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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第二章 “おおかみさん”と家の中
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赤頭巾と小さな別れ その二

 泉からの帰り道。あれほどギラギラと地上を焼いていた太陽もだいぶ傾き、夏の空を赤く染め始めている。時折陽を遮る雲は、真っ青な空に映える目に痛いほどの白から、夕陽を反射して輝く黄金色へと装いを変えていた。


「眠いのか?」


 しきりに瞬きを繰り返し、眠たげに眼をこするソニアを見兼ねたクロードが足を止める。手を繋いで彼の隣りを歩いていたソニアは、眠気を取ろうとするようにやや強く首を振り、続けられた言葉――“眠いなら家まで背負おうか”というクロードの提案を断った。


「だいじょうぶ」


 眠気のせいでいつにも増して舌足らずな口調だったが、心配いらないというようにソニアはクロードを見上げて微笑む。

 ソニアとクロードの間を歩くルーも、疲れているのか眠そうだ。自分だけ背負われるのはソニアとずっと遊んでくれていたルーに悪い……と、思ったのだが。


「ふあぁ」

「…………ったく」


 言ったそばから大きな欠伸を漏らすソニアに、クロードが苦笑する。それは、いつもの不機嫌顔からは考えられないほど柔らかい表情だった。


「あ……ちがうもん! そにあ、ねむくなんてないもん!」


 ソニアはぶんぶんと首を振り、焦ったように否定する。

 そんなソニアを見て、クロードはまた笑った。


「確かに、眠気は覚めたみたいだな」


 そう言われ、ソニアは先程よりややぱっちりした目を大きく見開く。焦ったせいか、眠気は飛んでいた。


「……るーは、まだねむそう」


 ソニアの言葉につられるように、クロードは二人の足元をふらふらと蛇行して歩いているルーに視線を落とす。仕方ないと溜め息を一つこぼして、断られてしまったソニアの代わりに、ちょうど自分の足にぶつかってきたルーを抱え上げた。


「キャウン!?」


 突然のことに驚いたルーは、暴れて自分からクロードの腕を抜け出る。意外にも俊敏なその動きを見て、ソニアは“るーも、めがさめたみたい”と笑った。




 そんな帰り道の途中。

 家まであともう少しというところで、クロードはこちらをうかがう複数の気配を感じた。足こそ止めなかったものの、条件反射のように剣の柄に手をかける。

 突然目を細め、雰囲気が変わったクロードの顔を、ソニアは訝しげに見上げた。ルーはクロードの醸す空気に気圧されたのか、何かに気づいたのか、緊張したように毛を逆立てている。


「一、二…………四体か」


 クロードはじっと息を潜めてこちらをうかがうう相手の数を察すると、ぼそりと呟いた。

 個々の魔物ではなく、おそらく群れだろう。魔物一体一体はそう強くないだろうが、連携して向かって来られるとなると厄介な相手である。第一、クロードはソニア――と、ついでにルー――を守らなければならない。自分が負けるとは思わないし、ソニアに傷一つ付けさせる気もないが……。


 ……見せたくねえな。


 飛び散る血も、響く断末魔も、本来ソニアが知らなくていいものだ。純粋で優しい子どもの心を傷つけかねないもの。できることなら、ソニアには何も見せずに終わらせたい。


「ソニア」


 ずっとクロードを見つめていたらしいソニアの名を呼んだ。いつしか止まっていた歩みに舌打ちしたい気分になりながらも、素早い動きでソニアを後ろに庇う。

 困惑した様子のソニアに何も説明することなく、クロードは魔物が潜んでいるであろう茂みの方を見つめた。

 しばしの沈黙の後、クロードの視線の先からガサガサと音を立てて白い巨体が現れる。


「ガウッ!?」


 守るようにソニアの前にいたルーは、現れた魔物たちを見て思わずといったように鳴き声を上げた。その声に答えるように、現れた魔物たちが吠える。


「バウッ!」

「ガウガウッ!!」


 現れた四体の白い魔物は、大きさは違えどルーによく似ていた。成体だろう、三メートルを優に超える大きな個体二体と、その二体には劣るがルーよりは大きい個体二体がクロードたちを見据えている。

 そんな白銀の狼にも似た魔物たちの強襲を受ける理由をクロードは一つしか思いつかない。


「ルプス……ルーが元いた群れってところか」


 今の状況に察しをつけたクロードが独りごちた。

 本来、ルプスは家族単位の群れで行動している。多くの文献にある通り、またクロードが実際に討伐で目にした通り、彼らの結束は固い。何か事情があってルーが群れからはぐれたのだとすれば、こうして迎えに来るのも当然と言える。元来、情の深い魔物なのだ。

 それに、むやみやたらと人間を襲う魔物でもない。彼らはこちらから刺激しないかぎりは共生していける類の魔物。こうして目の前に現れたからには意味があるはずだ。


「るーの……おとうさんと、おかあさん?」


 ルーとルプスを見比べたソニアはルーに問いかけた。大きい二匹は両親、あとの二匹は兄や姉だろうか。


「ガウ!」


 ソニアの言葉がわかっているのか、ルーはまるで家族を自慢するかのように誇らしげに鳴いた。


「そっか……」


 るーは、ひとりぼっちじゃないんだね。


 ルーの答えを聞き、ソニアの中に嬉しくもあり、寂しくもあり、羨ましくもある複雑な気持ちが生まれる。


「ガウガウッ!」


 ソニアの思考を遮断するように、ひと際大きな体躯のルプスがルーに向かって吠え立てた。

 その声に警戒を強めたクロードが一歩前に出る。ルーからクロードへと視線を移したルプス――ソニアが思うに、おそらく父親だろう――と睨み合う。


「クゥン……」


 当のルーは群れとクロードとソニアを見比べ、なぜかおろおろしていた。


 あ……そっか。


 ルーが挙動不審な理由に気づいたソニアは、ルーを抱えてクロードの後ろから抜け出る。


「!? ソニアっ!!」


 いきなりルプスの前に飛び出したソニアに、クロードが焦ったように声を上げた。ソニアは大丈夫というように振り返って笑い、目の前のルプスに向き直る。

 不思議と、ルプスはソニアに危害を加えようとしなかった。静かな眼で、我が子と人間の少女を見つめている。


「ばいばい、るー」


 別れは、笑顔で。

 突然抱えられて目を白黒させていたルーを地面に降ろし、家族の方へとそっと背を押した。

 つんのめるように前に進んだルーが、ソニアの方を振り返る。


「あそんでくれて、ありがとう」


 ソニアは泣きそうな笑顔を浮かべながら、ルーに家族のもとへ帰るよう促した。


 ……よろこばなきゃ。


 ソニアが泣いていたら、優しいルーはきっと家族のもとに戻れない。ルーが独りではなかったことは、喜ばないといけないことだ。喜ばしいことの、はずで。


 さびしい。

 かなしい。

 いかないで。

 ひとりぼっちはいや。

 どうして、むかえにきてくれないの?


 湧き上がる暗い感情に蓋をする。そうすれば、最後に残るのはきれいな感情だけだ。

 友達だから、一緒にいたい。友達だから、別れるのが辛い。

 でも、友達だから。


「よかったね、るー」


 あなたが独りじゃなくて良かった。




 誰も動かず、音を立てず、沈黙が続いた。

 逡巡するように視線を彷徨(さまよ)わせた後、ルーは意を決したように駆け出す――ソニアのもとへ。


「……え」

「クゥン」


 しゃがみこんでいたソニアの頬をひと舐めし、群れへと戻っていくルー。

 そうあることが当たり前のように寄り添う五匹を見て、ソニアは袖でさっと目尻を拭った。そして、もう彼女を見ていないルーの方にくしゃくしゃの笑顔を向ける。振り返ることなく自分の居場所へと去っていく白銀の背に“おわかれしても、だいすきだよ”と囁いた。


 ルーに聞こえたはずがないと思っているソニアは、去り行くルーの耳がピクリと動いたことを知らない。



   ◇◇◇



 遠ざかる白い影に喪失感を覚え、徐々に小さくなっていく背に別れを強く感じる。ソニアは、春の微睡みのような幸せの中で忘れてしまっていたことを思い出した。

 どんなに大切に思っていても、ずっと一緒にいることはできないということを。


 いつか。いつか、今ソニアの手を握ってくれている人とも別れなければならない日が来る。

 そのときは。


 さようなら、しなきゃ。


 この優しい手を振り払うのは自分。

 ソニアの我儘という名のクロードとの約束が叶えられる日は、きっと訪れない。ずっと一緒にいたいなんて、そんな我儘(ワガママ)、初めから叶うわけがなかったのだ。別れを告げる理由はソニアにあるのだから。

 けれど。


 ……もうちょっとだけ。


 もう少し、もう少しだけ、手を繋いだままでいさせてほしい。そのときが来たら、我儘なんて言わずに手を離すから。

 だから。それまでは、この幸せな夢に浸らせてほしい。


「………………」


 別れを自覚した途端、繋いだ手に力がこもる。


「? どうした?」

「ううん……なんでもない」


 ソニアは尋ねてきたクロードに首を振り、顔を見られないように俯いた。自分の靴先をじっと見つめるソニアに、そんな彼女を見やるクロードの表情を読み取る術はない。クロードが自分を見つめていることにすら、気づかなかった。



   ◇◇◇



「るー、いっちゃった」

「……ああ」

「もっとあそびたかったのに」

「……ああ」

「もっと、もっといっしょにいたかった……っ」

「………………」

「でも……るーのおかあさんたちがるーををむかえにきてくれて、よかった。ほんとにっ、よかっ…………っ」

「ああ……わかったから、泣くな」



 ――――いつか幸せな日々が終わりを告げても、この大切な時間の思い出があれば、それだけで十分幸せだ。





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