赤頭巾の雪だるま その二
魔の森は時間の経過がわかりにくい。他の場所ならば、日の傾きや空の明るさで今が朝なのか夕方なのかくらい判断できるが、木々に覆われ光が射し込むことのないこの森では――さすがに昼と夜では辺りの明るさが違うが――日の出ている間の微妙な差異に気づくことは難しい。
ただ例外として、赤い花の花畑やクロードの家の周辺は明るく開けた場所にあるため、朝夕の違いを感じ取ることができる。
「……ん、もう夕方か」
窓から見える赤く染まりつつある空に、クロードはそう独りごちた。
まだ元気に外で遊び回っているソニアに目を向ければ、ちょうど小さくくしゃみをしている。“そろそろ家に入れるか”とクロードは重い腰を上げ、扉へと向かった。
「……っ、くしゅっ」
鼻にむずむずする感覚を覚え、ソニアは小さくくしゃみをした。
初夏なのに目覚めて雪が降っているという珍事以来、元々かなり寒かったが、日も暮れて来たからか、一段と冷え込んだように感じる。
おうちにもどろうかな……でも。
まだ遊び足りない。
朝から外で雪遊びを楽しんでいるとはいえ、クロードの言いつけで一時間に一回ほどは家に入って温まっている。正直、もう少しこの珍しい雪を堪能したいところだ。
「クゥン」
「……るー?」
雪の中を駆け回っていたルーがソニアの足元で小さく鳴いた。ソニアは何かあったのかとしゃがみ込んで、そのフサフサとした毛を撫でる。
ルーの視線は家に向けられているが、もう遊び疲れたから家に帰りたいのだろうか。ルーにつられるようにソニアも家の方へと目を向けた。
「……あ」
「ソニア」
ソニアが自分で家に帰る前に、どうやら迎えが来たらしい。
◇◇◇
ソニアはクロードに“ほら”と手渡された毛布を受け取り、身体に巻き付けた。
少し前までクロードが使っていた物なのであろうその毛布から、じんわりとした温かさがソニアに伝わる。長時間雪の中にいた身体は思っていた以上に冷えてしまっていたようだ。
「寒いか?」
ふるりと身を震わせたソニアに気付いたクロードが声を掛けた。
手には湯気の立った二つのカップ。片方はホットミルクが入っている。
「……ううん、あったかい」
ホットミルクの入ったカップを受け取ったソニアは緩く首を振り、ふわりと笑った。
しかし、ハッとした様子で何かに気づいたようだ。すぐに表情が曇る。
「どうした?」
「……ごめんなさい」
訝しんだクロードが尋ねると、ソニアは俯きがちに謝った。カップを持つ手が、力を込めすぎて白くなっている。
それっきり黙り込んだソニアを内心苦く思いつつ、クロードは椅子に座っているソニアと目線を合わせるように腰を落とした。
「どうした? 謝る前にとりあえず言ってみろ」
「てぶくろ……」
「手袋?」
小さく呟くような声音で答えたソニアに、クロードが聞き返す。
「…………みぎてのてぶくろがないの」
そう言って、そろりと毛布から両手を出したソニアの右手には、確かに左手にはある赤い手袋がない。
おそらく、遊んでいる間にどこかに落としたのだろう。
そう思い、クロードは慰めるようにソニアの金髪に手を乗せる。これ以上落ち込まないようにと、敢えて明るい声を出した。
「落としたのか? 気にすんな、また買って来て……」
“やるから”と続けようとしたクロードの言葉が遮られる。
「おおかみさんがくれたのに……っ」
手袋を探そうともうだいぶ暗くなった外に出ようとするソニアを“俺が行くから”と言って落ち着かせたクロードは内心深い溜息を吐いた。
今から家出るのか……。
外はかなり冷え込んでいる。
じっと自分を見上げるソニアから、思わずスッと視線を逸らしてしまった。
「……っ、ふぇ」
「あー、待て! 行く、ちゃんと行くから!! 泣くな!」
また泣き出しそうになったソニアに向かってそう言い、クロードは防寒具を引っつかんで慌ただしく外に出る。……思い切りをつけて出ないと、足が家の中から出てくれない自信があった。
夕闇の中、白銀に輝く一面の雪景色に立ったクロードの第一声。
「寒っ」
寒い地域出身のクロードは、なぜかかなりの寒がりだった。それをよく知る彼の相棒が、小さな手袋一つを探すためにクロードが雪の積もる外に出たと知ったら熱でもあるのかと疑うに違いない。
チッ、マルセルがいりゃすぐに見つけられんのに。
誰でも使えるような簡単な魔法しか使えないクロードでは手袋を探すのにかなり時間がかかるだろうが、少々性格がアレでも一応優秀な魔導士であるマルセルがいれば呪文一つ唱えることなく、ものの数秒で見つけられるだろう。
どうでもいいとき……いや、むしろ、いなくてもいいときにしかいない相棒を思い、クロードは内心舌打ちする。
……仕方ねえ、地道に探すか。
そうして、地道に白い雪の上に落ちているはずの赤い手袋を目を凝らして探し始めたクロードが、ソニアの足元で丸くなっていた助っ人を家から引っ張りだしてくるまで、あともう少し。
――見つかってよかった。
そう思いながら、クロードは手袋を見つけて来たルーの頭を撫でる。
彼にとっては気に食わない魔物だが、今日だけは餌を奮発してやろうと思うくらいには助かった。
「さて、さっさと帰るか。……寒ぃしな」
「ガウ!」
若干怯えつつ頭を撫でられていたルーも、それには賛成とばかりに大きく鳴き、クロードの足元をすり抜けて家の方へと駆けて行く。……クロードから逃げたかったわけではないだろう、たぶん。
「チッ、あいつ……先に行きやがった」
ぼやくようにそう呟き、寒さのせいで走る気すらないクロードはソニアが待つ温かい家へ向かって歩き出した。
家の前に着いたところで、ふと足を止める。
なかなかの出来だな。
しげしげと眺めるのは、家の前に置かれたクロードと同じくらいの大きさの雪だるま。
これをソニアがあの小さい体で作ったというのだから、彼女の努力がうかがい知れるというものだ。
「…………あ」
ちょっとした悪戯のようなものを思い付いたクロードは、小さく声を漏らした。ソニアが気づくかどうかはわからないが、やってみるかと自分の手に付けていた黒い手袋を脱ぐ。
やっぱり、これくらいじゃ気づかねえか……いや、見たら気づくだろうな。
その姿を想像して、クロードはふっと笑った。
◇◇◇
「うわっ、寒っ!」
森に足を踏み入れたマルセルはその寒さに驚いた。
珍しいことに、魔の森には季節外れの冬が来ているらしい。
参ったなぁ……ここから歩きはキツイよね。
マルセルは森の手前まで、転移魔法で飛んで来ていた。
しかし、特殊な地ゆえに、この森の中では転移魔法は使えない。無理に使用すれば、時空の狭間に取り残されて二度と戻って来れないだろう。それでも転移しようとするほどマルセルも無謀ではない。転移できない理由を探りたいという探究心はないでもなかったが。
寒さは魔法で何とかできるけど、この雪のなかを歩いて行くのは嫌だし……シロでも呼ぼうかなぁ。
シロとは、マルセルの使い魔であるペガサスのことだ。
何だかんだで、幼い頃から契約している使い魔を気に入っている彼がシロを呼び出すことはあまり多くない。他の使い魔を呼び出すと“某を捨てるんですかあぁ……っ!”と煩いのだ。
「シロ、おいで」
指で空に簡単な魔法陣を描いて名前を呼べば、光と共に雪に溶け込みそうなほど白いペガサスが現れる。
「お久しぶりです、マスター。今日はどんな強敵と戦われているのですか?」
シロはマルセルに一礼した後、鋭い眼で周囲を見回した。いつも魔物の討伐中にばかり呼ぶため、どうやら今回もそうだと思ったらしい。
「ごめんね、シロ。今日は討伐じゃないんだ」
マルセルが苦笑しつつ否定すると、シロは訝しげな視線を彼に向けた。
“シロは嫌がるだろうなー”と思いつつも、マルセルはにっこり笑って用件を告げる。
「クロードの家まで乗せて行って」
「…………」
まさかの移動手段扱いに、気高きペガサスはしばし固まった。
クロードの家に着いたマルセルは意外に軽やかな身のこなしでシロから降りた。
「ありがとう、助かったよ」
礼を言って、使い魔をかえすための魔法陣を描く。複雑そうな顔をしたシロは、やがて光に包まれて消えていく。
「ぷっ、くくくっ、あのシロの顔……っ! あはははははっ!!」
真面目な使い魔をひとしきり笑った後、マルセルは目尻に浮かんだ涙を拭ってクロードの家へと向き直った。
しかし、家の前にでんと置かれたソレに、扉へと一歩踏み出した足が止まる。
「でっか!」
え、何コレ、ソニアちゃんが作ったにしては大きすぎるよね? まさか、クロードが作ったとか?
あの寒がりが雪だるま作りに興じていたとしたら……かなり笑える。が、おそらく、養い子に頼まれて渋々協力した程度だろう。
「あ、そーだ」
目や腕など、飾り付けも施されている雪だるまを見て“いいこと”を思い付いた。
早速実行するべく、マルセルは自分の荷物を漁る。なぜ持っているのかはさておき、マルセルが取り出したのは大きなボタンだった。
◇◇◇
「よー、クロードとソニアちゃん! 久しぶ……って、え?」
「チッ、遅えんだよ」
「それだけ聞くと、俺のこと待っててくれたっぽいのに……何でだろう、すごく理不尽な怒りを向けられてる気がする」
「もう、今日はお前に用はない」
「ええぇ!? 俺、晩ご飯もらいに来たんだけど……」
「帰れ」
「いや、この寒いなか来たんだからもうちょっと優しくしてよ」
「この役立たずが。お前に食わせる飯はない……ルーにやったしな」
「まるせるさん、いらないときにくるね」
「…………。何てことだ! 俺の天使がクロードに似ちゃった!!」
――――今日の夕食は賑やかになりそうだ。




