろ」

「いやいや、もしかしたら自分用かもしれないじゃん!」

「可愛らしい動物が書かれた絵本を読むのか? クロードが? ……それはそれで問題だと思うのは私だけか?」

「………………」

「………………」

「………………」


 三人とも黙り込む。

 問題ありと判断したらしい。


「…………――」


 ややあって、アベルがぽつりと呟いた言葉は二人の耳に届くことなく周りの喧騒に消えていった。


 ――やっぱり自分の目で確かめるのが一番だな。


 この言葉はこれから起こる騒動の始まりに過ぎなかったが、まだ誰もそれを知らない。



   ◇◇◇



 思い立ったら即行動。

 噂の真偽を確かめるため、アベルはクロードの家を訪ねることにした。

 幸いにも家がどこにあるかは分かっている。クロードの家が魔の森にあることはギルド内でも結構有名だ。


「先にギルドに寄るか……」


 まずはギルドでクロードが現在依頼(クエスト)中かどうか聞こうと決める。

 噂が本当かどうかを確かめると言っても家主がいない家を訪ねるわけにはいかない。それに、もし子どもがいたとしても何か理由があって預っている可能性もある。ごまかされたり、はぐらかされたりしないように現場を押さえるにしても当事者がいなくては。


「……り…ださい」

「ちょっと待ってくれよ!」


 見慣れたギルドの建物が視界に入ると同時に、言い争う声がアベルの耳に届いた。

 何かあったのかと足早にそちらへ向かう。


「頼むよ、本当に俺の娘なんだ!」

「申し訳ありませんが……」


 ギルドの入口を塞ぐように言い争っているのは一組の男女だった。

 一方はアベルもよく知る人物で、ギルドの受付を担当している女性だ。どんな強面相手でもいつも笑顔で対応してくれると評判の受付嬢だが、今にかぎっては厳しい表情を浮かべている。

 男性の方には見覚えがないが、何やら切羽詰まった様子だ。


「金なら出す! 大事な娘のためなんだ、いくら払ってもいい!」

「我がギルドでは金銭に関係なく、個人からの犯罪行為の摘発及び犯人の捕縛又はそれに準ずる依頼を受けない決まりです。どうしてもと言うことでしたらエトルタの騎士団支部に話を通していただく必要が……」

「場所も犯人もわかってるのに、ギルドは攫われた子どもを助けないのか!?」

「何度も申し上げていますが、それでしたら騎士団支部にどうぞ。ギルドにはその犯人(・・)とやらを捕える権限はありませんから。……あくまで騎士団ではなくギルドを頼るのには何か理由でも?」

「…………っ」


 詳細はわからないが、二人の会話からおおよその内容がつかめたアベルは苦い顔で腕を組んだ。


 必死に攫われた娘を助け出してほしいと訴える父親の気持ちはわかる。

 だが、ギルドには捜査や捕縛の権利がなく、そういった依頼を受けない決まりになっていることはアベルも知っていた。誘拐された子どもを放っておくなんて言語道断だが、この場で依頼を受けてしまうと後々厄介なことになるだろう。ギルドが騎士団と揉めるわけにはいかない。


 しかし、趣味は人助けだの大きなお世話だのと言われるアベルがこんなに困っている相手を見捨てられるわけがなく。


「き、騎士団は……」


 子どもの父親が騎士団を頼らない理由についてはわからないが、それだけギルドを信頼しているのだろう。言いよどむ男性を見てアベルはそう判断する。

 その信頼を裏切ることもしたくないと、アベルは一歩踏み出した。


「待ってくれ!」


 突然現れたアベルの乱入に目を白黒させる男に、安心させるように笑いかける。


「話は聞かせてもらった。その件、私に任せてくれないか?」


 このとき、アベルのお節介を放っておいたのが問題だったと後に受付嬢は語った。



   ◇◇◇



 ロザリーという少女を助け出してほしいと頼まれたアベルはいきり立つ心をなんとか鎮め、荒々しい足取りで魔の森の中を歩いていた。

 多くの魔物の住処となっている危険な森だが、アベルの実力からすれば一人で森を突っ切るくらいわけない。魔物が現れても弓に形を変えた聖剣(ミスティルテイン)で矢を放てば、弱い魔物は消滅し、強い魔物はそれ以上近づいて来なくなる。

 それでも魔物に遭遇する機会は多く、魔物を寄せ付けやすい魔剣を持ちながらよくこんなところに住めるなとクロードに対して思った。


 ふと頭に浮かんだクロードの顔に、燻っていた火が燃え上がるようにアベルは感情を爆発させる。


「クロード……っ、一体どうしてしまったというんだ!」


 暗い森にアベルの声がこだました。独り言だが、呟くというには声が大きい。


「幼い少女を攫って家に閉じ込めるなど……っ!!」


 信じ難いが、件の噂は真実だった。

 ギルドの前で出会った男・ロベールがクロードが家に囲っているという少女の父親だったのだ。彼の娘を誘拐し監禁している犯人としてロベールがクロードの名を挙げたときは驚きで目の前が真っ暗になったほどだ。その後、ふつふつと湧いてきた怒りに視界は真っ赤に染まったが。


「待っていてくれ、ロザリー。一刻も早く助け出し、ご両親のところに帰してあげよう」


 クロードが攫った少女を保護したら、好敵手として決闘を申し込み、彼を正気に返らせるつもりだ。

 そして、クロードの意思で騎士団に行き、罪を償ってほしい。どれだけ長くかかってもクロードの更生にはできる限り手を貸そうと心に決める。

 ……アベルは思い込みの強い性格だった。






 やがて、森に建つ一軒の家に辿り着いた。

 暗い森にぽつんと佇む家なんて物語なら魔女でも出てきそうだが、目の前の家からはそんな禍々しさは感じられない。Sランクの冒険者が住むにはこじんまりとした家だが、どこか温かみを感じる外観だ。

 子どもを招き入れるためにわざとそうしているのかとアベルは顔を顰めた。……本当に子どもを招き入れたいならひとが滅多に訪れない森ではなく街に建てるだろうとは微塵も考えない。


「……ここか。人の気配は……あるな。ロザリーの他にもう一人、いや、一匹?」


 子どもらしき気配と人間ではないものの気配。

 後者は扉の前に立つアベルに気づいているようだが、子どもに対してもアベルに対しても害意は感じられない。ただ、警戒してはいるようでこちらの様子をうかがっている。

 ギルドで聞いたのでクロードが不在であるとは知っていたが、少女の他に誰かいるとは思っていなかった。完全に予想外だ。勢い任せなところのあるアベルだが、ここは慎重にならざるを得ない。その“誰か”少女に危害を加えられる可能性がある以上、強行突破は得策でないだろう。


 身構えつつ、扉を叩く。


「私はアベル・ベルトラン! 怪しい者ではない。冒険者ギルドの剣士だ。ここを開けてほしい」


 扉の向こうにも聞こえるようにと声を張った。……アベルは慎重に行動するということに向かない男だった。どんなときでも正々堂々真正面から行く。一番の問題は、いつもならギルドの誰かしらがアベルのフォロー役に回ってくれるのだが、それが今この場では望めないことだろう。


「……アベルの旦那?」


 わずかに開けられた扉の足元からひょっこり顔……嘴を出したのは一羽のカラス。

 カラスの見分けはつかないが、その声とアベルの呼称から知り合いだとわかる。


「シュテファン! なんで君がここに? 君はマルセル殿の使い魔だろう」


 その場に膝を折ってから尋ねると、シュテファンは少し逡巡し視線を彷徨わせた。

 まさかマルセルも加担しているのかとシュテファンの様子を見て不安になる。事が終わったら、クロードの更生を手伝ってもらおうと考えていたのに。


「それは……」


 ようやく嘴を開いたシュテファンの言葉が不自然に途切れた。


「しゅてふぁんさんのおともだち?」


 カラスの嘴ほどの間しか開かれていなかった扉が、ぎいっと小さく音を立ててその隙間を広げる。そこから一人の少女が顔を覗かせた。

 きっと彼女が“ロザリー”だろう。金髪に緑の瞳。変態趣味(ロリコン)の対象になってもおかしくないくらい可愛らしい少女だ。

 赤い頭巾こそかぶっていないものの、目の前の少女は父親から聞いていた容姿そのままで、アベルは彼女が依頼人の娘であることを確信した。


「ソニアのお嬢、出ちゃ危ないですよ!」

「私は危なくなどない」


 シュテファンの言葉に少しムッとする。


「っ、なるほど。そうやって、彼女が外へ出るのを止めてきたのか……」


 そう思い至り、拳を強く握った。

 “なんたる外道”と呟くとシュテファンがぎょっとしたように振り向く。


「何か勘違いされてませんか? (それがし)は主殿の命でクロードの旦那から留守を預かっている身でして……」

「やはりマルセル殿も加担していたのか……なんということだ」

「あのー、アベルの旦那……話、聞いてます?」

「使い魔の君に罪はないが、その子を解放する気がないというなら私が相手になろう」


 聖剣を手にじっと見つめると、バサバサと翼を動かしてシュテファンが慌て始めた。

 どこをどうみても彼は善良そうなカラスだ。きっと主であるマルセルの命令で仕方なくこんなことをさせられているのだろう。

 全部わかっていると伝えるために、アベルは父親に頼まれて少女を迎えに来たことを告げた。


「何かの間違いだと……」


 ぶんぶんと首を横に振るシュテファン。

 “仕方ない”とアベルは古びたライターを取り出し、警戒するようにこちらをじっと見ていた少女に掲げて見せた。


「これに見覚えがあるだろう?」

「っ、おとうさんの……!」

「そう、君のお父さんの物だ。……私は君のお父さんに頼まれて君を迎えに来たんだよ」


 優しく声をかけるが、まだ警戒は解けないのか少女は視線を落とす。

 なぜか、その表情がさっきより陰った気がした。幼すぎて自分が攫われたことがわかっていないのかもしれない。それでも、きっと父親のもとへ帰れば晴々しい笑顔に変わるだろう。代理とはいえ、家族の迎えが嬉しくないわけがないのだから。


 家族から愛され、家族を愛するアベルは何の疑いもなくそう信じていた。


「おとうさんが……そにあをむかえにきてくれるの?」

「いや、この森は危ないからお父さんの代わりに私が来たんだ。だが、お父さんが愛する娘である君を心配する気持ちに変わりはないよ」


 説明してから、アベルはあることに気づく。


「ソニア?」


 幼い子が自分を名前で呼ぶのはよくあることだ。しかし、名前が違うのはどういうことか。


「! そにあのなまえ! あのね、おおかみさんがくれたの!!」


 先程とは打って変わって嬉しそうに微笑みながら明るい声で答える少女の話によると、“ソニア”という名前はクロードが付けたものらしい。ロザリーというありがちな名前を呼ぶことが嫌だったのか、自分が付けた名で呼びたかったのかはわからないが、名前は生まれて最初に子どもが親からもらう贈り物。勝手に変えるなんて許されない神聖なものだ。

 クロードに丸めこまれたであろう少女を可哀想に思うと同時に、クロードに対する怒りが湧き上がってくる。


「君の名前はロザリーだ。お父さんとお母さんからもらった大切な名だろう?」


 少女が傷つかないようにと真っ直ぐに目を見て優しく諭したつもりだったが、言い方が厳しかったのか、少女は傷ついたような顔をした。見ているこちらが痛くなるような、そんな顔を。

 俯いてしまった少女に、泣かせてしまったかとアベルは心の中で後悔した。


「ろざりー」

「! そう、君の名前だよ。可愛い君にぴったりな可愛らしい名前だね」

「おとうさんがいったの?」

「ん? あ、ああ。君のお父さんに教えてもらったんだよ。……何か、あるのかい?」


 様子のおかしい少女に一抹の不安がよぎる。もしかして父親と上手くいっていないのではないかとそんな考えがちらりと浮かんだ。

 いや、しかし。たとえそうだとしても二人の間に何か行き違いがあるに違いない。必死で娘の助けを乞うていたあの父親が少女のことを大切に思っているのは事実だ。よく話し合えばわかり合えるはず。彼らは親子なのだから、とアベルは自分のなかに浮かんだ考えを振り払った。


「そに……わたしは、ろざりー」

「……お嬢」


 どこか虚ろな瞳をしている少女に、今まで黙っていたシュテファンが声をかけた。“ソニアの”と付けないところを見ると、少女のことを気遣っているのだろう。やはり善良なカラスだ。


「……しゅてふぁんさん」

「はい」

「おとうさんがむかえにきてくれたの」

「はい」

「かえらなくちゃ」

「……お嬢は帰りたいんですか?」

「…………かえらなくちゃ、だめなの」


 何を言うのかと思ったが、シュテファンの意図がわからないため静観することにする。無理やり少女に帰りたくないと言わせるようなら、この聖剣にかけて止めよう。


「クロードの旦那と一緒にいるのが嫌になりましたか? そうですよねえ。口は悪いし、いつも不機嫌そうな顔だし……怖いですもんね」


 苦笑するシュテファンに、少女は必死で首を振る。

 否定したいのは“クロード一緒にいることが嫌になったか”という問いになのか、“怖い”という言葉になのか。


「こわくなんてない! おおかみさんはやさしいもん!」

「はい」

「おかたづけしたらそにあのあたまなでてくれるもん!」

「はい」

「まいにちごはんつくってくれるもん。たまに“すきなものつくってやる”って、そにあのすきなごはんつくってくれるもん。おおかみさんがそとにいっちゃうのはいやだけど、えほんもおかしもおみやげもくれるし、かえってきたら“ただいま”っていってくれるもん」


 やはり物で釣っていたようだ。

 絵本やお菓子に釣られるなんて、昨今の子どもにしては純朴な子だ。そこを悪い大人に付け込まれたのが残念でならない。

 ――けれど。


「おねがいしたらえほんよんでくれるし、さびしいときはいっしょにねてくれるもん」

「あれ、クロードの旦那、そんなことしたんですか」


 少女の語る“おおかみさん”は聞けば聞くほどアベルの知っている黒狼(クロード)には思えなくて。

 自分は何か大きな思い違いをしているのではと考える前に、少女が騙されているのだろうと決めつける。あのクロードが、排他的でこの好敵手(アベル)を歯牙にもかけない黒狼が、赤の他人に絵本を読み聞かせたり添い寝したりしてやるはずがない。きっと何か、よからぬ類の思惑があってのことだ。


「あんまりあそんでくれないけど、そにあがこまったらすぐにきてくれるし……それに、そにあのこと“そにあ”ってよんでくれるもん!!」

「お嬢……」


 アベルはクロードが悪人ではないと知っているが、見ず知らずの子どもに優しくするような性格でないことも知っている。

 だからアベルは少女がどんなに必死に言い募ろうと、それこそあの父親より必死に見えても、絶対に揺らがない。


「それに、それに………っ」


 言葉に詰まっているのに、まだまだ言い足りないと言っているように見えた。


「そにあといっしょにいるってやくそくしてくれたもんっ!」

「お嬢は、クロードの旦那と一緒にいたいんですね」

「…………っ」


 シュテファンの言葉に少女はハッと息を飲む。

 アベルには少女が混乱しているように見え、彼女を惑わそうとするのを止めようとシュテファンの名を呼んだ。


「シュテファン!」

「事情を知らないなら黙っててください!!!」


 シュテファンの剣幕に圧倒されて二の句が継げない。事情ならアベルとて知っているのだが、シュテファンを取り巻く気はそんな反論を封じている。


「お嬢、本当にこのまま帰っていいんですか? クロードの旦那から預ってるものがあるんじゃないですか? ……クロードの旦那に、会わなくていいんですか――?」


 ぽたり、と雫の落ちる音がした。

 誰も何も言わない。あまりの静寂に時間が止まったように感じるほど。


「ロザリー」

「……っ」


 名前を呼ぶと涙をいっぱいに溜めた瞳がこちらを向く。


「娘を心配しない親はいない。子どもを愛さない親はいない。――お父さんが待っているよ」


 しばらくの間、少女は黙ったままアベルの手にあるライターを見つめていた。

 その表情から何かを読み取ることは難しい。


「………………っ」


 何かを決意したように、少女が顔を上げる。その瞳にもう涙はなかった。


「かえらなくちゃ……おとうさんのところに――“わたし”は、ろざりーだから」


 攫われた子どもがやっと家に帰れる。

 喜ばしいことのはずなのに、こんなに胸が痛いのはなぜだろう。

 “かえらなくちゃ”とうわ言のように繰り返す少女の声がやけに悲しく響くのは、なぜだろう。



   ◇◇◇



「先程テーブルの上に置いていた物は持って来なくて良かったのか? 君の物なんだろう?」

「……あずかってただけだから」

「そうか……まあ、君はお父さんのところに帰れるんだし、元々持っていた物じゃないなら必要ないだろう」

「…………うん。わたしには……」

「ロザリー」

「………………」

「? ロザリー?」

「っ、あ……」

「今まで辛かったんだね。でも、もう恐がらなくていい」

「………………」

「さあ、お父さんのところに帰ろう」



 ――――こうして、銀弓の狩人は黒狼の家から赤頭巾の少女を救い出した。……自分が騙されているとも知らずに。





《ロベール視点》


 金、金、金。

 ロベールの頭を占めているのはそれだけだった。

 遊び仲間の一人に貸した金を返せと迫られたのは一週間近く前のこと。いつもなら気にせず踏み倒すところなのだが……彼が連れて来た“オトモダチ”を思い出し、ロベールは震えた。

 あれは絶対にその筋の男だ。あんなやつが知り合いにいると知っていたら、あいつから金なんて借りなかったのにと悔やんでももう遅い。金はとっくに酒とギャンブルに消えてしまっている。


 金が必要だ。

 だが、二十七歳にもなって定職に就かずふらふらしているロベールに、貯金はおろかまとまった金を手に入れる術なんてあるはずもない。


「くそっ、金だけ持って逃げやがって!」


 そう毒づく相手はロベールの妻・ローズだ。

 妻といっても婚姻関係にあるわけではない。子どもはいたが、二人は結婚していなかった。

 ロベール自身は元娼婦の女と結婚するのなんて御免だと思っていたし、ローズにしても子どもができたからロベールとともにいただけで金もない男と結婚する気はなかったようだ。もっといい男を捕まえてやるとロベールの前で息巻くような女だったが、不思議と気が合ったのでこの七年間を共にした。


 だが、それもこれも昨日までの話。

 ローズはロベールのなけなしの金を持って愛人の一人と逃げたのだ。愛人がいたのは知っていたが、問題はローズが逃げたこと。いざとなったら顔だけはいいローズを売り払って金にしようと目論んでいたロベールの考えを読んでいたのか、彼女はさっさと夜逃げした。


「あいつがガキなんか作るからこうなったのに!」


 ロベールは名ある家の出身だが、彼自身は近所でも有名な放蕩息子だった。

 今でこそこんな落ちぶれた生活をしているが、元は人を使う側だったのだ。……7年前に家を追い出されるまでは。

 仕事もせず、挙句、結婚を控えた婚約者がいながら娼婦を孕ませるという失態を犯した息子を父親は許さず、身請けした娼婦と幾ばくかの金だけ寄越してロベールを絶縁した。そのときの娼婦がローズだ。

 後に知ったことだが、ローズは身請けされたいがために子どもを作ったらしい。金持ちの愛人として悠々自適の生活を送れると夢想していたようだが、ロベールが縁を切られたことは計算外だったようだ。


「……酒場にでも行くか」


 怒りにまかせて家の中のものを蹴り倒していたロベールだったが、賭けで金を増やそうと思い立つ。

 近場だと金を借りた相手に会うかもしれないと、なけなしの金を手に隣町の酒場に向かった。






 いつになくツイていた。

 これなら借金を返しても釣りがくると喜び、欲張った結果がこれだ。


「お兄さん……これ以上は止めといたら? 金、もうないんだろ?」


 賭けの相手が心配げに声をかけてくる。

 その哀れむような眼に、さっきまでは自分が勝っていたのにと歯噛みした。

 こんな場末の酒場にいるような男に見下されるなんて冗談じゃないのに、今現在負けが込んでいるのは事実で。このままじゃ終われない、とほどよく酒が回った頭で考える。


「うるせえ! 負けを取り返すまでは止めれるか!!」


 賭けを続けるとしたらさらに借金を重ねることになるのだが、一度は自分のものになった金を取り返すことしか頭にない。

 “もうひと勝負だ!”と意気込むロベールと困ったような顔をする相手の男。

 二人が座るテーブルの近くに、唐突に手を叩く音が響く。それが拍手だと気づいたのは音の方に視線を向けてからだった。


「いやあ、よく言った! それでこそ男だ!」


 視線の先にはがたいのいい男が笑顔で立っている。


「は、はあ……どうも」

「わははっ、そんな変な顔しなさんな。俺はアンタの啖呵に聞き惚れちまってね。ちょっと手を貸してやろうと思っただけなんだよ。アンタにとっても悪くない話だろう?」


 どうやらロベールに金を貸してくれるという話らしい。しかも返さなくていいと。

 これ幸いとロベールは男から金を借りた。初対面の男から渡される尽きることがない金を手に、ロベールは目の前の勝負にのめり込む。

 店を出て男とその仲間に声をかけられるまで、返さなくていいのは賭け一回分の金だけだということには気づかなかった。



   ◇◇◇



 ロベールは借金を返すために、一度は捨てた娘を拾ってこなくてはならなくなった。

 実の子ども相手に物のような言い様だが、ロベールからすれば子は親のものである。もちろん、ロベール自身は親の物ではないが。


「黒狼のとこが怪しいよな」


 “娘がいる。連れて来るから、飼うでも売るでも好きにしてくれ”と言って、金を返せと迫る男たちから逃げたのはつい先日のことだ。

 実のところ、ロベールに子どもの当てはない。娘はいたが、ずいぶん前に魔の森に捨てたのだ。とっくに死んでいるだろうと思う。だから、必要な時にいないなんて本当に役に立たないガキだと思いはしても、今さら金になるとは考えもしなかったのだが……ある噂を聞いた。

 黒狼と呼ばれる冒険者の家に幼い少女が囚われている、と。


「まあ、本当にあいつじゃなくても売れりゃいいか」


 嘘か本当かわからない様々な噂が飛び交っていたが、当事者に近いロベールにはだいたいのことがわかった。

 おそらく、黒狼は魔の森に打ち捨てられた娘を保護したのだろう。お優しいことだ。なのに、幼女監禁疑惑が出るだなんて、そう思うと笑えてくる。


「問題は森に入れねえことだよな……」


 黒狼は仕事で辺境に行っているそうなので、娘を取り返すなら今が好機だ。だが、危険な森に入る度胸も能力もロベールにはない。もちろん、護衛を雇うような金もなかった。

 噂の通り娘が誘拐されたのなら騎士団に頼めるが――。


「っ、そうか! ギルドだ!」


 冒険者ギルドに依頼すれば、たいして事情を聞かれずに事がなせるだろう。

 そう思ったロベールはギルドを目指して意気揚々と歩を進めた。






 ロベールの企みは順調とはいかないまでも着実に進んでいる。

 さすがに怪しまれたのかギルドには断られたが、代わりに騙されやすそうな(カモ)がつれた。

 アベルと名乗った男はギルドの剣士らしく、“娘を攫われた父親”の話を親身になって聞いている。黒狼の知り合いだと知ったときは肝を冷やしたが、この様子だとロベールのことは疑ってもいないだろう。


「わかりました。必ずや、あなたの娘を助け出してみせます!」

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 娘を連れてくることを請け負ったアベルにロベールはぺこぺこと頭を下げる。

 そして、ちらりと上目で相手を見て“報酬のことなんですが……”と切り出した。


「いえ、とんでもない! ギルドを通していませんし、このようなことで報酬をいただくわけにはいきません」


 その言葉に、恐縮して見せつつも内心小躍りする。

 出会ってまだそれほど経っていないが、この男ならこう言うと思ったのだ。無報酬でいいなんて馬鹿な男だと心の中で嘲笑う。金というのはあればあるほどいいのに。


「なんとお礼を言っていいか……っ」

「お気になさらず。では、森に行く前にお嬢さんの名前を教えていただけますか?」

「名前?」


 娘の名を聞かれて初めて、あれの名前を忘れていたことに気づいた。

 一応、生まれたときにローズが付けた名前があったはずだが、呼ばないのだから忘れていても仕方ないだろう。だが、そんなことを正直に言ってしまったら今までの苦労が水の泡だ。

 思い出せないので咄嗟に思いついた名前を口にする。


「娘の名前ね、確か……じゃない、ええと……ロ、ロザリーです」


 言ってしまってから“しまった”と思った。

 あまりにありふれた名前だ、疑われてもおかしくない。


「ロザリー、多くの人に好まれるいい名前ですね。もともとは初代国王の王妃が――」


 何やら蘊蓄(うんちく)を語り始めたアベルに密かにほっとする。怪しまれてはいないようだ。


「ああ、そうだ。アベルさん」

「? 他に、何か心配事でも?」

「いえ、そういうわけではないんですが……これを」


 そう言って、アベルに“ある物”を渡した。

 ロベールとて、自分がいい親ではない自覚くらいはある。まだ娘が小さすぎるせいかそれでも親のことを慕っているようだが、黒狼の待遇如何によっては大人しく戻ってこない可能性だって考えた。

 だが、それでも。


「俺の物なんですが、娘が気に入ってましてね。これを見て父親のことを思い出してくれたら、と」


 今どんな暮らしをしているか知らないが、これを見れば嫌でもここに戻ってくるだろう。

 名前を覚えていなくても、それくらいには自分の娘のことをわかっていた。


 そして、ロベールの読み通りそれを見た彼の娘は大人しく父親のもとに戻ってくることになる。





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