赤頭巾と仔狼 その一
クロードとソニアが暮らす“魔の森”は正式な名をエスコンデルの森という。
歪な木々と立ち込める瘴気せいで年中暗い場所だが、広大な森のなかにはクロードがソニアを案内した花畑のように陽の光が射し込むところもある。そういった場所には魔除けの花が咲くため――というより、魔の森の陽の射す場所にしか咲かないのだが――魔物がほとんどいない。“立ち入るならば死を覚悟しろ”と言われるこの森に安全な場所などないが、人間を襲うような凶悪な魔物が近寄らないだけ他よりは安全だ。
街には出たがらない養い子のため、クロードはそんな魔物の少ない明るい場所を選んでソニアを連れ出していた。
まったく魔物が出ないというわけではないので、必ずクロードも付き添うようにしているが、彼の強さのせいかソニアに持たせている魔石のせいか、未だ魔物が襲ってきたことはない。
ひとを襲わず肉も食わない小型の魔物には遭遇したことがあるが、草だの木の実だのをもっしゃもっしゃと食べる彼らは魔物より動物に近い。大型の魔物は好戦的かどうかに関わらず肉食ばかりだ。クロードが警戒しているのはそちらだった。
「………………」
そんな、ここ最近恒例となりつつある散策にソニアを連れ出したクロードはソレを抱え込んだ彼女と睨み合っていた。
「元いた場所に返して来い」
「…………やだ」
「……ソニア」
「……やだもん!」
そう言ったきりそっぽを向いてしまったソニアに内心溜め息を吐きつつ、クロードは小汚いソレに視線を落とす。ソレは、生きてはいるだろうが気を失っているのか、ソニアに触れられても動く気配がない。
…………はぁ。
狼の仔のように見えるソレの名はルプス。
今は汚れて黒ずんでいるが、実際の毛の色は白銀で、成体ともなれば体長三メートルにもなる――肉食の、危険な大型魔物である。
◇◇◇
事の起こりは一時間ほど前に遡る。
森の中で遊んでいたソニアは、木の根元に小さな生き物が倒れているのを見つけた。少し離れたところに立っているクロードは昨日まで依頼に行っていたためか、いつもよりぼんやりしている。
わんこ?
“何か変なものを見たら声を上げろ”とクロードに言われているが、何となく、なんの根拠もなく大丈夫そうだと思ったソニアは近づいて覗き込んだ。弱り切った犬のように見えるその生き物は、クロードの言う“変なもの”には見えない。
そっと手で触れたそれの腹は温かく、かすかな振動が伝わってくる。まだ生きている――幼心に、それの命が尽きそうだということを察し、ソニアは周囲を見回した。それの仲間らしき影は見当たらず、ただ静かに木々が揺れているだけだ。
おかあさん、いないのかな。
絵本に出てくる動物の子どもはどれも親と一緒にいたものだが、この犬の親は近くにいないらしい。死んでしまったのだろうか。それとも……迎えに来て、くれないのだろうか。
「……わんこも、ひとりなの?」
ぽつりと落とされたその問いかけを聞くものは、誰もいなかった。
森の様子を観察しながら、ついこぼれそうになる欠伸を噛み殺していたクロードは、視界の端に映る小さな赤い影が先程からじっとしていることに気づいた。
訝しく思って注視すると、何やらしゃがみ込んでいるようだ。丸くなった背からは、楽しそうというよりどこか気落ちした様子が感じられた。
……? 具合でも悪くなったか?
家を出る前は元気だったと思い返しながら、クロードの視線に気づかずしゃがみ込んだままのソニアの方へと向かう。
数歩の距離を詰めると、ソニアの前に何か倒れているものが視界に入った。さっきまでは、ソニアの影になっていて見えなかったらしい。
その何かがはっきりと目に映って、すぐに駆け寄る。
「……っ、ソニア!」
クロードは瞬く間にソニアを抱え上げ、その場から引き離した。左腕でソニアを抱え、右手を腰の魔剣へと伸ばす。
ソニアが見ていたのは、白銀の狼の姿をした魔物だ。名をルプスと言い、単体でのランクはCと低いものの、群れで行動するため危険度が高い。
ルプスの仔がいるならば、近くに親もいるはずだ。仔連れのルプスは特に警戒心が強く、仔に他の生物が近寄るのを良しとしない。もし、この近くに群れが潜んでいるなら……ソニアを守りながらの戦闘は相応にキツイものになるだろう。
「おおかみさん?」
鋭い眼で周囲に視線を走らせるクロードに、いきなり抱き上げられたソニアは戸惑ったようにその名を呼んだ。張り詰めたようなピリピリとした空気が肌を震わせる。
「………………」
「どうしたの?」
無言で辺りを警戒するクロードの顔を見上げ、首を傾げた。
「……っ、はぁ」
自分達の周りに危険がないことを確認し終えたのか、クロードはゆっくりと息を吐き出して肩の力を抜く。緊迫した雰囲気に不安を抱いていたソニアも、解けた空気に何となく安堵した。
もう一度何があったのか問いかけようとしたソニアの耳元で、怒鳴り声が響く。
「声を上げろと言っただろうがっ!!」
「…………っ」
びりびりと音がしそうな大声に顔を上げると、怒った顔のクロードと目が合った。怒鳴られたことで、ソニアの目に自然と涙が滲む。
「………………」
「………………」
二人の間に沈黙が降りた。
クロードは、唇を噛み締めて顔を俯けたソニアを見て、苛立たしげに右手で髪を掻き上げる。そして、“悪い”とだけ呟いて、クロードは抱き上げたままのソニアの肩に頭を預けた。
「……頼むから、あんまり心配させないでくれ」
クロードがどんな表情をしているのかはわからない。しかし、何かを堪えるようなその声にソニアはなぜか胸が温かくなるのを感じた。
◇◇◇
「で、ソレはなんのつもりだ?」
「わんこ」
「……そういうことを聞いてるんじゃない」
「さびしそうだったから」
「……うちじゃ飼えないぞ」
――――そして話は冒頭に戻る。
仔って動物の子どもの意味だそうで。子狼でも小狼でもよかったんですが、変わった字の方が他とかぶらなくて読みやすいかなと採用しました。
子どもとか女の子とか、子ってよく使うんですよねー。
※ルプスのランクをDからCに変更。




