ダイバーシティ・マネジメント
その日、《朝日ファミリーストア》の店長、細川 茂は疲弊していた。
『腹痛いっす。休みまっす!店長すんません!』
バイトの北嶋に夜間シフトをドタキャンされ、穴埋めのためにずっと夜勤に立たされる羽目となった細川。
彼は昨日の朝の出勤から自宅に帰っていないのだ。
しかも、このコンビニは歓楽街《ブラブラ丁》からほど近い立地のため、夜間も来客が途絶えないのである。
『おるラァ!ギザ十ちゃうやないか!』
ギザギザ入り10円玉のお釣りを要求して怒鳴るヤクザ。
『ボクチンの息子を恵んであげる!』
カウンター前でズボンをずらして陰部を見せつける男。
こんな訳のわからない酔っ払い客や変態が頻繁に訪れる。
細川の HPは容赦なくそぎ落とされて行くのだ。
そして満足な休憩時間も取れないまま朝を迎え、彼の足は棒のようになっている。
早朝の配送トラックが到着した。
荷受けして伝票確認を終わった後、スタッフルームに戻って一息ついた時である。
「あぎ!痛たたたた!」
ふくらはぎが急にこむら返りを起こした。
激痛に顔をしかめる細川。
こういう時は下手に足を伸ばしたり力を込めたりしたら逆効果である。
彼は痛みをこらえながらゆっくりと深呼吸を繰り返した。
徐々に痛みが和らいでいく。
「はあ…最近よく足がつるな…」
彼の嘆き節には力がない。
今はまだ月半ばなのに、夜間シフトは7回目である。
とにかく人が足りない…
彼は力なくメビウスの箱から最後の1本を取り出すとライターで火をつけた。
最初のひと煙を吐いた時である。
店舗の駐車場に1台のセンチュリー が入庫した。
防犯カメラからその様子を見た細川は仰天した。
「CEOだ!」
彼は慌てて椅子から跳ね上がると、まだ吸い始めのタバコを灰皿にグリグリと押し付け、駐車場にダッシュした。
細川はセンチュリーの前に到着すると、緊張した面持ちで直立不動の体制をとった。
ガチャリと後部座席の扉が開き、中から光沢のある濃紺ストライプのダブルのスーツを着た恰幅の良い男性が姿を現した。
「大膳CEO!おはようございます!」
細川はその男に向かって腰を90度に折曲げて挨拶をする。
「ア―!おはよう細川くん。苦しゅうない」
その大膳CEOと呼ばれた男の頭髪はポマードでテカテカに固められオールバックにまとめられていた。
そして浅黒いつやつやの頬の中の分厚い唇を開け、眩しいほど白く歯並びの良い歯列をのぞかせた。
「CEO!このように直々にお越し頂くとは…一体どのようなご用件で?」
「細川君。君にお願いしたいことがあってね」
「お願いしたい事…でございますか?」
「ああ!彼のことだ」
そう言って大膳は車の方に目配せした。
「彼?」
細川はセンチュリーに顔を向けると、運転手に支えられて車椅子に体を移す一人の若い男性が目に入った。
その若者は、細川の顔を見ると弾けるような笑顔で挨拶をした。
「おはようございます!若林勇人と言います。二十二歳です!宜しくお願いします!」
(ぐえ!)
細川は鼓膜が破れるかと思った。
とにかく巨大な声なのである。
そしてまんまるのふくよかな顔にぴったり固められた七三分けの頭。
太眉団子鼻にまつ毛が異常に長い大きな目が希望に満ちて輝いていた。
しかし細川が最も驚いたのは彼のその姿であった。
両手足が無いのである。
上腕部も大腿部もほぼ根元あたりから存在していない。
ワイシャツの袖もズボンも短く切り揃えられて肌色の断端が覗いている。
細川が言葉に詰まる重篤な欠損状態である。
「う…CEO.…一体…彼は」
大膳は満面の笑顔で答える。
「若林勇人君は君の店舗の配属となった。ご指導のほどよろしく頼む!」
「え!」
細川は目が飛び出しそうになった。
「彼は私の大切な友人のご子息でな。非常にやる気に満ちた、我社期待の真面目な若者なんだ」
「は…はい…でも…若林君…君のその手足は?」
「はい!昨年路上で強盗に襲われ四肢全部切断されました!とっても痛かったです!」
「ひ!」
「でも、手足を失うなど僕にとっては大した問題ではありません!新しい個性を得ることができたと思っています!」
「そ…そう…なの?」
大膳は笑顔で続けた。
「細川君。我社もついに《ダイバーシティマネジメント》を具現化する事となった。君の店舗はその栄えある第1号なのだよ!」
(ダイバーシティマネジメント!?)
細川は先月行われた zoomによる経営会議のことを思い出した。
全国の店長が画面を見守る中でCEOは拳を振り回して演説する。
『我社は今後ダイバーシティマネジメントに舵を切る!これは人々の違いによって差別するのではなく、それぞれの能力と特性を生かして企業経営に取り込むことによって、共生と利益確保を同時実現し、さらに社会貢献につなげるという崇高かつ持続可能な経営理念である!』
さらに大膳は唾を飛ばしながら演説を加熱させる。
『日本の多様性に対する経営理念は欧米に比べて立ち遅れている!我社の海外出店は100店舗を超えた。世界の潮流に乗り遅れることはできない!ダイバーシティマネジメント無くして我社の未来はないのだ!今後、女性、外国人、そして障害者雇用を加速する。全国の店長の皆さん!是非とも協力をよろしくお願いいたします!』
細川はこの演説をあくびを噛み殺しながら聞いていた。
(まさか…第1号が自分のところ!)
細川は想定外の事態に呆然としていた。
「細川君!」
「は、はい!」
「若林君には早速本日から仕事に入ってもらう。彼の存在を業績アップにつなげてもらうようよろしく頼むよ!」
「きよ、今日からですか!?」
大膳は唖然とする細川を無視してセンチュリーに乗り込み足早に去って行ってしまった。
細川は顔が土気色に変色した。
そんな細川に対して残された若林君は明るく大きな声で話しかけた。
「手足はなくとも僕のやる気と情熱はなくなりません!必ずお店のお役に立てると確信しています!夢は必ず叶います!今後ともよろしくお願い申し上げます!」
細川は若林君のきらめく笑顔をよそに、ただただ唇を震わせて虚空をうつろな目で見つめていた。
次回 細川の苦闘




