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魔王と味方

 連れ去られてから一日が経った。

 ジェームズは食事を持って来る度に、私が誓約書にサインをしていないのを見てため息をついている。隙を見てジェームズを襲えないか、とも思った。しかしあれ以来、彼は用心棒を必ず引き連れて部屋にやって来る。得物もない状態でむやみに襲い掛かるのは危険だ。

 __そして、魔王はあれきり帰ってきていない。


「はあ、できることがない…」


 部屋の中は探索しきった。しかし、脱出の糸口となりそうなものは何も見つからなかった。


「……破いてしまいたいわ」

 

 部屋の真ん中に位置するテーブルの上には誓約書がある。目に付きやすく、見る度に忌々しい第一王子を思い出させてくる。

 のろのろと誓約書を手に取る。何度見ても、署名する気が全く起きないふざけた内容だ。

 誓約書の上端が破れかかったところで手を止め、ため息をつく。


「あいつを変に刺激するのはよくないわね…」


 誓約書をテーブルに放り投げるようにして机の上に戻し、ソファに座る。


(……ルイ殿下に会いたい)


 見るだけで安心して心が温かくなるあの笑顔の持ち主に、会いたい。恋しくてたまらない。こんなところを早く抜け出して、彼のもとへ走ってゆきたい。たとえ告白ができなくても。もう一度、あの笑顔を私に向けてほしい。

 上を向いて彼の顔を想像するも、だんだんと視界は無機質な天井に戻ってしまう。想像上の明るい彼の笑顔と現実の暗い天井の落差に耐えられず、思わず目を閉じた。——そのときだった。


「…はぁっ、なんとかなるものだな……。おい、こっちの扉の前に来いっ!」


 扉をすり抜けて部屋に入ってきた魔王が慌てたように叫んだ。


「…! あなた、どこに行っていたの?」

「いいから早く来い!」


 何の説明もない魔王に疑問を感じながら、指示通り扉の前まで移動する。

 すると、扉の向こうからコツコツと人が歩く音がする。

 ジェームズかと思ったが、用心棒の足音は聞こえない。ジェームズはいつも二人でやってくるため、一人分の足音しか聞こえないのはおかしい。

 だんだんと近づいていた足音は、この扉の前まで来たところで止まった。


「あのっ、どなたかいらっしゃいますか!」


 意を決して声をかけた。


「…おや、その声は。……ふむ、少々お待ちください」


 扉に鍵がかかっていることを確認した向こうの人物がそう言う。どこかで聞いたことのある声だと考える間もなく、ギィッと音がして部屋に光が差し込む。扉は簡単に開けられていた。


「あ、あなたは舞踏会のときの…!!!」

「またお会いしましたね、オベール嬢」


 扉の向こうにいた相手は、舞踏会のときにテラスで出会った紺色の髪の青年だった。扉が開けられた瞬間、彼の右手の上で土がうごめいていたように見えたが、顔を確認してからもう一度見たときには、それは消えていた。


「あ、あの…!」


 とにかく状況を説明しようとしたその時、廊下の奥から二人分の足音が聞こえてきた。


「…ゆっくりお話しする時間はないようです。察するに、オベール嬢はここから出たいのですよね?」

「っ! ええ…!」

「でしたら、私についてきてください。詳しいお話は後で伺いましょう」


 青年は短剣を取り出し、鎖を断ち切った。差し出された手をとり、彼と一緒に駆け出す。彼は警備の薄い廊下を迷いなく進んでいった。

 ところが、人のいない隙を狙って一階まで階段を駆け下りたとき、階段の上と廊下の先から使用人たちの話声が聞こえてきた。


「…仕方がないです。一度地下まで降りましょう」


 青年に頷き、足音に気をつけながら素早く階段を下りる。

 先ほどよりも幅が狭い階段で、下へ行く毎に肌に触れる空気が冷たくなっていく。

 階段を下りた先には、厳重な鉄の扉があった。

 ——気のせいか、扉の奥から獣の唸り声が聞こえるように感じた。


「…ここまで人が来ることはないはずです。おそらくやり過ごせたので戻りましょう」


 一階まで戻り、入り組んだ廊下を慎重に進む。

 青年がある部屋の扉を開けると、そこは人気のない物置だった。

 積み重なる木箱を足場にし、物置にあった窓から脱出を果たした。


「むこうの森を抜けた先に、私の馬車を用意しています。そこまで気を抜かずに行きましょう」


 今頃、第一王子は私が部屋にいないことに気づき、捜索を手配しているかもしれない。私は周囲を警戒しながら、青年の後に続いた。

 しばらくすると、一台の馬車が見えた。


「レオ様! ご無事でなによりです。…そちらの方は?」

「ああ、屋敷で偶然居合わせたオベール嬢だ。事情があってお連れした」

「左様ですか。さあ、お乗りください。予定通り、お屋敷に戻られるのでよろしいですか」

「ああ、頼んだ。オベール嬢、お手を」


 レオと呼ばれた青年が差し伸べた手をとるのに、少し躊躇する。第一王子の別荘から抜け出すことができたのは彼のおかげだが、彼の正体も目的も分からない。この人物についていってよいものか、判断が難しい。


「…私は決して貴方に危害を加えるような者ではありません。どうか、信じていただけませんか。それに、……そちらの魂。それに関しても、私はお助けできますよ」

「っっっ!? これが、見えて…!?!? えっ??」


 青年は明らかに魔王を見つめていた。当の魔王は、憮然とした顔で青年を見つめ返している。


「どうですか?」


 衝撃の告白に、開いた口が塞がらない。しかし、こうなった以上、選択肢はひとつしかなかった。



 私たちが乗り込むと、馬車はすぐに動き出した。

「ここまでくれば安心ですよ。申し遅れました。私はレオといいます」

「レオ、様。まずは、助けていただきありがとうございます…」

「オベール嬢は私に聞きたいことが色々あるでしょうが…。先に私からの質問にお答えください。なぜ第一王子の別荘に閉じ込められていたのですか?」

「実は…」


 これまで自分の身に起こったこと、そして第一王子が語った企みについても話した。


「ふむ…、相変わらず第一王子のやることには反吐が出ますね」


 レオは、ジェームズに対してかなり敵対的な考えを持つ人間のようだった。


「次は私の質問に答えてください。レオ様は何者で、なぜあの別荘にいたのですか?」

「…私が何者なのかについては、いろいろ片付けた後にお話ししましょう。ただ、あそこにいた理由は、第一王子の不正を暴くためです。ああ、そうですね…。私は第二王子の味方だと思っておいてください」

「ルイ殿下の…?」

「ええ、そうです。落ち着いたら、彼にも貴方のことを伝えましょう。きっと心配しているでしょうから」


 そう話しているうちに、目的地に着いたようだった。


「ここは私の所有する屋敷のひとつです。今夜は遅いので、こちらにお泊りください。屋敷の者たちには、丁重にもてなすように言っておきます」

「レオ様はどうなさるのですか」

「私はやらなければならない仕事を片付けてきます。明日には戻りますので、どうかごゆっくりお休みください」


 出迎えた執事に事情を伝えたらしいレオは、また馬車に乗り込んでどこかへ行ってしまった。


(一番聞きたいことを、まだ教えてもらっていないのに…)


 去っていく馬車の姿が見えなくなったところで、屋敷のある方向へ振り返る。こうなったら、ここにいる魂に直接聞くしかない。



「…で、どういうこと?」

 

 食事の時間までこちらでおくつろぎください、と執事に案内された部屋には、私と魔王しかいない。レオがいなくなった今、話を聞けるのは魔王だけだ。


「…話してやってもいいが、これは我がしたいことをしただけだ。決してお前のためではない。それを忘れるなよ」


 そういえば、魔王は昨日も同じようなことを言ってから部屋を出ていった。


「…わかったわ。それで、レオ様にはあなたの姿が見えるのね?」

「…ああ、そうだ。我も驚いたことだがな」


 彼の言っていたことは、やはり本当のようだ。


「いつからレオに見られていることに気づいたの?」

「舞踏会の日だ。あいつは我の存在に気づいて、こちらを舐めまわすように見ていたからな。なぜ我を見ることができるのかは分からんがな」


(なんで私は気づかなかったんだろう…)


 あの日は魔王のことをはしゃいだ子どものようだ、とか思っていたが、周りが見えていないのは私の方だったようだ。

 反省はこのくらいにしておいて、レオが魔王を見ることができる理由について考えようと頭を切り替える。しかし、魔王が呪いをかけた対象は私だけのはずだし、当の魔王ですら分からないと言っているのだ。情報が少ないこの状況では考えても無駄かもしれない。

 それよりも——。


「それで、助けを呼んでくれたのね」

「…まさか、舞踏会の日に見た気味悪い奴が、ムズ男の屋敷にいるとは思っていなかったがな。あいつは屋敷内で我の姿を見て、すぐにこちらを追ってきたのだ。だからお前のいた部屋まで誘導したまでだ」

「……ありがとう」

「だから、我が勝手に自分のためにしたことだ! 礼を言われる筋合いはない!」

 

 そうだとしても、その行動のおかげで、私は今無事でいることができているのだ。


(今まで一緒に過ごしてきた中でも感じていたけれど、魔王って実はそんなに………)


 そこまで考えて、思考を振り払う。

 とにかく、危機的状況から脱したとはいえ、まだ事が解決したわけではない。今日は身体を休めよう。

 食事もまだであるというのにベッドの上へ寝転がった私は、頭に度々浮かんでくる思考に翻弄されないように、かたく目を閉じて早く眠気がくることを願っていた。

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