後編
◇姉視点◇
夕食後しばらくして何やら困った表情の妹が部屋を訪ねて来た。
「んー、こんな時間に珍しいね。どうしたの、リリィ?」
「いや、そのあんたに相談が……」
なるほど、どうもこの様子だと色々と悩み迷った末にあたしの所に来たわけね。
あたしは妹を部屋に招き入れた。
「それで……どうしたの。またユリウスと喧嘩したの?」
「な、何でそこであいつの名前が出てくるのよ!?」
「あれ?てっきりユリウス関連だとばかり思っていたけど……違うの?」
リリィがあたしの所にこうやって相談に来るときは大抵がユリウス絡みである。
今回もそうだとばかり思っていたけど……
「いや、まあそのちょっとは関係あるけど……」
やっぱりそうだったか。
それにしてもいつもの事ながらユリウスか……
元々彼はあたしが片思いしていた相手だったのだが何やかんやあって失恋した。
そんな彼が惚れた相手はよりによってあたしの妹。
正直なところあまりいい気はしなかったが二人の様子を見守っている内に思ったことがある。
多分、妹を任せる事が出来る男が居るとしたら彼くらいだろう。
過去にもうひとりそういう男が妹の前に現れたことはあるがその人とは道が完全に分かれてしまった。
多分妹が彼と会う事はもう無いだろう。
「それで、何かしらね。あいつまた性懲りもなくあんたに告白してきたの?」
ユリウスは何度もリリィに告白してその度にこっぴどく振られている。
それでもあきらめない辺りあいつの本気度が伝わってくる。
普通ならちょっとヤバい人じゃないかと心配するものだが彼なら大丈夫だと思っている。
これからも愛想を尽かさず妹をかまってやって欲しい。
まあ、ただ……この国の価値観では男から告白するってダサい事だからその辺だけはそろそろ理解した方がいいと思う。
「そうじゃない。その、あの……ええと……お化粧を教えてもらいたいかなって……」
リリィはモジモジしながらそう言った。
「なるほど、お化粧を………ねぇ!?」
その言葉の衝撃にあたしは思わず咥えていたドライフルーツを落としてしまった。
「い、今のってあたしの聞き違いじゃないわよね。あんた、お化粧を教えて欲しいって……その、戦闘時の血化粧とかそんなオチじゃないわよね?おしゃれジャンルの化粧よね?」
妹はこくりと頷いた。
「あんたっておしゃれが好きだし、まあギルドの受付嬢しているからお化粧も得意……よね?だからその、教えて欲しい」
何てことだろう。自分からお化粧を教えて欲しいと言ってくるなんて……
遂に、遂にこの日が来た!
お姉ちゃんは今感動しているわ!
元々おしゃれとかに全く興味がない娘ではなかった。
小さい頃はよくお揃いの服を着てお出かけをしていた。
それなりにおしゃれをしていたし外へ出て遊ぶのが好きだった。
ただ、学生時代に不良の上級生から酷い仕打ちを受けててしまってから妹は変わってしまった。
外へ出るのを嫌い女性的なものを忌避する様になってしまった。
おしゃれにも否定的になり家ではほぼ長袖の体操着のみ。外へ出る時に最低限おかしくない服を着るくらいに留まってしまった。
自傷行為こそ無かったが自分をひどく嫌うようになった。
何をされたかについてもそれを知るあたしともうひとり、下の妹以外には巧妙に隠していた。
だから他の家族はいじめにあってちょっと元気が無くなったという程度の認識だ。
小さい頃の妹を知っているだけに見てて心が痛かった。
男性恐怖症なものだから恋などにも興味が無いというかそもそも拒否反応が凄かった。
だが根気強く適度な距離感を保ちながらアプローチするユリウスのおかげで妹にもちょっとずつ変化が出て来たと思う。妙な誠実さがある男だ。
そもそも職場で妹が自分のパートナーとして彼を傍に置いているという事がすでに偉業なのだ。
かたくなに否定しているが妹は間違いなくユリウスに好意を抱いている。しかも割と彼に対する独占欲は強い方だ。
今回の件もよくよく経緯を聞いてみれば明らかにユリウスを意識しているものではないか。
少し関係があるどころか9割ユリウス絡みだ。
まあ、相変わらず本人に自覚が無いのが非常に残念ではあるが……
「よし、それじゃあユリウスがあっと驚く様なお化粧が出来る様にあたしが一肌脱ぎますか!」
「べ、別にあいつは関係ない!あいつがどう思おうと別に……」
「はいはい。そうだったわね」
これは大きなチャンスだ。
この頃、妹の中でユリウスの存在がどんどん大きくなってきている。
このままいけばいずれ妹は過去を乗り越える事が出来るかもしれない。
ヤバい。自分には彼氏もいないのにむちゃくちゃキュンキュンしてきた。
「大きな船に乗ったつもりで、この優秀な姉に任せなさい!」
こうして私は妹にお化粧をレクチャーすることになった。
□□
◇リリィ視点◇
次の日。
私は出勤前に道具を借りて姉から教わったお化粧を実践してみた。
姉も傍について色々とアドバイスをくれた。
職場まで結構時間がかかるのにギリギリまで付き合ってくれた。
家族の反応は上々で妹達からも褒められた。
親は私の様子にいたく感動し画家を呼んで絵に残してもらおうなどと騒ぎ始めた。
たかがお化粧したくらいなのに大げさな……
という事で私は自分のデスクで腕を組み彼の出勤を待ち構えていた。
何だか他の団員がそわそわしているがどうしたのだろう。
「やあ、おはようリリィ君…………んんっ!?」
いつもの調子で出勤してきたユリウスだが私を見て一瞬たじろぐ。
ほほう、やはり気付いたというわけね。
「何?私の顔に何かついている?」
「い、いや……その、目と口と鼻ならついているが……ええと……」
何てこと!
この男、ジルのリップには気づくのに私がお化粧をしてきたことに気づいていないというの!?
しかも何てつまらない返しなのよ。
何だかものすごくムカムカしてきた。
「もういい!くだらない事言ってないでさっさとミーティングの準備でもしてきなさいよ!」
「わ、わかった!!」
私に怒鳴られ、逃げる様にユリウスは去っていく。
何がお化粧よ、こんなの……私が馬鹿みたいじゃない!!
『うわぁ、副団長やっちゃった……』
そんな声が聞こえてきた。
こうして午前中の業務では相変わらず時々力の加減を間違えた私のハンコ押しの音が響くのだった。
□□□
「何よ、あいつ!観察力に問題があるわ!いや、目の検査を受けるべきだわ!」
ぶつくさ呟きながら私は屋上でひとりお弁当を食べていた。
すると屋上への扉が開きユリウスが現れる。
「……や、やぁ、リリィ君。お昼ご飯かい?」
「見て分からない?ていうか『お昼ご飯食べてくる』って出たじゃない」
この男は何を呆けたことを聞いてくるのか。
ますます腹が立つ。
「そ、そうだったね。いや、その……」
さてはここで昼食を摂ろうとしたら私が居て気まずいというわけね
「もう少ししたら食べ終えるわ。そうしたら中に戻るから待っていて」
「あーいや、そうじゃなくて君に……その……聞きたいことがね……その、あってだね」
何だか妙に歯切れが悪い。
何か不味い事でもやらかしたのだろうか?
それならばきちんと話を聞かねば。
「いいわ。何の事かはわからないけどとりあえず言ってみて」
「いや、えっとその……君、誰か好きな人でも出来たのかな?ってちょっと……思ってだね」
「好きな人?何を言っているかよくわからないわ」
「いや、だってその……何というかその急にきれいになったから……」
きれいになった?
きれいに……きれいに……
「もしかして……お化粧の事を言っているの?」
「あ、ああ……そう、かな?そう、それだ。その、普段はお化粧なんかしない君が急にして来たからその……どういう心境の変化だろうかと」
何だ、この男ちゃんと気づいているじゃない。
観察力に問題ありと思ったけど安心だわ。
目の検査も不要ね。
「ケイトに教えてもらったのよ」
「あ、ああ。ケイト君に。ああ、そうか……」
「何?もしかして変な所でもあった?」
一応、家族にはチェックして貰ったのだがもしかしたらおかしなところがあるのかもしれない。
「いや、そんなまさか。うん……問題はない。うん」
何だか今日の彼はおかしい。
変なものでも拾い食いしたのだろうか?
ダメよ。落ちているものは。
「それで、仮定の話として私に好きな人が出来たら何か問題があるの?」
「いやっ、その、そんなわけは……いや、あるさ。あるとも!もしそうなら君に相応しいかこの僕が見極めなくては!!」
「だから何で私に好きな人が出来たらあんたの許可が必要だって言うのよ。私だって女なんだからお化粧くらいしてみようと……その、そう思っただけ……だから」
「……本当に?」
やっぱり今日のこいつはおかしい。
いつもなら大げさなリアクションを取りながらいかに自分が私に相応しいかとかアピールして来るというのに……
何か調子が狂う。
「ま、まあよく気付いたわ。よく出来ましたと褒めておく。それじゃあ、私は中に戻るからあんたはゆっくりとお昼休憩をとりなさい」
私は弁当を片付けると立ち上がり、ユリウスの脇を通り抜ける。
その時、彼がふと呟いた。
「その……とてもきれいだよ。似合っている」
「――ッ!!」
その言葉に私の鼓動が急に早まり顔が熱くなった。
「な、何よ!その、あ、ありがとうっ!!」
そう言うのが精いっぱいだった。
私は建物の中に戻ると階段で乱れた呼吸を整える。
「ユリウスのくせに生意気だわ……」
あれ、そう言えば屋上に来た時、彼は何も持っていなかった。
そもそも彼は弁当じゃなくて外へ食べに行く派。
まさかさっきの事を言う為だけに上がってきたというの?
「もう、本当にあいつはわけがわからない。だけど……『似合っている』か。ふふっ……」
屋上の彼に声をかけようか迷ったがとりあえずは放っておくことにした。
そうしたら5分ほどで降りて来てそのまま食事に出ていっていた。何だか妙に嬉しそうだった。
□□□□
午後の業務ではハンコもいい具合の力で押すことが出来、周りも安心している様子だった。
「お化粧、してこられたんですね。副団長の反応はどうでした?」
途中、ジルが声をかけて来た。
「あいつの?まあ、あいつがどう思おうと関係は無いけど……うーん、まあ……そうね、平均点っところかな?」
「厳しいですね。本当はもっと点数高かったんじゃないです?だって団長、お昼から何だか凄くご機嫌ですよ?」
「どうかしらね。まあ、気分はちょっといいかもね。ジルのアドバイスのおかげね。ありがとう」
軽く微笑み、私は軽快にハンコを押すのだった。