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私の婚約者フレッド伯爵子息は、明るくて仲間思いなんですけど、私にセクハラする騎士団長に文句の一つも言えません。だったら、ダサいですけど、私を守ってくれる男性に乗り換えます!私にとっての王子様に!

作者: 大濠泉

◆1


 私、ガーネット・スカット子爵令嬢は、ネクタイをキュッと締めて、いつにも増して、意気込んでいた。

 魔法学園を卒業して以来、二年経って、ようやく仕事にありつけたからだ。

 今日、初出勤する。

 朝食を終えて席を立つと、ちょっと過保護気味の母親が、声をかけてくる。


「大丈夫? 男性ばかりの仕事場なのよ。

 そもそも、どうして貴女が……」


 それなりの身分の貴族令嬢なのに、騎士団の後方勤務になったから、心配らしい。

 とはいえ、いくら男性社会の騎士団といっても、食事や装備の手配をする後方勤務には女性もいるし、指揮官クラスは高位貴族の子弟で占められている。

 それに、この仕事を斡旋してくれたのは、お父様のお気に入りの人物だ。


「お母様、心配ご無用よ。

 許婚者のフレッドが紹介してくれたんだから。

 少なくとも、男性絡みの悪い噂を立てられることはないわ」


 婚前の貴族令嬢にとって、「男性絡みの悪い噂」はタブーだ。

 でも、許婚者と一緒の職場なら、心配ない。

 実際、私の許婚者フレッド伯爵子息は、騎士団の副団長を務めている。

 たとえ悪いオトコがいたとしても、私に手を出してくることはないだろう。


「あの子ーーフレッド君は、同性に好かれやすいお方のようねぇ。

 お父さんなんか、すぐに意気投合しちゃって」


 溜息をつくお母様に、私はちょっと惚気のろけた。


「暗い嫌われ者より、よっぽど良いんじゃない?

 私、明るい男性(ヒト)、好きよ。

 みんなと仲良くするのが好き」


 それでも、お母様は安心しきれないようだ。


「私は落ち着いたヒトの方が良いんだけど……」



 そんな会話を交わしているうちに、玄関口に、お迎えの馬車が来る。

 車体にはブリュレ伯爵家の家紋が刻まれている。

 婚約者のフレッド・ブリュレ伯爵子息が窓から手を振っていた。


 お父様に言わせれば、フレッドは「理想的でかつ現実的」な婚約者だ。

 爵位が上で、しかも我がスカット子爵家の寄親であるブリュレ伯爵家のご子息である。

 しかも、ふんぞり返って、偉そうにしない。

 気さくな性格をしていて、誰相手にもすぐに馴染む。

 私もお父様も、そこが気に入っていた。

 身分が下の私に対しても、丁寧に扱ってくれるのが嬉しい、と言ったら、


「『身分が下』って……いずれ君と結婚して、僕がスカット子爵家を継ぐんだから、そういう言い方はよしてくれよ。

 ほんと、僕の名前に『様』なんか付けないでくれよ、頼むから」


 と、フレッドは照れながら言っていた。

 私の婚約者は、そういう男性だった。



 やがて、私、ガーネット子爵令嬢とフレッド伯爵子息を乗せた馬車が、騎士団が駐屯する練兵場に到着した。


 フレッドは部下の騎士たちとも仲が良いらしく、「元気か?」「おおよ!」と声をかけ合い、互いの肩を叩き合っていた。

 騎士階級の者だけじゃなく、騎士に付き従う従者にまで、みなに気を配る。

 もちろん、同じ指揮官クラスの先輩貴族たちとも、気さくに歓談している。


 そして、フレッドは、自分の直接の上司である騎士団長ダイモス・ボーマン公爵子息を、私に紹介した。

 ダイモス騎士団長は、フレッドよりもさらに身分が上の公爵子息だ。

 しかも、代々、騎士団長を輩出する三大公爵家の一角を占めるボーマン公爵家の長男で、王族とも縁続きだ。


 実際、フレッドは、かなりダイモス騎士団長に入れ込んでいるみたいで、ニコニコ微笑みながら、私に耳打ちした。


「ダイモス騎士団長は、身分が高いだけじゃない。

 強いんだ。

 先代のアモス家の騎士団長と決闘して、地位を奪い取ったほどさ。

 今日の訓練で、その片鱗が窺われると思う」


 今日は十名ほどの新米騎士と、その従者を集めての演習が行われる。

 彼らは、一名の先輩女性騎士の指導の下、捕獲した魔獣を相手に闘うことになっていた。


 討伐する魔獣は、三つの頭に分かれた猛犬、ケルベロスだ。

 獰猛な魔獣で、街に侵入した際は、大勢の騎士たちが協力して討伐する。

 人喰いの魔獣としても有名だ。


 見ているだけでも足が竦むような化け物を、練兵場の広場で解き放つ。

 案の定、新米騎士たちは悲鳴をあげて逃げ惑い、あっという間に陣形を壊されてしまった。


 その隙を突いて、魔獣が新米騎士たちに襲いかかる。

 今にも、彼らは、鋭い牙で切り裂かれ、食い破られてしまうーーと思ったら、いきなり魔獣が横に吹っ飛び、練兵場の壁にぶち当たった。


 突然の出来事に、魔獣は目を白黒させる。

 そして、あらぬ方向を睨みつけて吼え始めた。

 新米騎士たちではない、真の敵に向かって、魔獣は威嚇したのだ。


 魔獣が敵視する相手は、反対側の壁際にいるダイモス騎士団長であった。


 でも、ダイモス騎士団長の方は、一見すると、魔獣相手に何もしていない。

 ところが、彼が腕を組んだまま、顎をしゃくるだけで、獰猛な魔獣が這いつくばる。

 首の上から押さえつけられたような姿勢になっていた。

 まるで見えない手を伸ばして、押さえつけたかのようだ。


(あれは……)


 よく見たら、ダイモス騎士団長の腹部から、うっすらと白く輝く何かが伸びている。

 太い一本の幹から、無数の枝に分かれているような形だ。

 そして、その枝が、タコの足のようにウネウネしてる。

 ソイツが魔獣の手足に巻きついて動きを止め、上から首根っこを押さえつけている。

 ウネウネして、柔らかそうでありながら、相当な力を秘めているようだ。


 私の隣で、フレッドが得意げな表情でささやいた。


「ガーネット、魔法が使える君になら、わかるだろ?

 ダイモス騎士団長は、魔法剣士なんだ」


◆2


「魔法剣士」とは、「魔法を使える剣士」のことだ。

 剣士は肉体強化に魔力を使っているので、さらに魔力を振り分けて魔法を外へと展開させることは難しい。

 豊富な魔力を必要とするうえに、魔力を巧くコントロールできなければならない。

 だから、魔法剣士は稀有な存在なのだ。


 しかも、あれほど遠い場所から、人には見えない触手を伸ばして、獰猛な魔獣を屈服させるのは、並大抵の力量ではない。

 さすが騎士団を統率する騎士団長なだけはある。

 私、ガーネットは素直に感心した。


 練兵場の広場では、動けなくなった魔獣を、新米騎士団員全員で攻撃していた。

 みなで手にした剣で突き刺していく。

 魔獣の三本の首のうち、二本がすでに落とされ、地面には血溜まりが広がっていた。


 最後に、指導役の女性騎士が、魔獣にトドメを刺し、演習は終わった。


 周りは男性ばかりだったから、銀色のイヤリングを付けた女性騎士の存在は、ひときわ目立っていた。

 彼女は、肩にも胸にも革製の防具を付けている。

 頭には、革のバンダナ。

 腰には、厚手のベルト。

 脚には、強靭なロングブーツ。


 フレッドによれば、彼女の名はエミリア。

「姫騎士」という二つ名を持つ、伯爵令嬢なんだそうだ。


「ダイモス騎士団長は決闘に勝利して、あの姫騎士エミリア伯爵令嬢もゲットしたんだぜ」


 フレッドが熱弁をふるううちに、そのエミリア伯爵令嬢が、私の許に近づいてくる。


「あら、この可愛い娘さんは?」


 姫騎士から声をかけられて、フレッドは振り向きざまに、満面の笑みを浮かべた。


「紹介します。

 このたび、後方支援職に就いた、ガーネット子爵令嬢です。

 いちおう、俺の婚約者(カノジョ)っス」


 姫騎士エミリアは、亜麻色の髪を掻き分けながら微笑んだ。


「おふたりの仲、私も応援するわ。よろしくね」


 ヒュー、ヒュー。


 いつの間にか、私の後ろに集まっていた男どもが、囃し立てる。

 私とエミリア嬢だけが、この場にいる貴族令嬢だから、目を惹くのだろう。


 騎士団の連中は、たいがいが貴族とは名ばかりの騎士爵の身分だ。

 しかも、実際に、騎士団には多くの平民が所属している。

 従者という身分で、騎士の剣や防具、馬の世話などを受け持っている。

 この練兵場には、そうした従者たちも、大勢、集められていた。


「これで新入りは揃ったな。いつもの、やるぞ」


 ダイモス騎士団長が、剣を地面に突き立てて宣言する。


「みんなで団結! 心をひとつに!」


 そう言って、自らエミリア姫騎士らに手を回して肩を組み、円陣を作る。

 もちろん私、ガーネットも、婚約者のフレッドも、一緒に円陣に加わった。


 おおおおおーー!


 と声をあげて、気合いを入れる。


 が、そのときーー。


(キャッ!?)


 私は思わず、声をあげそうになった。


 誰かに、胸を触られた。

 お尻もだ。


 でも、実際に、私の両隣で肩を組んでるのは、彼氏のフレッドとエミリア嬢だ。

 痴漢を働くとは思えない。


(いったい誰がーー?)


 私は周囲に気を配る。

 そして、ようやく気づいた。

 遠くからの怪しい視線を。


 エミリア嬢のさらに向こうには、ダイモス騎士団長がいる。

 あの、魔法の触手を巧みに操る魔法剣士が。


 実際、彼は私の方を見て、ニヤリと薄ら笑いを浮かべていた。


(まさか。見えない触手で、ダイモス騎士団長が!?)



 円陣が解かれると、すぐに私はダイモス騎士団長の許に向かう。

 そして、訴えた。


「ああいうの、やめてください」


「気づいてたか」


 ダイモス騎士団長は銀色の甲冑をまとった姿で、肩をすくめた。


「スキンシップだよ。良いじゃねえか。減るもんじゃなし」


 厳つい顔でヘラヘラ笑う。

 黙ってたら渋い男なのに、なんだよ、このふやけた表情は。

 私は拳を握り締めた。


「減ります。心のエネルギーが!」


 実際、初日から、上司にこんなことされたら、仕事もやる気がなくなってしまう。


「わかった、わかった。

 副団長の説明と違って、お堅いんだな」


 そう言って、手を振りながら、ダイモス騎士団長は立ち去った。


 が、私の心からは、モヤモヤが消え去らない。


「副団長」とは、私の婚約者フレッドのことだ。

 いったい彼は騎士団長に、私をどう紹介したんだろう。


(誰とでも遊ぶ女とでも?)


 うつむき加減でブツブツ言っていると、姫騎士エミリア嬢が身を寄せてきた。

 騎士団長と私が話してるのを気にかけたらしい。


「ごめんね。あのヒト、すぐ調子に乗るから」


〈見えない触手〉で触られたのが、わかるのだろうか?


「見えるの?」


 と問うたら、エミリア嬢は申し訳なさそうに首を横に振った。


「私、肉体強化魔法しか使えないし、他人の魔力を測れない。

 でも、ダイモス騎士団長から何か、力が出てることぐらいはわかる。

 そのとき、全身がザワザワして……」


 うわっと、私は口に手を当てた。

 騎士団長のカノジョであるエミリア嬢は、普段から彼の痴漢の餌食になっているのか。

 見えない触手でいじられるのは、さぞ気持ち悪いだろう。

 ほんとに同情する。

 さすがに貴族ゆえ、婚前交渉はしていないと思うけど、だからといって、騎士団長だけがお触りし放題ってのは……。


「付き合うの、やめられないの?」


 思い切って尋ねてみたら、エミリア嬢は自分の耳に手を当てる。


「この銀色のイヤリングを付けるのは、俺の婚約者だって、ダイモス騎士団長が。

 結婚した暁には、金色のイヤリングをやろうって……」


「嬉しい?」


「……ウチの両親、ダイモス騎士団長の家の寄子だから」


 貴族社会は縦社会だ。

 寄親と寄子の結び付きで、領土の分配も、従軍の際の配置も決められている。

 寄親貴族家からの命令は、親や上司の命令も同然だった。


 エミリア嬢は自分の両親に心配をかけたくないから、家柄でも役職でも上司であるダイモス騎士団長に対して、一切文句が言えないらしい。


 おかげで騎士団長は、好き放題に振る舞っている。

 現に今も、遠くから見てると、触手を伸ばして、従者の女の子の身体をまさぐってる。


「きゃあ!」


 甲高い声をあげて、従者の娘は、キョロキョロと辺りを見回す。

 だけど、当然、かなり離れた位置にいる騎士団長が犯人とは思わない。


 魔法の触手は一般人には見えないから、タチ悪い。

 結局、従者の娘は、近場にいる男性を睨みつけてしまっている。

「あのオトコが痴漢を働いた!」と誤解している。

 いきなり睨まれた男の人も、わけがわからず、可哀想なことだ。


(なんとかしないと……)



 私はフレッドに相談した。

 ダイモス騎士団長が、魔法の触手で、女性にイタズラをしている。

 貴方は副団長なんだから、なんとか注意して、やめさせてくれないか、と。

 でも、駄目だった。

 フレッドはいつも通り、明るく笑うだけだった。


「騎士団長は、たしかに女の子にだらしないんだけど、良いヒトなんだ。

 うまくこなしてくれよ。

 団員や従者からの人望も厚い、職場のお偉いさんなんだぜ」


 フレッドにはあの触手が見えないから、リアリティがないんだ。

 私は頬を膨らませる。

 そんな私を気遣うように、彼は話を逸らせた。


「そんなことよりさ、ひとり新入りが欠けてたことがわかったんだ。

 もうひとり新人が来るはず。

 君と同期ってことになるけどーーおや、これは!

 騎士団長と同じく魔法騎士だってよ!」


◆3


 新たな新入りが、ずいぶんと遅れて登場した。


 練兵場の広場に姿を現わした「新人クン」は、男性にしては低い身長だった。

 女性の私ほどの背丈だ。

 そして、身にまとう服装は酷いものだった。

 一応、剣は腰に提げているけど、シャツもズボンも布地が切れてボロボロになってる。

 しかも、騎士団に入団を希望していながら、防具をまったく付けてない。

 髪は真っ黒で、伸ばし放題。女性のように長い髪だ。

 顎には無精髭が生えている。

 おまけに、突っ立ったまま、ボーッとしていた。


 指揮官クラスの貴族はあんぐりと口をあけている。

 騎士爵の騎士や、平民の従者たちは、ヤジを飛ばす。


「なに? あの、ムサイの」


「髪の毛ぐらい、切ったらどうだ? お嬢さん!」


「スラムから来たのかよ!?」


 ハッハハと、みんなで笑う。


 遅れてやって来て、ほんとうによかったと思う。

 演習中だったら、大いに緊張感が削がれて、新米騎士のひとりぐらいは魔獣に殺されていたかもしれない。


 ダイモス騎士団長が、「新人クン」の身なりを見て、眉をしかめる。

 フレッド副団長に大きな身体を寄せて、問いかけた。


「誰の紹介だ?」


 フレッドは履歴書などの資料に目を落としながら答えた。


「外務省からの口利きのようで。

 どうやら外国からの招待らしくーー詳しくは、わかりません。

 でも、書類は正式なものです。

 ちょっと探ってみますね」


 フレッドは小走りで新人クンに近寄って、親しげに話しかけた。


「キミ、外国から来たんだって?」


 新人クンは、彼の方を見向きもせず、ぶっきらぼうに答える。


「はあ。入国したのは三日前っス」


「何処から?」


「北の方っス」


 北方には蛮族が多い。

 なるほど、とみなが納得した。

 ボロい服装も、手入れの行き届かない髪型も、蛮族文化の影響らしい。


「爵位は?」


 とフレッドが尋ねると、サラリと答える。


「そーいうの、ないっス」と。


「なんだよ、平民か」


 フレッドは、気を遣って損した、とばかりの反応をした。

 私は、婚約者の意外な一面を見た気がした。



 しばらくして、練兵場の広場に、大勢の料理人が丸焼けの魔獣肉を持ってきた。

 演習で退治した魔獣ケルベロスの焼肉だ。


「無礼講だ。好きに食べていいぞ!」


 そう言ってから、ダイモス騎士団長が自ら率先して、ナイフで肉を裂いてかぶりつく。


 わあああ!


 と歓声をあげて、男どもが魔獣肉に群がった。


 その一方で、私のような女性は、男どもの熱気に気圧され、食事に手がつかない。

 エミリア嬢、そして従者の女の子と十人ほどで固まって、男どもが喰らいついていない野菜サラダを小皿に分けて味わっていた。


 ふと見れば、誰とでも仲良くなりたがるフレッドらしく、彼は新人クンをご飯に誘っていた。

 が、断わられたようだ。


「僕、草食系なんで」


 と新人クンの受け答えは、シンプルかつ否定的なものであった。

 そして、私たち女性のように、小皿に取り分けられた野菜サラダに舌鼓を打っていた。


 すげなく断られたフレッドは憤慨する。


「キミ、無礼だぞ!

 先輩の、しかも貴族からの誘いを断るなんて」


 ところが、副団長が先輩風を吹かせても、新人クンは意を解さない。


「あれ? おかしいっスね。

 先程、騎士団長が『無礼講だ』っておっしゃってましたが?

『無礼講』ってのは、身分や礼儀にこだわらず、好きに振る舞えっていう意味かと」


「むっ……!」


 フレッドは怒り心頭に発したようだ。


 でも、私も肉ばっかし食べるの、好きじゃない。

「新人クン」のように、先輩が突っついてきても、自分を通せるのって、偉いと思う。


(といっても、ボーッとして、何考えてるか、わかんないけど……)



「新人クン」の方に気を取られた隙を突かれたのだろう。

 また、騎士団長が見えない触手を、私に伸ばしてきた。

 今度は、背中からお尻を触られる。


 私は身を震わせて、婚約者のフレッドにしがみつく。

 彼は新人クンとの会話を終えたあと、私の許に来ていたのだ。

 私が身をくねらせるのを見て、何が起こっているのか察したようで、フレッドは励ますように明るい声をあげた。


「いいじゃん。気に入られてる証拠だよ」


「そうじゃねえだろ!」と思いつつも、周りでは、男どもが焼肉を、女子たちはサラダを、それぞれ楽しそうに頬張っている。

 せっかくの楽しい食事の雰囲気を、台無しにするのは気が引けた。


(わからないんだ、この気持ち悪さが。目に見えないから……)


 私は、必死になって自分に言い聞かせる。

 婚約者が悪いわけではない。

 お触りしてくる騎士団長が悪いのだ、と。


 とはいえ、制止する者がいないせいで、騎士団長は増長する一方だ。

 さらに、私は胸を揉まれる。


 それでも、彼氏はささやく。


「スキンシップだよ」


「うん……」


 私は目に涙を滲ませながら耐えた。


(我慢、我慢ーー)


 しばらくして、触手が伸びてこなくなった。


 婚約者は、「偉い、偉い」とばかりに、私の頭を撫でる。

 それからすぐに彼は私から離れて、先輩騎士が集まっているところへ出向いていく。


 私は大きく息を吐いて気を取り直し、隅っこで独りで食事を摂ることにした。

 肉も切り取って、「ヤケ喰いしてやる!」と意気込んだ。


 すると、遠巻きから、新人クンが、黙って、こっち見てるのに気がついた。

 なんか、イラッと来た。

 だから、私の方から近寄って、顎を突き出した。


「なに? アンタ、なんか私に言いたいことでも?」


「いや、無駄な努力してるなぁ、と思って」


(見えるんだ、このヒト……)


 そう思うと、私は余計に腹が立った。


「無駄な努力ですって? 酷い言いようね。

 アンタになんか、わかんないわよ。私のーーいえ、女性の苦労なんて。

 場を乱さないように、精一杯、我慢してるんだから。

 アンタこそ、空気読みなさいよ」


 新人クンは、ジッと私の顔を見詰めてから、スッと視線を逸らした。


「すいません。僕、そういったこと、良くわかんなくて」


 そうつぶやくと、そそくさと飲み物コーナーの方へと立ち去っていった。

 おかげで、私の心にはモヤモヤしたものが残ってしまった。



 魔獣の肉はたっぷりあって、食事はまだまだ続いている。

 そこへ、外からガヤガヤと人々が歓談する声が響いてきて、一段と騒がしくなる。

 練兵場に、新たに大勢の男女が入ってきたのだ。


 ダイモス騎士団長は赤ら顔で、声を張り上げた。


「コイツらは、騎士団に新たに入った従者たちだ。

 今宵は歓迎会だ。さあ、飲むぞ!」


◆4


 百名近くの騎士団員と従者が、練兵場で、魔獣肉を取り囲んで食事を楽しんでいる。

 その最中に、大勢の従者が追加で二百名ほどやって来た。

 従者は男性だけじゃない。

 女性も後方支援役として騎士団に追随する。

 これで私、ガーネットやエミリア嬢と同じ女性が、五十人余りになった。


 歓迎会は盛り上がり、飲み食いを楽しみ、お酒もたっぷりと入ったのだろう。

 次第に男どもの視線が、練兵場の隅に固まる女性陣に向けられてきた。


 そのタイミングで、ダイモス騎士団長から、悪ノリが過ぎる提案が出された。


「おお、女性のメンツもかなり揃ってきたじゃないか。

 そうだ。

 今度は飲み食いじゃなくて、〈男女の無礼講〉と洒落込もうじゃないか!」


 今宵は誰が恋人、誰が許婚者なのかも、みんな忘れて、目についたお気に入りに言い寄って、遊ぼうじゃないかーーというのである。


 私、ガーネットや、従者の娘たちはサッと青褪めて、身を硬くする。

 その一方で、こうした悪ノリに慣らされた女性もいる。


「もう。こんなことばっかり……」


 と、文句ありげに言いながらも、エミリア嬢は、サッとフレッドに身をもたれかける。


「私と付き合う? 断っても良いのよ。可愛い彼女がいるんだし」


 フレッドは、「嬉しいですよ!」と大はしゃぎ。


 そして私の目の前には、案の定、大男が立ち塞がっていた。

 騎士団長ダイモス・ボーマン公爵子息である。


「当然、俺と付き合ってくれるよなぁ」


 腕を組んだまま、騎士団長は真顔になる。

 その瞬間、見えない触手が、私の胸に、そして太腿に、無遠慮に伸び始めた。

 そして、低い声でささやく。


「抵抗する?

 ーーしても良いけど、問題になるよ?

 俺は君の彼氏のブリュレ伯爵家の寄親である、ボーマン公爵家の嫡男だ。

 ブリュレ伯爵家、引いては彼氏のフレッドにも迷惑がかかる。

 そうなると、君のお父様であるスカット子爵もーー」


 大きな身体をゆっくりと押し付けながら、言い寄ってくる。

 騎士団長の荒い息が、私の首筋にかかって気持ち悪い。


(もう、我慢の限界!)


 そう思って、涙目になったときーー。


 バシャア!


 大量の水が流れる音がした。


 新人クンが手洗い用のたらいをひっくり返して、騎士団長の頭に水をぶっかけたのである。


「なにしやがる!?」


 ダイモス騎士団長は立ち上がり、目の前に立つ、チビの新人クンを見据える。


「頭を冷やしてもらおうと思って」


 なんでもないように答える新人クンに、横合いから、フレッドが怒鳴った。


「遅れて来た新人のくせに、勝手なことすんな!

 空気、読めよ! みんなが迷惑だろ」


 珍しいモノでも見つけたかのように、両目を見開きながら、新人クンはフレッドに言い放った。


「たしかに、僕は空気が読めないっス。

 けど、彼女が嫌がってることぐらい、わかるんで。

 アンタも彼氏なら、自分のカノジョの気持ちぐらい、汲んでやったらどうっスか?」


 新人クンは、私、ガーネットの方に指をさして言った。

 フレッドは、顔を真っ赤にさせる。


 その様子を見て、フン、と息を吐くと、ダイモス騎士団長は、ゆっくりと剣を抜いた。


「こいつは教育が必要だな」


 騎士団長の恫喝を耳にして、怖くて、みんな、身を退き始めた。


 エミリア嬢が、私に抱きついてくる。

「姫騎士」とも称される女性が、ガタガタ震えていた。


「こうなったら、騎士団長は手がつけられない……」


 エミリア嬢の肩や胸に当てられた革の防具が、少しズレる。

 その隙間から、赤い傷痕が覗いていた。

 私はハッとした。


(この傷は刃物によるもの!?)


 そうか!

 オシャレと思った革の防具は、じつはDV隠しだったのだ。

 エミリア嬢は、これまでも、騎士団長の触手で両手足を動けなくされたあと、好きに切り付けられて、脅されていたに違いないーー。


 先代の騎士団長から奪い取った、という話を、美談のように聞いたのが間違いだった。

 エミリア嬢は、イヤイヤながらに奪われた〈戦利品〉だったんだ。


(ちくしょう。誰か、止めてよ、騎士団長(アイツ)を……)


 中央で対峙するふたりーーダイモス騎士団長と〈新人クン〉を、みなと一緒に、私も固唾を呑んで見守っていた。


◆5


 練兵場では、騎士団員同士の決闘が始まった。


 三百名を超える騎士や従者が見守る中、騎士団長と、謎の〈新人クン〉とが対峙する。


 ところが、剣を抜いたのは騎士団長のみ。

 新人クンは、剣を腰に提げたまま、相変わらず、ボーッと突っ立っていた。


 隙だらけ、と見込んだのだろう。

 ダイモス騎士団長が、素早く剣を突き立てた。


「おらあ!」


 が、新人クンは、サラリと()わす。

 ボロい姿に似合わず、悠然とした動きだった。


「フン、これでも逃げられるかな!?」


 騎士団長は、剣を振り下ろすと同時に、見えざる触手を何本も突き出した。

 目にも止まらぬほどの、凄まじい速さの攻撃だ。


 だが、新人クンは黒い髪をなびかせつつ、そのことごとくを躱す。

 しかも、恐るべき早技をみせた。

 攻撃を仕掛けてくる触手のすべてを、彼はことごとく素手で叩き落としたのだ。


(す、凄いーー!)


 私は息を飲んだ。


 魔法を操れない一般人が見れば、何が起こっているのか、わからないだろう。

 ただ、新人クンが、騎士団長からの剣による一撃を躱したあとは、身体をのらりくらりと左右に揺り動かしながら、時折、手でヒュッ、ヒュッと空を斬っているようにしか見えないはず。


 でも、魔法使いである私、ガーネットには、ふたりの戦いがしっかり見て取れた。


(あの新人クン、明らかに、触手の動きが見えてる!?)


 そういえば、フレッドが言っていた。

 あの新人クンも、魔法剣士だったんだ。


「このガキ、ちょこまかと!」


 ダイモス騎士団長は、ハアハアと息切れをする。

 その一方で、新人クンは涼しい顔をしていた。


「じゃあ、こちらからも行きますよ」


 新人クンの両拳が真っ白に輝く。

 魔力による光ーーこれまた、一般人には不可視の現象だ。


 今、新人クンの両手には、膨大な魔力が込められているはず。


 ダイモス騎士団長にも、新人クンの拳が放つ輝きが見えるのだろう。

 驚愕の表情を浮かべながら、闇雲に剣を突き立てた。


 が、無駄だった。


 騎士団長の剣撃を躱し、新人クンは、騎士団長の剣を素手で叩き折る。

 そして、拳を握り締めると、騎士団長の顎先に一閃!


 ガツン!


「うっ!」


 顎が砕ける鈍い音と、呻き声を残して、ダイモス騎士団長は一発で倒れた。

 そのまま白眼を剥いて、地面に倒れ込み、昏倒する。

 騎士団長は、口から泡を吹き、四肢を痙攣させていた。


「やっぱ、剣を握るまでもなかったっスね」


 新人クンは倒れた騎士団長を見下ろしながらつぶやく。

 そして、みんなの方を向いて、頭を下げた。


「すいません。空気読めなくって。

 でも、僕、こーいったヒト、好きじゃないんで」


 沈黙が場を支配する。

 ついさっきまで、何百名もの男どもが、ワイワイ騒ぎながら飲み食いし、悪ノリして盛り上がっていた。

 ところが、その乱痴気騒ぎを仕切っていたボスが、ダサい新人クンによって一撃のもとに葬り去られたのだ。

 男どもの酔いも一気に醒めていた。


 そんな緊張した空気を、最初に吹き飛ばしたのは、私、ガーネットだった。

 パチパチと盛大に拍手しながら、新人クンの許に駆け寄った。


「貴方、凄いじゃない!? 胸がスッとしたわ!」


 私は抱きつく。


「ありがとう、助けてくれて。

 貴方、気に入ったわ。

 私と付き合って!」


 騎士団長の魔法触手が見えない人には、突拍子もない反応に見えただろう。

 でも、構うものか。

 上司からの執拗な性的嫌がらせから、このダサい新人クンが助けてくれたんだもの。


 私の後ろで、許婚者のフレッドが、


「な!? なにを」


 と、驚きの声をあげているけど、知るもんか。

 私は新人クンを抱き締めながら、フレッドを睨みつけた。


「貴方こそ、エミリア嬢と付き合うんでしょ!?」


「いや、だってこれは遊びでーーまさか、本気で婚約を解消する気じゃないよね!?」


「あら。もちろん、本気よ。

 本気で貴方との婚約は解消させてもらうわ。

 貴方なんか、カレシじゃない。

 あんだけ、困ってる、嫌だって言ったのに。

 我慢しろ、空気読めって、そればっか」


 フレッドは喉を詰まらせるのみ。

 すると、少年の叫び声が広場に響いた。


「そうだ! ボクも騎士団長にはムカついてたんだ。

 ようやく倒れたんだ。ざまあみろ!」


 倒れた騎士団長を取り巻く群衆の中に、ひとりの騎士見習いがいた。

 彼は前に進み出て、泣き崩れた。


「ボクがチビだからって、馬鹿にして……」


 何があったのか、具体的にはわからない。

 でも、おおかたの想像はつく。

 少年は、ダイモス騎士団長にからかわれ、いたぶられ続けていたのだろう。

 続いて、大勢の男たちが同調し、騎士団長の非難を始めた。


「俺もだ。いつもいつも、パシリに使いやがって!」


「俺たちは団長のオモチャじゃないんだぞ!」


 私の周りには数多くの騎士団員、そしてその従者たちがいた。

 彼らは、地面で伸びてる団長に近づくと、それぞれに蹴りまくった。


「団長には、酷い目に遭わされた」


「そうよ、そうよ!

 私もお尻触られるの、嫌だったんだからね!」


 わあわあ!


 ダイモス騎士団長が気絶しているのを良いことに、大勢の人々が鬱憤晴らしとばかりに、騎士団長が半殺しになるまでに蹴りまくる。

 私以外にも、痴漢被害者がいたみたいで、彼女たちには触手は見えなかっただろうに、直感で騎士団長が犯人だと見抜いていたらしい。


 その群衆の中には、エミリア嬢までがいた。

 彼女は革の防具をすべて脱ぎ捨て、プレゼントされたイヤリングまで投げつけていた。


 部下である一般騎士や、平民出身の従者たちから、最高指揮官たる騎士団長が、集団リンチをくらっているーー。

 そうした惨状を目にして、副団長フレッドは呆然と立ちすくんでいた。


 私は新人クンの身体から身を(ひるがえ)し、鼻を鳴らした。


「ふん。これのどこが『人望が厚い』っていうのよ。

 みんな、我慢してただけじゃない!」


「くっ!」


 婚約者のフレッドは私を睨みつけ、拳を震わせる。

 そして、拳を振り上げ、私に殴りかかろうとする。

 

 が、私の横で、新人クンが睨みを利かすと、拳を下ろして、背を向けた。


「けっ、おまえみたいな尻軽女、こっちから願い下げだ。

 どうなっても知らないぞ!」


 捨て台詞を残して、私の婚約者は立ち去っていった。


「なんか、すいません」


 と、なぜか、新人クンが、私に頭を下げる。

 私は慌てて、両手を振った。


「良いのよ。スッキリしたわ。

 で、どうなの? 私と付き合ってくれるの?」


「はあ。自分、女性と付き合ったこと、ないんスけど」


「じゃあ、私、初カノじゃん。嬉しい!

 とりあえず、婚約解消のために、お父さんを説得しなきゃだから、一緒にウチに来てくれない?」


「マジっスか?

 いきなり、ご両親と面会って、ハードル高くないっスか?

 普通は、結構、何回かデートして、相性なんかを確かめあって……」


「もう、いいじゃない、そんな細かいことはどうでも。

 騎士団長をこんなにしたんだから職場を変えなきゃだし、婚約も解消するっていうんだから、いろいろ大変なの。責任取ってね」


「ええ〜〜嫌ですよ」


「もう! 空気読んでよ」


 私の口許から、自然と笑みがこぼれた。


◆6


 私、ガーネット子爵令嬢の職場初出勤は、かくして波乱のうちに幕を閉じた。


 ようやく見つけた就職先を失い、おまけに、あれだけ親しんでいた許婚者のフレッド伯爵子息とも喧嘩別れになってしまった。


 でも、新しい出逢いもある。

 私の気分は爽快であった。


 そして、そんな日の夜、「新人クン」を、お父様に会わせたところーー。


 突然、お父様が片膝立ちになって、頭を下げる。

 お母様まで、両膝をついて、胸の前で手をクロスさせてる。


「こ、これは、ベルク王太子殿下。

 我がスカット子爵家にようこそ」


「私どもの娘、ガーネットの無礼、ひらにご容赦願います」


 驚いたのは私だ。


「はあ? 王太子!?」


 思わず声が出てしまったが、それを無視して新人クンは面倒くさそうに手を振った。


「ああ、そーいうの、いいんで。

 楽にしてください。

 あなたがた大人のヒトは、人生の先輩なんスから、僕なんかに頭下げる必要ないっス」


 なんでも、我がドラム王国の王太子ベルク・ドラムは、今年、長い留学から帰って来られたんだそうな。

 北方に聳えるマランツ山に、剣神の称号を持つ剣士がおり、彼の下で長い間、修行をなされていたらしい。

 そして、見事、剣神流の免許皆伝を受けた後、「人々の暮らしを知りたい」と仰せになり、外務省を介して外国人枠として王国騎士団に加入したという。


 お父様は新人クンを上座に導いたあと、恐る恐る尋ねる。


「お忍びでお仕事をなされると伺っておりましたが、まさか娘のいる職場とは。

 で、娘が何かしでかしましたか?」


「いえ。何も。

 単に、僕が上司を殴ってしまっただけで」


「へ!?」


 ベルク王太子は、私の方に向けてウインクする。


「あ、一応、名誉のために言っておきますけど、お嬢さんは、僕なんかと違って、しっかりと空気を読んで、何もしませんでしたよ」


 私は頬を膨らませ、立ち上がった。


「なんか、その言い方、好きじゃない!

『何もしませんでしたよ』って、酷くない?

 してたんだからね。我慢ってヤツを!」


 私と新人クンのやり取りを眺めたあと、改めて、お父様は顔をあげて尋ねる。


「ところで、殿下。

 いったい我が家に、何しに来られたんですか?」


「娘さんから、お聞きください」


 ベルク王太子に軽くいなされ、お父様とお母様が、ジッと私を見詰める。

 さすがに、私は喉を詰まらせた。


(『この新人クンと婚約する』って言うつもりだったんだけど、さすがに……。

 まさか王太子殿下だったとは。

 学業も、とんでもなく優秀だったんだよね。

 私なんかとは釣り合わない……)


 目をグルグルとさせて思案に暮れていると、新人クンが、ポンと頭を叩く。


「また、我慢ですか。懲りない人ですね」


 微笑みを浮かべてから、ベルク王太子殿下は胸を張って宣言した。


「お嬢さんと婚約いたします。よろしいでしょうか」


 いきなりの爆弾発言に、お父様とお母様は驚いて、のけぞった。


「ええええ!?」


「子爵程度の身分では、とてもお相手にーー国王陛下は、なんと?」


 お母様からの質問に、新人クンは小首をかしげる。


「父の許可は、まだ取ってません。これからですね」


「はああ。なんてこと、してくれたんだ」


 お父様は恨めしそうに、私を見る。

 その一方で、お母様は両手を合わせて、笑顔を見せた。


「ふふふ。おめでとう。

 お母さんは、前のヒトより、今度の王太子殿下の方が好きよ。

 アンタも変わったわね」


 私も笑顔になった。


「うん。これから、もっともっと変わるつもり。

 まずは、無駄な努力をしないようにする!」



 結局、私と新人クンとの婚約に、国王陛下も王妃殿下も、手放しで賛成してくれた。

 国王も王妃も、息子が女性に興味がなくて、ヤキモキしていた。

 お見合いさせようとしても、「自分には早い」というばかりだったという。



 国王陛下から婚約の許可をいただけた日、王宮内の庭園で殿下とお茶をした。

 そのとき、私が、


「まさか、あのダサい〈新人クン〉が王太子殿下だったなんて。

 しかも、私と婚約してくれるとは。

 ほんと、人生って、何が起こるか、わかんないわね」


 とつぶやいたら、ベルク王太子も同意した。

 そして、笑った。


「僕はともかく、君の方が僕を知らなかったことが驚きだよ。

 同世代の貴族子女なのにさ。

 ああ、そういったら、ほかの騎士団にいた人たちも一緒か。

 よほど僕の格好が、みすぼらしかったとみえる」


 私は頬を掻きながら、


「王太子殿下なんて、遠くからちょっと見たときあるっていうくらいの、遥か雲の上の存在だったから……」


 と口籠るしかない。


 実際、舞踏会とかで、ベルク王太子殿下の姿を遠目で拝見したときはあった。

 でも、彼の背丈が低いうえに、大勢の高位貴族令嬢に取り囲まれていて、顔を見ることすら諦め、当然、ダンスのお相手をする身分でもないため、私は、ひたすらお料理とデザートを頬張るモブ令嬢に徹していたのだ。


 公爵子息であったダイモス騎士団長や、人脈が広いフレッド伯爵子息が、「新人クン」がベルク王太子と気づかなかったのは意外だったが、それもわからなくはない。

 七年にも渡る外国留学だったうえに、身分を偽った履歴書と、舞踏会の時とは大違いの、伸ばし放題の長髪、ボロくて貧しい身なりをして登場したため、それと察知できなかったのだろう。

 もっとも、フレッドの場合は、「新人クン」に爵位を問うた際に、「そーいうの、ないっス」と答えられたため、「なんだよ、平民か」と思ってしまったことが大きかった。

 だが、それは、ベルク王太子が、「自分は王族で、貴族じゃないから、爵位はないんじゃないかな?」と思っていたので、気軽に答えただけだった。


 とにもかくにも、ベルクは王太子であるにもかかわらず、異様なほど、自身の社会的な身分や立場に無頓着で、ひたすら個人としての肉体的・精神的な強さの向上をこころざしていたがゆえに、そもそも貴族連中の価値観と反りが合わなかった。

 その結果、「お仲間」と貴族から思われ難かったことに「身バレ」しなかった原因がある。


 だから、私、ガーネットは、王太子殿下が今までしてきた生き方自体に興味を持った。


「それにしても長い留学よね。

 大変だったんでしょ?

 剣神流の免許皆伝って。

 ほかにも何かしてたの?」


「そうだね。

 魔法とか、神話研究とか、いろいろとね」


「ふうん。凄いわね。

 おかげで、今まで、多くの貴族令嬢を泣かせ続けたってわけかぁ」


「女性ってものに興味が持てなかったんだ。

 子供だったってわけだね。

 今までは、もっと知りたいことが多くてさ。

 他人に構ってなんか、いられなかった。

 でも、今は、君のことがもっと知りたい」


「……なによ、急に。

 王太子殿下は、口説き文句の研究までしてたの?」


 私の顔が赤くなったことは、頬が熱くなったことでわかる。

 恥ずかしさを誤魔化すために、殿下と熱いくちづけを交わしたーー。


◇◇◇


 そして今現在、私、ガーネット・スカット子爵令嬢は、ベルク王太子殿下の婚約者として、王妃教育を受けている。

 教育を受け始めて知ったのだけど、王妃という立場は、思っていたよりもずっと重要だった。

 王室の維持のみならず、国家繁栄のために、内政にも外交にも気を配る必要があると知ったのだ。

「子爵令嬢ごときが、王妃になるのは許せない」という高位貴族からの反発や嫌がらせは後を絶たないけど、今はとても充実した生活を送っている。

 私は幸せだ。


 一方、ダイモス・ボーマン公爵子息は重傷を負ったうえに、騎士団長を解任された。

 騎士団員からの告発があって、魔法の不正利用の罪に問われたのだ。

 ところが、名門公爵家の長男だったこともあり、罪は軽くて済んでしまった。

 とはいえ、不名誉な評判がいつまでも付いて回り、ウンザリしたダイモスは心身回復後、「名誉挽回の機会を得るため」と意気込んで、自ら進んで戦争の最前線へと乗り出した。

 だがしかし、悲惨な結果に終わってしまった。

 激闘の末、敵軍の捕虜となり、何年も収監され、拷問されたのである。

 そのせいか、捕虜交換の際に帰国したときには、魔法が使えなくなって、廃人同然になっていたという。


 ちなみに、エミリア伯爵令嬢は、ダイモス騎士団長との婚約を解消してからすぐに、新たな恋に落ちていた。

 相手は剣も握ったことのない平民の音楽家で、夫婦になった結果、彼女は平民降下した。

 それでも、暖かい家庭を築いて、幸せに過ごしている。


 元婚約者のフレッド・ブリュレ伯爵子息は、私、ガーネット子爵令嬢から婚約を解消されたあと、不運続きとなった。

 騎士団の副団長であり続けようとしたが、団員からの人望を失った結果、解任。

 その後、婚活に勤しむが、ただでさえ次男坊ゆえに婚姻が難しいうえに、ガーネット子爵令嬢にフラれた男で、しかも、フラれた理由が、

「婚約者が、性的嫌がらせを受けているのを承知しながら、助けようとしなかったから」

 と知った女性たちから、激しく嫌悪された。

 結果、縁組みができず、持ち前の明るさはすっかり失われ、親許の部屋住みとして、鬱々と暮らしているという。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。

 今後の創作活動の励みになります。


●なお、以下の作品を、ざまぁ系のホラー作品として連載投稿しておりますので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!


【文芸 ホラー 連載版】

『滅国の悪役令嬢チチェローネーー突然、王太子から婚約破棄を宣言され、断罪イベントを喰らいましたけど、納得できません。こうなったら大悪魔を召喚して、すべてをひっくり返し、国ごと滅ぼしてやります!』

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 楽しんでいただけたら幸いです。


【文芸 ヒューマンドラマ】


『同じ境遇で育ったのに、あの女は貴族に引き取られ、私はまさかの下女堕ち!?しかも、老人介護を押し付けられた挙句、恋人まで奪われ、私を裸に剥いて乱交パーティーに放り込むなんて許せない!地獄に堕ちろ!』

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『生まれつき口が利けず、下女にされたお姫様、じつは世界を浄化するために龍神様が遣わしたハープの名手でした!ーーなのに、演奏の成果を妹に横取りされ、実母の女王に指を切断されました。許せない!天罰を!』

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【文芸 ホラー】


『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

https://ncode.syosetu.com/n7773jo/


『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

https://ncode.syosetu.com/n6820jo/


『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

https://ncode.syosetu.com/n2323jn/


『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

https://ncode.syosetu.com/n1348ji/


『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

https://ncode.syosetu.com/n1407ji/

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