小話 赤頭巾と再会の日/赤頭巾とお土産
“赤頭巾と再会の日”は本編完結後のお話です。
ただし、最終章のネタバレとかはとくにないので気にせずどうぞ。
《 赤頭巾と再会の日 》
――――えっと……久しぶり?
◇◇◇
群れからはぐれた理由は簡単だった。
綺麗な蝶を見かけて遊びがてら追いかけていたら崖に気づかず落ちてしまった、という情けなくも有りがちな話である。今思い出しても、恥ずかしい。
助けてくれた少女と別れ、群れに戻ってからは散々だった。
まず、父親に叱られ、母親に嘆かれ、兄二匹には小突かれた。はぐれた理由を問われ渋々話せば、両親に溜め息を吐かれ、兄たちに笑われた。
そんな風に日々は過ぎて、あっという間に以前と変わらぬ日常が戻ってきた。
狩りをして、食べて眠る。その繰り返し。
まるで、ずっと家族と一緒にいたかのように、自分たちの種族にとって当たり前の日々を過ごした。
ふと、あの二人のことを思い出す。
一人は、友人である少女。怪我をしていた自分を助けてくれた心の優しい少女だ。まだ幼く、同じように幼い自分から見ても弱々しかった。しかし、爪も牙もないというのに、なぜか彼女には勝てる気がしない。あの頃は自分が守ってやらねばと思っていたが、今思うと、彼女には自分などよりよほど頼りになる守り手がついていた。
それは、自分が出会ったもう一人の人間。初めは恐ろしい相手だと思っていたが、共に過ごすうちに悪いやつではないと気づいた。
おそらく、少女と彼は家族ではない。なぜ一緒にいるのかはわからないが、もしかしたら、どちらも“はぐれ”なのではないだろうか。
一日を終えて眠る間際、あの短い間のことばかりが思い浮かぶ。
抱きかかえられて、共に眠った日が。
突然訪れたとんがり帽子をかぶった男に宙吊りにされた日が。
突然の冬に凍え、雪のなかを駆け回った日が。
泉で泳ぎ、冷たさに歓声を上げた日が。
そして。
――おわかれしても、だいすきだよ。
もう一度、自分を“るー”と呼ぶあの声を聞きたいと思った。
◇◇◇
クロードと街へ出掛けた帰り道。
ソニアはルーと別れたあの場所を通りかかった。空を染める夕陽に、あれから一年も経つというのに感傷的な気分になる。ソニアは未だ、茂みがガサリと音を立てる度に期待してしまう自分に気づいていた。
「どうした?」
突然立ち止まったソニアを心配したのか、クロードが訝しげに声をかけてくる。
「何でもない」
クロードの問いかけに軽く首を振り、また歩き出す。分かっているのか、クロードもそれ以上は尋ねてこない。
この一年でだいぶ舌足らずさは抜けた。身長も伸び、家の本棚も四段目までなら踏み台いらずだ。クロードとマルセルから教えてもらっている勉強は順調で、買い物をしたときに店のひとから驚かれたほど。
……でも。
この道を通るとき、ソニアは昔と何一つ変わっていないような錯覚を覚える。夕暮れ時、ここを通るときに思うことはいつも同じだ。あの頃と全然変わらない。
会いたい。……会いたいよ、ルー。
「ガウッ!」
ソニアの思考に答えるように聞こえた懐かしい鳴き声に、思わず歩き出した足がまた止まる。
まさか、まさか、まさか……!
期待するなと言い聞かせても、高鳴る胸は止められない。声が聞こえた方へと振り向く自分の動作が、ひどくゆっくりとしたものに感じられた。
瞳に映った色に息を飲む。
「…………っ」
振り向いた先には、ずっと会いたかった白銀の魔物がいた。
◇◇◇
「ルー……なの?」
「ガウ!」
「会いたかった……っ、ずっと会いたかった……っ!!」
「……クゥン」
――――ううん……おかえり、ルー!
◆◆◆
《 赤頭巾とお土産 》
――――お土産は気持ちが一番!
◇◇◇
昼過ぎ、何の断りもなくクロードの家の扉が大きく開け放たれる。いつもの如く、マルセルが訪ねてきたのだ。
扉が壊れるから普通に入って来いとクロードは何度も言っているのだが、その言葉が聞き入れられたことはない。扉に何か恨みでもあるのか。
「久しぶりー!」
「ああ。遅かったな」
今回は事前に来ることを伝えていたせいか、クロードも小言を漏らさなかった。
やや不機嫌顔なのは、いつものこと……というより、昼前に来ると言ってたため用意していた昼食が冷めてしまったからだろう。
「あー、ごめん。途中でアベル君に捕まっちゃってさ。撒くのが大変だったんだよねぇ」
自分に非があるとマルセルは素直に謝った。
出された名前に、遅れた理由を何となく察したクロードはそれ以上何も言わず、ただ面倒臭げに溜め息を吐く。
「?」
マルセルの言う“アベル君”が誰かわからないソニアは不思議そうだ。首を傾げるソニアに気づいたマルセルは、苦笑しながら簡単に説明する。
「アベル君はうちのギルドの剣士の一人だよ。クロードより一つ上なんだけど、優秀だから今はAランク……だったかな」
クロードは黙ってマルセルの説明を聞いていたが、“優秀”というところでハッと鼻で笑った。
渦中のひとを思い浮かべているのか、その瞳も空気も冷たい。そのアベルとやらをどう思っているかがよくわかる。何せよ、あまりよくは思っていないらしい。
「悪い子じゃないんだけど……一方的にクロードをライバル視しててね。お節介でトラブルメーカーだから関わると面倒臭いんだ、これが」
マルセルは腕を組み、しみじみと言う。少なからず何か迷惑を被ったことがあるのか、眼はどこか遠くを見ていた。
「……うーん」
「あ、ごめん、わかりにくかった?」
いくつかのわからない単語に、ソニアは考え込むように眉間に皺を寄せる。すかさず謝るマルセルに、しばらく考えた末、言葉を返した。
「……こまったちゃんなの?」
不自然なほど部屋から音が消える。
ややあって、マルセルとクロードは爆笑した。
笑いすぎてヒィヒィ言いながら、マルセルはどこからか一冊の絵本を取り出した。まだ冷めやらぬ笑いのせいで、絵本を持つ手が震えている。
マルセルと同じく笑っているクロードに、なぜかは分からないが頭を撫でられ、ソニアはご満悦だ。“よく言った”と誉められたのだが、何をよく言ったのかはイマイチよくわからない。
やっと呼吸を整えたマルセルが差し出してきた絵本を見て、ソニアはマルセルの顔を不思議そうにじっと見つめた。
「?」
「ソニアちゃんにお土産。クロードから絵本が好きって聞いたからさ、本屋で一番人気の絵本を買ってきたんだ」
そうして手渡された絵本のタイトルを見たソニアは、一瞬固まる。
……どうしよう。このえほん……そにあ、もってる。
わざわざ自分に必要のない絵本を土産として買って来てくれたマルセルに、いくらなんでも“もう持っている”とは言えない。彼なら“そっか、じゃあ今度はもっと違うのを買って来るよ”と言って、引いてくれそうだが、それではあまりにマルセルに悪い。
ソニアはマルセルの訪問をいつも歓迎しているし、土産を持って来てくれた気持ち自体は嬉しいのだ。
……どうしよう。
「まるせるさん……」
ここは、嘘を吐いてでも喜んでみせるべきなのだろうか。
齢六歳にして、ソニアは他人に気を遣うタイプだった。
「マルセル」
しかし、齢十八歳のクロードは物をはっきり言うタイプである。
「それ、もうソニアは持ってるぞ」
“こないだ俺が買ってやったからな”と続けるクロードに、ソニアは初めて溜め息を吐きたくなった。おろおろしつつ、マルセルの反応をうかがう。
ソニアが危惧した通り、落胆したようにマルセルは肩を落としていた。
「ごめん、二冊あっても仕方ないよね。今度、違うやつ持ってくるよ。……先々週出たばっかりって聞いたから、かぶらないと思ったんだけどなぁ」
軽い口調で言うが、いつもより覇気がない。しょんぼりしていることは明らかだ。
「とりあえず、それは持って帰るよ」
マルセルはそう言って、渡した絵本を回収しようとソニアの方に手を伸ばした。
取られまいとするように、ソニアは慌てて絵本を抱き締める。
「え、ソニアちゃん?」
ソニアの意外な行動にマルセルが戸惑いの声を上げた。しかし、すぐにソニアの行動の意味を察して困ったように笑う。
「気を遣わなくて良いよ。二冊もいらないでしょ?」
「ううん! ……だいすきなえほんだから、ふたつもあってうれしい」
ソニアの言葉を聞き、マルセルは虚を衝かれたように黙り込む。そして、数瞬後、天を仰いだ。
「もうホント、いい子すぎて困るよ」
「当たり前だ」
「クロードはもうちょっとソニアちゃんを見習っていい子になった方が良いと思うんだけど」
「言ってろ」
それまで黙って二人のやり取りを見ていたクロードとマルセルが会話を始める。
何だかんだ言っても、クロードとマルセルは仲が良い。土産の話にしても、もし絵本を買ってきたのがソニアだったら、クロードは同じものがあることを指摘しなかっただろう。
ソニアには、クロードにとって気の置けない友人であるマルセルが少し羨ましい。
あ、わすれてた。
「まるせるさん」
「ん? 何?」
礼を言っていなかったことを思い出し“おみやげ、ありがとう”と言ってぺこりと頭を下げたソニアに、マルセルは珍しく照れたような顔を見せる。
「どういたしまして。喜んでもらえて嬉しいよ」
ソニアにとっては、ソニアとクロードとマルセルの三人で笑い合う賑やかな時間が一番の土産だ。
◇◇◇
「よーし! じゃあ、今度はとっておきの土産話でもしちゃおうかな」
「わあ!」
「どうせ、大した話じゃないだろ」
「ふっふっふっ……これはとある司教様から聞いた話です」
「!? おい、ちょっと待て! まさか、その話……っ」
――――今度は山ほどお土産を抱えてくるから、楽しみにしててね、ソニアちゃん。




