第1話 助けてくれた天使さん
はじめまして、熱菜蒼介です。ツンデレ(?)なヒロインを書いてみたくて書いてみました。よろしくお願いします!
知らぬが仏、ということわざがある。
分かりやすくに言うと、知らない方が幸せだった、という意味であり、知ってしまったがためにその夢や理想が砂のように崩れてしまう。そんな目に遭って後悔するくらいならば、知らない方がまだ良かったということである。
そして俺は現在……その言葉を身を持って体験している。
「池見くん……いや、もうこの際雄介で良いわね」
荒んだ口調と〝運動〟をしたことによって少しボサボサになった闇のように黒い髪。
シンプルな赤パーカーを着こなし、そのすぐ下からは黒いショートパンツが見えており、シミ一つない太ももが、むき出しになっていた。
そして極めつけは、まるでルビーの宝石のように真っ赤な色をした鮮やかな目と、その端正な顔立ち。路地裏に入り込む町の外灯が、夜に紛れて彼女を照らしており、その美貌と相まって、彼女だけがこの現実世界から切り取られたかのような印象と存在感を放ったいた。
普通、そんな美少女に見下ろされるようなことがあれば多少なりともドキドキするのだろうが……俺の心にはそんな余裕がなかった。
「雄介……私の言いたいこと、分かっているわよね?」
俺の名前を呼び、血の付いた手を俺の頭にポンッと乗っける目の前の美少女。彼女の拳に付着したその血は、もちろん彼女の物ではない。
「もしもこの事を誰かに話したら……」
ゆっくりと、俺の頭に乗せられた手の平に、力が込められる。
「握り潰しちゃうかもね」
拳だけでなく、顔にも返り血が付いていたらしい。彼女は、思わず惚れてしまいそうな血濡れの笑みを浮かべ、俺に語り掛ける。
「う、うぁ……がふっ……い、てぇ……いてぇよぉ……」
ふと、呻き声の聞こえた方向に視線を向ける。
声の方向には、鼻からドクドクと血を流し、苦しそうにもがきながらもその場から立ち去ろうと、地面を芋虫のように這う男がいた。
地面を這うこの男は、巷で噂の窃盗犯である。学生を中心に標的とし、金品を強奪したり、怪我を負わせたとされる凶悪犯なのだが……
「雄介も、この男と同じような末路を辿りたい?」
俺の名を呼ぶ少女の声に、首が千切れる勢いで横に振る。今の言葉から分かる通り、この凶悪犯を倒したのは彼女である。
「お互いに、秘密がバレないように協力しようね?」
有無を言わせぬ〝圧〟が込められたウィスパーボイスに、俺は恐怖を感じる他なかった。
天使亜梨紗。俺と同じクラスの同級生。容姿や声は、天使を彷彿とさせる程に美しい。けれども、その口調と狂暴性……彼女の本性は、実に悪魔のようであった。
私立朝桐高等学校。時代の最先端を行くかのように最新式の授業。生徒の秘めたる才能を十分に生かすため、道場やジム、プールや各種球技に合わせた運動場……果ては、近くにある海にてヨットを扱う部活まで作られている、国内最高水準の私立高である。
しかし、その学校にはとある校則があった。
『許可のない、一切のバイトを、禁止する』
施設が他校と比べて充実している分、その厳しさも他校と比べて厳しいものとなっている。その中で特に厳重にとり締めが行われているのは、バイトである。なんなら過去にバイトをした生徒が長期の休学……あるいは退学になった者もいるとされている。
「おっす雄介。なんでも昨日、ボランティアの帰りになんかあったらしいじゃん」
「あはは……おはよう明人。まぁ、色々とあってね……」
俺こと池見雄介は、その朝桐学園の生徒である。ちなみに、ボランティアというのは生徒のみに伝わっている、バイトの隠語である。
「噂で聞いたんだがお前……なんでも女の子を守るために強盗団のグループを拳一つでぶっ倒したらしいじゃん」
「なにそれ!? 噂が既に広がってる上に誇張されてない!?」
「いやぁ、まさかお前がそんなに強い、漢字の漢と書いてオトコと読むタイプの奴だったとは……見直したぜ! まぁ、この話を誇張して広めてるの、俺なんだけどね」
「タチが悪い!」
勝手に噂を誇張して流している髪をオールバックにした友人……もとい、クラスメイトの東條明人にイラっとし、思わず手が出そうになった瞬間だった。
「あ、おい! 天使さんが来たぞ!」
「え、マジで? どこどこ!?」
突然、教室が騒がしくなったかと思うと、教室内の生徒が一斉に教室の窓際に集まり始める。
「いやぁ、やっぱ朝からすげぇ人気だよな、天使さん」
「あ、あぁ……ソウダネ」
「?」
戸惑った様子の俺を変に思ったのか、明人が首を傾げる。それから数分もすると、教室の廊下から人の歓声にも似た声が響き始め……
「おはようございます」
一人の少女が、美しい黒髪をなびかせながら、優雅に挨拶をして現れた。このクラス……否、この学園内でも指折りの美貌と才能を秘めた才女こと天使 亜梨紗である。天は二物を与えず、という言葉があるが、間違いなく二物以上を与えられた存在……それが天使 亜梨紗であった。
『天使」と書いて『あまつか』と読むらしいのだが、彼女の誰に対しても優しいその聖母の如き人柄から、殆どの人が『あまつか』呼びを無視して『大天使』やら『エンジェル』と崇めることが多いのだ。
挨拶をした天使さんに我先にと答えようと多くの生徒が答える中……
「あれ、天使さん。その右手、どうしたんですか?」
ふと、教室に入ってきた彼女の左手首に巻かれた包帯に気が付いた生徒の一人が声を掛ける。
「あはは、実は昨日、噂の窃盗犯と遭遇しちゃって……」
「えぇ!? だ、大丈夫だったんですか!?」
「クッソォ! 天使さんを襲うなんて、とんでもねぇ野郎だ!」
天使さんの一言で、彼女に群がっていた生徒たちが一斉にザワザワと騒ぎ始める。ある生徒は彼女を心配し、ある生徒は彼女に手を出したとされる通り窃盗犯りを募らせる。
「だ、大丈夫だよ! 窃盗犯に襲われそうになった所を、池見くんが助けてくれたから」
天使さんが俺の苗字を口にした瞬間、無意識に肩がビクッと跳ねた。そしてほぼ同じタイミングで、俺の方へとクラス中の視線が向く。
「池見が窃盗犯倒したってこと? え、すごっ」
「いやいやいや、あんな貧弱そうな男が? 無理でしょ」
「お、俺だってそれくらいはできるし……っ!」
天使さんの言葉に、賞賛する者や疑う者、謎に張り合う者など様々な反応を見せる。そして、その生徒たちの反応の答えを出すかのように、天使さんが教室の隅で固まっていた俺の前にまで歩みよってくると、おもむろに俺の手を両手で掴み、屈託のない天使のような笑顔を浮かべ……
「昨日は助けてくれてありがとう、池見くん! と~~~ってもカッコ良かったよ!」
「っ!?」
まるで恋する乙女のような声音で感謝を伝える天使さん。しかし、その感謝とは裏腹に俺の手の骨が他人には聞こえないようにミシミシと音を立てている。恐らく、口裏を合わせろということだろう。一瞬痛みで顔をしかめそうになるが、根性で堪える。
「それじゃあ、私は職員室に用事があるから、先に行くね!」
屈託のない笑顔を浮かべたまま、俺の手を離して駆け足気味に教室から出て行った天使さん。そして、教室を沈黙が支配する。誰もが教室から出て行った天使さん、そして俺を交互に見ていた。
「そ、それじゃあ俺はテキトーに校内の散歩でも……」
「ちょいと待てや池見雄介ぇ」
鞄から財布とスマホだけを抜いて教室から脱出しようとしたが、先程まで俺と話していた明人が俺の肩を掴む。
「確かに俺ぁ風の噂でお前が窃盗犯倒したって聞いたぞ? なんなら、女の子を助けたのも知っている」
「そっか。お前の父親、この街の警察官だもんな。じゃあ俺はこれで……」
「待たれよ」
「ぐえっ!?」
肩の拘束を強引に外し、逃げようとしたが制服の首後ろを掴まれたせいで急停止してしまい、変な声を上げてしまう。
「助けた女の子が天使さんだなんて、聞いてねぇぞ?」
明人の対応を見た男子たちが、特に話し合った様子は無かったはずなのに、一糸乱れぬ動きで教室の出入り口、そして俺の逃げ道を封鎖する。なんという無駄に洗練された動き。これがワンチームというやつか。
「ちょっとあっちで詳しく話そうか」
「拒否権は?」
「「「「「「ないっ!」」」」」」
元気よく即答する男子たちに、教室内の女子が少し引いている。俺は、尋問を避けようと覚悟を決め、全力で抵抗を始めるのだが……学園内のアイドルの興味を引いた罪はそれほどまでに重かったのか、凄まじい結束力を発揮した彼らの前には、たった一人の覚悟など無に等しいのであった。
そして同時刻。俺のスマホには、一通のメールが届くのであった。
『昼休み、屋上に来なさい。拒否権は認めないから。 天使 亜梨紗』
どいつもこいつも、俺の拒否権は認めてくれないらしい。