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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
32/58

狼そのよん―再会まであと少し

 クロードを含む五人の男たちは敵陣に潜入していた。

 潜入しているのは全員が同じギルドのメンバーであり、何度かともに依頼(クエスト)をこなした仲だ。明らかに潜入に向かないアベルは別として、魔導師のマルセルやギルドでも異色の経歴を持つ二人――元暗殺者と亡国の元諜報員が一緒なのは心強い。


『クロードさん、角のところに二人います』

『わかった』


 見張りの気配を察知したらしいギーの言葉に頷く。さすが元暗殺者だけあって気配にはクロードよりも敏感だ。

 マルセルの魔法のおかげでお互いの声や足音が他に聞こえないようになっているため、潜入と言ってもたいした苦労もなく、見張りはクロードがすぐに片付けるので一行の足を止めるものは何もない。


『俺が()りましょうか? さっきからクロードさんに任せっぱなしですし』


 そう声をかけてきたギーにクロードは首を横に振って返した。

 フェリクスからはできるかぎり生け捕ってくれと頼まれている。ギーに任せたら殺してしまいそうだ。それに、クロード自身が何かをしていないと落ち着かないというのもある。剣を振るう以外にこの身を焦がす焦燥感をおさえる術をクロードは知らない。


『行ってくる』


 見張りの気配が感じられた頃、マルセルたちに声をかけたクロードは身を低くし強く地を蹴った。

 次の瞬間、地面に倒れ伏した見張りの男二人に驚くこともなく、ギーとハンスが男たちを縛り上げる。つまらなそうな顔をしたマルセルが無力化した見張りをポイッと亜空間に仕舞い、誰かが見かけてもすぐにはバレないように見張りの幻影を立たせれば、後は何事もなかったかのように進むだけだ。


『やけに人が少ないな』


 ぽつりとアベルが呟いた。クロードの剣筋が見えなかったらしく先程まで悔しそうな顔をしていたのだが割り切ったようだ。


『まあ、所詮は国境付近の商人の館だ。見張りと言ってもこんなものだろう。あまり物々しすぎても逆に周囲に怪しまれるだけだろうからな』

『それに商人自身は競売の方に行ってるみたいだしね』


 ハンスとマルセルの言葉通りここは闇組織に手を貸している商人の館だ。情報によると、商人自身は競売の方に行っているので不在で警備も手薄とのことだ。攫われた女性や子どもたちは館の地下にある牢に囚われているらしい。

 五人が潜入している理由は攫われた人々の保護。人数は少ないが皆ランクが高く、能力は折り紙つきだ。ハンスは第五王子とその従者の容姿を把握しているため潜入組に加わっている。


『ロザリーは地下にいるだろうか……』


 思わずといったように漏れたアベルの呟きにクロードは眉根を寄せた。


 ロザリーじゃない。そんな名前は知らない。


『あいつの名前はソニアだ』


 小さな小さな呟きは仲間の誰の耳に届くこともなく、明かり一つない暗闇に消えていった。



   ◇◇◇



 予想に反することなく、地下には何十人もの女性と子どもが囚われていた。

 アベルがその惨状にいきり立ったり、ギーが牢番を殺しかけたりといったハプニングはあったものの、一行はほどなくして牢の鍵を手に入れ、乱暴な手段に出ることもなく攫われた者たちを牢から出すことができた。


「良かったっ、このまま売られるのかと……」

「ありがとうございますっ、ありがとうございます!!」


 安堵の涙を流す者、しきりに感謝の言葉を述べる者、まだ呆然としている者……消音の魔法を解除し、助けに来たと告げたマルセルたちへの反応は様々だ。

 攫われた者たちに大きな怪我をしている者はいないようで、マルセルはホッと息を吐く。彼には法術が使えないので怪我を負わせることはできても治療することはできないのだ。魔術にも法術にも同じような魔法は多くあるが、治癒だけは魔術では行えない。


 そんな中を険しい表情で辺りを見回す男が二人。


「いない……な」

「君のお嬢さんもいないのか? こっちもだ。ディオン殿下もジルベール君もここにはいない」


 クロードの呟きを拾ったハンスが声をかけてくる。

 二人の言葉に、残りの三人も表情を引き締めた。


「参ったな……ここにいないとなると館全体を捜さなくちゃならない。クロード、俺はここにいる子たちを教会に送る準備をするから、その間にソニアちゃんと殿下を見かけてないか他の子に聞いて――」

「それは私が請け負おう! クロードに事情を聞かず、ロザリーを父親に引き渡してしまったのは私の責任だ」


 マルセルが言い終える前にそう言い、アベルは攫われた者たちに向き直る。


「誰か、ロザリーという名の少女を見なかったか!?」


 地下にぐわんと響く大声。

 “いくら周りに見張りがいないっていってもこの声はなー”とギーは思った。クロードは眉間の皺を深くし、マルセルとハンスは苦笑いだ。尋ねられた方も目を丸くしている。


「あっ、私……ロザリーです」

「わたしも」

「僕の妹、ロザリーって名前だけど……別の場所で売るって連れてかれちゃった」


 数人が手を挙げる。

 ロザリーはクラルティ王国とその周辺の国ではよく見られる名前だ。女性の名前と言われてまず真っ先に頭に浮かぶ名前の一つだといっても過言ではない。


「――ソニアだ」


 その声はさして大きくないにも関わらずよく響いた。


「ソニアという名の子どもを知らないか?」


 先程まで黙っていたクロードが周囲を見渡し尋ねると、子どもたちはお互いに顔を見合わせる。何か知っていそうな様子にクロードの視線が鋭さを増し、数人の子どもが怯えたように後ずさった。

 “ちょっとは気を抑えろ”とアベルが声をかける前に、一人の少女が毅然と手を挙げる。


「私、知ってるわ」


 周りの注目が一気に少女に集まるが、それを気にした風もなく少女は言葉を続けた。なかなかの胆力の持ち主だ。


「ソニアって私と同じくらいの歳の金髪の子でしょ? ここにいたけど、ちょっと前に連れて行かれたわ」

「どこに連れて行かれたかわかるか?」

「それは……わからない。私はここから出されなかったから」


 悔しげにその幼い顔を歪め、少女は俯く。

 年齢がソニアと同じくらいといっても一二歳は年上だろう、口達者な少女はロザリーと名乗った。

 囚われている間にひと悶着あったらしく、そのときに“あること”がわかってソニアは別室に連れて行かれたらしい。それを見ていた他の子どもや女性の補足もあり、かなり具体的にそのときの様子を知ることができた。


「誰かディオンって男の子は知らないか?」

「その子は知らないわ。でも、ソニアみたいに他の部屋にいるかも」

「そうか」


 尋ねてみたものの、知っている者がいるとは思っていなかったハンスはあっさりと引き下がる。いくら幼いといっても第五王子が本名を名乗るとは思えないし、商品価値の高い者を別室に入れているようだから期待はしていなかった。

 “ありがとう”と礼を言い、攫われた子どもを代表するように答えたロザリーの頭を撫でる――が、その手はすぐにはたき落とされた。


「子ども扱いしないで! 私は立派な淑女(レディ)なんだから、気安く触らないでよね!」

「す、すまん」


 腰に手を当てて怒りを露にする少女にハンスがたじろぐ。


「同じロザリーでも性格はまったく違うな」


 そんなハンスと少女のやり取りを見ながら呟かれたアベルの言葉に、やっぱりロザリーなんて名前はソニアには似合わないなとクロードは思った。






 攫われた女性や子どもとその護衛としてギーを教会に送り出したマルセルは重労働にやや疲れた顔をしながらもクロードに声をかける。もう一人くらい魔導師がいれば彼の負担も減ったのだろうが、今さら言っても仕方のない話だ。


「一応、転移魔法で全員送ったよ。あとはその子だけだ」


 マルセルが視線を向けると、ロザリーは硬い表情で押し黙った。


「…………」


 思わず、大人たちは顔を見合わせる。無言で“お前がいけ”という視線のやり取りが交わされ、年端もいかない少女の相手を押し付けあった。

 一番近くにいたアベルがしゃがみ込んで、ロザリーの顔を覗き込む。


「どうしたんだ?」


 アベルの心配げな顔に励まされたのかどうかはわからないが、ロザリーは思い立ったように勢いよく顔を上げ、自分の方を見る大人たちに宣言するように言い放った。


「私、まだここにいる。ソニアを探さなきゃ」

「いや、ここは危ない。その子のことは私達に任せて、君は早くご両親のもとへ帰った方がいい」


 ハンスがアベルと同様にロザリーの前に屈み込んで目線を合わせ、説得を試みる。

 “いい子だから”と頭を撫でるハンスにロザリーがにっこりと笑いかけるのを見て、アベルは説得を受け入れたかとほっとし、クロードとマルセルは嫌な予感がした。

 クロードとマルセルの予感通り、ロザリーに微笑み返したハンスを悲劇が襲う。


「子ども扱いしないでって言ったでしょ、おじさん!」


 少女が躊躇なく蹴り上げたのはまさしく男の急所と呼ばれるそこで。


「……っっっ!!」


 まさか年端もいかぬ少女から攻撃されると思っていなかったハンスは悶絶して地に沈んだ。

 近くにいたアベルは立ち上がり、顔を蒼くしてロザリーから距離をとる。その様子をみたマルセルはその気持ちはよくわかると内心頷いていた。

 そんな男の事情は露知らず、ロザリーはクロードの腕をつかみ、必死で訴えかける。


「おじさんたち、ソニアを探してるんでしょ? お願いっ、私も一緒に行かせて!」


 負傷したハンスは教会に送られ、ソニアと第五王子とその従者の捜索に可愛らしくも逞しい少女が加わった。



   ◇◇◇



 部屋の扉を開け、中に人がいないことを確認しては閉める。その繰り返しだ。


「もうっ、なんでこんなに部屋があるのよ!」


 一緒についてきた少女は大層ご立腹の様子で、子ども好きなアベルが必死に宥めているが効果は薄そうだ。

 唯一の例外を除いて子どもにもあまり寛容ではないクロードは、子どもに何か言うと煩そうなアベルを先に行かせ、ロザリーに冷たく言い放つ。


「嫌なら帰れ。お前のせいで進みも遅いうえ、大声で叫ばれちゃ迷惑だ」


 クロードの視線に一瞬びくりと身体を震わせた少女を見て、“子ども相手に何やってんだ”とマルセルが口を開きかける。

 しかし、マルセルが大人げない大人(クロード)を注意する前にロザリーは立ち直った。


「嫌よ! ソニアに会うまで帰らないんだから!」

「ソニアに会いたいのか?」

「当たり前でしょ! ソニアが連れてかれたのは私のせいだし……それに、友達だもん」


 この少女はソニアに対して罪悪感があるらしい。それに幼い友情も。

 ロザリーの話からするとソニアと接したのはそう長くない時間のようだが、彼女はソニアに確かな友情を感じているようだ。ソニアのことを思ってかやや辛そうな口調からロザリーがその“友達”を大切に思っていることがわかる。


「そうか」


 マルセルはクロードを取り巻いていた苛ついた空気が霧散したのを感じた。


「これが終わったらソニアを連れてお前の家まで会いに行ってやる。それでも帰らないか?」

「……おじさん、ソニアの家族なの?」


 他人(ロザリー)からすれば当然とも言える疑問。

 聞かれてもおかしくはないことなのに、なぜか虚を衝かれた。


「家族では、ない」


 そんな確かな(もの)は自分たちの間にない。離れてしまえば、クロードとソニアを繋ぐものは悲しいほどに何もなかった。

 親子や兄妹では有り得ず、まして正式な保護者や後見人ですらない。なんと言い表していいかわからない曖昧であやふやな関係。それがクロードとソニアの関係だ。本来ならば関係者だとすら言えないのかもしれない。


「家族でなくとも……俺はあいつの居場所になってやりたいと思ってるがな」

「ふーん」


 隣を歩く少女にこんなことを言ってもわからないだろう。けれど、言わずにはいられなかった。






「…………ん?」


 廊下の向こうから誰かが近づいてくる気配に顔を上げると、十二、三歳くらいの子どもが歩いてくるのが見えた。茶髪のあまり目立たない地味な容姿の少年だ。

 保護対象だと慌ててアベルが駆け寄っていく。

 クロードたちも足早に廊下を進んだ。ロザリーは小さな子どもを走らせるのも悪いかと考えたクロードに小脇に抱えられている。憮然とした顔をしているが暴れないのは彼女も疲れているからだろう。


「そうか、別の場所に……。他にもまだ子どもがいるかもしれない。君がいた場所に案内してもらえるか?」


 近づくとアベルと少年の会話が聞こえる。


「ごめんなさい。夢中だったから……どっちから来たのかわからないんだ」

「それもそうか。恐かっただろうに、思い出させるようなことを聞いて悪かった。答えてくれてありがとう」


 少年の言葉にうんうんと頷いた後、アベルはクロードたちの方を振り返って声を張った。


「マルセル!! この子も魔法で逃がしてやってくれ!」


 その声にマルセルが答える前に、クロードは少女が身を震わせたことに気づく。

 ロザリーの視線の先にはアベルと少年。今さらアベルに怯えるわけはなく、少年にしても偶然出会った相手を見るにしては明らかに様子がおかしい。ロザリーの瞳には隠しきれない恐怖とほんのわずかな怒りが滲んでいた。


「わかった! すぐに準備するよ」

「ああ、助かる。良かったな、君」

「はい! ありがとうございます!!」


 マルセルたちは気づいていない。

 ロザリーの怯えにも、にこやかに礼を言う少年の真意にも。


「……っ」

「どうした?」


 クロードは少女が喘ぐように唇を震わせたのを見逃さなかった。


「ノエ……っ」


 耳を澄ませていないと聞こえないほど小さな声。

 少女が呼んだ名前にはクロードにも聞き覚えがあった。



 ――それ、もしかして十二、三歳くらいの男の子供じゃねえか?


 ――特徴? ……すげえ普通の子供だったと思う。茶髪茶眼で……。


 ――そいつの名前は?

 ――えっと……確か――ノエ。



 頭で理解する前に身体が動いた。

 転移魔法を発動しようと杖を構えるマルセルを気にも留めず、クロードは少年に斬りかかる。


「っっ、うわあぁぁぁ!!!」


 斬られた少年の腕が血を流しながら無残にも地面に落ちる……ことはなかった。

 ノエと呼ばれた少年は斬られたはず(・・)の腕を抱え、思わずその場に蹲る。


「なっ!? なんてことを!!!」

「おいっ、クロード!?」


 いきなり保護対象(しょうねん)を斬りつけたクロードに憤るアベルと訝しげなマルセル。

 二人を片手で制し、クロードは蹲る少年に切っ先を付き付ける。少年を映す瞳には何の感情も浮かんでおらず、下から見上げていたロザリーは背筋が寒くなった。


「いたいけな少年に剣を向けるとは何事だっ! 見ろ、お前のせいで彼の腕が……うで、が――」


 今にもクロードに掴みかからんばかりの勢いのアベルの言葉が不自然に途切れる。

 彼の目にはどこも斬られた様子がないのに痛がる少年の姿が映っていた。その悲痛な叫びは演技ではありえない。しかし、斬られたはずの腕に傷一つないことも事実だった。血すら流れていない。


「一体、何を(・・)斬ったんだ……?」

「感覚だ」

「……感覚? 魔法も使わずそんなものどうやって――」


 ハッとしたようにアベルがクロードの剣を見つめる。

 それに応えるようにクロードは自身の魔剣を掲げてみせた。


「グラムは何でも斬れる魔剣じゃない。斬りたいものだけを斬る魔剣だ……この前まで使えてなかったけどな」


 魔剣本来の力を引き出したといとも容易く語る。

 クロードの言葉に、好敵手から大きく引き離されたように感じたアベルは知らぬうちに拳を強く握りしめていた。魔剣と対を成す聖剣を扱う者であるがゆえに、魔剣の完全な所有者となることの難しさをアベルはこの場にいる誰よりもよく知っている。

 アベルの複雑な心中など知らず、クロードはこちらに一瞥すらくれない。


「はあぁぁ……クロード、その子がノエなんだったら俺たちにも声くらいかけてよ」


 ロザリーから事情を聞いたらしいマルセルはそう言って、ノエに捕縛の魔法をかける。これ見よがしな溜め息が鬱陶しいなとクロードは思った。


「逃げられたら困るだろ」

「まあ、そうだけど。突然すぎるって」

「はっ、私はまたしても好敵手たるお前を疑って……っ」

「いや、アベル君。そういうのはもういいから」


 わいわいと騒ぎ始める大人たちに少女の声がかかる。


「ちょっと! ソニアを捜しに行くんでしょ! ノエなんて放っておいて早く行くわよ!!」


 いつのまにか、子どもに先導されている一行だった。






 捕縛したノエからわりと鬼畜な方法でソニアたちの居場所を聞き出したクロードはマルセルとアベルにノエを任せ、一人でソニアの救出に向かうことにした。

 ちなみに、クロードがノエから話を聞くときはアベルが必死にロザリーの目と耳を抑えていた。


「いやよ! 私、ソニアに会うまで帰らないって言ったでしょ!」

「足手まといだ」

「……っ」


 クロードの無情な一言にさすがのロザリーもぐっと押し黙る。


「――……てくれるの?」

「?」

「本当に、後でソニアに会わせてくれる?」


 ロザリーは“これが終わったらソニアを連れてお前の家まで会いに行ってやる”というクロードの言葉を覚えていたらしい。

 挑みかかるようにクロードを見上げてくる。


「ああ」

「本当に?」

「ああ、本当だ。……そんなに心配ならこれを持っていけ」


 ロザリーに手渡されたのは花のような形の石。

 クロードもマルセルもアベルも、それが魔石で元はソニアが持っていたものだと知っている。


「何? 綺麗ね、これ」


 “高そう”と子どもらしからぬ感想をもらした少女に呆れた眼を向けながら、彼女と目線を合わせるためにクロードはその場に屈み込んだ。

 クロードにとって、この魔石はソニアのものだ。だが、ソニアの友達だというこの少女になら貸してやってもいいだろう。自称友達(いっぽうつうこう)ではないことはソニアに訊かなくても彼女の様子を見ていればわかる。


「それはソニアのだ。だから、ソニアと一緒に返してもらいに行く。それまで大事に預っといてくれ」

「ソニアの……?」

「ああ」

「……いいわよ。預っておいてあげる」


 ロザリーは魔石をぎゅっと握り込む。


「早く来ないと私がもらっちゃうからってソニアに伝えておいてよね!」


 そう言ってくるりとクロードに背を向け、ロザリーはマルセルのもとへ駆けた。

 すでに転移魔法の準備は整っている。魔法陣の上に立っているのはマルセルだけだ。アベルはノエを連れて先に行ったらしい。

 魔法陣から放たれる光ににロザリーたちの姿が消えていく。


「ちゃんと、ソニア助けてよね!!!」

「ああ――約束する」


 最後に浮かべたロザリーの笑みにソニアの笑顔が重なった気がした。



   ◇◇◇



「ねえ、あの黒いおじさん、約束守ってくれるかな?」

「守ってくれるさ。あいつは薄情そうに見えて約束は守る男だ。何せ、私の生涯の好敵手だからな!」

「ふーん。ずっと思ってたけど白いおじさんって暑苦しいわよね」

「なっ!?」

「………ぶふっ!!」

「マルセル殿!?」

「あははっ、ずっと我慢してたけどもう無理!! “おじさん”に“暑苦しい”って、ロザリーちゃんサイコー!!」

「変な帽子のおじさん、気安く淑女の名前を呼ぶものじゃないわ。それに、ちゃん付けって子ども扱いされてるみたいで嫌だから止めてくれる?」

「……すごい子だね、君は」

「あら、今頃気づいたの?」

「………………」



 ――――約束を胸に、クロードはソニアのもとへと疾駆する。





《 クロード視点 》


 ノエから聞き出した場所へ向かう途中、広い廊下に子どもの声が響いた。

 声から緊迫した雰囲気が伝わってくる。なにやら言い争っているようだ。


 男の子ども(ガキ)の声……第五王子か?


 クロードが足早に声の方へ向かうと、そこには二人の少年と柄の悪そうな男がいた。

 争っているようだが、大の男には敵わないのか少年二人は劣勢だ。彼らが大きな怪我をする前に助けなければならないが、下手にクロードの存在がバレるとまずい。人質にとられる可能性がある。

 ノエの言っていた部屋は三人の向こうに見える階段を上ってすぐだ。おそらく、ソニアはそこにいるのだろう。


「俺はもう終わりなんだ……! どうせならお前らも道連れにしてやる!」


 そう言って男が短刀を振り回す。

 正面から館に突入した部隊が取り逃がしたのだろう。自分が捕えられることは悟っているようだ。


「逃げろっ、テオ! 俺が足止めしてる間に……っ、早く!!」


 茶髪の少年がもう一人の少年に向かって叫んだ。

 ハンスの言が確かならば、彼が第五王子の従者のジルベールだ。

 栗毛のおかっぱ頭に目を開いているのかいないのかわからない糸目。なんとなく、狐に似ているなとクロードは思った。

 そして、王子の従者が庇うということは――。


「ジルを置いていけるわけないだろう!」


 この少年が第五王子なのだろう。

 フェリクスのように腹の黒そうな顔ではないが、癖のある金髪と太々しそうな顔がそっくりだ。子どもらしい可愛さと愛嬌のある顔立ちだと彼の兄(フェリクス)は言っていたが、クロードには愛嬌があるようには感じられなかった。やはりブラコンの戯言だったようだ。


「安心しろよぉ……お前ら二人()った後、上のガキもおんなじように殺してやるから」


 クロードの眼が鋭さを増す。

 やはりもう一人、上の部屋に子どもがいるらしい。男の言う“上のガキ”とはおそらくソニアのことだろう。


「ふざけるなっ!! 僕たちはお前みたいな男に殺されないし、ソニアのところにも行かせないぞ!」


 第五王子と思わしき少年の言葉にクロードが反応する。

 ソニアが近くにいる。それは確かなことのようだ。


「へへっ、子どものくせに騎士気取りかっての!」


 この男はさっきなんと言っていた?

 ソニアを、殺す?


「……ぐっっ!!!」

「っ、ジル!!!」


 第五王子を庇った従者の少年の腹に男の靴がめり込んだ。男の蹴りに、幼い身体は簡単に吹き飛ばされる。

 自分が蹴り飛ばした少年には見向きもせず、次はお前だと言わんばかりに男はもう一人の少年に殴りかかった。


「死ねえぇぇ!!」


 咄嗟に、少年は目を閉じて身体を強張らせる。避けようにも間に合わないと悟っていた。


「クズが。死ぬのはお前だ」


 目にも留まらぬ速さで少年を背後に庇い、クロードは男に向かって剣を一線する。確かな手応えがあった。

 どさりと音を立てて倒れた男に視線を落とすが、死体のように動かなくなったそれは目立った外傷もなく流血すらしていない。意識を刈り取っただけだが、法術でも使わないかぎり目を覚まさないだろう。ただ、念のために斬り付けたときに男の手から落ちた短刀を遠くに蹴飛ばしておいた。


「!?」

「怪我は?」

「えっ」


 いきなりのクロードの登場に戸惑う第五王子。目を開けたら拳を振りかざしていたはずの男が地面に伏していたのだから、戸惑うのも無理はない。

 クロードは面倒臭いと思いつつ、仕方なく冒険者ギルド・ヴァナディースの剣士だと名乗ったうえでもう一度質問した。


「怪我はないか?」

「あっ、ああ。僕に怪我はない。だが、ジルが……」

「俺は平気ですよ、殿下」


 立ち上った従者が腹を押さえたままよろよろと歩み寄ってきた。

 第五王子がすぐさま駆け寄る。


「ジル!!」

「あいつの蹴りに合わせて飛んだのでそんなに強くいっていませんし、一応受け身も取りましたから」


 従者の言葉に安堵したのか、第五王子は溜め息を吐いた。そして、従者共々クロードに向き直り頭を下げる。


「黒狼のクロード、僕とジルを助けてくれたことに感謝する」

「ありがとうございます。かの有名な“黒狼”に助けてもらえるとは思いませんでした」


 フェリクスがこの場にいればヤンチャな弟に説教くらいしたかもしれないが、クロードはこの二人に興味がない。助けたといってもフェリクス直々に頼まれたからである。無論、クロードとて暴漢に襲われる子どもを無視して通り過ぎるほど冷血漢ではないが。


「礼はいい。ついでだからな」

「……ついで?」


 少年達は二人揃って訝しげな顔をした。


「ソニアという少女を知っているか?」

「っ、お前はソニアの家族か何かなのか!? そうか、彼女を助けに来たんだな」

「ソニアならこの上の小部屋にいます。俺達は見張りが戻って来ず、館内が騒がしいので部屋から出たのですが……」


 階段を降りたところでさっきの男と鉢合わせしたらしい。

 ソニアの情報をもらったことに礼を言い、階段を駆け上がる。保護対象の二人を置き去りにしたままだが、まあ近くに敵の気配はないし大丈夫だろう。十にも満たない子どもとはいえ王族とその従者なら、勝手にそこらを歩き回るほど無謀ではないはずだ。


 クロードにとっては王子なんか些末事で、もっと大事なことがあった。

 余裕なんてずいぶん前からなくなっている。今まで平気なふりをしていただけ。そのふりですら完璧ではなかったけれど、何よりも大切なものがこの上にあるとわかって悠長になんかしていられない。


「ソニア……っ!」


 自分でも驚くほどに切羽詰まった声に己の焦りを知る。

 階段を上がって扉を開くまでがやけに長く感じた。扉の取っ手に手をかけたクロードは自分を呼ぶ声に手を止める。


「っ……おおかみ、さん?」



 ――――ずいぶんと長い間、ソニアの声を聞いていなかった気がした。





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