第四話 トイレとお風呂と……
「リンカちゃん! リンカちゃんリンカちゃんリンカちゃん……!?」
「あばばばばっ」
ミラリエはリンカの肩を引っ掴むと、それはもうガクガクと揺さぶる。
「出たっ! ポンって! しかも、もう一つ部屋が急に増えて、あぁ! 訳が分からない……。説明して! 今すぐに、セ・ツ・メ・イ!」
「ひゃいぃー!」
慌てふためくミラリエに、がっくんがっくんのリンカ。
シェイクされた頭の中身がスムージーになっていく。
『なぜこんなことに……』と、ぼんやり浮かんだ。
※
今日も静かで緩やかな一日だった。
カウンターの奥で老婆はうたた寝。
風見鶏亭をパンとスープの優しい香りが包んでいた。
「ミラリエさん、ちょっと相談があるんですけど……」
「……ん?」
ミラリエはパンをちぎる手を止めると視線を向けた。
スキル『マイホーム』
ベッドでゴロゴロしていた時、ふいにそれが起動した。
『《マイホーム》を再設置しますか?』
画面に現れたその一文に目を見張った。
お金の目処が立ち始めたこのタイミングで、拠点まで確保できるなら願ってもない話だ。
「私のスキルを見て欲しいんですけど……。この村で、使われてない土地ってありますか?」
「……そうね。村の外れに使われてない畑があったはず。案内するわ」
朝食の後、彼女に案内された場所は、村の外れにある空き地だった。
「マイホーム……」
荒れ果てた畑の上で、ポップアップ画面が空中に浮かんぶ。
マイホームの設置準備が整う。
リンカがミラリエに視線を送るとコクリと頷いた。
それを合図に「はい」を選択する。
すると、空間がねじれ、光が揺らめき──やがて、一軒の小屋が畑の上に現れた。
「これが……私のスキル《マイホーム》です」
ミラリエの絶句をよそに、リンカは割れた扉を見つめ、苦笑いする。
(さすがに直ってるわけないよね……。こういうとこは妙にリアルでムカつく)
割れた扉。それを見てあの夜が蘇った。
隙間に見えたぎょろっとした目。
人型をした何かの気味が悪いうめき声。
もし、あれに襲われていたとしたら、もうこの世には……。
リンカの体がブルっと震える。
ドアノブに手をかけると軋んで「ギィ」と音が鳴る。
少し硬い扉を押し開けると、何も変わってない畳敷きの部屋があった。
「さあ、どうぞ上がってください」
「……え、えぇ」
声を掛けると、ミラリエのうつろな目が、はっと見開いた。
室内に入って、リンカは探る様に目線を泳がせた。
すると、キッチンの棚で止まった。
塩、胡椒、変なペーストしかなかった棚にしれっと置かれた黒い瓶。
それを手の平に少し垂らし、舐めると——
(醤油だ!)
慣れ親しんだ味がたまらなく嬉しい。
なぜ増えたのか? なんてこの際どうでもいい。
つまり、冷蔵庫も……!
「はいはい。一斤だけー」
『バムッ!』っと、乱暴に閉めた扉から怒った返事が返ってきた。
ここでふと、思う。
よく考えてみればこの食パン、もはやご馳走ではないか、と。
硬すぎるパンと獣臭全開のジャーキー。
それと比べてなんの変哲もない食パンだけど——
(醤油でいけば……)
さすがにそれはないな。
狂った考えを引っ込めて、他に変わった所がないか調べる。
ベッド、窓、ローテーブル—— の上に、黒い板がぽつんと置かれていた。
「うそ……うそうそ……。いや、ないよね? これ、なかったじゃん!」
思わず手が伸びる。
親の顔より見た、スマホ──にしか見えない、文明の塊。
でも、待って。ここ異世界だよ?
そんな便利グッズが現れていいわけがない。
「これで誰かに連絡とか……いやいや。そんな都合よく電波なんて飛んでるはずが……」
珍しく、冷静なリンカだった。
アレの性格を考えれば、どうせ「電波ありません♪」とか、「実はスマホじゃありませんでした~」とか、悪質なサプライズが待ってるに決まってる。
でも、それでも、やっぱり確認したい。
そっと電源ボタンに指をかける。
真っ黒な画面に、パッと明かりが灯った。
『うぇるかむ♪』
……もう、すでに嫌な予感しかしない。
画面が切り替わると、そこには見覚えのある待ち受け画面が。
気になっていた電波は謎のマークに”0”の表示。
『電話』や『アプリストア』はもちろんない。
やっぱりね。だけど、開けそうなアプリはある。
試しに『マイスぺ!』と書かれたそれをタップ。
【マイスぺにようこそ! このアプリは空間を自由に変更、または追加、削除が行える神アプリです♪ アプリ内課金有】
(おいおい、あの嫌がらせ神。アプリまで作ってんじゃん。神様ってもしかしてヒマなん?)
【操作に慣れよう! 手順に沿って”トイレ”を設置してみよう!】
……オッケー、マイスぺ。
騙されてやろうじゃん。かかってこいよ!
チュートリアル風の説明が始まると——
「一人で楽しむなんて、悲しい……」
「ぬ、わぁー!」
途端に心臓がキュッと潰れた。
隣に音もなく出現したふくれっ面のミラリエはツンツンとスマホ突く。
「さっきから一人でブツブツ……。一体何をやっているのかしら?」
「ご、ごめんなさい」
「別に怒っているわけじゃないわ。突然、ボロッと家が出てきて、リンカちゃんは一人で楽しそうだなって」
少しひんやりした態度で彼女は言った。
確かに放っておいたのは私が悪いけどさ。
でも、なんていったらいいか……。
リンカ自身もスキルについては何も知らない。
ただ、家が出てきて、調味料が増えて、スマホがあった。
それ以外、リンカもまだ分かっていないのだ。
きっと、その答えがスマホに眠ってる。そう考えていた。
「まず、これ見てください」
リンカはスマホの画面をぐいっと差し出す。
チュートリアルの説明が無機質に流れていく。
「えっと……。部屋の好きな場所を選んで、設置したいものを選んで、決定を押す。そうすると──出せる、みたいです」
「え? 出せるって……どこに?」
「どこって、この家の中に決まってるじゃないですか」
「えっ、ほんとに……?」
どこか不安そうなミラリエの指が、恐る恐るスマホをツンと突く。
「これによると、トイレが設置できるみたいですよ」
「……ちょっと待って。つまりこの絵の中のトイレがここに現れるのね? すごいわ。でも……そんなこと可能なのかしら?」
「さぁ? 分かんない」
「分かんないって……」
「だって分かんないんだもん」
そうミラリエに言うと、リンカは嫌がらせ神のことを思い浮かべた。
『スマホの中にトイレ設置~☆ きゃはは! 現実でもバーチャルでも引きこもりのリンカちゃん、かわいいぃ~♪』
実は出来ないという現実味のある嫌がらせ……!
リアルにそう思った。
「とにかく一回やってみます」
そして、リンカはトイレを選択したまま『決定』を押す。
すると——
壁は光の粒となって霧散した。
かと思えば、新たな粒子が運ばれ、形作った。
ピントが合うように輪郭が浮き彫りになっていくと、パズルのピースが嵌るように、そこにひとつの空間が収まった。
リンカは出来立てほやほやのドアのノブを、ゆっくりと捻った。
中には白く輝くトイレが鎮座していた。
そっと扉を閉めて、もう一度開く。
間違いなく存在している。
リンカはスマホを覗くと、一瞬消えたと、錯覚するほどの指捌きで操作。
そして『決定』。
トイレの横の空間がパッと発光すると、新たな個室が現れる。
「ガチャリ……」
もう一つのドアを開くと、小さめのバスタブと壁にはシャワーヘッドが付いたホースが伸びている。
タイル張りの少し古臭い、正真正銘のお風呂がそこにあった。
※
そして、尋常じゃない早さの揺さぶりがリンカを襲っている。
なんとか止めるのに成功した。
しかし、ミラリエは何故かこの世の終わりみたいな顔をしていた。
ミラリエが落ち着くのを待ってから、りんかはぽつりぽつりと、語り始めた。
スキルで家を出せること。
なぜかは分からない。だが物が増えたこと。
スマホのアプリから家を操作できること。
まだまだ、他にもあった。
それらを聞いた後、ミラリエは考え込むような姿勢で固まった。
「ミラリエさん」
「どう、ほうこく……。え、な、何かな……!」
「お風呂、入りません?」
リンカの手には真っ白なタオルが二枚。
それを震える手で触ると、驚いたようにミラリエは目を見開いた。
「とりあえず、せっかくお風呂あるんだし、楽しんじゃいましょうよ」
「え、でも……。お風呂って、え、あれ? もう一つの部屋って、お風呂だったの?」
「うん。トイレにお風呂。乙女の必需品。少し狭いけど、ギリギリ二人で入れなくもないし、行こ?」
「そんな贅沢なもの……」
「気にしない気にしない。私、お世話になりっぱだし、それに臭いしね。私たち」
「リンカちゃんがそう言うなら……。て、今くさいって——」
そんなこと思ってたんだ……。
ミラリエの呟きがリンカに届くことはなかった。
そして、この出来事が、ほんの始まりにすぎないなんて……。
その時のリンカは、まだ知る由もなかった。
読んでくださって、ありがとうございます!
今回はトイレ、お風呂を設置する回でした!
ミラリエとのお風呂どうなるんでしょうか?
次回はお風呂回とトラブルが発生する予感!
不便な世界だからこそ、支え合える日常を描けたらと思います。
それでは、また第5話でお会いしましょう!