イカれていて、不良で、近づくと危険 世界ミドル級王者 ハリー・グレブ(1894-1926)
ボクシングの技術は日進月歩進歩していることから、過去のグレートといえども現在のチャンピオンには歯が立たないという話をよく聞くが、果たしてそうだろうか。人間のフットワーク、ハンドスピード、動体視力といったものは個人差があり、どれだけ近代的トレーニングを重ねたからといって越えられない壁がある。飛ぶ鳥を射るアフリカの部族の中には手品師のカードマジックを見破るほど動体視力に優れている者も少なくないことも考えれば、彼らのような動体視力を持ち、アフリカの陸上選手なみのスタミナ、瞬発力を備えているボクサー相手だと、近代的トレーニングを積んでテクニックだけ磨いても勝ち目は薄いのではないだろうか。打って、離れるスピードが異常に早い相手の前で技術など無意味であろう。おそらくグレブはそのシンプルな動作が超人的だったがゆえに、体重差など関係なく戦えたのであって、現代のボクサーと戦っても全く苦にしないばかりか、得意のダーティータクティクスを駆使していたぶって楽しむのがオチだと思う。
ベニー・レナードのスピード、ジム・ジェフリーズの持久力、ヘンリー・アームストロングの果断なき連打、そしてフリッジイ・ジビックの狡猾さ、この四つの要素を兼ね合わせた“超人”が『ピッツバーグの人間風車(Pittsburgh Windmill)』、『空飛ぶ少年(Flying Pittsburgh Boy)』の異名を取ったボクシング界のレジェンドの一人、ハリー・グレブである。
グレブはボクシングの実録映画の上映が盛んだった時代の花形選手であるにもかかわらず、試合のフィルムが未だに発見されていない。現在確認されているのはスパーリングを含むトレーニング風景だけで、世界一のボクシングフィルム収集家と言われたジム・ジェイコブズが、グレブの実戦フィルムが手に入らないことを生涯嘆いていたというほどだから相当なレアアイテムである。
したがってリアルタイムで試合観戦した可能性のある世代がほぼ鬼籍に入った今となっては、過去の文献や証言記録、あるいはグレブに敗れた強豪ボクサーの実戦フィルムを参考に彼の強さを推し量るしかないのだ。
世界チャンピオンクラスの強豪とMSGやポログラウンドといったボクシング興行のメッカで数多くの試合をこなしているにもかかわらず、実戦フィルムの所在が不明というのは不可解という他はないが、逆にどこかにまとまって埋もれている可能性もあり、歴史的発掘が待たれる。
『人間風車』の異名通り、グレブの特徴は何と言ってもスピードと手数の多さにある。
並みのボクサーと比べると全ての動作がリングに投影された3D立体画像を早送りしているかのように素早く、「八本の腕を持っている」とさえ言われたものだ。
一方、打たれ強さも相当なもので、デビューから六ヶ月後(一九一三年十一月)に十四ポンドも体重の重いジョー・チップの右フックでKO負けして以来、KO負けはない。記録上は、一九一五年十二月のキッド・グレーブス戦でもTKO負けとなっているが、これは試合の最中に橈骨(前腕の親指側にある骨)を骨折したことによる棄権であり、以後八年間は無敗だった(ニュースペーパー・デシジョンは除く)。
これほど強かったグレブが一九二三年八月まで世界タイトルを獲れなかったのは、強すぎて敬遠されたからである。ベストウエイトのミドル級に限らず、ライトヘビー級はおろかヘビー級まで相手を探し求めたにもかかわらず、ほとんどのチャンピオンが世界タイトルを賭けてグレブと戦うことだけは避けた。
とはいえ、グレブは選手生命に支障をきたすほどの致命的なフィニッシュブローは持たないうえ、人気者だけに高額の報酬を見込めるとあって、ノンタイトル戦であれば対戦相手には事欠かなかったことも事実である。
一九一七年四月に現役の世界ライトヘビー級チャンピオン、アル・マッコイにニュースペーパー・デシジョンで圧勝したのを皮切りに、ジャック・ディロン、バトリング・レビンスキー、マイク・ミクティーグ、トミー・ラグラン、マキシー・ローゼンブルーム、ジミー・スラッタリーなど新旧のライトヘビー級チャンピオンを総なめにしたばかりか、ガンボート・スミス、ビル・ブレナン、トミー・ギボンズといったヘビー級の強豪にまで勝利したグレブはまさに無敵だった。中でも後にデンプシーとの世界戦で十五ラウンドを耐え抜き判定まで持ち込んだギボンズのデビュー以来の連勝を三十九でストップした星は光る。
ライトヘビー級のボクサーとは体重差が十~二十ポンドあったため、世界チャンピオンクラスにクリーンナックアウトで勝つことは叶わなかったが、ディロンの鼻をグチャグチャに潰したバルカン砲のようなジャブにしかり、世界戦でディフェンスに長けたレビンスキーを膝がガクガクになるまで打ち据えた(KO以外は無判定ルールだったため、タイトル奪取はならず)高速連打にしかり、軽量級並みのハンドスピードは並み居る重量級ボクサーたちをサンドバッグ扱いにした。
生涯三百戦以上戦ったと言われるグレブにとってベストバウトというと、『リング』誌による一九二二年度の最高試合に選出されたジーン・タニー戦であろう(五月二十三日)。
「戦う海兵」の愛称で人気急上昇中のジーン・タニーはデビューから四十連勝を続ける重量級のホープだった。海軍時代から豊富なアマチュア歴を誇るクレバーなテクニシャンで、去る一月に前世界ライトヘビー級チャンピオン、バトリング・レビンスキーを破り米国ライトヘビー級王座を獲得したばかりだが、すでに世界ヘビー級の王座を見据えていた。
危険な相手であるグレブとの対戦を承諾したのも、彼の好戦的なボクシングスタイルが王者ジャック・デンプシーに似ていたことによる。しかもデンプシーのマネージャー、ドク・カーンズが対戦オファーを断り続けているほど警戒を要する相手であればこそ、是非手合わせしておきたかった。
果たしてグレブは危険極まりない男だった。タニーの身長で十センチ、リーチで十三センチ、体重で十三ポンドというアドバンテージなど何の役にも立たず、試合開始わずか二十秒で鼻骨を打ち砕かれると、後はグレブ自慢のダーティ・タクティクスのマンツーマン指導をみっちりと施されるという有様だった。(十五ラウンドフルマークでグレブの完勝)
瞼を切り裂かれ自分でトランクスを脱ぐことが出来ないほど下腹部を腫れ上がらせたタニーは、ドレッシングルームにたどり着く前に廊下で失神していたという。
今日の我々の感覚からすれば、ミドル級世界ランカーが四十戦無敗のライトヘビー級に挑むなど無謀としか思えないが、驚くべきことに試合前の賭け率は三対一で、多くのボクシングファンはグレブが勝つものと信じていた。
この試合の後、テクス・リカードが十五万ドルというライトヘビー級の世界戦としては破格の報酬で対戦オファーを出したにもかかわらず、世界チャンピオン、ジョルジュ・カルパンティエのマネージャーからスケジュールの都合がつかないという理由で、慇懃無礼に試合を断られているのも、グレブとタイトルを賭けて戦うリスクの大きさを示す一例といえよう。
現役の世界ヘビー級とライトヘビー級チャンピオン(デンプシーとカルパンティエいずれもリング史に名を残す名王者である)から対戦を拒まれるほどの男が相手では、米国ライトヘビー級チャンピオンのタニーなど問題にならないという一般認識があったのも当然であろう。
しかし多くのファンや専門家によるグレブの評価は正しかったが、タニーに関しては見込み違いだった。まさか(予想どおり)グレブに惨敗したタニーが、後にデンプシーとカルパンティエに完勝するほどのボクサーになろうとは思いもよらなかった。後に“拳聖”デンプシーを下して世界ヘビー級王座に君臨したタニーにとって、このグレブ戦が生涯唯一の敗北だった。
何事も長期計画でコツコツとこなしてゆくタイプのタニーはこのくらいのことではめげなかった。対戦相手から「ゲットーの魔術師」と恐れられ、史上最強のライト級の呼び声も高い現役チャンピオンのベニー・レナードをコーチに迎え、再びグレブに挑むことになった。時に一九二三年二月二十三日、両者のリターンマッチが実現した。
レナードからグレブのスイングをかいくぐるようにして心臓とボディを狙い打つよう指示を受けていたタニーは攻撃の的をボディに絞り込んだ。なにしろ、タニーが「一秒たりとも同じところにいない」と脱帽したグレブのスピードは、ディフェンスの達人ベニー・レナードをも凌ぐと言われるほどで、顔面を狙っていたのではとても捉えきれないからだ。
この作戦が功を奏し、タニーはスプリットデシジョンながらリベンジに成功し、米国ライトヘビー級タイトルを奪還するとともにグレブの連勝を五十二でストップさせた。両者は計五度もグローブを交え、タニーが初戦以外はグレブに負けなかったことから、短期間のうちにグレブを寄せつけないほどボクサーとして成長したかのように書かれている文献が多いが、実際はそうではない。タニーは常に苦戦を強いられていたのである。
実はタニーが初めて勝利した第二戦にしても、公式判定こそスプリットの判定勝ちだが、結果を報じた新聞二十三紙中、十九紙がグレブの勝利を支持していたというからミスジャッジもいいところである。
同年十二月十日に行われた第三戦こそ、七ラウンドまではイーブンで八ラウンド以降のタニーのボディ攻撃で動きを止められたグレブの完敗だったが、この一週間前に世界ミドル級チャンピオンとしての初防衛戦に挑み、ブライアン・ダウニーを判定で退けているとなると話は別である。
グレブの終盤のスタミナ切れはむしろ当然のことで、敗因は彼の自信過剰が招いた無謀なマッチメイキングだった。つまりグレブは第二戦も自分が勝ったという手応えを感じており、タニーが手強いという認識がなかったのだ。
翌一九二四年二月二十七日の第四戦ではグレブがスピードを生かしてタニーをかき回し、分の良い引き分けを演じている。第四戦のジャッジが割れたのは、手数は多くとも命中率の低いグレブと時に効果的なパンチを決めていたタニーのどちらが優勢と見るかで意見が異なったからだが、試合が行われたクリーブランドの地元新聞によるジャッジはグレブを支持する方が多かった。
つまり公式記録上は四戦目までタニーが二勝一敗一引分と勝ち越してはいるものの、見方によってはグレブの三勝一敗か二勝一敗一引分でもおかしくないほど両者の実力は拮抗していたということになる。これが同じ階級の選手同士であれば「善きライバル」という表現がぴったり当てはまるところだが、ナチュラルミドルウエートのグレブと、米国ライトヘビー級チャンピオンとはいえ、ヘビー級タイトルに最も近い男の一人と目されているタニーでは、常識的に見て比較の対象にはなりえない。
したがってタニー対グレブの五度にわたる名勝負は、タニーの技術力の向上を称えるのはお門違いで、グレブの桁外れの強さを示す指標と見なすべきであろう。なにしろグレブはこの時すでに隻眼で戦っていたのだから。
グレブは失明したとされるのは一九二一年八月二十四日のキッド・ノーフォーク戦だが、サミングを受けて視界を閉ざされながらもニュースペーパー・ディシジョンでは判定勝ち(公式記録は無判定)を収めているうえ、一週間後にはもうリングに立っていることからすると、この時点では初期の網膜剥離程度だったと考えられる。
しかし、ナルシストの彼はハンデがあることを知られたくなかったのだろう。グレブが片目だけで戦っていたことは、ごく一部の身内しか知らず、対戦相手にも気づかれることはなかった。
右目の上にグローブをかざすような彼のディフェンススタイルは、死角からのパンチを防ぐためのものであり、フットワークとフェイントで相手のバランスを崩しつつ射角を変えながら手打ちの連打を見舞ったのも、距離感がつかめずピンポイントで急所を狙うことが困難になったことによるものではないだろうか。
緻密な照準精度を要する一撃必殺のライフルよりも、衝撃力は劣っても命中率の高いショットガンというわけである。
タニー対グレブの五度目の対戦は一九二五年三月二十七日に行われた。この試合はタニーがグレブを圧倒しKO寸前にまで追い詰める会心の勝利だった。カウンターパンチャーのタニーは、グレブの攻撃を迎え撃っていては後手に回ってしまうと判断したのか、接近戦でアグレッシブにグレブを攻め立てた。
したたかにボディブローを喰らったグレブはさすがに観念したのか、クリンチの最中にタニーの耳元で「ナックアウトだけは勘弁してくれよ」と泣きを入れたため、タニーはこの一言こそ自分に対する最大の賛辞と受け取り、フィニッシュは控えたという(KO決着以外は無判定の条件のため勝敗はなし)。
それにしても三十路過ぎの隻眼のミドル級ボクサーが、翌年デンプシーを破ってヘビー級の頂点に君臨するような男と堂々と渡り合っているだけでも驚愕ものだ。終盤は手加減したにせよ、ボディ攻撃でグレブの動きを止める作戦をとったところをみると、クリーンヒットさえすればミドル級など簡単になぎ倒してしまうはずのタニーのパンチでも、グレブの顔面を正確に捉えるのは困難だったのだろう。
グレブにボディブローが有効であることを証明したのはトミー・ラグランである。グレブとの五度にわたる対戦で一勝一敗一引分二無判定(無判定の二試合もニュースペーパー・ディシジョンではいずれもグレブの勝ちだった)と互角の星を残しているラグランは、その卓越したディフェンス技術をもってしても人間風車から逃れられないことを悟ると、その動力源を枯渇させるために的の大きいボディ攻撃を多用し、ようやく互角に戦えるようになったのだ。
一九二三年八月三十一日にジョニー・ウィルソンを予想通りの一方的な判定に下して、ようやくミドル級の世界王座を手にしたグレブは、小遣い稼ぎのノンタイトル戦を数多くこなしながらも三度の防衛に成功していたが、一九二五年七月二日に行われた四度目の防衛戦の相手は最も警戒を要する型破りのタフガイだった。
「トイ・ブルドッグ」の異名を取る世界ウエルター級チャンピオンのミッキー・ウォーカーは、グレブと同じく体重差などおかまいなしに誰とでも戦う、向こう見ずの突貫ファイターだった。そこで策士であるグレブは、強敵との一戦を控えて一芝居打つことにした。
グレブといえば、この世界では知らぬ者のないほどの女好きで通っていた。結婚して娘がいるにもかかわらずその癖だけは直らず、試合前のドレッシングルームに女を連れ込んで一汗かいてからリングに上がることが日課のようなものだった。気に入った女性ができると、翌日にはダイヤの指輪だろうが、キャディラックだろうがまるでランチを奢るような感覚でポンポンとプレゼントするのだから、これで女性にもてないわけがない。
試合の前日、グレブはいつものようにガールフレンドたちを伴ってクラブをはしごした後、ギャンブラー連中がたむろする酒場にやってきた。車から下りたところで側溝につまずき、ガールフレンドから支えられながら歩くところを十分に見せつけた後、意気揚々とホテルに戻ったグレブは試合まで十分に休息を取った。
グレブが酔っ払って最悪のコンディションにあるという情報はあっという間にギャンブラーの間に広まった。おかげでそれまで七対五でグレブ有利となっていた賭け率はウォーカー有利に傾いた。
実はワインをグラス二杯も飲めば出来上がってしまうほどグレブは酒には弱かった。酒の席でのどんちゃん騒ぎは好きでもほとんど酒は飲まなかったのだが、その豪放な遊びっぷりに尾ひれが付いていつの間にか“大酒飲みで女好き”という都市伝説が出来てしまっていたのだ。それを利用してギャンブラーを手玉に取ったグレブは、大金を自分の勝利に賭けて大儲けした。
もちろんウォーカーが少々油断していたところで、試合に勝たなければ何にもならないが、勝利に執着するグレブはなりふりかまわず反則技まで繰り出しながらウォーカーに辛勝した。
試合がはねた後、グレブが日課のように夜の街に繰り出したところ、「ラハイフス」というクラブでウォーカーと偶然再会した。リングの外では紳士のグレブが、一緒に飲もうと誘うと、人の良いウォーカーも座に加わり二人は次第に意気投合してきた。お互いにいい気分になって肩を組みながら、次の店まで向かう最中にウォーカーが酔った勢いで口走った一言がファイト再開のゴングとなった。
「なあハリー、お前が卑怯な手を使って親指を俺の目の中に突っ込まなかったら、俺に勝てなかっただろうな。あれはお前ら小ずるいオランダ人の使う手なんだ」
これを聞いて烈火のごとく怒ったグレブは、「何だと、アイルランドの間抜け野郎め!お前なんぞいつでも片付けられるぜ。片手で十分さ。なんならここでやるか」と叫ぶやコートを脱ぎ始めた。
喧嘩慣れしているウォーカーはこの瞬間を逃さず、両腕の塞がったグレブの顎にパンチを見舞ったが、一般人ならその場で卒倒してしまうウォーカーのパンチにもグレブはひるまなかった。素早く起き上がるや物凄いパンチの応酬が始まり、あれよあれよという間に周囲に人だかりがしてきた。何しろ現役のウエルター、ミドルの両世界チャンピオンがベアナックルで殴り合いをしているのだ。これに比べれば、日中に行われたポログラウンドでの試合に大枚を叩いた連中など、スパーリングを見物していたようなものだ。
やがてニューヨークの名物警官である一九〇センチの巨漢、パット・ケーシーが駆けつけて二人の首根っこをつかみあげるや大声で怒鳴りつけた。
「このろくでなしめ、いい加減にしないと、今夜は世界チャンピオン二人がブタ箱行きになるぞ」これが正真正銘、試合終了のゴングとなった。
プロ意識の高い二人が、双方十万ドルのファイトマネーを提示されながら再戦を拒んだのは、この日のダブルヘッダーで精根尽き果てたのかも知れない。派手好きでギャンブルと女性に目がない二人はよほどウマが合ったのだろう、この試合を機に終生の友となった。
グレブ四度目の防衛戦が稀に見るダーティファイトであったにもかかわらず、『リング』誌による一九二五年度最高試合に選出されたのは、往年のベアナックルファイトを彷彿とさせるような両者のなりふりかまわぬ喧嘩ボクシングが大勢の観客にこのエンターテインメントスポーツの原点を見せてくれたからなのかもしれない。
過去の防衛戦では、多忙な試合スケジュールをこなすために体力を温存したかったのか、明らかに手抜きと思われるようなダルファイトを演じていたグレブも、ウォーカーにだけは闘志剥き出しで向かっていったからだ。
一九二六年二月二十六日、グレブはMSGにタイガー・フラワーズを迎えた五度目の防衛戦で惜敗し、王座を追われた。ところが、この試合の判定は大きな波紋を呼んだ。ピッツバーグ・ポスト誌が八対五と採点したように、観客の多くもグレブの防衛成功と見ていたからである。グレブは三ラウンドにフラワーズのパンチで古傷をカットし、血が目に入って距離感がつかみにくくなったため、フットワークを最小限に抑えてパンチの手数でフラワーズを圧倒したが、唯一のジャッジであるレフェリーは有効打でフラワーズが優っていたと判断したのだった。
六ヶ月後の八月十九日、今度はジャッジ三人による採点方式でリターンマッチが行われたが、これも際どい判定となりスプリットでフラワーズが初防衛に成功した。この時はレフェリーが敗者のコーナーに駆け寄り、「ハリー、君は本当にタフだ。今日は君の試合だったよ」と労いの言葉をかけたほどグレブの優勢は誰の目にも明らかだったため、判定と同時に観客席には怒号が渦巻き、リングには次々と物が投げ入れられた。果てには大勢のファンがリングに乱入して会場は大混乱に陥った。
フィルムが現存していないので、はっきりとしたことは言えないが、グレブ、フラワーズの双方と親しいジーン・タニーが「明らかな不正判定」と断言しているところからすると、裏に賭け試合の胴元が絡んでいたことも十分考えられる。ただし、フラワーズがクリーンファイトに徹したことに比べると、グレブはラフで反則まがいのパンチも多かったため、その点がジャッジの心象を悪くした可能性もある。
タイトル奪還に失敗したグレブは引退を考え始めた。ピッツバーグに自分のジムを開く予定だったという。ところが、予期せぬ災難によって全ては終わってしまった。
歴戦のダメージによる鼻の損傷や度重なる交通事故の後遺症による気道の圧迫などによって呼吸がしづらくなっていたグレブは、その修復手術の最中に合併症を引き起こし、呆気なくこの世を去ってしまったのである。三十二歳の早すぎる死だった。
葬儀の時、先頭で棺を担いだのは、激闘を通じて親しくなったジーン・タニーだった。
グレブの最後の公式戦はフラワーズとの世界戦だったが、実はその直後にジーン・タニーとのタイトルマッチを控えたデンプシーのキャンプに招かれ、スパーリングパートナーを務めている。大勢のギャラリーの前で行われたスパーリングは、トレーニング不足のデンプシーがグレブのスピードに全くついてゆけず、改めてグレブの凄さを関係者に印象付ける結果となったが、これ以上デンプシーの恥をかかせたくないドク・カーンズからキャンプを追い出されてしまった。
デンプシー対タニー戦は無敵王者の貫禄でデンプシーが四対一で有利と出ていたが、グレブは身体のなまったデンプシーをベストコンディションに戻すことは不可能と判断し、タニーの勝利を予想していた。仲の良いミッキー・ウォーカーにも「タニーに賭けろ。タニーが勝つぜ」と誘ってみたが、デンプシーを尊敬しているウォーカーはデンプシーに賭けて大枚をすっている(九月二十三日)。
タニーに賭けて大儲けしたグレブは、その金を散財する間もなくわずか一ヶ月後の十月二十二日に急逝したが、結果として一人娘のドロシーに二十五万ドルもの大金を遺せたというのも皮肉な話である。
生涯戦績109勝 9敗(50KO)3分
ジャック・ジョンソンは「(グレブは)これまでに見た誰よりも速い」と驚き、ジャック・デンプシーも「レナードよりグレブの方が速い」と断言している。




