赤頭巾の留守番 その三
――ソニア。
そう、誰かに名前を呼ばれた気がして、ソニアは目蓋を持ち上げる。何度か目を瞬いてから、自分が眠ってしまっていたことに気付いた。
なぜ寝台にいるのかと首を傾げつつ起き上がると、マルセルと話し込んでいるクロードと目が合う。
「……起きたのか。腹減ってんだろ? とりあえず、先に飯食っとけ」
クロードはそう言って、机に昼食を並べた。
寝起きで頭がぼうっとしたままのソニアは、考えることなくクロードの言葉に頷き、まだ少し眠気の残る目を擦りながら席に着く。机の上に置かれた料理から漂う美味しそうな匂いで、朝食を食べていなかったことを思い出した。途端、空腹を感じる。
「クロード」
「…………」
「クロードさーん、俺のは?」
「お前はさっき食っただろうが」
クロードとマルセルのやり取りで、今が昼食にも遅い時間だと分かった。壁に掛かった時計を見上げると、針は昼過ぎを指している。いつもの昼食の時間より少しだけ遅い。
「ソニアちゃん、クロードが後で話があるって」
「おいっ」
口を開いたマルセルに、クロードは焦ったような声を出した。ソニアはただぼんやりと二人の顔を見つめる。
「こういうの、先延ばしにしない方がいいよ?」
「………………」
「ほらほら」
一瞬マルセルを嫌そうな顔で見たクロードは、ソニアの方を向いた。先程とは打って変わって真剣なクロードの表情に、ソニアは知らず胸を押さえる。ずきりと、小さく痛んだ気がした。
「朝のことだが、飯食った後でお前に話がある」
真剣なその声はやや固い。
「…………うん」
ソニアはクロードから目を離し、コクリと頷いた。我儘を言ったせいでクロードもいなくなってしまうのだろうか、と心の隅で思う。
涙は出なかった。
「………………」
「ん? どうしたんだ?」
いきなり立ち上がって駆けて行くソニアの背に、クロードの声がかかる。ソニアは振り向かない。
「ずきん」
ソニアが母親から貰った赤い頭巾。クロードと暮らし始めてすぐの頃はずっとかぶっていたが、ここ最近はかぶらないことも増えていた。
ソニアは、畳まれて寝台の脇に置かれていた赤い頭巾を手に取る。
そして、深くかぶった。深く、深く、顔が見えなくなるくらいに深く。
「………………」
ソニアが歩いて席に戻る間、誰も口を開かない。
「………………」
「………………」
深く頭巾をかぶって顔を隠してしまったソニアの視界には、憂いを浮かべるクロードの表情も、無表情に二人を見つめるマルセルも、入っていなかった。
じっと机の上の昼食だけを見つめた後、皿の横のスプーンに手を伸ばす。
口に運んだ料理は、何の味もしなかった。
◇◇◇
ソニアが食事を終えたのを見て、クロードは口火を切る。
マルセルには席を外してもらっていた。
「ソニア。すまないが、俺は仕事に行くことになった」
どう言ったものかと考えつつ、俯いたままのソニアの頭を見つめながら、クロードは言葉を続ける。
「お前には悪いと思うが、しばらく留守番しててくれ」
「うん、わかった」
ソニアは顔を上げてあっさりと頷いた。クロードは驚いたように目を瞠り、ソニアの顔をまじまじと見つめる。
そんなクロードに、ソニアはにっこりと微笑んで言い足した。
「そにあ、ずっとおるすばんしてる」
「………………」
クロードは思わず黙りこむ。口元だけで微笑んでいるソニアの目は暗い。新緑の瞳からは、いつもの輝きが消え失せていた。
クロードは、咄嗟に拳を握り締める。自分を信じていないソニアの眼に、なぜか心を抉られた気がした。彼女は言葉通り“ずっと”留守番をしているつもりなのだろう。クロードが帰って来なくても、両親が迎えに来なくても。
自分を信じろと、子どもを捨てたような親と一緒にするなと思ってしまうのはクロードが未熟だからだ。己の未熟さをソニアにぶつけるわけにはいかない。口をついて出そうになった言葉を飲み込んで、考える。目の前の少女の心を置き去りにしないで済む方法を。
「ソニア」
クロードは、ソニアに自分を信じさせる方法など知らない。
「お前に、預けたい物がある」
ただ……クロードを信じたいと思わせる方法だけは知っていた。
錯覚かもしれなくとも、子どもが信じずにはいられないような証を与える。子どもに誠実であろうとすればするほど、それは難しい。
「これは俺にとって大事な物だ。これをお前が持っているかぎり、俺はここに帰って来る。ないと困るからな」
そう言って、クロードはソニアに魔剣に付けていた飾り紐を手渡した。
その飾り紐は一瞬渡すのを躊躇する程度には大事なもので、魔剣を扱うために必要だという以上の意味を持っている。だが、ソニアの心には代えられない。
預けるだけとはいえこれを手放すなんてと思ってしまうくらい、クロードの持つもので数少ない大切なものだが、だからこそ価値がある。それが、自分を信じないソニアへのクロードなりの誠意の示し方だ。
マルセルが見ていたら不器用すぎると笑っただろう。
「いるのに、いいの?」
ソニアはうかがうようにクロードの顔を見上げた。
不安げに揺れる瞳に、クロードはいつも通りの口調で言い含める。
「ああ。ただし、やるんじゃねえぞ。預けるんだ。……失くすなよ、帰って来たときに返してもらうからな」
「……うん」
少しだけ安心した様子のソニアに、クロードは頬を緩めた。優しくソニアの頭を撫でる。
「早めに帰って来るから、待ってろよ」
少し前までは住む場所なんてどうでも良いと思っていた。だが、今はここしかないと思っている。
ソニアの待つこの家だけがクロードの帰る場所だ……と、帰って来てからそう言ってやったら、ソニアはどんな顔をするだろうか。
自分が帰って来たときにソニアが嬉しそうに笑ってくれたら、それだけでいいと思った。
◇◇◇
「…………クロード」
「何だ」
「あのさ、魔剣の封じがなくなってるように見えるんだけど……俺、目が可笑しくなったのかな?」
「目は、正常なんじゃないか」
「何だよ、その言い方ー。目以外の場所はおかしいみたいじゃ……って、ええええっ!?」
「煩い。依頼中くらい静かにしてろ」
「いや、だって! どうすんだよ!?」
「何が」
「暴走するだろ、魔剣!」
「何とかなる……と思う」
「ならないよ!!!」
「剣を預けたら仕事になんねえだろ。だから、封じにしといたんだ」
「そういう問題!?」
――――クロードの帰還まで、あと少し。




