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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第一章 “おおかみさん”と森の中
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第一話 くろいおおかみ

 森の中は今すぐ泣いて両親のもとに帰りたくなるくらい怖かった。余計なものを見ないように下を向きながら、少女はずんずんと森の奥を目指して歩いて行く。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ――どんな家かも知らされていない祖母の家を目指して。

 捨てられたことがわからないほど幼い少女でも、何かおかしいということは悟っていた。しかし、帰りたいと思う心とは反対に彼女の歩調はどんどん速くなっていく。


 かえったら、おこられる……。


 頭を占めるのはそれだけ。

 少女にとっては、オバケが出そうな暗い森より両親の方が怖かった。


「……はぁ、はぁ……っ」


 息が荒くなって、いつの間にか自分が走っていたことに気付く。


 どこ? ……おばあちゃんのおうち、どこ?


「…………っ!?」


 あるかどうかもわからない家を探し、周りを見回しながら走っていたせいで木の根につまずいた。

 擦りむいた膝の痛みと疲労した足の痛み、一人ぼっちの心細さがごちゃ混ぜになって、少女の大きな瞳には涙が滲む。

 赤い頭巾の端を握り締めて引っ張り、深くかぶった。顔が見えなくなるくらい深く、深く。


 ……おかあさん、おとうさん。


 ここで待っていたら、二人は迎えに来てくれるだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えながらその場に(うずくま)る。

 両親と別れてから、もうずいぶんと経っていた。ここまでずっと足を動かし続けてきた少女の体力はとうに限界にきている。


 もう、やだぁ……っ。


 いつの間にか、少女は膝を抱えて座り込んでいた。






 それから、どれくらい時間が過ぎただろう。

 大した怪我ではなかったのか、とっくに足の痛みは消えている。しかし、なぜか立ち上がろうという気が起きなくて少女は座り込んだままだった。


 ガサリ、と近くで大きな音がした。

 伏せていた顔を上げて音がした方に視線を向けると、少女から少し離れたところにある茂みが揺れている。森の動物だろうか。それともこの暗い森に相応しく恐ろしい怪物か。そんな考えが頭に浮かんだものの、恐怖は湧いてこない。


「…………?」


 立ち上がることもなくそれを眺めていると、茂みの中から一人の男が顔を出す。

 葉を揺らしながら現れたのは、黒い目と髪をした長身の青年だった。まだ青さの抜けきらない顔をしているものの、眼光は鋭く物騒な雰囲気を漂わせている。

 怪しい男だ。人間の姿をしているので、もちろん少女が想像した怪物の類ではないのだが、この森に一人でいること自体が怪しい。何より、その青年は抜き身の剣を持っていた。この場に少女以外にも誰かいたなら、黒ずくめの青年を見て命の危機を感じたかもしれない。


 しかし、幼い少女は特に警戒心を抱くこともなく、ぼうっと青年を見上げる。


「おおかみさん?」


 真っ黒な青年の姿は、一度だけ絵本で見た真っ黒な狼を連想させた。

 少女の声が耳に届いたのか、青年の鋭い眼差しが彼女を捉える。


「……何でこんなところに子ども(ガキ)が?」


 木の根元に膝を抱えて座り込んでいる少女に気づいて、青年は驚いたように目を(みは)った。しかし、それも一瞬のこと。すぐに眉根を寄せた不機嫌そうな表情に戻る。


 今彼らがいる森は昼でも暗く、凶暴な魔物が出ることから“魔の森”と呼ばれ、大の男でも入ることを恐れる場所だ。普通なら小さな子どもなどいるはずがない。身を守る術のない子どもが生き残れるところではないのだ。

 幸運の女神が少女に背を向けていたなら、彼女の目の前に立っているのは青年ではなく魔物だっただろう。森の入り口からここまでは少し距離がある。魔の森に入っておきながら大きな怪我もしていないなんて運がよかったとしか言えない。


「おい、お前。何でこの森にいるんだ?」

「おばあちゃんのおうちに行くの」


 ぶっきらぼうな青年の問いかけにも素直に答えた少女は現在の状況をどこまで把握しているのか。


 返された答えに、青年は盛大に溜め息を吐きたい気になった。

 少女の言う“おばあちゃんのおうち”は、青年が知る限りこの森に存在しない。少女が誰かに騙されたのか、捨てられたのか、はたまた何かもっと深い事情があるのか。青年にその判断はつかないが、この子どもが自分にとって面倒事であることはよくわかった。


 ちっ、面倒臭い。


 自分の顔を見上げてくる少女を見て、青年は内心舌打ちする。

 厄介事は御免だ。何にせよ、青年が少女に関わって得をすることなど万に一つもないだろう。


「おおかみさんは?」


 少女は先程までの涙を引っ込めて、興味津々といったように尋ねてくる。

 青年は“おおかみさん”という呼称に多少引っかかりを覚えたものの、律儀に答えを返した。


「仕事だ、仕事」


 正確には仕事の帰りだったのだが、そこまで教える必要もない。


「おしごと?」

「ああ。で、お前の言う“おばあちゃん”とやらの家はどこにあるんだ?」


 仕事について聞かれたくないのか、子どもに言っても仕方がないと思っているのか、軽い頷きを返した後青年は話を逸らす。

 青年の言葉に“おばあちゃんの家”の存在を否定されたような気分になった少女は心の中で呟いた。


 まっすぐ……っておかあさんいってたもん。


 “ここを真っ直ぐ行けば、お祖母ちゃんの家に着くからね”と言った母親の声が少女の脳裏に蘇る。……真っ直ぐ行けばある、はずなのだ。真っ直ぐな道なんてなかったけれど、優しい母の言葉を疑えない。疑ってはいけない。今日は優しい母だったから。だから嘘なんて言っていないはずで。


「……まっすぐ」 

「は?」


 思いも寄らないことを言われた、というように青年は素で聞き返した。

 そういう表情になると、青年が意外と若いことがわかる。二十歳を確実に過ぎていると思わせる雰囲気だったが、まだ十代かもしれない。五歳くらいにしか見えない少女からしてみたら大した差はないのだろうが。


「ここを、まっすぐ」

「………………」


 ……はあ。


 少女が指差す先を視線で辿った青年は、心中密かに溜め息を吐いた。

 “ここ”と言うが、少女の示す先に道はない。それに、たとえ真っ直ぐ進んだとしても、あるのは水魔が巣にしている濁った沼だけである。小さな少女など、水魔に襲われればひとたまりもない。


「…………なあ」


 悲しそうな顔で“まっすぐ”と言ったきり、唇を噛み締め黙り込む少女に、青年は声をかけた。このまま放っておいたら寝覚めが悪い、という理由で。

 青年が声を掛けた途端、少女はパッと上を向く。口元は笑みの形を作ってはいるものの、なぜか青年には泣いているようにしか見えなかった。


「なあに?」


 青年の胸中も知らず、少女はにこにこと笑っている。元々は人見知りする方なので、一人でいるのがそれだけ心細かったということなのだろう。


「ここから少し離れたところに花畑がある」

「……おはながいっぱい?」

「そうだ。……行ってみないか?」


 ソニアの花――人間に害はないが魔物が嫌う花が咲いているため、その花畑はこの森の中で唯一安全な場所だ。……花畑に連れて行ってからのことは、青年の知ったことではないが。


「いく! いってみたい!」

「そうか。じゃあついて来い」

「うん!!」


 急いで立ち上がり、青年のもとへ駆けて行く。

 しかし、足元に注意していなかったせいで地面に生えていた植物の蔓に足を取られ、転びそうになった。


 また、こけちゃう……っ!


 少女は痛みを覚悟してギュッと目を瞑る。


「……っぶねえな」


 しかし予想していた衝撃はなく、代わりに人の体温を感じた。

 訝しく思ってゆっくり目を開けると、青年が転びそうになった少女の身体を支えている。驚くことに、少女が目を瞑った一瞬の間に移動したようだ。


「気ぃつけろ。つか、足元見て歩け」


 すぐに少女を立たせ、面倒臭そうに注意した。

 ぶっきらぼうな……けれど優しい声。顔を顰めつつも心配していることがうかがえる青年に、少女はどこか泣いているようにも見える笑みを向ける。


「ありがとう、おおかみさん」

「………………」


 妙に大人びたその表情に、青年は何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。

 代わりに、少女に片手を差し出す。


「…………?」

「手、繋いどけ」


 少女がおずおずと手を出すと、しっかりと握られる。繋いだ手の温かさに、さっきよりもっと泣きたくなった。



   ◇◇◇



「面倒臭いことになった……」

「? ……おおかみさん? どうしたの?」

「何でもない」



 ――――独りぼっちの少女は、森で“おおかみさん”に出会った。





 おおかみさん、やさしい……。ぜんぜんこわくない。


 何やら難しい顔をしている青年を見上げ、少女は思う。

 少女が読んだ絵本に描かれていた狼は怖ろしい獣だった。だが、自身より遥かに小さい少女に歩調を合わせて隣を歩く“おおかみさん”は怖いどころか、むしろ優しい。


「おい、ぼんやりしながら歩くな。またこけても知らねえぞ」

「はーい」


 口調はぶっきらぼうでも、繋いだ手はしっかりと握っていて。


「あっ……りすさん!」

「ちょっと待て」

「……?」

「ソレは魔物だ。大したことないヤツだが、近付くなよ」


 少女にとって危ないと思われるものは教えてくれて。


「……っ、いきなり立ち止まるな。どうした?」

「あれ……」

「あ? さっき言っただろうが。アレは魔物だ」

「でも……かわいい」

「………………」

「………………」

「……ったく、仕方ねえな。見るだけだぞ」

「うん!」


 何だかんだで、少女が我儘を言っても許してくれる。


 おはなばたけ、とおくにあったらいいのに。


 少女は青年の手をギュッと握り締め、そう思った。

 目的地が遠ければ、ずっとこの温かさを感じていられる。



 ――――ずっと、ずっと。花畑に着かなくても。



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