外伝 白猫ブランの日常
「二つの月が照らす、香渡りの少女~白猫ブランと歩む道」の外伝です。
また、こっちに来てから、何日経ったかしら?
高麗屋に住むのも悪くはないようね。
お食事も悪くはないわ。二つの月がある方では、食べられなかったものも、ここでは出てくるもの。たとえば、お魚。向こうはお魚をつかまえるのも一苦労らしくて、私は食べたことがなかったの。美味しいものね。
それに、私の言葉が分かる人間が少ないから、干渉されなくてラクだわ。
昼の私は、優雅に、自由に、過ごしておりますのよ。
高麗屋のお庭、陽のよく当たる縁台は、わたくしの特等席。
行き交う風はやわらかく、すべての香りが軽やかにほどけていくようよ。
あら、花がゆっくりと歩いてきたわ。
ふふ。可愛い子は、足音にすら気を遣うのね。
「ブラン、起きてる?」
わたくしは尾をひと揺らし、ゆるりと目を細めて答えた。
「……ええ。あなたが来たのですもの。起きてさしあげるわ」
もちろん、花にとっては音としては「にゃぁ」にしか聞こえていないのだけれど、それでも、彼女はいつも的確にわたくしの言葉を解するわ。これは彼女の“素質”ゆえ。この素質がある人間は、こっちでは思いのほか、少ないみたい。
ちょん、と花の指先が私の頭に触れた。わたくしはわざとゆっくり瞬きをする。昼のわたくしは、気品が大事なのだから。
わたくしはブラン。白き毛並みの、たいそう気品あふれる猫でございます。金色の瞳とうす青の瞳をもつ特別な猫ですの。だからこそ、二つの月が輝くあちらから、花のいるこちらへ来れたのです。
昼のわたくしは姫君であり、夜になれば……まあ、その、少々はしゃぐ少年となりますわ。
さて、今日は花のいる高麗屋の様子を少し観察してみることにいたしましょう。わたくしほどの者ともなれば、“香の揺らぎ”くらい、窓の紙越しでも感じ取れるますのよ。お縁も薄々気づいておられるのかもしれませんが。あの方には血の中にひっそりと香が香りますから。
さて、わたくしが廊下を歩いておりますと、花がひっそりと部屋に座っているようです。掌の上で、何やら七色の光が揺れておりましたけれど……あれは本人も気づいておりませんわね。ですが、ご安心なさい。わたくしは気づかないふりをして差しあげましょう。
そっと近づいて、花の袖へ前足をちょんと置いてみます。
すると花は「ブラン?」と目を丸くする。
……ええ、かわいらしいでしょう。触れた理由などございません。わたくしが触れたいから触れるのですわ。
そこへ、お咲が台所の方から現れました。あの方は花のことを大切に思っているのに、どこか遠くから見ているような瞳をしておられます。神隠しの前と後、花が違っていることを心のどこかで掴んでおられるのですわ。それでも少しばかり花に厳しい気もしますけれど、それをご本人も気づいている様子。感が鋭いのは悪くございません。わたくしは好ましく思っております。猫はお嫌いのようですけれど。
お咲は私を見ると、わずかに視線を細めてしまいます。
私がただの“猫”ではないと、薄々感じているような気もしますの。あのことをうっすらと思い出しているのかもしれませんわ。
「またブランが来てるのね」
お咲が眉を寄せていますわね。毛がつくとでも思っているのでしょうね。
花は照れたように「寄ってきてくれたの」と言う。
……わたくし、寄ってきた覚えはありませんの。わたくしは近くに来て差し上げたのですわ。
そこへ橙子が加わりました。橙子の背筋は、ほんとうにお見事。わたくしが人の姿であったなら、あのように歩いてみたくもありましてよ。
ただ、少しだけ緊張が強すぎますわね。花の前で背伸びする必要などないのに。「よい姉でいないと」などと考えているのかしら。
橙子は、わたくしを見ると「ブランは花に懐いているわね」と話しています。
……懐いてなどいません。わたくしが勝手にしているだけですのよ。
と、その時ーーー
庭の向こうを、赤い影がひゅ、と通ったような気がいたしました。
あれは……そう、赤猿の気配。いや、姿を見たわけではありませんわ。あの子は気配だけをわざと残すのがお得意ですもの。
まだこちらへ干渉する気はないようですけれど、気まぐれで動く存在ですから、油断はなりません。
花は首を傾げ、「いま、誰かいた?」と呟きます。
ふふ、よく感じ取ったものです。けれど、言わぬ方がよろしいわね。赤猿に構うのは骨が折れますもの。
夕陽が落ちていく。
空が橙色から紫に染まり、私の内側が、そろそろきゅっと入れ替わる時間だ。
夜風が気持ちよい。月が一つしかないのは、やはり少し物足りないけど、東都の夜は悪くない。
ーーー夜のわたくしは、少々やんちゃになってしまうのです。
庭の土の匂い、木々の湿り気、少し離れた路地から流れる人の気配。
全部ひとまとめにして、胸の奥がくすぐったくなる。
花の部屋の簾の上に飛び乗り、尾でゆらゆらと合図すれば、花が小さく笑う。
この笑顔のためなら、境を護る罰などどうということはないぜ。
「ブラン、また来たの?」
「当たり前だよ。花が一人でいるなんて、つまらないじゃないか」
夜の僕の話し方は少年のようで、花もそれを不思議そうに聞くけれど、別に説明なんてしない。
答えはいつか、自然に辿り着くんだから。
花が眠るまで、僕は側で丸まり、尾で布団の端を整える。
花が目を閉じる瞬間、胸の奥からほのかに香が立ちのぼる
本人はまだ気づかないけれど、世界はきっと、あの子に応えようといる。
僕も小さく息をして、花の額にそっと鼻先を寄せる。
昼の姫君も、夜のやんちゃも、どちらも、花を見ているためにここにいるのさ。
本編はシリアスムードですが、いかがでしたでしょうか?
お気に召していただけたら、幸いです。
本編にもまだ未登場のキャラ、さて、どういう風にからんでくるのやら。
第2話は、本日17時頃、投稿します。




