第1話
「恋って、どんな感じなんだろう」
子どもの頃、友達が漫画を読みながら「○○くん、かっこいい〜!」と騒いでいたのを、私は少し離れた場所から見ていた。
大人になってからも、同僚が婚約したとか、彼氏がプロポーズしてくれたとか、そんな話を楽しげにしているのを、私はうまく頷きながら聞いていた。
(いいなあ)とは思っていた。
でも、それは“ときめき”とか“恋愛”に対してではなかった。
誰かと手をつないだり、見つめ合ったり、キスしたり……そういうことを「してみたい」と思ったことは、実は一度もなかった。
「恋を知らない私は、欠陥品なんだろうか」
そんなふうに悩んだ時期もあったけど、二十七歳になった頃にはもう慣れていた。
たぶん私は、“恋愛感情を持たない人間”なんだ。
誰かを恋しく思うことはなくても、友達と笑ったり、誰かを応援したりするのは大好きだ。
それでいい、と今は思っている。
──そんな私が、ある朝、目を覚ますと草の匂いのする丘の上で寝転がっていた。
青い空と、まるで絵本のような山並み。
足元には、どう見てもゲームのUI風なウィンドウ。
《異世界転移完了》
《柊エリカ(ひいらぎ・えりか)》
《スキル:「心の防御力:9999」「恋愛耐性:∞」》
その瞬間、私は声を出して笑ってしまった。
「……やっぱり、仕様なのね」
私の人生は、最初から“こういう設定”だったらしい。
前の世界でも、たぶん今の世界でも、私は恋をしない。
けれど、それを悲しいことだとは思わなかった。
その直後、近くの城から駆けつけたという王子様らしき人物が、馬に乗って私の前に現れた。
「君が……召喚された勇者か!」
彼はまるで舞台から飛び出してきたような金髪碧眼の美青年で、声も仕草も堂々たる“ヒーロー”だった。
私がボーッとしているうちに、彼は手を取って、さらりと言った。
「出会った瞬間から感じていた。この想いは、運命だと──どうか、僕と恋に落ちてくれ!」
初対面でそれ言う!? って思ったけど、たぶんこの世界では“恋に落ちること”が本当に重要な意味を持つんだろう。
だから私は、できるだけ丁寧に、でも誤解のないように、こう言った。
「……ごめんなさい。私、恋はしないんです。でも、お知り合いにはなれて嬉しいです」
王子様は、一瞬本気でポカンとした顔をした後、目を見開いて口を開いた。
「ぼ、僕に……恋を、しないのかい?」
「はい、しません」
そのあまりにキッパリしたやりとりに、付き添いの騎士たちが目を伏せる。
どうやらこの世界では“恋愛感情を抱けない人”は、めちゃくちゃ珍しいらしい。
貴族社会では“誰に恋をしているか”がそのまま政治や交渉に繋がる。
恋愛感情のない者は、感情が未発達、心が未熟、と見なされる。
それくらい、恋が“人の価値”に深く根ざしている。
でも、私は違う。
私は、恋をしない。
だけど、誰かの恋を見守るのは、好きだった。
人が人を想い、心が揺れて、少しずつ惹かれていく――その過程を見るのは、何よりも美しいと感じる。
恋に焦がれて震える声。
何でもないやりとりに笑い合う瞬間。
離れてしまった手を、そっともう一度取るしぐさ。
私はそれを、誰よりも静かに見つめていたい。
そしてできることなら、そんな誰かの“恋の背中”を、そっと押してあげたい。
「恋をしない君が、恋を導くなんて、変だと思わないのか?」
そう誰かに問われたら、私はきっと笑ってこう答える。
「変だよ。でも、とても素敵な変わり者だと思ってる」
──そんなふうに思えたのは、この世界で初めて、一組の恋を繋いだ時のことだった。