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番外編 -侍女アンの日常ー

 私はオベール侯爵家の長女であるアリシアお嬢様にお仕えする、侍女のアンです。


 お嬢様が七歳、私が十二歳の頃から、この侯爵家に勤めています。


 今日は久しぶりに良く晴れたので、これからお洗濯を干しに行くところなのです。

 洗濯物干し場に行くには、途中で鍛錬場の横を通ります。今日も騎士の方々が訓練に励んでいるようで、木刀のぶつかり合う音や床を激しく蹴る音が聞こえてきます。


 しかし、いつも聞くその音の中に、鈴の音のような綺麗な声が混ざっているような気がします。


「ここの足を踏み出す動作で緩急をつけると、…このように、敵に動きが読まれにくくなるのです」

「なるほど! さすがアリシアお嬢様です!」

「お嬢様、ぜひ私にもご指導を…!!」


 お嬢様が何人のも騎士様に囲まれています。

 しかし、見ない顔の方ばかりです。


(うーん……。あっ! あの訓練服に描かれている紋章は、第二王宮騎士団のものでは…!?)


 あの騎士様たちは、王宮騎士団の団員なのでしょうか。

 そんなことを考えていると、騎士様たちとのやり取りを少し離れたところから見ていた屈強な身体の男性が、お嬢様に近づいていきます。


「おい、お前たち。そんなに何人もいっぺんに指導を頼むんじゃない。令嬢が困っているだろう。…申し訳ない、アリシア嬢」

「かまいませんわ、団長。では、皆さんご一緒に今の動き方を練習いたしましょう」

「こいつらの願いを聞いてくださり、感謝いたします。急にご指導を依頼したというのに、快く引き受けてくださって」


 どうやらあの男性は第二王宮騎士団の団長様で、お嬢様は騎士団の方々に剣のご指導をしているようです。これも、お嬢様が英雄と呼ばれるようになった影響からでしょうか。


 ——いけません。つい足を止めてしまいました。早く洗濯物を干しに向かわなくては。


 お洗濯の後にも、仕事は山のように残っています。

 アリシアお嬢様の身の回りのお世話は、ほぼ全て私の担当なので、たくさんの仕事をこなす必要があるのです。


 侯爵家の令嬢に侍女が一人しか付いていないなんて、異例のことなのです。

 前侯爵夫人がご存命の頃は、私を含めて五人の侍女がお嬢様に付いていました。

 しかし、現侯爵夫人が来てから、お嬢様付きの侍女は他の使用人から冷遇されるようになり、ひとり、ふたり、と徐々に辞職するか現侯爵夫人のもとへ異動していきました。


 それでも私は、お嬢様のために働き続けることを選びました。お嬢様はこの屋敷の誰よりも、素晴らしい心の持ち主なのです。私はそんなお嬢様に忠誠を誓っています。


 さて、干し場に到着しました。ここには何本もの長いロープが細い柱の間にかかっています。すでにロープに干されている洗濯物が、風にぱたぱたと靡く音が心地よいです。


(……ふう、大分干し終わりました。あとはこのハンカチを洗濯ばさみで留めて……あっ!!)


 突然吹いた強風によって、ハンカチが飛ばされてしまいました。

 風に乗って逃げるハンカチを急いで追いかけます。


「はぁ、はぁっ…」


 かなり遠くまで飛ばされて行ってしまっています。走るのにも疲れて息が上がってきました。

 

 屋敷の中庭にまで来たところで、ハンカチを見失ってしまいました。ですが、ここで諦めるわけにはいきません。あのハンカチは、”お嬢様の”ものなのです。


 きょろきょろと辺りを見回していると、ハンカチの行きついた場所を発見することができました。

 しかしそこは、———中庭に立つ、背の高い木の上だったのです。

 

「ふう…。あともう少し…っ」


 私は意を決して木に登ることにしました。

 ハンカチはかなり高い所にある枝に引っかかっています。近くまで登れたのはいいものの、下を見ると恐怖心が増してきます。


 中庭の近くを通っていく他の使用人たちは、木に登っている私に気づくと足を止めます。

 しかし、私が侯爵夫人に目をつけられているアリシアお嬢様の侍女だと認識すると、声をかけたり助けようとすることもなく、関わらまいとすたすた歩いて行っていしまいます。

 かまいません、いつものことですもの。


「やった…! とれました!!」


 何とか手が届き、無事にハンカチを回収することに成功しました。

 あとは下りるだけですが、今乗っている枝は細いので、慎重に動かなければ——。


「わぁ…! すごい高いところに上っているのね! 私もやりたい!!」

「…!」


 現れたのはミアお嬢様です。

 興奮したミアお嬢様が、木の下に駆け寄ってきます。


「ミアお嬢様…! そこは危険ですので、お戻りくださ……きゃっ!」


 また強風が吹いたので、ハンカチがまた飛ばされないようにすることを第一に考えた私は、両手でハンカチを握りしめてしまいました。

 支えがなくなった不安定な身体は、ミアお嬢様のいる地点へ落下を始めます。


 もう駄目だと思いながら目を瞑ったそのとき、予想していた衝撃とは違い、細いながらも強かな腕が、私の背中を受け止めた感覚がしました。


「あ、あぶなかった……。大丈夫? ミア、アン」


 目を開くと、そこには焦りと安堵の混ざったアリシアお嬢様の表情がありました。


 ミアお嬢様に当たる前に、アリシアお嬢様が私を受け止めてくださったのです。

 安心したのもつかの間、俗にいう“お姫様抱っこ”を自分の主にさせてしまっている状態だと気づきました。


「も、申し訳ありません…! アリシアお嬢様!! すぐに降りますっ!!」

「うーん…、アンは大丈夫そうね」


 アリシアお嬢様はそう言って、私をゆっくりと地面に降ろしてくれました。


「ミアは大丈夫かしら?」

「うんっ! びっくりしたけど、おねえさま、すごくかっこよかった!!」

「ありがとう。でも、こんな高い木に登ろうとしちゃだめよ」


 アリシアお嬢様はかがんでミアお嬢様の頭を優しくなでています。

 ほほえましい光景にほっこりし、私もだんだんと落ち着きを取り戻してきました。

 さて、ハンカチも取り戻せたことですし、お嬢様のおかげで一件落着——。


「あっ!!」


 突然大きな声を出した私に、お二人が驚いてこちらを見ています。


「お嬢様のハンカチが…。申し訳ありません、アリシアお嬢様…!!」

 私が持っていたハンカチには、小枝がささって穴が開いてしまっていました。


(木から落ちてくるところを主に助けられるだけでなく、主の所持品をダメにしてしまうなんて…。侍女失格ですっ…!)


 自分の不甲斐なさに泣きそうになっている私とは対照的に、アリシアお嬢様は柔らかく微笑んでいます。


「なぜあんな高いところにいたのかと思っていたけれど、私のハンカチが木に引っかかってしまっていたのね。私のために頑張ってくれてありがとう、アン」

「しかし、破れて…」

「あら、そんなの気にしなくていいわ。貴方が無事ならそれでいいの」

 

 アリシアお嬢様はそう言って笑います。

 

 私がお仕えし始めたころから、お嬢様はこのように優しく寛大で、それでいてとても強いお方なのです。やはり、この方に生涯を捧げてお仕えしたいと改めて感じます。


 お嬢様の心遣いに感謝する一方で、いまだにハンカチが破れてしまった事実に落胆している私がいます。

 そんな私の様子を見てか、お嬢様がこう言いました。


「うーん…、そうね。ねえ、アン。その穴の上から刺繍をすることってできるのかしら」

「えっ、そうですね…。このくらいの穴なら可能だと思います」

 

 ハンカチから小枝を引き抜いて、穴の大きさを確認した私は、お嬢様の問いかけに対してそう返しました。


「じゃあ、刺繍をお願いできるかしら? 直せるのなら、まだ使いたいの」

「もちろんですっ!!」

 

 刺繍は私の得意分野です。お嬢様からのお願いに喜んで答え、どのような図案にしようかを考え始めます。


「ねぇねぇ、“ししゅう”って、私にもできる?」


 下を向くと、ミアお嬢様が私の服の裾を、ちょこっ、と掴んでいました。


「簡単なものなら、ミアお嬢様にもできると思いますよ!」






「できた!!」

「お上手です、ミアお嬢様!」


 ミアお嬢様の手元を見ると、新しく用意したハンカチに綺麗な花の刺繍がされていました。

 幼いながらとても器用な方のようです。


「うーん…。私もできたけど、なんか形がおかしいような…」


 そう言ったアリシアお嬢様は、刺繍の終わったハンカチを広げて首をかしげています。


「でも、しっかり猫に見えますよ!」

「え? ウサギさんじゃないの?」

「いや、これ馬…」


 残念ながら、アリシアお嬢様が刺繍したものを私とミアお嬢様は当てることができませんでした。


 ——なぜかアリシアお嬢様は、ハンカチから顔を上げて空中を睨んでいます。手元ばかり見ていて目が疲れてしまったのでしょうか。


 それはともかく、お嬢様の刺繍したものが動物だということは当てられました。

 それだけで、幼いころよりもお嬢様の刺繍が上達したことが分かります。


(あとは練習あるのみですよ、お嬢様!)


 いつかお嬢様に、自分で刺繍したハンカチを渡したいと思う殿方が現れたなら——。そのときは、このアン、全力でお手伝いいたしますからね。

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