表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
30/58

狼そのに―赤い花の行方

 クロードとマルセルはとにかく詳しい事情を把握しようと、ソニアの父親とソニアを連れ出した冒険者であり既知の間柄でもあるアベルを捜すことにした。

 固まって動いては効率が悪いため、ひとまず二手に分かれる。落ち合う場所だけを決め、マルセルはアベルを捜しに、クロードはソニアの父親を捜しに街へと降りた。




 辺りを見回したクロードは何の収穫もないことに溜め息を漏らした。それに気づいたのか、道の端に無造作に置かれた木箱に留まっていたシュテファンが悄気た様子で声をかけてくる。


「すみません、某がソニアのお嬢を見失ったせいで……」

「いや……別にお前のせいじゃない」


 クロードはシュテファンの案内で、ソニアの父親が破落戸(ゴロツキ)たちにソニアを引き渡したという裏路地に来ていた。

 彼らの落とした物でもあれば手掛かりになったかもしれないが、すえた匂いのする裏路地には彼らがいたという痕跡一つない。一応、シュテファンが最後にソニアの父親を見た場所であるここに来てみたが、残念なことに父親は見つからなかった。用が済んでもうとっくに移動しているのだろう。


「ここはもういいだろう」


 当てが外れたことに落胆しつつも、クロードはもう一度辺りを見回してからシュテファンに次の目的地へ移動することを告げる。


「シュテファン、酒場まで案内してくれ」


 クロードが言う酒場とは、魔の森からソニアを連れ出したアベルがソニアの父親と落ち合った場所のことだ。ソニアの父親が娘との再会に選んだ場所に眉を顰めたくなるが、だからこそそこが父親の行動範囲内である可能性は高い。


 ソニアの父親、か。見つけたら――。


 物騒なことに考えを巡らせつつ、クロードは返事代わりにひと鳴きして飛び立ったシュテファンを追い、寂れた裏路地を後にした。






「クロードの旦那」


 酒場へ向かう途中、前を飛んでいたシュテファンが失速してクロードの方へ来た。

 クロードはシュテファンの呼び掛けにややぶっきらぼうに答える。


「なんだ」

「ソニアのお嬢はクロードの旦那のこと待ってると思いますよ」

「……っ」


 唐突なシュテファンの言葉に、クロードは息を詰めた。


「………………」

「………………」


 どちらも言葉を発さないまま、どれくらいの間があったのか。

 クロードは一言言ったきり黙って前を飛ぶシュテファンに気づかれないように小さく息を吐き出した。


「……なんで、わかるんだ?」

「クロードの旦那の留守を預かってたのは某ですからね。家を出るときソニアのお嬢が辛そうだったことくらいわかります。クロードの旦那がソニアのお嬢を大切に思うように、お嬢も旦那のことを大切に思ってますよ」


 ソニアのことはソニアにしか分からない。

 けれど、少なくともシュテファンには――クロードの次にソニアの傍にいただろうシュテファンにはそう見えたということで。


「そうか……そうだと、良いな」


 絞り出すようにそれだけを言って、クロードは目を閉じた。気づかぬうちにできていた眉間の皺は、気づかぬうちに消えている。

 おしゃべりなカラスは酒場に着くまで珍しく黙ったままだった。



   ◇◇◇



 昼過ぎ。夕方というには少し早い時間。

 クロードとシュテファンが向かった酒場は、口開けにはまだ早いはずだが、常連らしき数名の客を迎え入れていた。

 小さな酒場だ。店の戸に掛かった閉店の文字にも怯まず入って来たクロードに視線が集まる。


「お客さん、悪いがまだ…」

「人を捜しに来ただけだ」


 開店前だと告げようとした店主の言葉を遮り、端的に用件を告げる。そう珍しいことではないらしく、店主や客の眼は他に移っていった。


「シュテファン……いるか?」


 クロードの問いに応えるように、客に代わる代わる目をやっていたシュテファンの視線がある一点で留まる。

 その視線の先には、一人の男。カウンターから離れた席に座り、同席している男と賭けに興じている。羽振りがいいのか、テーブルの上には何本も口の開いたボトルが置かれていた。


 ――そこか。


 さながら獲物を見つけた獣のようにクロードの眼光が鋭さを増す。

 クロードがそのテーブルに近づくと、何か勘付いたらしい男が椅子を蹴飛ばして立ち上がった。蒼褪めた顔でこちらを見ているが、クロードの目的とは違う男だ。

 その男の反応で、クロードは自分が殺気を放っていることに気づいた。相手に逃げられてもおかしくない失態に内心苦笑する。幸いなことに、クロードが目的とする男は鈍いらしく、突然立ち上がった同席者に訝しげに声をかけていた。


 まあ、逃げようとしても逃がさねえけどな。


 ランクの高い魔物を追うことに慣れたクロードから逃げるのは至難の業だ。せいぜい小悪党といった風情の男が逃げられるものではない。

 クロードは音もなく一瞬で間合いを詰め、ソニアの父親らしき男を掴み上げた。


「っ!?」


 クロードの双眸に、ソニアの父親らしき男の驚いたような顔が映る。無理やり立たされる形になった男は襟を掴まれ、苦しそうにもがいた。掴み上げられているせいで足は爪先しか床についていない。


「……クソッ、一体何なんだ?」

「シュテファン、この男で合ってるか?」


 クロードは男の問い掛けを無視し、遅れてテーブルに留まったシュテファンに確認した。その間も、クロードが男から視線を逸らすことはない。

 普通よりやや大きいカラスにまじまじと見つめられて居心地の悪い男は、無視された憤りも手伝い、声を荒げようとしたが、クロードに威圧されて硬直した。


「はい、間違いなくソニアのお嬢の父親だと名乗っていた男です」


 クロードの眼が細まる。

 男の口からヒッという情けない声が漏れた。


「お前、ソニアを……自分の子どもを売ったか?」


 まるで秘密でも話すように男の耳元で囁く。


「……っ!!」


 男の身体が大きく反応した。その様子にクロードは確信する。


 こいつだな。


「……っ、な、何のことだ」


 クロードが己の動揺から黒と断じたことを知らない男は、すぐに気を取り直してしらばっくれようとした。表情こそ取り繕っているが、その口調には隠しきれない焦りが滲んでいる。

 この国では人身売買は犯罪だ。クロードの事情を知らずとも彼が焦って否定するのは当然と言えた。


「話がある。俺についてきてもらおうか」

「あ、あんた騎士か!? 俺は何もやってない!!」


 男が叫ぶように言うと、その大声に周りの数名の客が煩そうに顔を顰めた。カウンターの向こうに立つ店主は慣れているのか、眉一つ動かさずグラスを磨いている。

 ソニアの父親らしき男と同席していたはずの男は面倒事は御免だとばかりに自分のグラスを持って他の席へと移動していた。


「俺は娘を売ったりなんてしてない!」

「黙れ」

「俺じゃないっ、俺は悪くないんだ!!」


 クロードを騎士か何かだと勘違いし、捕まるものだとすっかり思い込んでいる男はなおも喚き続ける。


「……チッ」


 自分が短気である自覚があるクロードは舌打ちし、苛立たしげに髪を掻き上げた。今は気に食わない男の喚き声を聞いていたい気分ではない。

 握りこんだ拳を一発、男の鳩尾に入れる。


「っ!!」


 声もなく倒れる男を支え、肩に担ぐ。クロードは顔色一つ変えなかったが、意識のない男の身体はそれなりに重い。

 男がソニアにしたことを考えると殴るだけでなく蹴り飛ばしてやりたいくらいだったが、事情を聞く前に話せなくなっても困る。魔剣に手を掛けなかったことを感謝してほしいくらいだ。


「……面倒くせえ」


 そう呟き、クロードは不安げな――おそらくクロードがキレないかという不安だろう――眼で自分を見つめるシュテファンの頭を男を担いだのと反対の手で軽く撫でた。

 驚いたように眼を見張ったシュテファンに、柄じゃなかったとまた舌打ちする。……ここ最近のことで癖になっていたようだ。


「騒がせて悪かったな」


 カウンターに近づき、店主に詫びを入れる。


「いえ、よくあることですから」

「この男はよくここに来るのか?」

「月に一、二度くらいですかね。他に行きつけがあるようですよ」


 店主はクロードに担がれた男に目を向け、数瞬の後にそう答えた。

 男の分の酒代を払おうとするクロードに、店主はここは先払いだと告げる。どうやら飲み逃げする客が多いらしい。“今日はどうも羽振りが良かったようで”と続けられた言葉に、男が金を持っていた理由に心当たりのあるクロードは眉を顰めた。

 子どもを売った金で酒盛りとは、いい趣味をしている。元からわかってはいたが、性根の腐り切った男だ。反吐が出る。


「これは迷惑料だ。他の客に奢ってやってくれ」


 店主の話をあらかた聞き終えると、クロードはそう言って金貨をカウンターに置いた。


「多い分は口止め料だ。ああ……躾けのなってない客がいるのなら俺が直接頼むが」


 多過ぎると固辞する店主にそう返し、“躾けのなってない客”を捜すように店内を見回す。クロードの言葉と視線に何人かの客が顔を蒼褪めさせた。


「いえ、この店のお客さん方は酒の飲み方を心得た方ばかりですので」

「そうか。邪魔したな、これで失礼する」


 口止めはしたものの、念のためであってとくに追求することでもない。そう判断したクロードは踵を返した。

 カウンターに背を向けたクロードに店主の声がかかる。


「ああ、お客さん。その人、方々(ほうぼう)で金を借りてるみたいですよ。いらぬ世話でしょうが、性質(タチ)の悪い輩とも付き合いがあるようですから気をつけた方が良い」


 こいつにとって一番性質が悪いのは俺かもしれないがな。


 担ぎ上げた男の行く末を思って、クロードはひっそりと嗤った。その剣呑な笑みに店主が息を呑んだのを見て表情を戻す。


「ああ……助言、感謝する」


 シュテファンが自分の後に続いているのを気配で確認しつつ、クロードは振り向くことなく酒場から出た。






 酒場を出てすぐに、クロード目掛けて何かが飛んでくる。難なくそれを掴んで止めたクロードはシュテファンを呼んだ。


「あ、主殿からの伝言ですね」


 クロードの手のひらにある黒い羽根を見て呼ばれた理由を察したシュテファンが羽根を突くと、黒い羽根は光を放って消え、どこからともなくマルセルの声が響く。


『アベル君を発見。ギルドに連行中』


 羽根に託されていた伝言にクロードは“意外と早いな”と独りごち、歩みを速めた。



   ◇◇◇



 冒険者ギルド・ヴァナディースは魔物の討伐で有名なギルドの一つだ。

 辺境のギルドながら、魔物被害の多いクラルティ王国でも有数の討伐数を誇る。討伐数の多さには、魔の森に隣接する街・エトルタにギルドが置かれていることが関係しているのだろう。

 また、エトルタ唯一の冒険者ギルドであるヴァナディースには実力者が多く、国内に三人しかいないSランクの冒険者を二人有しているのもこのギルドだった。


 そんなギルドゆえに、ギルド員も所属する冒険者も多少のことでは動じない者が揃っているのだが、今日は少々様子が違う。それも(ひとえ)に、殺伐とした空気を放つ一人の剣士のせいだろう。




 クロードがマルセルと合流し、アベルとソニアの父親の事情聴取を始めてからすでに一刻ほど経っていた。

 マルセルとしては応接室でも借りてじっくり話を聞きたいところだったのだが、ソニアの身を案じるあまり気が急いているクロードによりギルドのロビーでの強制事情聴取と相成った。……マルセルには周りの“え、あいつら何してんの? 尋問?”という声が聞こえたが、クロードの耳には届かなかったようなので、悪気ないギルドメンバーの台詞は今もマルセルの胸に秘められている。主に彼のために。


 クロードが連れて来た――というより担いで来たソニアの父親はなぜか気絶していた。

 ソニアの父親が気絶している理由については、マルセルが困惑の視線を向けても彼の従順な使い魔はその嘴を背けるばかりである。そのため、仕方なく、まずはアベルの話から聞こうということになったのだが……ある失言のせいで彼は現在床に伏している。

 アベルはきっと己が殴られた理由に気づいていないだろうが、彼のせいでこの場の空気が数度ほど下がったのは確かだ。周りでクロード達の話に聞き耳を立てている者の中には相変わらず迷惑なやつだと思った者も多い。


 アベルが気絶してしまったため、二人はこれまた仕方なく、ソニアの父親から話を聞くことにする。アベルの話については、元々マルセルがギルドまでの道中でアベルから事のあらましを聞き出していたこともあり諦めることにした。思い込みの強い、しかもソニアの父親に騙された形になったアベルの知ることは少なく、クロードもマルセルも連れて来るんじゃなかったと思ったとか思わなかったとか。


 絶賛気絶継続中だったソニアの父親を起こす段階でクロードがやや荒っぽい方法を取り、ギルド内が騒然となったが、相棒であるマルセルはそっと目を逸らした。可愛い女の子ならともかく、絵に描いたような最低男を庇う趣味はマルセルにない。




 目を覚ましたソニアの父親らしき男は怯えつつもロベールと名乗り、クロードとマルセルの質問に答えた。

 ロベールの言葉を信じるなら、彼は事実ソニアの――クロードとマルセルが“ソニア”と呼ぶ少女の父親であり、我が子を捨てた男だった。


 ロベールは娘の名前は“ロザリー”だと語る。

 “確か”や“たぶん”と言葉尻に付けたことについて追及すると、滅多に呼ばないため父親だというのに娘の名前を忘れたらしい。名無しでは困るのでアベルに娘を捜してもらう際、適当な名を付けたそうだ。

 生まれたときに付けた名前は、母親なら知っているかもしれないが、彼女は夫であるロベールの金を持ちだした挙句夜逃げしてしまったらしく、行方はわからないということだった。


 変に事を隠そうとするせいでロベールの話は遅々として進まない。話の核心とも言える場所に辿り着いたのは、話を聞き始めてずいぶん経ってからだった。


「――で、つまり、娘がいるって聞きつけた奴らに“娘を渡したら借金を帳消しにしてやる”って持ちかけられたわけね」

「あ、ああ。……お、俺だって娘を売りたくなんてなかったんだ! だが、仕方なく……」

「アンタがどう思ってたかなんて聞いてないよ。そんな戯言、聞く価値ないしね」


 言い訳を始めようとしたロベールを、マルセルはばっさり切り捨てる。あまり表には出さないもののソニアのことに関しては彼も怒っているのか、彼にしては刺々しい口調だ。

 話していると手が滑りそうだという理由で事情聴取をマルセルに任せたクロードは、黙って二人のやり取りを聞いている。マルセル以上に憤っていてもおかしくない彼は不自然なくらいに静かだ。


「さっさと売った相手の情報吐いてくれる?」

「………………。…………わからない」

「ああ?」


 マルセルの質問に対し、たっぷり黙り込んでからそう答えたロベールにクロードの苛立たしげな声がかかった。

 その地獄の使者の如き声に脅された気になったロベールは取り繕うように焦って言葉を続ける。


「ほ、本当に分からないんだ!! 名前も聞かなかったし、引き渡す場所も向こうの指定だった!」


 まるで物を渡すかのような言い様に、知らずクロードの眉根が寄った。


「金を借りた相手とは別だって言ってたよね。じゃあ、そいつらとはどこで知り合ったの?」

「賭けで金を増やそうとして……ま、負けを取り返そうとしてたら向こうから声をかけてきた。隣町の酒場で、そこにはよく行くんだが、声をかけてきたのはそれまで見かけたことない(ヤツ)だった」

「何か特徴とかなかった?」


 ロベールは考え込みながら、髪形や瞳の色、必死の形相で思い付く限り男の特徴を挙げていく。

 時折ちらちらとクロードの様子を窺っていることから察するに、答えられなければ自分が害されると考えているらしい。……まあ、間違ってはいない。クロードが本気でキレれば、この事情聴取という名の尋問がいつ拷問に変わってもおかしくないのだから。


「引き渡しのときは……向こうの人数は五人で、全員この辺りでは見ない顔だった」

「もう一人、後から来ませんでしたか?」


 いきなり口を挟んだシュテファンにロベールは面食らったように目をぱちくりとさせる。


「へ? ……あ、ああ、そう言えば、最後にもう一人来たな。でも、ガキだったし、五人のうちの誰かの弟か子どもだろ」

「ちょっと待ってくれ。今、子どもって言ったか? それ、もしかして十二、三歳くらいの男のガキじゃねえか?」


 今度は近くで立ち聞きしていたギルドメンバーの一人が口を挟んだ。

 茶色頭に巻かれた変な柄のバンダナが印象的な男だ。クロードとマルセルは、彼の名がブラスで、ギルドでもよくからかわれている変な柄のバンダナは彼の最愛の妻からの贈り物だと知っている。


 ロベールは戸惑いつつも、身を乗り出して会話に割り込んできたブラスの問いに頷いた。


「何か知ってるのか?」


 クロードはロベールから視線を外し、何やら難しげな顔をしているブラスに尋ねる。


「もしかしたら、だが……そのガキ、暗黒街のボスの子飼いじゃねえかな」

「暗黒街のボスってツェーザルか? アイツの子飼いに頭の切れるガキがいるって話、オレも聞いたことくらいはあるが、考え過ぎだろ」

「そうよ、子どもって言うだけで決めつけるのは早計だわ」

「だから! もしかしたらって言ってんだろうが!」


 ブラスの言葉を皮切りに、周りで話を聞いていたギルドメンバーたちが話に加わり、やいのやいのと騒ぎ始めた。今まで口を挟まなかったのが信じられないくらい、皆クロードたちの話に興味津々だったらしい。

 収拾のつく様子のないギルドメンバーの会話に、マルセルは“あちゃー”と頭を抱えた。……だからロビーでは話したくなかったのに。

 ちらりとクロードに視線を向けるが、意外にも苛立った様子はない。不自然なくらいに平然としている。それにマルセルが違和感を覚える前に、クロードが口を開く。


「その子ども、何か特徴あったか?」

「特徴? ……すげえ普通のガキだったと思う。茶髪茶眼で……あっ」

「何?」

「なんだ、どうした?」

「何か思い出したの?」


 問いかけたクロードより他のギルドメンバーの方が食いつく。その勢いに呑まれたように僅かに上体を後ろに引いたロベールの背中が椅子の背に当たり、彼の座る椅子がギシッと音を立てた。


「い、いや……何かミョーに偉そうなガキだったな、って」


 あまり重要でなさそうな情報に数人が肩を落とす。

 しかし、その後にぼそりと付け加えられた言葉に、ロベールの向かいにいたクロードとマルセルが反応した。


「他のヤツに“様”とか付けられてたし……」

「そいつの名前は?」

「へ?」


 ポカンとしているロベールに苛立ちつつ、クロードは同じ質問を繰り返す。


「敬称付けられてたっつうなら名前聞いてるだろ。そいつの名前は?」

「えっと……確か――ノエ」


 ロベールが名前を告げた途端、あれほど騒がしかったロビーがしんと静まり返った。その静寂は、ロベールの告げた名がブラスの予想通りであったことを肯定しているようなものだ。


 破られることのない静けさの中、ロベールはふと風を感じた。

 気がつくと、ロベールの前にはテーブルを挟んだ向かいに座っていたはずのクロードが立っている。何の感情も見えてこないクロードの表情に背筋がゾクリと泡立った。かたかたと音を立てて身体が震える。ロベールを見つめるその瞳に怒りの色は見えない。けれど、ロベールはどうしようもなく目の前の青年が怖かった。


「ブラス、ツェーザルの子飼いの名はノエで合ってるか?」

「あ、ああ」

「そうか」


 クロードは静かに問うたが、なぜか辺りの空気は張り詰めたものになる。ピンと張った糸のような緊迫感を孕んだ空気に怯みつつ、ブラスは首肯した。

 短く相槌を打ったクロードを見て、場の空気に呑まれかかっていたマルセルがハッと我に返る。


「落ち着け、クロード!」


 マルセルの声は場違いなほど大きく響いた。

 一見、クロードは至って冷静であるかのように見える。彼の黒い眼は何の感情も映しておらず、凪いだ湖面のように静かだ。

 ――しかし。


「じゃあ、もうこいつに用はないな」


 凪いだ瞳の奥は抑え切れないほどの怒りに燃えていた。




 空気が動く。

 マルセルもブラスも、その他のギルドメンバー達もロベールの死を覚悟した。……本人でさえも。

 ガンッという硬質な音とともに、ぎゅっと固く目蓋を閉じたロベール以外の者の視界に鮮やかな赤が舞う。


「…………っ」

「ハッハー!! 隙だらけだぞ、黒狼!」


 高らかにひとを揶揄するその声に何人かがホッとしたように息を吐いた。

 おそるおそる目を開いたロベールの眼前には先程までいなかった人物。獅子の(たてがみ)をほうふつとさせる紅い髪に、持ち主の身体より大きな大斧を担いでいる。

 そんな女性を彼らは一人しか知らない。


 クロードはやや悔しそうな表情でギリッと奥歯を噛み締めた。


「……ギルドマスター」


 クロードの剣を防ぎ、その大斧で彼の身体を弾き飛ばしたのは、冒険者ギルド“ヴァナディース”のギルドマスターにして数少ないSランクの冒険者の一人であるオルガだ。


「お前があたしの攻撃を食らうとは珍しいな?」

「食らってない」


 オルガのからかいに、クロードは盛大に顔を顰めた。


 事実、振り下ろされた大斧を防いだクロードは衝撃で飛ばされたものの攻撃は食らっていない。

 だが、先程いた場所より数歩離れたところに弾かれたことと拗ねたように顔を逸らす様から、かなり危うかったことがわかる。クロードが完全に油断していれば、大怪我では済まなかっただろう。

 いくらギルドマスターでもそのときは手加減してくれただろうなどとは誰も思わない。そんなところが、オルガがオルガたる所以である。彼女のギルドに所属する者はみな、自分たちのギルドマスターのことを正しく認識していた。


 オルガは仁王立ちで宣言するように堂々と言い放つ。


「話は聞かせてもらった!」

「………………」

「………………」


 ギルドメンバーの微妙な沈黙が痛い……などと考えるような柔な神経を、オルガはしていない。

 周りの視線とそれこそひとを殺せそうなクロードの視線を受け止めて、余裕の笑みを浮かべている。


「なら、邪魔するな」


 そう言い捨てオルガをひと睨みしたクロードは、蒼褪めた顔で震えているロベールに視線を向けた。そして、“クロード!”と呼び掛けるマルセルを無視し、魔剣を構える。

 こんなクズが一人死んだって世界は何も変わらない。クロードの気が少し晴れるだけ。目の前のゴミを処理したって何にもならないとわかっているが、この男が今息をしていることすら許せなかった。泣き叫ぶほど痛めつけて、クロードの大切な子が心に負った傷よりも深い傷を負わせて、最後に剣を突き立ててやりたい。


「お前のしたいことは何だ?」

「……あ?」


 したいことなんて、そんなの決まっている。


「その男を殺すことか? それとも、お前の大事な“赤い花”を助けることか?」

「…………っ」

「すべきことを見失うなよ、クロード。闇で売られた子どもがどうなるかくらい知っているだろうが」


 オルガは滅多に他人を名前で呼ばない。勝手に自分で付けたあだ名か二つ名で呼ぶのが常だった。ふと、クロードは思う。彼女に名前を呼ばれたのはいつ振りだったか、と。


 黙り込んだクロードをどう思ったのか、オルガはしばらくじっとクロードを見つめていたが、にっと笑って二つ指を立てた。ピースでもしているようだが、いくらオルガでもこんな場面でピースするほど空気が読めないことはない……はずだ。


「さて、選択肢をやろう」


 オルガはよく相手に選択肢を示すが、基本的に自分が望んでいる方しか選ばせる気がない。それを、クロードも周りで聞いているギルドメンバーもよく知っていた。


「大人しくあたしと愉快な仲間たちに協力を頼むか、一人で突っ走って大切なものをなくすか……選べ。ちなみに、返事がなかった場合は前者を選んだものとする」


 それを聞いたクロードはほんの一瞬、目を閉じる。瞼の裏に浮かんだ笑顔に、決意は固まった。

 ――したいことなんて、そんなの決まっている。


「あいつを助けたい。……頼む、手伝ってくれ」


 そう言って、クロードは周りを見回す。マルセルを筆頭に目が合った全員が頷きを返した。

 最後はオルガと目が合う。


「…………」


 そのまま黙って深く頭を下げた。

 頭を上げると満面の笑みのオルガと再び目が合う。


「おう、任せとけ!」


 力強い声が辺りに響いた。






 しばらくの間、ギルド内は創立以来初めての厳かな雰囲気というものに包まれていたが、“さっさと作戦立てねえとな”というオルガの声にそれまでの空気はすっと解けた。


「黒狼からの依頼ってことにしとくから、全部終わったら依頼料払えよ」


 そして、オルガの一言でまた騒がしいギルドのロビーに戻る。


「依頼料弾めよ、黒狼」

「あっ……ぼ、僕はクロードさんのためなら無料でいいです!」

「あー、ずっりぃ!! 俺も!」

「クロードさんの役に立てるなら、オレも金なんていりません!!」

「おいおい、坊主ども。金のことはしっかりしとけよー」

「ええ、黒狼は貯め込んでるようですから搾り取ってやれば良いんですよ」


 いつもと変わらないギルドの様子に、クロードはふっと肩の力を抜いた。



   ◇◇◇



「それにしてもロザリーかぁ……」

「あいつには似合わない」

「いや、それもあるけどさ。何て言うか……ううーん、まさに“適当に付けました!”って感じの名前だよね」

「確かによくある名前の一つだな。……やっぱり似合わない」

「ああ、はいはい。そうだねー、クロードにとっては特別だも……ぐはっ」

「煩い」

「なんだ、黒狼、照れてんのか? 似合わね……ぎゃっ」

「痛っ……って、俺は何も言ってねえぞ、クロード! まだ!!」



 ――――ギルドの協力があれば、ソニアを助け出すこともそう難しいことではないのかもしれない。





《 ギルドマスター視点 》


 その日、オルガは定例会議のためにギルドマスターとして王都に来ていた。

 会議も王都も嫌いだ。極力避けて通りたい。だが、さすがに国規模の会議をサボるわけにはいかなかった。いや、直前まで渋っていたのだが、キレ気味のサブマスターに尻を蹴られ、仕方なく転移魔法陣を潜って王都までやって来たのだ。


 会議には遅刻スレスレだったが、結局は間に合ったしサブマスターからのお咎めもないだろうから、それはもういい。大事なのは会議が終わったという事実である。

 行きはお目付け役のギルド員に急かされながらダラダラ歩いて来たが、今は会議が終わった後なのでオルガの足取りは軽い。ここが王城の廊下でなければ全力疾走で帰りたいくらいである。よく周りからは“学校が終わった後の子供か!”と言われるが、嫌いな場所に長く滞在したい者などいないだろう。


「オルガ殿!」


 呼び止められても無視である、無視。

 数人の呼びかけを華麗にスルーしたところで、とうとうオルガは足を止めざるを得なくなった。進行方向に立たれたからである。しかも、微妙に隙がない。


「オルガ殿、少し時間を頂けるかな」

「なんだ、青玉殿か。今日のあたしのお供は黒狼じゃないぞ」


 王城の廊下を驀進するオルガを呼び止めたのは司教・セルジュだった。

 オルガが青玉と呼ぶのは、彼が冒険者として荒稼ぎしていた頃の二つ名が“青玉の杖”だったからである。多くはないが、ともに仕事をしたこともあった。

 教会に所属する法術師が武者修行や金稼ぎに冒険者ギルドを利用するのはよくあることだが、たいていの人間は地位が上がると辞めてしまう。多分に漏れず、オルガの前に立つ男も数年前に冒険者の真似事からは足を洗っていた。腕が良かったぶん、もったいないと思った覚えがある。


「いや、今日は君に話があるんだ」


 セルジュの弟分(?)らしいクロードを連れて来ているときは一言二言話すこともあるが、そうではないときに声をかけられたのは初めてではないだろうか。


 ちなみに、クロードを会議に連れて来る主な理由は他の出席者を脅したいときなんかに便利だからである。あと、自分以上に嫌がっているやつを見るとオルガの気が紛れる……というクロードが聞いたらキレそうな本音もある。

 クロードを連れて来ると彼の不機嫌面のせいでウチのギルドの意見が通りやすくなるが、不必要に周りを威圧するため残念なことにあまり連れて来れない。

 面白いやつなのに、噂と見た目のせいで王都の連中からは恐れられている。まあ、憧れている者も多いのだが。


「あたしに?」

「ああ、依頼したいことがあってね」


 今は王都の教会に所属しているセルジュがオルガに話を持って来るのは珍しい。王都には教会が懇意にしているギルドがあるため、わざわざ辺境に拠点を置くヴァナディースまで依頼が来ることはほとんどなかったはずだ。とはいっても、エトルタ地区やその近隣の地方教会からの依頼はある。


「なら、こんなとこじゃなくてギルドに来いよ。教会なら専用の転移魔法陣があるだろうに」

「内密に頼みたいことなんだ。王都のギルドは貴族との関わりが強いから頼みにくくてね」


 言葉の直前、周囲に結界が張られたのを感じた。内密の話というのは本当らしい。

 声をかけてきたときから、周りがセルジュだと認識できないよう阻害系の法術を発動させていたようだし、内緒話の準備は万端なのだろう。教会屈指の法術の使い手であるセルジュの術を破れる者はそういない。


「では、内緒の立ち話にでも興じるか」


 依頼を受けるかどうかはともかく、話を聞くことにしたオルガは壁にもたれて腕を組む。

 無駄に気位の高い教会の人間なら怒りそうな態度だが、セルジュは気にした風もなく口を開いた。


「ここ最近、国内で誘拐事件が多発しているのは知っているかい?」

「女子どもの行方不明がやたら多いのは知ってる。……誘拐なのか? だが、それなら騎士団が騒ぐだろう」

「誘拐だよ。教会の孤児も何人か攫われているらしい……私の目の届かない地方ばかり、ね」


 どちらかというと温和そうな容貌のセルジュの眼が鋭さを増す。

 セルジュの弟分(クロード)曰く彼は身内に甘いらしいので、教会の孤児が攫われたことに腹を立てているのだろう。オルガも身内(ギルドメンバー)にはそれなりに甘くなるので、気持ちはわからなくもない。オルガの身内は図体の大きい野郎ばかりなので攫われそうにないが……攫われるとしたら事務員くらいだ。


「それならそうと、騎士団が騒がない理由は?」


 “誘拐だ”と言うからには、何か確信をもてる情報を掴んでいるのだろう。しかし、それなら騎士団が捜査に動くはずだ。


「おそらく騎士団の幹部が一枚噛んでいる。それも、かなり上の地位の者が」


 オルガの頭に騎士団の顔ともいえる数名の騎士が浮かんだ。騎士らしい者もいるが、決して清廉潔白と言えない者もいる。あまり表沙汰にはされないが、犯罪に手を染める騎士は少なくない。

 騎士団といえば、一年前騎士団長が代わる際に色々と揉めていたことを思い出す。


「でも、騎士団長までは話がいっていない可能性が高いね。あの方は団長に就任してまだ間もないし、騎士団を掌握しきれていないんだろう」


 オルガの思考を読んだように、セルジュが付け加えた。

 同じくオルガも騎士団長を疑っていないので彼の言葉に頷いておく。王家に盾突く貴族や反王族を掲げる反抗勢力の粛清なら話は別だが、人身売買なんてものに手を出すような男じゃない。


「騎士団、となると……もれなく貴族も絡んでくるな。はてさて、どこの組織と繋がってんだか」


 王都のギルドに頼みにくい理由がわかった。依頼してしまえば向こうに情報が筒抜けになる可能性がある。

 現段階でセルジュが掴んでいる情報を聞きながら、オルガは思考を巡らせた。




「――というわけで、かなり大掛かりな捕り物になりそうだから、君のギルドにも協力を依頼したい」


 話し終えたセルジュの眼が真っ直ぐオルガを射抜く。


「話はわかった。だが、何で教会が出張るんだ? 騎士団長か……国王や王太子にでも進言しときゃそれで済むだろう」


 オルガは権力というものがあまり好きではなく、貴族や位の高い者に対して悪感情しかないが、この国の王族はそこそこ信頼している。生きてて楽しいのかと思うほど真面目だからだ。自由人のオルガからすれば国に身を捧げるなんてぞっとしないが、彼らに進言すれば――規模が規模なのですぐにとはいかないが――対処してくれるだろう。

 当然ともいえるオルガの疑問にセルジュは笑みを浮かべた。……何だか笑顔が黒い気がするが、気のせいか。


「はは、何を言っているんだい、オルガ殿。こういうのはまたやろうなどと考えないように徹底的に叩き潰した方がいいんだよ。騎士団だけに任すなんて甘過ぎるね」


 ………………。

 とりあえず一言だけ言っておく。


「ウチのギルドは魔物討伐がメインだぞ」

「王国に巣食う魔物の討伐だよ」

「………………」


 にこにこと笑いながら他人を魔物呼ばわりする聖職者に、オルガは深い溜め息を吐いた。

 いくらヴァナディースが魔物討伐数の多いギルドとはいえ、まったく他の依頼を受けないということはない。ギルドメンバーも対人戦が苦手というわけではない――魔物の討伐が好きだと公言しているやつはいるが――し、教会に恩を売る機会を逃すのは惜しい。

 ……受けてみるか。


「はぁ……分かった、依頼を受ける。後で教会に使いを送るから、詳しいことは後日に。あと、王城に話通すのはアンタがしろよ」

「ああ、承った。ありがとう、感謝するよ」


 オルガは結界が解かれたのを感じ、今度は穏やかな笑みを浮かべるセルジュに背を向ける。そして、振り返ることなく、また王城への出口に向かう長い廊下を歩き始めた。


「さてと、使いは……ヴィックに行かせるか」


 “ヴィック”とは、オルガの使い魔である赤いオウムのことだ。特に二つ名などもなかったため、このあだ名で呼んでいる。

 サブマスターは最早原形を留めていないと呆れていた。ちなみに、ヴィヴィアン自身は気にしていない。


「あたしの方でも少しは情報収集しとくかな……」


 そうひとりごち、脳内でこの件に関わらせるギルドメンバーを選出する。

 まさか自分のギルドメンバーに攫われた子どもの保護者がいるなど、このときのオルガは夢にも思わなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ