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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第三章 “おおかみさん”と森の外
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序幕―さようなら、おおかみさん

 最終章です。

 この章の後書きには毎回別視点あり。

 少女は棚から取り出した赤い頭巾をポケットに仕舞うために小さく畳み直した。ひとを待たせているために慌てて畳んだ布の端は不揃いだ。


 畳み終えてから、最近ずっとこの頭巾を身に付けていなかったことに気づき、幼い少女の手に力がこもる。

 強く握られた布に皺が寄った。少女はハッとしたようにそれを指先で直し、畳んだときより丁寧な仕草で頭巾を洋服のポケットに仕舞う。それは、少女にとって赤い頭巾が大切なものであるとわかる仕草だった。


 頭巾を仕舞うためにポケットに入れた指が何かに触れる。少女はその感触に身を強張らせた。

 そんな少女を見て、どうかしたのかと問いかけてきた青年に首を振り、少女は自分の指先に触れたものをそっとポケットから取り出す。


 手のひらに乗せた二つの物。

 一つは、ころりとした感触の赤い石。花の形をしたそれは、思えば“彼”から初めて貰った物だ。

 ポケットに入れていたせいか、少女の熱が伝わったのか、冷たくは感じない。むしろ、どこか温かい気がした。

 もう一つは、玉のような石がついた飾り紐。少女がいつも少しの間だけ預かっているそれは、持ち主に似て紐も石も真っ黒だ。


 ふと、初めてこれを少女に渡したときの“彼”の顔が頭に浮かぶ。

 いつのまにか、“彼”の留守中は少女が飾り紐を預かることが恒例になっていた。毎回“彼”が出て行くときに預かり、帰って来たときに返していたが、今回はいつものように返せない。そのことに、ツキリと少女の胸が痛んだ。


 少女は、まるでひどく壊れやすい物のようにそっと赤い石と黒い飾り紐を机の上に置く。

 赤と黒。寄り添うように並んだ二つの色に、どうしてか泣きたい気持ちになった。


 “ロザリー”と、青年に名前を呼ばれる。

 呼ばれ慣れない名前に反応が遅れたが、少女に呼びかけた青年は気づかなかったようだ。呼びかけに応えて振り向いた少女に、そろそろ行こうと声をかける。

 是と答えつつも行くことを躊躇するようにその場に留まる少女に、青年は安心させようと穏やかな笑みを浮かべ、もう一度少女の名前を呼んだ。見慣れないその笑みに、聞き慣れないその名前に、少女が身を強張らせたことを青年は知らない。


 少女は一瞬だけ瞳を閉じ、青年が立つ扉の方へと歩き出す。

 瞼の裏に浮かんだのは、もう見慣れてしまった不機嫌そうな顔。耳の奥に聞こえたのは、少女を別の名で呼ぶ低い声。あの優しいひとにはもう二度と会えないのだろうと、どこか他人事のように思った。


 机の上に置いた赤い石と一緒に、一番の宝物も置いていく。

 赤い花のような石も赤い花と同じ名前も、どちらも“彼”に貰ったものだ。違う名を与えられ、ここから出て行く少女が持っていてはいけないもの。


 青年の話を聞く限り、慣れない名前は青年が少女の父親から聞いたものだろう。少女が好きになった赤い花とは違う赤い花の名だが、綺麗な名前だとは思う。ただ、少女には父にも母にもその名で呼ばれた覚えがなかった。


 扉の外へと消える青年の背を追い、少女も扉の前に立つ。視界の先に広がる暗い森の方へと踏み出す前に、家の中を振り返った。

 この家にある全ての物に一つ一つ思い出がある。綺麗で、儚くて、触れたら壊れてしまいそうな宝物たち。少女にとって、それは幸せと同じだ。


 この家の机も椅子も寝台も、匂いも色も雰囲気も全部、これで最後。

 そう思うと、ふいに目頭が熱くなった。ぎゅっと目を瞑って、溢れ出しそうになるものをやり過ごす。


「さようなら、おおかみさん」


 少女が囁いた言葉は誰の耳にも届くことなく、明かりのない部屋の闇に飲まれた。

 家の外へ出た少女が手を離すと、扉は独りでに閉まっていく。ばたん、という音がやけに耳に残った。



   ◇◇◇



「先程テーブルの上に置いていた物は持って来なくて良かったのか? 君の物なんだろう?」

「……あずかってただけだから」

「そうか……まあ、君はお父さんのところに帰れるんだし、元々持っていた物じゃないなら必要ないだろう」

「…………うん。わたしには……」



 ――――“いらないものだ”と言うことだけは、どうしてもできなかった。





 少女を退屈させないようにかずっと話しかけていた青年は立ち止まり、前を指差した。俯きがちに歩いていた少女も指で示された先に視線を向ける。


「ほら、あそこから明るくなっているだろう? ようやく魔の森の出口だ」

「……もりのそと」

「ああ、こんな暗い森からは早く出よう。……君は幼いんだ。家の中とはいえ、ずっとこんなところにいて怖かっただろう」

「………………」


 決めつけるように言う青年は、怖くなかったと言って信じてくれるのだろうか。

 青年の言葉を否定したい気持ちを抱えながらも、少女は曖昧に頷いた。


「……? どうかしたのかい?」


 青年は、いきなり立ち止まって暗い森の方を振り返った少女に声を掛けるが、聞こえていないのか少女はじっと不気味な森を見ている。何の表情も浮かんでいない少女の顔がなぜか泣いているように見えてどきりとした。

 何となく焦った青年は少女の名を呼ぶ。


「ロザリー?」

「…………なんでもない。はやくいこう?」


 ふるふると首を横に振り、笑って歩き出した少女にホッとしながら、青年も止めていた歩みを再開した。

 少し歩いた後、先程までの少女の様子にもしかして不安なのではと思い至った青年は、隣りを歩く少女が少しでも安心できるようにと笑いかける。


「不安なら手を繋ごうか?」

「っ、いや!」

「!?」


 伸ばした手は振り払われた。今まで大人しかった少女にいつになく強い口調で提案を断られ、青年はたじろぐ。


「あ……ごめんなさい。つなぐの、すきじゃないから」


 思わず青年の手を振り払ってしまった少女は、悪いことをしたと謝った。

 自分の方が傷ついたような反応をする少女に、青年は初対面の相手に手を繋がれるのが嫌だったんだろうと解釈する。警戒心の強い子どものようだから、それも当然かもしれないと納得した。


「いや……私の方こそ、すまない」

「……ううん、そ……“わたし”がわるいから」


 少女は何かを言いかけて言い直す。

 それから森を抜けるまで、寂しげに微笑む少女は誰かのぬくもりを反芻するように、ぎゅっと自分の手を抱き締めていた。



 ――――手を引くのが“彼”じゃない、ただそれだけのことがどうしてこんなにも悲しいのか。





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