1-12 わたしを燃やして
冷たい風が肌を撫でた。重いまぶたを開くと、目の前の焚き火がパチパチと小気味よい音を鳴らしていた。
視界がぼやけていて、目をこする。
あれ、なんだが手が小さい。
私は、ん?わたしは何を、、、してたんだっけ。
口を開けばそれが大きな欠伸に変わり、目尻に滲んだ涙を拭いながらキョロキョロと辺りを見渡す。すっと誰かそばに来て、膝までずり落ちた毛布を肩までかけてくれた。あぁ、温かい。
「おかあ、さん?」
「あれ、リン起きちゃった?」
お母さんがわたしの髪を優しく撫でると。ちょうど、テントの裏からお父さんが薪を持って現れた。
焚べられた薪が火にゆっくりと飲み込まれていくのをぼんやりと眺める。ああ、わたし寝ちゃってた。
満天の星空の下、焚き火を囲んでの家族団欒に心が和んだ。なんだが悪い夢でも見ていた気がする。
お父さんとお母さんが寄り添い他愛もない話に花を咲かせているのが酷く懐かしいような、、、なつかしい?何だろうこの不思議な感覚。
「リン大丈夫?眠たくない?」
「パパが薪割りで騒がしくしちゃったからな。昼間に済ましとくんだった」
「うんうん、まだ、だいじょうぶ、ねむくないよ」
二人はいつも仲良しだ。わたしの自慢の家族。
そんな二人が私を見てフッと笑顔になる。
「ああ、ママ!!やっぱりうちの娘は天使だ可愛すぎる。うん、やっぱり昇進は断ろう!毎年のキャンプに来れなくなるのは人生の、いや、世界の喪失だ!」
「パパ落ち着いて、薪割りより騒がしいです。それにバニングさんの指示ですから、断れないでしょ?」
「いーや、血こそ繋がってないが、あれでも俺の親父だ。リンは孫みたいなもんなんだから、わかってくれる、、、はずだ!!」
お父さんの親バカっぷりにお母さんが呆れる。よく見る、いつもの光景。なのに、この切なさは何だろう。
それにしてもバニングか、バニング。何処かで聞いた名前だ。
「バニングって?だれー?」
「バニングっていうのは、もうすぐ禿げそうな目つきの悪いおじさんだよ、リンとパパを引き離そうとする悪い人!」
「ちょっとパパ。バニングさんはね、パパのパパ、つまりおじいちゃんよ」
わたしのおじいちゃん。私の、、、?
「ふーん、パパはしょうしん?したくないの?」
「したくないよ!忙しくなって、リンやママとの時間がなくなっちゃうんだ。なんなら、お仕事も辞めたいくらい」
「パパったらまた」
「親父が上司じゃなきゃ今にも辞めてるよ」
ふふ、父は軍に無理やり入れられたんだな。
私も入隊したって聞いたら二人はなんて、、、
、、、あれ?
途端に思考にかかっていた靄が晴れていく。
ああ、これは、現実じゃない。私の記憶。今、私は軍人でユーラルシアと戦争してる。
あれ、私が軍に、入った??なぜ?
晴れたはずの思考にポッカリと穴が空いていた。
不意に夜空が明るくなって顔を上げる。大きな流れ星が見えた。煌々と輝く綺麗な緑色の光。
ああ、そうか。これは、あの日か。
空を見上げた父と母の表情が一瞬で固まる。急いで焚き火を消した二人が私の手を引いて森の中を走り出した。母がライトで道を照らし、父は誰かに電話していた。
「バニング中佐!中佐!、、、親父!あれはなんだ!発表と違う!あれじゃ大気圏では燃え尽きない!何処かに落ちる!、、、なんだと!上の連中がこぞって宇宙に行ったのはこれでか!くそっ!」
この日、この星に隕石が落ちた。隕石は、ジメリアとユーラルシアの位置するアンブロイド大陸の隣にある、バルチック大陸に落ちると大陸中を生物の住めない場所へと変えた。
この天災によって、均衡していたアンバーアイの情勢は崩壊した。ジメリアを含む各企業国家の上層部は隕石の規模も落下地点も分かっていたらしく、騒動が収まるまで宇宙へと一時的に避難していた。
そんな中、ユーラルシアが企業国家の呪縛を打ち破り独立。宇宙で慌てる各国首脳を嘲笑うかのように、その勢いのままジメリアを含む周辺国へと攻め込んだのだ。
ああ、そうだ、そうだ、あいつらが、この温かな手を奪った。私の手を引く二人の手をぎゅっと握ろうとした瞬間、突風が吹き砂が目に入った。
思わず手を離し、足を止め顔を覆う。
あっ駄目だ、まだ、まだ二人と
暗闇の中伸ばした手が空を切った。
□■□
目の異物感が消え目を開くと、今度は真っ黒な廊下に立っていた。いつもの身体だ。それにもう、どこを探しても二人の姿はない。
窓から差し込む月の明かりが、壁のスイッチを照らしているのが見えた。古びて黄ばんでしまったそれに見覚えがあった。
近づいてスイッチを押す。古い電気がチカチカと灯り、士官学校の廊下が現れた。まだ一年も立っていないのに酷く懐かしい。
建物を歩いて回ると、誰もいないはずの廊下や教室に人影が見えた。ピクリとも動かない影達の楽しげな声が聞こえる。顔は見えない筈なのに、話したこともない筈なのに、私は彼らを確かに知っていた。
私はいつも一人ぼっちだった。自分から積極的に友人を作らなかったのは、作り方がわからなかっただけだ。別に、進んで孤独になりたかったわけじゃない。
「いったい誰に言い訳してるんだ、、、」
少しの寂しさと親友達の顔を思い出し、何となく三人の思い出の場所へと足を向ける。階段を登り、重い扉のドアノブを回す。冷たい風が吹き抜け、そこには星空が広がっていた。
屋上へ一歩踏み出すと、じんわりと扉が溶けて消えていった。もう戻れないらしい。けれど、そんなことはどうでもよかった。
私の目の前には、見覚えのある青年がフェンスに背を預けその星空を仰いでいた。
「、、、ユーリ」
声が震える。
「ん?おお!リンファじゃん!ひっどい顔だね〜」
そう言って笑う彼の顔は、滲んでしまってよく見えない。頬を伝って涙が地面に落ちていく。
「、、、ユーリごめん、私、、、」
後悔が、色んな思いが溢れて止まらない。
「なーに言ってんだよ。別にリンファのせいじゃないって、俺がへましただけ」
「でも、でも、、、」
「いいっていいって。そんなことより、復讐の方は、順調か?」
わからない
戦場に出て、任務をこなして、ユーラルシア兵を沢山殺して、けれど何も変わらなかった。ユーラルシアが酷く憎く許せないのに、それ以上に、何かがずっと心のそこで燻っていて。もはや私の意志ではない、どうしようもない感情に引きずられていく。そんな気がして。私はどうして良いのかが、何が復讐なのかも分からなくなっていた。
黙って下を向き何も言えない私にユーリが優しく笑う。
「リンファ、、、お前はユーラルシア以上に理不尽ってものを憎んでるんだ。自分にはどうにも出来ない苦しみや歯痒さが憎くて憎くて仕方がないんだ。幼い頃のどうしようもなかった無力な自分に、その時の感情に取り憑かれて、今もずっと苦しみながら走ってる」
「違う!これは、これは!ユーラルシアへの怒りだ!あいつらが憎いそれだけなんだ、、、!」
まるで、意地を張るように口から発せられる空虚な言葉。心の底にあったはずの強い憎しみがなぜか弱まっているのが答えだった。
「ああ、それは間違いない。あいつらを許せないのは同意するさ、けど、本当にただユーラルシアの連中が憎いだけなら、お前は今、そんなに苦しんでない。あの頃の苦しみを引きずるのはもう辞めようぜ」
いつの間にか横には幼い女の子の影が立っていて、ぎゅっと私の手を握っている。
ああ、これは私だ、あの時の無力な「わたし」
「星か落ちたあの天災、あれは間違いなく理不尽の代表だ。じゃあ、それで家族を失った人は隕石でも恨むか?それとも情報を秘匿して逃げたお偉いさんか?恨もうと思えば何でも恨める。けど、そんなもの恨んでも恨んでも、その先には何もない。理不尽なんてものはこの世にありふれてるからな。逐一憎んでられないさ」
ならどうすればいい
子供のように八つ当たりのように感情にまかせ、我儘のように暴れまわるしか私には能が無い。私の心は何時までもあの頃の、ままなんだ。
「自分じゃどうにもならないもんだが、そんな理不尽だけを都合よく持ってってくれるものがあるんだなー」
ユーリが私を指さす。
自分へと視線を移すと、いつの間にか軍服ではなく黒いスーツにヘッドギアを着ていた。それと同時に曖昧だった記憶が戻って来る。
「それは強い人間の強い感情や意志を代償とする。なら、もういらない物だけやって解放さればいいってこと。好き好んで廃人になる必要もない、完璧だろ?」
「ありがとう、、、」
小さな影の手を離す。
「わたし」が私に手を伸ばし、そして、あきらめ手を振った。一瞬にして燃えあがった小さな影は灰となって風に吹かれて消えていく。
「そろそろ、マークのやろうも来るだろうし、あいつのしけた面はお前が叩いて直してやれ」
「うん、、、わかった」
星空が消えていく。もう、この世界には居られないらしい。次に彼に会えるのはきっと私が死んだ時だ。
「そうそう。ちなみに、俺も憎んでるぜ理不尽ってやつをさ」
「ユーリが?」
世間話のように話し始めるユーリに、涙を拭いふと顔を上げる。
「あの天才さえいなかったらお前が好きになってたのは俺だーー!ぜったい!そうだね!俺はお前が好きだったんだ!大がつくほどな!はっはっはっ!」
「そんな、いまさら」
急なカミングアウトにポカンとして、少しの間の後、可笑しくて笑ってしまう。再び涙が頬を伝う。
ああ、あの頃に戻りたいなぁ。
「そうだな、けど、お前にはこれからがある。今更なんてない」
「うん、、、わかった、、、」
「じゃあ、元気でな!次似合う時は満面の笑みを見せてくれよ!」
涙が溢れて止まらない。言葉も出ないまま空間が歪み全てが消えて行き、世界がが真っ暗に潰れていく。
「ユーリっ!」
そして、バチンと何かが鳴った。
□□■
強い衝撃が加わり意識が現実に引き戻され、リンファは狭いコクピットの中で目を覚ました。
握りしめたままの操縦桿から手を離しヘッドギアを無理やり脱ぎ捨てる。頭皮を伝ってドロドロとした何かが垂れていく。気持ち悪い。けれど、そんな事を気にしている場合ではない。
戦闘中だ、意識をしっかり保て。
状況は、いつから意識が飛んでいた。
三対一になったあたりからの記憶がごっそりと無い。システムが落ちた?なぜ?いや、今はそんな事を考えている場合じゃない。
強い衝撃を受け機体が仰向けに倒れる。
まだぼやける目を必死に凝らしモニターを見れば、機体を踏みつけこちらへショットガンを向けるハンツマンが映っていた。
やられる
廃都市での光景がフラッシュバックした。
けれど、あの時の恐怖はなかった。
身体が強張ることもない。
真っ直ぐ敵を見据え、コクピットを抜かれないように、向けられた銃口へと残った右手を動かす。
[終わりだ!このバケモノが!]
引き金が引かれる瞬間、ナイトオウルが姿を現し、ハンドキャノンをハンツマンへと放った。
機体を踏みつけていた足が離れた瞬間、リンファはすかさず、ヴァミリオンを転がるように退避する。
先ほどまで倒れていた場所へとスラッグ弾丸が着弾し、ヴァミリオンが軋みを上げ立ち上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ、ぐっ、、、」
『、、、ファ!リンファ!大丈夫か!』
「マーク、、、大丈夫、大丈夫。問題、、、ない」
聴覚もやられていたようで、マークの声が聞こえてはじめて、聴き慣れた警告音がなっていることに気がついた。
今確認で出来るだけでも機体はボロボロで、蜂の巣になったシールドは別の場所に転がり、ブレードも少し離れた場所に突き刺さっている。
まだ、身体に力が入らない。気を抜けば視界がぼやけ、口の中は鉄の味がして、お腹は掻き回されたかのように気持ちが悪い。
突然現れたナイトオウルに、スノーホワイトとハンツマンはこちらを警戒するように動きを止める。積極的に攻撃してこない所を見れば、どうやら向こうも余裕はないらしい。
『リンファ、引くぞ。その機体じゃ無理だ』
「いや、、、ここで仕留める」
『リンファ!』
確かにマークの言う通り機体は限界だ。けれど、既に戦闘開始から十分以上が経過している。被弾こそないがスノーホワイトも活動限界だろう。このチャンスを逃すわけには行かない。
「帰りたいなら、一人で帰って。ナツメ聞こえてる?援護して」
『おっけー、待ってた』
『だ、だか!くっ』
流石に悠長に話はさせてくれないらしい。睨み合いは、ハンツマンのショットガンによって打ち切られた。どうやら、スノーホワイトを引かせたいらしい、そういう動きに見えた。
スラッグ弾がヴァミリオンを掠る。システムに頼っていた弊害か機体の反応が異様に遅く感じた。だけど、まだ、走れる。まだ、戦える。地面に刺さったブレードを拾い、ショットガン持ちのハンツマンへと接近する。
スラッグ弾が左肩部に直撃し外部装甲を吹き飛ばす。肩関節が剥き出しになるがその先の左腕は既になく問題はない。
間合いに入った。
「これでふたつ!」
[くっ!]
次弾が装填される前に、さらにもう一歩踏み込み、ブレードを横薙ぎに振う。ボロボロのブレードを力任せに灰褐色の装甲へと振り抜いた。これでも浅いか。
装甲がパックリと裂け剥き出しになったハンツマンのコクピットのパイロットと目が合った。向けられたショットガンを撃たれる前に、ブレードで切断する。
[ボリス!このっ!]
『なっ!しまっ!リンファ!』
どうやらマークはスノーホワイトを留めておくことが出来なかったらしい。視界の端にレーザーキャノンをこちらへ向けるスノーホワイトが見えた。次の瞬間、放たれたレーザーが真っ直ぐヴァミリオンの胸部装甲へと吸い込まれた。
[あとは、死神!お前だけだ!]
[なっ出力が!だめっ!仕留めきれない!]
しかし、レーザーに装甲を貫くだけのエネルギーは既になく、ヴァミリオンの装甲を黒く焦がすだけだった。
「ははっ、次はどうする?」
[、、、大尉、こちらスノーホワイト、申し訳ありません、引き際を見誤りました。撤退してください]
[まて、何をするつもりだ]
ヴァミリオンがゆっくりとブレードをスノーホワイトへと向ける。
きっとこれ以上の戦闘の先に待ち受けるのは共倒れだ。だが、引くつもりも逃がすつもりもない。ここで必ず仕留める。お前も分かっているはずだ。
ここから先は我慢比べだとリンファは笑う。