第二話 あかいはな
少女を連れ、花畑を目指す。歩幅の小さい少女に合わせて歩いているため、青年一人であれば短い道のりは遅々として進まなかった。
「大丈夫か?」
疲れているのか先程から黙ったままの少女を気遣う。
少女が立ち止まってぼんやりと青年を見上げると、少し心配そうにこちらを見る眼と視線がぶつかった。言葉が頭に入って来ず戸惑う。
「…………え?」
……マズいな。
さっきより明らかに反応が鈍い少女に、青年は顔を顰めた。
青年と会うまでにもずいぶん歩いたようだったし、このまま進ませたら倒れる可能性もある。もとより、幼い子どもが彼の体力についていけるわけもない。
「しばらく休むぞ」
「おおかみさん?」
「疲れてんだろ。そういうときは言え」
青年の言葉に、しばし逡巡する。
煩わしそうな顔をされたりしないだろうか。……怒らないで、いてくれるだろうか。
いいのかな……?
「……うん」
「よし」
躊躇いつつも首肯した少女の頭を青年の手が少々乱暴に撫でた。思わず、少女は撫でられた頭に手を置き立ち止まる。
そんな少女の様子に気づいているのか、いないのか。青年は辺りで一番背の高い木を見上げ、ひとつ頷いてから少女に声をかける。
「ここにするか。……足、疲れてんだろ。座っとけ」
その言葉にこくりと頷いてから、先に座り込んだ青年の隣にちょこんと腰掛ける。木の根元に座ると、すぐに眠気が襲ってきた。
うつらうつらする少女に気づき、青年は素っ気なく言う。
「眠いなら寝てろ。出発するとき起こしてやる」
「……おきれなかったら、おいてく?」
不安そうに青年を見つめながら少女は問いかけた。
正直に言えばとても眠いけれど、置いて行かれるのは嫌だ。寝てしまったら、その間に青年がいなくなってしまうかもしれない。
「行かねえよ。つか、お前置いて花畑に行ってどうすんだ。起きなかったら叩き起こすぞ」
「……うん。おやすみなさい」
呆れたように言葉を返した青年に安心して、少女は目を閉じる。
「…………ん?」
ほんの少し服を引っ張られる感じがした。目を向けると、少女が青年の服の裾を掴んでいる。
離すように声をかけようかと思ったが、不安げな少女の顔を思い出して止めた。大したことではないし、これで安心できるなら構わないだろう。
あどけない寝顔を晒す少女が身体を震わせたことに気づき、着ていた上着を脱いで小さな身体に掛ける。
「…………はぁ」
何だかんだで少女に情が移りつつある自分に、青年は大きな溜め息を吐いた。
少しの間――青年にしてみれば結構な時間だったが――休憩し、二人はまた花畑に向かって歩き出す。
だいぶ体力が回復したのか、少女は元気そうだった。軽い相槌しか返さない青年にも楽しげに話しかけている。青年の方は、適当に返事をしつつもその顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
急に辺りが明るくなる。
彼らの行く先の開けた場所は、陽を遮るものがないせいで別世界のようだった。
「わあ……っ!」
目の前に広がる一面の花々に、少女から嬉しそうな声が上がる。
「すごい、きれい!!」
「そうか。良かったな」
「うん!」
満面の笑みで言われ、青年はどうでもよさそうに返したが、少女は気にしていないようだ。“すごい、すごい”とはしゃいでいる。
「おおかみさん、このおはななあに?」
色とりどりの花のなか一際美しく咲き誇る赤い花を指差し、少女が尋ねた。問いかけは青年に対するものだったが、視線は初めて見る赤い花に釘付けだ。
青年は少女が示す花を見て、面倒臭そうに答える。
「ソニアだ」
「そにあ?」
「ああ、魔除けの花とも呼ばれる神聖な花だ。この森にしか咲かない」
青年の言葉を理解しきれたわけではないが、少女は神妙に頷いた。顔は真剣そのものだが、よくわかっていないとその瞳が語っている。
何となく間が抜けたその姿につい笑いが漏れた。
「? ……??」
青年がなぜ笑ったのかわからない少女は不思議そうに首を傾げる。
“何でもねえよ”とまだ少し笑ったまま、青年は少女の頭に軽く手を置いた。撫でてやると嬉しそうに笑みを浮かべる。
ソニアみてぇだな。
少女がかぶった赤い頭巾を見て、ふとそんなことを思った。
しばらく花畑で遊ぶ姿を眺めていたが、そろそろ帰ろうと青年は少女を呼ぶ。
「あー……おい」
名前を呼ぼうとして、少女の名を聞いていなかったことに気づいた。
一瞬、今聞いてしまおうかと考えて、聞く必要のないことだと思い直す。もう関わることのない相手だ。名前なんて聞いても仕方ない。これ以上情が湧いたらさすがに笑えないだろう。
「どうしたの?」
呼びかけられた少女は青年を見上げた。
「俺は用事があるから、もう行くぞ」
「え? ……いっちゃうの?」
くしゃりと歪められた顔が“行かないで”と言っているようで良心を刺激される。しかし、青年はそのまま頷いた。
置いていくことに罪悪感を覚える程度には情が移っていることを自覚しているが、それだけだ。中途半端に手を差し伸べて期待されても困る。仕事でもないのに子どもを助けてやるなんて似合わないことはするべきじゃない。そう、自分に言い聞かせた。
「ああ」
「……おしごと?」
「ん? ああ、覚えてたのか。……まあ、そんなところだ」
さすがに“これ以上子守りをする気はないから置いて行く”とは言えず、曖昧にごまかす。
まだ何か聞いてくるかと身構えたが、そんな心配はいらなかった。少女には駄々を捏ねるつもりはないらしく、ただじっと自分より遥かに高いところにある青年の顔を見つめている。
「…………はぁ」
青年の溜め息に、少女の肩がビクリと揺れた。
呆れられたのかもしれないと不安になり、青年から目を逸らす。
「俺はもう行くが……代わりに、これをやる」
そう言って、青年は赤い花――ソニアを模した綺麗な石を差し出した。黒ずくめの青年には不似合いな可愛らしい物だ。
少女はそれを受け取り、何となく光に透かしてみる。光を浴びてキラリと輝く石は、宝石のように美しかった。
「それは魔石の一種だ。魔物が近寄らなくなる」
「ませき?」
「お守りみてぇなもんだ。持っとけ」
「くれるの?」
「……ああ」
何故か渋面になる青年に、もう一度問いかける。
「いいの?」
「ああ、別に良……くはないんだが、お前の方がいるだろ。だから、やる」
実は、この魔石はかなり高価な物だ。ソニアと同様魔除けの効果があるこの品は青年の仕事にも関わるため、本来なら手放すべきではない。
“何でこんなことしてんだか”と自分に呆れながら、青年は少女に魔石を握らせた。
「……うん、ありがとう」
少女は受け取った魔石をぎゅっと握り込んで、礼を口にする。
こんな物より一緒にいて欲しい、という本音には蓋をした。目の前のひとが縁もゆかりもない他人で、少女の願いを叶える理由なんてないと知っていたから。むしろ、今まで優しくしてくれたことに感謝するべきなのだ。
「じゃあな」
最後に少女の頭をひと撫でしてから青年は花畑を後にする。
その背を、少女はいつまでも見送っていた。いつまでも、いつまでも、彼の黒が暗闇に溶けて見えなくなるまでずっと。
「さむい……」
青年が立ち去ってから、かなりの時間が経っていた。日は陰り、だんだん寒くなってくる。
少女は膝を抱えて丸くなって、迷ったら迎えに来てくれるはずの両親を待っていた。
しかし、花畑に誰かが来る気配はない。
きっと、よりみちしちゃったから、きてくれないんだ。わるいこだから、だめなんだ。
少女が“いい子”にしていたら、もうとっくに両親は来てくれているだろう。そう思って、心の中で必死に謝る。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
もう我儘なんて言わない。絵本もおもちゃも欲しくない。
“いい子”になるから。父が、母が、望む子どもになるから。手のかからない子になるから。
……だから、迎えに来て。
………………捨てたり、しないで。
◇◇◇
「……さむいよ、おかあさん」
「ごめんなさい、おとうさん」
その呟きを聞く者はいない。
目を閉じると、両親ではなく青年の顔が浮かんだ。
「…………おおかみさん……」
――――また、赤頭巾は独りぼっち。
別に、この森は誰も来ないわけではない。
運がよければ、青年より遥かに優しい“誰か”が見つけて保護するだろう。
…………運がよけりゃ、な。
そんなことを考えながら青年は花畑から離れていく。
仕事はもう終わっていた。あとは帰るだけだ。聖人君子でもない青年に心残りなどあるわけがない。誰かを助けてやろうなんて偉そうなこと、考えたこともない。
「……ちっ」
だというのに、後ろ髪を引かれるように時折立ち止まってしまう自分に舌打ちが漏れた。
足止めするように襲ってくる魔物に苛立ちをぶつけながら、家へ向かおうとする。
――おおかみさん。
森を駆けていた青年の頭に少女の声がよぎった。
ちっ…………あー、くそっ! これだから嫌なんだ、子どもは!!
目の前にいた魔物をあっさりと斬り捨て、青年は踵を返す。
そして、今さっき来たばかりの道を、さっきよりも早く戻って行った。
――――青年が向かうのは、赤い花畑。