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“おおかみさん”と一緒  作者: 雨柚
第二章 “おおかみさん”と家の中
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狼の牙 番外

 ソニアがいることに慣れた。言ってしまえば、その一言に尽きるのだろう。

 しかし、そんなことは言い訳にもならない。


 ハッ、情けねえ。


 転移魔法が使えない魔の森を駆け抜けながら、クロードは心のなかで自分を嗤った。……傷つけないで済むとでも、思っていたのだろうか。傷ひとつ付けずに守るなんて自分にできるわけがないのに。


 何年もともに戦ってきた魔剣が、今日は重い。こんな風に思うのは初めてだ。


 ――二度は、繰り返さねえ。


 そう心に決めて、クロードは教会へと向かう。

 多少なりとも世話になった覚えはあるが、あまり好きではない場所だからできることなら行きたくなかった。けれど、クロードの好き嫌いなんて今は心底どうでもいい。

 同じ過ちを繰り返さないために、必要なことをしに行くのだ。怯えた顔と小さな傷。思い出しただけで自分に腹が立って、目的地へと向かう足が速まる。


 通り過ぎていく森の闇が、いつもより深い気がした。



   ◇◇◇



 魔の森を抜ければ、転移魔法で移動することができる。魔術師でもないクロードにそんな高度な魔法は使えないが、いざというときのために持っていたアイテムが役に立った。貴重な転移魔石を使えばまさにあっという間。さすがに教会の中までは入れないが、門前まで辿り着けばあとは簡単だ。

 クロードは夜の闇に紛れて教会に忍び込んだ。……平たく言えば、不法侵入である。




 目的の人物の部屋に入ると、奥から声がかかる。


「いつも言っているだろう? 来るときは門から入って来てくれ、と」


 溜め息混じりにそう言ったのは、染み一つない白い司教服に身を包んだ、クロードより一回りほど年上の青年だ。整った、しかし親しみの持てる穏やかそうな顔には苦笑が浮んでいる。

 クロードは聞く気がないというように肩を竦め、青年の名を呼んだ。


「セルジュ」


 セルジュは昔、孤児として預けられたクロードと同じ教会に所属していたことがある。今は司教の位に就いているため、その辺境の貧乏教会を出て王都にいるが、それでもまだ多少の付き合いはあった。クロードにとっては信頼できる兄のような――本人は認めたがらないが――存在だ。


 名を呼ばれたセルジュは座っていた椅子から立ち上がり、歓迎するように腕を広げる。


「いらっしゃい。久しぶりだね、クロード。今日は何の用かな?」

「頼みがある」


 落ち着いた声で尋ねるセルジュに、クロードは端的に言葉を返した。その素っ気ない態度に気を悪くする様子もなく、セルジュは続けて問いかける。


「君が私に頼みに来るなんて珍しい。どんな頼みだい?」


 常と変わらず受け入れてくれるセルジュにいくぶんか心が落ち着いたクロードは、いつのまにか握り締めていた拳を緩めた。そうしてやっと、自分が緊張していたことに気づく。

 強張りを解くようにゆっくりと息を吐き出したクロードを、セルジュはにこにこと見つめていた。何を考えているかはわからない。この腹黒の心のうちなんてわかるはずもない。


「聖布をもらいたい」

「聖布を? ……別に構わないけど、何に使うのか聞いても?」

「ああ。魔剣(グラム)の鞘代わりにするつもりだ」


 聖布に限らず、聖具は魔剣を弱らせる。クロードは第一の味方ともいえる魔剣(グラム)弱点(よわみ)を作る気などさらさらなかった。だから、特大の魔石や魔剣の封じ(かざりひも)なんてもので制御していたのだ。一応の所有者であるクロードが傍を離れたら暴走するとわかっていたが、家に誰かを招く気はなかったし、魔剣の扱いを知らない者を近寄らせるつもりはなくて。肌身離さず持っているから問題ないと思っていた――今までは。


「…………っ」


 思いもかけないことを言われた驚きに、セルジュは瞠目した。

 クロードが魔剣(グラム)を大事にする様を間近で見てきた者としては、彼の言葉は信じ難いものに聞こえる。思わず声が漏れた。


「本気で?」

「冗談でこんなこと言うか。……本気だ」


 クロードは何気なく答えるが、その瞳は真剣だった。

 しばらくの間、クロードとセルジュの視線が絡む。


「理由を聞いてもいいかな?」

「……っ、何でも良いだろ」


 セルジュの質問に返すクロードの口調に若干苛立ちが混じった。クロードにとってソニアのことは隠すようなことではないが、セルジュには何となく話し難い。からかわれることが目に見えているからかもしれない。

 不機嫌そうに、ごまかすように顔を逸らしたクロードを見て、セルジュは愉快そうに口の端を吊り上げた。


「もしかして、“ソニアちゃん”のためかな?」

「……何で知ってる」

「マルセル君から聞いたんだよ。私の可愛い弟は話しに来てくれないからね」

「…………弟じゃねえ」


 クロードは低く唸るように否定の言葉を吐いたが、セルジュに堪えた様子はなく、むしろからからと楽しげな笑い声を上げている。


「はははっ、相変わらずだねえ。……まあ、いい。聖布を譲るよ」


 セルジュは壁際の棚に近づき、上段に置かれていた箱から一枚の布を取り出した。

 純白の布はその神聖さを示すようにかすかに光を放っている。しかし、目の前の男が祈りを込めたと思うと、ただの輝く布にしか見えなくなってくるから不思議だ。彼が聖職者にしては信心深いほうではないと知ってしまっているからだろうか。


 クロードはセルジュから聖布を受け取りつつ、軽く首を横に振った。


「いや、金は払う」


 聖布を持った手とは反対の手で、持って来た袋を掲げる。少し揺らすとジャラジャラと音を立てた。袋の中身はだいたいが金貨だ。

 聖布を含め、聖具というものはどれも値が張る。誰が祈りを込めたかに左右されるが、高ければ王侯貴族でも躊躇うほどの額になる。とはいえ仮にも教会なので、売買ではなく寄付といった形にはなるが。そんなのただの建前だとこの場にいる二人ともが知っていた。


「別に気にしなくてもいいのに」


 正直なところ、祈りを込めるのはタダである。……人気の高い司教であるセルジュの信者には到底聞かせられない話だ。

 クロードが引かないことを悟ったセルジュは値段……聖布を受け渡すのに必要な寄付金の額を告げた。セルジュとしても弟のように思っているクロードから金を受け取るのは気が引けるのだが、金はあって困るものではない。


 クロードは聞かされた額に一瞬顔を引き攣らせたが、すぐに袋を差し出した。

 袋を受け取ったセルジュは中身を確認することもなく軽く頷きを返すに留める。クロードの性格上、告げた額より多いことはあっても少ないことはないだろう。


「あれ、もう行くのかい?」


 もう用はないとばかりにくるりと踵を返したクロードの背に、やや残念そうなセルジュの声がかかった。


「ああ。あいつが起きる前に帰らねえと」


 振り返ることもなくそれだけ言って、門から帰る気のないクロードは姿を消す。

 後ろから聞こえてきた溜め息には、聞こえないフリをした。



   ◇◇◇



「ただいま、ソニア」

「…………」

「……よく寝ろよ」

「…………すぅ」



 ――――彼女がいるから……自身の変化も悪くないと、そう思える。





 音もなく消えた背を見送り、セルジュは溜め息を吐いた。


「……はぁ、成長してるんだかしてないんだか」


 先程まで目の前にいた、漆黒に身を包んだ青年を思い起こす。彼はセルジュにとって友人であり弟だ。血の繋がりはなくとも、お互いに何かで繋がっていると確信が持てる。


 まあ、まるくはなったのかな。


 セルジュはひっそりと笑い、青年との出会いを回想した。



   ◇◇◇



 セルジュが、今の青年とそう変わらない年齢のとき。

 高い法力――治癒・補助系の魔法を法術といい、それの元となる力を法力と呼ぶ――を持つ法術師として、ギルドから頼まれて冒険者に同行することが多々あった。……まあ、もらった報酬は当時のセルジュが所属していた貧乏地方教会の運営に消えて行くのだが。


 あのときの依頼(クエスト)のことは、よく覚えている。




 マンティコアの討伐依頼を受け、セルジュとその仲間たちはマンティコアが目撃されたという辺鄙な村へと向かった。

 特殊な森にあるその村は、王族や教会の上層部だけが持つ貴重な地図にしか名前と場所を載せておらず、それなりに博識だという自負のあるセルジュも依頼を受けて初めて知ったほどだ。いわゆる訳ありの依頼。討伐メンバーは選りすぐりで、凶暴な魔物であるマンティコアが相手でも後れは取らないだろう。


 ただ、魔物の襲撃から数日は経過しているだろうという情報だけが彼らを不安にさせた。襲われた村人たちの安否は気にかかる。だが、秘された村に冒険者を送るにあたってひと悶着あったという噂がまことしやかに流れていて、そのきな臭さに依頼への不信感が募った。

 何かあれば口封じとして消されるのではないか。示し合わせなくてもそんな考えがメンバー全員のなかにあって、それが彼らの行動を慎重なものにしていた。……今も魔物の被害にあっているだろう村人たちからすれば、到着が遅れた言い訳にもならないだろうけれど。


「…………っ!!」

「うわっ! ひでぇな、こりゃ」

「……悲惨ですね」


 件の村に足を踏み入れた彼らの目の前に広がったものは――惨状としか言えない光景。村のなかは血の海だった。


「食い荒らされてる……とりあえず、生きてる村人を探そうぜ」

「この様子じゃ、いるかどうか分からねえけどな」


 マンティコアは旺盛な食欲で知られる魔物だ。小規模の村なら村人全員が食い尽くされている可能性が高い。

 辺りに漂う血臭は修羅場に慣れている冒険者でさえ吐き気を覚えるほどで。骨すら残っていない地面を見ながら、セルジュは押し殺した声で告げる。


「早く討伐して浄化しましょう。このままではあまりにも……哀れだ」


 彼の仲間は力強く頷いた。




 マンティコアを警戒しつつ生存者(むらびと)を探していると、少し離れた場所から仲間の声が聞こえた。内容までは聞き取れなかったため、耳を澄ませる。


「ちょっと、誰か来て!!」


 近くにいた仲間数名と合流して声が聞こえた方へと向かった。そして仲間が指差す先を見た瞬間、その場にいた全員が息を飲む。


「…………っ!?」


 驚きでいうなら、村に入ったときのものより格段に上だ。

 血に塗れ倒れ伏しているマンティコア。その巨体はぴくりとも動かない。もう絶命しているのだろう、息をしている様子はなかった。

 しかし、彼らが目を奪われたのは魔物の死骸にではない。


「……あの子」


 マンティコアの程近くに座り込む、黒髪黒目の少年。誰のものか分からない血が付着した衣服はボロボロで、少年が抱え込んでいる黒く輝く剣の存在が浮いている。抜き身の剣を抱き締めているのに少年に傷一つないのは、それが魔剣だからだろう。

 少年の瞳は、セルジュでも仲間たちでもなく、ただ倒れたマンティコアだけを映していた。


「あいつ、何者だ……?」

「わからないわ。一定以上近づくと攻撃してくるの」

「十歳くらいだよな。あの坊主がマンティコア倒したとか、そんなこと……」

「有り得ないことです。……が、あの少年は魔剣を所持しています。状況から考えれば……」

「マンティコアは最低でもAランクの魔物だぞ!?」

「それはそうですが……」

「村の子どもだよな? 何で魔剣なんか持ってんだ!?」


 秘された村と、ただ一人の生存者が持つ魔剣。

 セルジュのなかで何かが繋がった気がした。他の仲間たちに気づいた気配はない。近いうちに知らされるだろうそれを、今わざわざ話す必要はないと判断してセルジュは自分の考えを胸に秘めた。憶測でしかないが、真実に近いという確信がある。


「知りませんよ!! ただ、おそらく彼は保護対象です。何とか近づかなくては」


 騒ぐ仲間たちを尻目に、セルジュは少年を観察する。少年は表情を変えず魔物の方に顔を向けているが、実際に何を見ているのかはわからない。

 セルジュは、少年の方へ一歩踏み出した。


「おいっ!!」

「セルジュ!?」


 キンッと硬質な音がして、何かが弾かれる。


「……結界か」


 慌てたような仲間たちの声は、すぐに安堵したものへと変わった。

 ごくわずかに、驚いたように目を見開いた少年にどこか面白い気持ちになりながら、セルジュは彼の前にしゃがみ込んだ。目の前の小さな少年に目線を合わせ、教会でも評判の優しげな微笑みを浮かべてみせる。


「君の名前を訊いてもいいかな?」


 長い沈黙の後、少年は呟くように答えた。



 ――……クロード。




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