第六話 弱いままじゃ、いられない
「おやおや、なかなか戻らないと思えば……こんな所で遊んでたんですね」
二人を見ていた男は、そう言いながら近づいてくる。
「これは―― 罰が必要ですね」
いやらしい弓なりの形をした目が、覗き込むようにミラリエの顔を見る。
「あなたが従順になってくれさえすれば、手間が省けるんですがねぇ」
男はニッコリとした笑みを貼り付けて言った。
ミラリエは身じろぎもせず、男の言葉を黙って聞いていた。
「妹さんに、責任をきっちり取ってもらいましょうか? あなたの代わりにねぇ……」
彼女の視線がわずかに揺れた気がしたが、それきり動きはない。
代わりに、腰に下げた長剣がカタカタと小さく鳴るだけだった。
「それとも……そこの女に」
「やめろ」
ミラリエの言葉に男は驚いたような声を上げた。
そして次には、くつくつと笑って、おどけたように肩を上下させる。
「ああ。これは大変だぁ。大変ですよ」
空気が、ぴんと張りつめた糸のように凍りつく。
誰も、何も言わない。
その静寂を破るように――ミラリエの横にいた少女が、声を出した。
「あんた……だれ?」
肉の包みを持ったリンカが睨むよう表情で言った。
※
「誰だって聞いてんだけど?」
男の笑みがヒク、と引きつる。
頬が痙攣し、真っ白な手袋に包まれた指先で、こめかみをトントンと叩く。
そして――静かに深いため息を吐いた。
真っ白なロングコートの襟を整えながら、男はゆっくりと顔を上げる。
その目には、静かな殺意のような光が宿っていた。
「私は、今、コイツと話しているんだ。だから、愚民は黙って下がっていなさい」
まるで舞台の役者のような芝居がかった言い方に、リンカはあきれたように返す。
「急に絡んできて何言ってんの? アンタ大丈夫?」
その一言で、男の顔から血の気が引く。
そして――わなわなと体が震え始めた。
唇を引きつらせ、真っ赤に染まった目をぎらつかせながら、怒声をぶちまける。
「なんだ? なんなんだこいつは……! 誰が喋っていいといった? お前か? お前か? おまえかぁッ!」
「……やば。ミラ、こいつ頭おかしい」
真面目にイカれ男の対応してる場合じゃない。
距離を取るようにリンカはミラリエの手を握ると引っ張った。
だが、縫われた様に彼女は微動だにしなかった。
何やってんの!
早くコイツから離れないと!
ミラリエの目を見て訴えるが……。
「ミラリエ。その愚かな女を処分しなさい!」
ピタリと空気が止まる。
「はぁ? 何言って――」
「この子は……関係ありません」
ミラリエは震える声で言った。
その瞬間、男は激昂し、腕を振り抜いた。
「誰に、誰に物を言っている! 誰に、誰に、だれにぃいぃ!」
拳がミラリエの頬をとらえ、鈍く、骨を叩くような音が響いた。
頬を赤く染めたミラリエからは避ける気配すらない。
そんな異常な光景。
殴られる彼女を目の当たりにしたリンカは頭の中が真っ白になった。
そして、気づけば男に向かって突進していた。
「ミラから離れろイカれ野郎!」
リンカは男の腹めがけて飛んでいく。
一直線の体当たりに男は派手に転んだ。
「ミラ! 何やってんの! 動けってば!」
「……ごめんね、リンカ。私は、行けないの」
「……!? 行けないってどういう――」
突然、体が吹っ飛んだ。
少しの浮遊感の後、ゴロゴロと地面に転がって止まった。
「あっ、ぐううぅぅ!」
何が起きたのか分からなかった。
お腹が燃えるように熱い。
体に力が入らない。
遅れて激痛がやってきた。
やり方を忘れてしまったのか息が吸えない。
目蓋の裏に白と赤のフラッシュが何度も光る。
歯を食いしばりなんとか顔上げる。
ぼやける視界には黒い影が揺らめいている。
それがゆっくりと近づいてくる気がした。
鈍く光る、何かを持って。
ミラの声が、遠くで泣いているように聞こえた。
リンカは震える腕を伸ばす。
「ミラ……に、げて……おねがいっ……!」
最後に聞こえたのは悲鳴のような怒号だった。
千切れる意識の端で燃え盛る炎の色が輝いていた。
※
軋む体と鈍痛。
フカフカのベッドに少し臭う布団。
ここがどこだか目を開けなくても分かった。
意識が戻ったリンカは体をゆっくりと起こす。
芸人が住んでそうな6畳1Kの部屋。
真新しい2つの部屋とローテーブルに置かれたスマホ。
何も変わってない。
ただ、1つ、足りない。
「ミラ」
ポツリとこぼした言葉が空気に溶けた。
ひょっこりと現れて心配してくれる彼女の顔を想像する。
だが居ない。
いつの間にか隣にいるのが当たり前な気がしてた。
別れの挨拶をしたわけでもないのに、なぜか、もう彼女には会えない――
そんな気がした。
「つか、あいつ誰だよマジで」
切なさを振り切って怒りが湧いた。
理不尽に絡まれて、私の友達を殴りつけて……。
思い出したら余計にムカついた。
それにあのわざとらしい喋り方もムカつく。
「痛い! あ、ムリだわ」
スマホを取ろうと体を捻ると腹を殴られ感覚が走る。
頼りない布をめくると、腹に広がるドス黒い痣が目に入った。
「あのイカレ野郎……。許すまじ!」
見つけ出してギッタンギッタンにする妄想がふわりと浮かんだ。
そういえば、アイツ……。『妹』とか言ってたよね?
男が口走った言葉は頭をぐるぐる回った。
(なにか事情がある……?)
しかし、だからといって何ができるんだ?
弱い私にできることなんて何もないんだ。
あのミラがただ、黙って殴られるような相手……。
ネガティブに押しつぶされそうになった時、ピコンと音がなった。
なんとかスマホを取ってロックを解除する。
画面上部に降りてきた表示には『新しいアンロックが――』の文字。
なんとなくマイスペ!を開くと、ビックリマークの項目があった。
【レベル3の到達を確認。洗濯機を開放します】
やったね。これで洗濯も楽ちんだよ。
乾いた笑いが溢れた。
洗濯機は嬉しいけどさ、今じゃないんだな。
リンカは一人で突っ込んだ。
そして、疑問が湧いた。
なぜレベルが上ったんだろうか、と。
『レベルっていうのは魔物を倒したり、力を付けたり、何か大きな問題を解決したり、そういう時に神様が分け与えてくれる力のことよ』
異世界で唯一の友達がそっと答えを耳打ちする。
「単純に痛い思いしただけなんだが! あ、イタイ」
うずくまって悶える。
「そもそも、悩みがあるなら言ってくれればいいじゃんか!」
痛さと引き換えに靄がかった心が晴れていく。
「つか、普通は逃げるだろ! あ、もう無理……!」
痛さに負けてベッドに身を預けた。
そして、自分の言葉にリンカは向き合う。
私ってホントなんにも知らないんだ。
異世界のことも、ミラリエのことも……。
表面だけ見て分かった気になってた。
そもそも見てもいなかったんだ。
自分の境遇にばかりに目がいって、周りを見る余裕なんてなかった。
そんな私のワガママにも、ずっと付き合ってくれたのが、ミラだった。
「変わらなきゃ。強くならなきゃ」
その時、リンカの胸に確信めいたものが宿った。
初めて弱音を吐いて、彼女の優しさに気付いて。
「ミラに会わなきゃ」
心に強い意志が吹き荒れる。
それは渦となってすべてを飲み込んだ。
そして、暴れて、混ざって、今、一つになる。
「待ってろ異世界! 目にもの見せてやるんだから!」
第六話、お読みいただきありがとうございました!
謎の男にやられたリンカ。
そのおかげで覚醒しちゃいました!
嫌々やってきたけど、現実を見てここから育っていけるように頑張って書きたいと思います!
次回は、変わり始めた日常を書きたいと思います。
またお会いしましょう!