プロローグ 隠居戦士は自問する
自分がこの大地に来た時、多大なる恐怖だけでなく根拠のない幾ばくかの期待を持っていた事を覚えている。確かに心躍る冒険はあった、だがそれはとうの昔に終わった。
今はと言えば望んだとは言え山奥にただ一人。あと数年もすれば老いに震え心躍るものも無く生きるだけなのだろうか。
獲物を屠り息を整え元よりそこまで頓着の無かった身嗜みにこの数年で蓄えられた顎ひげを撫でながら、そんなことを考えつつ周囲の警戒を行う。
日々の糧を得るためだけに行われる機械的な行為。かつては倒すどころか挑むことさえ怯えた懐かしさを思い出す事すら何度目だろうか。
獲物自身の熱で肉が悪くなる前に首を刎ね、腹を開き膜を裂き、食道と器官を雑に引き抜き腸の終点を切除する。年をとっても未だに内臓の類は苦手で頭と共にまとめて穴に埋め、獲物を背負い血抜きをしながら目指すのは川だ。
肉を水に沈め、重しを乗せる。暖かい季節とはいえ川の水は冷たい、そこまで冷やす時間はかからないだろう。たき火を準備したら雑に其処らの石で斧の刃を研ぎ、弓の弦も確かめる。
たき火を眺めどれくらい経っただろうか、冷えたであろう肉を引き上げ皮を剥ぐ。
枝肉にする辺りで気配を感じて周囲を確かめる。確かに居る、それも恐らくここらでは飛び切り珍しい奴だ。だが獣では無く魔物でも無い。人だ、時が進むにつれ段々と金属がこすれながら動く音が聞こえてくる。装備がしっかりとした三人。一人は周囲を確認しながら、一人はもう一人に歩調を合わせて、最後はどうやら足を痛めているようだ。
斧を抱え逡巡する。距離自体はまだあるし全てを片づけて回避するか、最悪戦闘を覚悟してこのまま残るか。少なくともこちらから出向く趣味はない。
残念ながら相手はまっすぐこちらを目指している。木々があって見えはしないのだろうが、たき火の匂いに目星を付けているのだろう。
こういった場面はこの山に居を構えてからは殆どない。まず人がこの地に来ること自体が稀なのだ。以前は道に迷った若い行商と身の程弁えぬ冒険者等で、どれも説得し麓の村まで案内した。
とかくここまで装備がしっかりとした複数人と言うのは初めてだ。
歩みはゆっくりだが腹をくくり逃走経路を確保し、どうせならばと鹿の右後ろ脚の肉を雑に数枚そぎ取り枝に刺して焼く。できる事ならば昼餉にしたい。
木々に阻まれ姿こそ見えないが残り約30メートルほどだろうか。山々から吹き降ろす風によっておこる木々の騒めきにも負けない大声が響く。
「どなたか居られるか!!!!」
十中八九たき火を目印にしているクセに聞く意味はあるのだろうか。不用心な声かけだがそれだけに少なくとも敵対の意思は無いと見て良いだろう。大きく息を吸った。
「応!この様な辺境に何用か!」
勝負では無いだろうが声量では負けた。そして相手に引きずられやけに古臭い言い回しになってしまった。
「我々は王国東部軍ハンズ砦所属の者である!!!我が名はジェダン・バートレー!!!訳あってこの地の調査を命ぜられた!!!魔物に襲われ隊員が負傷した、助力を請いたい!!!」
先方にもこちらの敵意がないことは伝わったようだ。相手の話は想定内だったので了承の意を伝え出てきてもらう。
姿を見せたのは恐らく大声の主であろう盾と戦鎚を持った壮年の大柄の男、弓を持った若い細身の女、戦鎚男に肩を借りた若い剣士の男だった。三人とも疲れた顔をしているが剣士の顔色は中でもとびきり悪い。
剣士の右の膝から下がボロボロになっている事を除き装備はきっちりしており、兵士であることに虚偽は無いだろう。
「話は後にしてとりあえずソイツを火の近くに。腹が減ってるなら焼いてる肉はそこに吊ってる鹿だ食ったらすぐに手伝ってくれ。」
とりあえずとたき火用に拾った枝の中からしっかりした太い枝を選び、よりまっすぐになるように頬の膨らんだ二人に名だけ聞いて削るように伝えた。
魔法で作った水を魔法鞄から取り出した鍋に注ぎ火にかけると剣士の脚を見る。
「これは……」
脛の肉は抉られ骨は折れているが幸運にもふくらはぎは繋がっている。と言っても彼らとて急ごしらえでも止血と適当な枝でやってはいるが当て木くらいはしており、仮に現地民が見たとはいえ医者や治癒職でもなければこれ以上できる事はそこまで無いだろう。
ひと先ず鍋にいれた水が沸騰したら半分をまた別の取り出した鍋に移し、それをまた魔法で凍らない程度に冷やす。
沸騰している方の鍋に手持ちで一番きれいな布を入れ、煮沸消毒をする。正直元が元なので気休め程度にしかならないだろうがそのままよりはマシだろう。少なくとも衛生観念にまだ疎いこの世界では幾分もマシな方法である事を祈ろう。
冷ました水で手をすすぎ残った水で患部を流し、消毒した布で患部に付着した汚れを拭う。その後手持ちの軟膏を塗れる限り塗っていく。塗り終えたら二人が削った当て木を元のものと交換した。
ひとまずの処置を終え、二人に向き直った。
「処置をして脚は当て木こそ変えたがこのままだと化膿して足が腐るだろう。仮に何とかなっても以前のように歩けなくなるのは火を見るよりも明らかだ。」
多少なりとも腹に肉を入れて多少はマシになった二人の顔がより暗くなり諦めの様相をしていた。
「御仁、まずはご助力に感謝する。荷も失い2日さまよった、正直我々も危なかったのだ。脚に関しては治癒者も居ない、命があっただけ良かったと考える他あるまい。」
ジェダンが苦虫をつぶしたような顔だが感謝の意を伝えてくる。己が身の事でもないのに苦しさが顔に出てしまう、きっとこのお人好しの元にいる者たちは幸せな事だろう。そしてきっと俺もまたこの男以上にお人好しなのだろう、つい提案をしてしまった。
「まぁ、それも普通であればの話だ。アンタらが俺の要求を約束してくれるか次第だが多少荒いやり方だが俺が直してやってもいい。」
無理やり肉を食わせたがすぐ補充されるわけもなく血が足りなくなってきているのだろう剣士は反応が薄かったが、ジェダンと弓使いの女ユランは顔をハッと上げた。
「貴方は、先ほどの無詠唱で鍋を冷やした魔法の他に治療魔法も使えるというのですか?」
鍋の湯を冷やした時に驚いていたユランがより一層驚いた顔で聞いてきた。まぁ基礎魔法ですら才無くばと言う世界で下手すれば蛮族にしか見えない斧を持った猟師が魔法を扱えるというだけでも確かに驚く事ではあるのかもしれない。
「アンタらが知ってるモノじゃあないだろうが、近いものなら扱えるよ。少なくとも俺がこれを知った時は禁止されていた魔法とかって話でも無かった筈だ。7年程前だがね。」
「宜しくお頼み申す!!!」
この男は流石に何も考えて無さ過ぎなのではなかろうか……。自分が言い切ると同時に食い気味で承諾してきた。ユランが流石にそれはと言った顔でジェダンを見ていたが、此方が正しい反応だろう。
確かに剣士の容体を考えれば時間が惜しいのは分かるが、流石にこちらも騙すように治療をするのは気が引けるのでできる限り手短に話すことにした。
「要求はまず俺の事をだれにも明かさない事。次にアンタらがこんな辺境に来た理由、これは後でいい。
最後にコイツは治療をしてもすぐは帰れん、容体の安定もあるが血が足らんからな。つまりアンタらの帰還が先延ばしになるから後で麓の村に降りて上手いこと理由を付けた言付けを砦にでも送れ。少なくとも一つ目に関しては契約魔法を使うからな。」
契約魔法はこの地の神を通した拘束力の高い魔法だ。双方同意で契約した後に本人の意にそぐわぬ形以外で破棄された場合、重度の呪いが行使される。
ここまで話した後約20秒ユランは必死に頭を抱え、ジェダンは多少考える顔をしつつも剣士のうめき声を聞きやはり承諾した。少なくとも契約魔法を使うと言った一つ目の条件自体は其処まで重いものではないし、正直それ以外は破棄してもらっても構わないくらいの気持ちではある。
何はともあれジェダンが承知したのならこちらもしっかり仕事をするとしよう。
まずは契約魔法を行う、と言っても書類や複雑な道具等は必要無い。双方の血を互いの手の甲に数滴落とし、その手で握手をしたまま双方の条件を読み上げる。その後双方空いている手で握手をしている相手の手の甲に付いた自分の血が手の平に付くように軽く叩く。
どのような人間でも血には魔力が含まれる為その魔力を糧に契約を行うのだ。昔はもっと大仰にしていたらしいが、人間とは楽をしたくなるものでだんだんと簡略化されて行ってこの形になったらしい。
全員とやる時間は流石に惜しいので一先ずジェダンとだけ契約を終え、手をすすいだらすぐさま患者である剣士キーナンの治療に取り掛かる。
キーナンに布を巻いた枝を噛ませて深呼吸しながら自分の魔力を体外に少しずつ放出すると、どこからともなく蛍のような光がぽつりぽつりと周辺に集まってくる。
「嘘、これってもしかして…」
ユランが小声で反応を示している、やはりこの方法は一般的ではないという事の証左だろう。それもそうだ、普通人間の魔力に精霊の類は興味を示さない。自分のような境遇以外で精霊と友諠を持てる人間はそういないと言われている。
「荒事でもなければ逃げたりはしないから普通に話して大丈夫だ、お察しの通りの精霊だよ。今回はこいつらの力を借りる。」
そう言った後、周りの精霊たちから声が聞こえてくる。
「今回はオッサンのケガじゃねぇのか?」「あの人足いたそー、たえられるのかなー」「今回はそいつなのー?もっと魔力をくれないとやる気がでないよー」
散々な言われようであるが元々彼らとは自分がこの地に来た時からこの様な間柄で慣れたものだ。
「まぁそういうな、魔力は治療しながらやるから手伝いな。」
患部に手をかざすとその周りに精霊たちが集まってくる。手のひらから魔力を放出させると患部に塗った軟膏が精霊と同じ蛍光色に光り始める。
そしてそれと同時にメキメキという鈍い音がかすかに聞こえ始め、それをかき消すようにキーナンの言葉にならないうめき声が辺りに響く。効果が出始めたようだ、骨が繋がり始めたのである。
「この光は一体……、それにこれは……。」
ユランが起きる事一つ一つに驚き目を丸くしている。手間がかかるので過程がハッキリと目に見えるだけで治療過程自体は其処まで従来の治療魔法と似たようなものの筈なのだが、いかんせん過程がハッキリ見えるからこそグロテスクではある。
「これ自体は其処まで珍しいものでは無いよ、むしろこれの場合精霊だけじゃなく魔力を通しやすい薬草の軟膏と当て木を使って形成の補助までしているから扱える。
大まかな骨と筋肉の形くらいは俺も分かるが、血管と神経なんてのは流石に本人の自己治癒の力だしな。」
ちなみに治癒者の使う一般的な治療魔法は其処までの知識がなくとも神様が力を貸してくれるなんて言うこんな方法をとってる側からすれば正直言ってチートスキルに等しいものだ。なにせ一般的な治癒者は人体の構造を全くと言っていい程理解していないとしてもそれでも直せるのだから。
その点この方法は猟師や戦闘職にとっては比較的理解しやすい。無論動物と人の造りの違いはあれど構造を理解して急所を攻めて撃破し猟師は解体もするのだ、とはいっても精霊が呼べねば不可能であろうが。
ユランが神経という単語に疑問符を浮かべるも無視し、キーナンのうめき声を聞きながら骨を整え繋げ終える。次に血管や神経などと筋肉が繋がり最後に未だグズグズの状態ではあるが表皮が患部に膜を張った。
「おわったおわったー!お腹いっぱい!!」「きれいに治ってよかったねー」「もっとだー、もっとよこせー」
強欲な奴も居るが手伝ってくれた精霊たちに感謝しつつ帰宅を促す。大方の精霊たちが帰る中、二つの蛍火が自分に寄ってくる。どうやら自分が呼んだ下級の精霊たちとは違い、彼らは自らの意思で自分の元に来た言うならば中級の精霊のようだ。自分が首をかしげると精霊は自分にだけ聞こえるように耳打ちした。
「主さまがお怒りだ、良くないことがきっと起こる。お前はもう隠居などできはしない。全ては人が強欲なせいだ。不本意だろうがきっとお前は巻き込まれる。そこには悔恨が付きまとうだろう。
お前は過去から逃れ得ず、事を成すがため半ば人を辞したというに余りに憐れ。定められし生に縛られし我らが友よ。」
意味深な言葉を放った中級精霊はこちらの返答も聞かずに去って行った。正直不快だし冷や汗どころの話ではなかったが、今の言葉だけではこちらの取れる準備などたかが知れている。何よりこちらとて急ぎなのだ。
三人に向き直る。キーナンは気力が尽きて完全に気絶しているようだ。
「さて後はアンタらも疲れてるだろうがさっさと片づけて運ぶぞ。アンタらは東から来たが四半刻も西に行けば拠点がある。」
二人の了承を得たらさっさとキャンプを片付けてキーナンをジェダンが背負い、西へ向かった。
ニ十分程歩いただろうか、と言っても二人もそれなりに疲れているため休憩は入れる。ようやく自分が生活する上で踏み固めた道に出てきたところで、十数分もすれば拠点に付くだろう。
「そういえば御仁の名を聞いておりませんでしたな。」
魔法で水筒に出した水をジェダンが一息で飲んだ後に訪ねてきた。渡された水筒の軽さに気づいたユランが渋い顔をしている。
「先の条件もある、いっその事知らない方が良い。不便なら好きに呼んでくれ。」
水筒に水を足してやるとユランから神様と言う単語が聞こえた気がする。
二人にあと少しであることを伝えそろそろ出発しようとしたその時、気配を感じる。魔に狂わされた獣、俗に言う魔獣のようだ。二人に伝えると同時に遠くからドスドスと言った音がかすかに聞こえてくる、明らかにこちらに向かってきている。今日はよく迫られる日のようだ、此方も逃げられそうにない。
「そういえば聞いていなかったがどんな奴にやられたんだ。」
基本的にこの地では動物型が多い。熊型のは基本的に縄張り以外には出張らない。鹿型や猿型は其処まで強くないが広いルートで動くし足も速い、狩において出会ったら比較的奔放に動き回るので邪魔くさくて仕方ない。後は魔獣の死骸が自然の分解力で一定期間朽ちなかった場合の魔力溜まりから湧く異形になるが、周辺の魔力溜まりは確認次第散らしているのでそうそう見かけない。
「馬だ、首のない馬。首なしの騎士も馬車も無かったが、恐らくは父祖に伝え聞いたデュラハンの乗る馬そのままであった。
キーナンの足がやられた直後、奴の右大腿に戦鎚が届きなんとか退けたと思ったのだが。」
なぜ故郷でもあったおとぎ話の類が名も違わずこの地に伝承しているのかは知らないが、ジェダンが打ち震えるように言った。かなり興奮しているようだ。
「仮にデュラハンの馬だとするのならその名はコシュタ・バワーとかいったか。川辺は他の獣型魔獣なども利用する、無理に川から離れたのは失敗だったな。」
「御仁は伝承にもお詳しいので?もし契約さえなければ父が趣味で伝承の編纂をしておりましてな、是非紹介したかった。」
「俺じゃない、昔馴染みがそういった話が好物でな。つるんで旅をしていた時は奴がそういった話を頼んでも無いのにたき火の前でよくしていたものさ。」
「迎え撃つおつもりで?お二人は恐ろしくならないのですか……」
本当に話通りの魔獣なら拠点で迎え撃っても無駄だとかそんな事を二人と話ながら自分がキーナンを背負い近場にある一番太い木の二人半ほどの高さにキーナンを縛り付けた。
あの音から察するにジェダンの戦鎚は届いたのだろうが、致命傷にはならなかったのだろう。森の木々の間を通っている事すら感じさせない異常な速度で進んで来る音がする。ジェダンの話では頭が無いというのにどうやって木々を避けているのか、魚のように側線でもついているというのだろうか。
東から西にかけて上り坂になっている場所を選び、配置は東から向かってくるコシュタ・バワーらしきものの正面にジェダン、その少し後ろに自分。更に右斜め後方の樹上にユランと言った具合だ。ユランに魔法は使わないのか聞かれたが、自分の一番信じている斧を掲げてやった。魔法を使わないわけではないが、どちらにせよ今回は近距離の方が意味があるだろうと踏んでいる。
音が異様なまでに大きくなっていく。ロケーション探しや配置に付ける余裕があったし最初に音が聞こえ始めていたのはかなり遠くだったようだ。どれだけの健脚ならこれほどの音が鳴らせるのだろう、きっと魔獣ならではの脚力なのだろう。そしてそのリズムは先ほど旅の事を話したからであろうか、どこか懐かしさすら感じさせる。
これだけの音を響かせる速度だ、姿は未だ見えずとも土煙が濛々と上がる。我々を滅そうと只管に、できうる限り真っすぐに殺意が駆ける。そういえば奴はそんな形でこの地に来たと言っていた事を思い出した。
「来るぞ構えろ!斜に構えて出来うる限り勢いを殺して受け流せ!!」
「相分かった!!!アースプロテクト!」
最初に顔を合わせた時点で理解できるほど、まごうことなくジェダンはお人好しだが底抜けに良い奴だ。自分に近い年であっても部下を思い動く事に躊躇いも無く、そして先ほど会ったばかりの自分の指示を紛う方なく笑いながら命を懸けてくれるのだから。
ジェダンのバートレー家は片田舎ではあるものの伯爵の地位であり、質実剛健を是としている家系だ。戦功こそ目立つ事はそれほど無いが着実に戦果を挙げ、かの領地から出征した兵は強兵であり生還率はどのような戦場でも他に比べ高い。軍備にだけ明け暮れているという事も無く土地は先祖伝来の穀倉地帯バルシアをそのまま拝領している。民と富の両方が堅固である為に才のあるものには体裁にかかわる郎党だけでなく身分に関わらず教育を惜しまなかった。
そんな家系に八男として生を受けたジェダンだが、当人に魔法の才はさほど無く使えるのは身体強化系のみという魔法使いとしては絶望的だった。貴族としての地位を考えると体裁は悪いがそれでもバートレー家の懐はそんな事など露ほども気にしなかった。近接戦闘が出来るなら待遇は別として十分であり何より八男という立場も跡取りになるという事がほぼ無いゆえに救いであった。
ジェダン自身元より魔法は使えるに越したことはないだろうが、それでも敵将の首を討ち取るも耐えて前線を維持するも歩兵騎兵の見せどころであると自らを奮い立たせた。
民兵最初の兵科は才が無ければ大概が歩兵だ。歩兵から生き残ったうちの幾分かは一人前と認められ兵科だけでなくいずれ待遇も変わる可能性すらある。それは長期的な目で見れば歩兵が敢闘した上で生き残れば更なる強兵へと繋がるという事だ。
成人となると早速戦地に立ち初戦こそ父と共に動いたがそれ以降は常に歩兵部隊を率い文字通り共に立つ領民と共に盾となり敵の守りを穿つため槌を振るった。彼が率いた隊員こそ割合高く生きて帰るが、彼が参陣の為に乗った馬は戦闘になれば一度として生還した試しは無かった程だ。
一度の戦だけでもその盾は開戦すれば敵の雨注を、槍戟を、魔法を、敵となった人魔を問わず幾度も受けた。無論夢物語ではない、瞬き一つすれば開戦前に軽口を言い合った隣の兵が消え、魔法や装備で自己と周囲を強化しても死は自他ともにあっけなく訪れる。それでもその一瞬一瞬をその時々を生きている者と共に戦の勝ち負けに関係なく殆どを前線で戦い続けた。
齢も三十を越えた頃、己の老いを感じ始めた辺りで領軍から隣領の砦へと王国軍からの辞令を受けた。歩兵への指導役としての名目だが既に隠居し老いた父が手を回したようで、妻帯もせず死に急ぐような生き方をする己に少しでも前線から退くチャンスをくれたのだと感謝した。
確かにこのままではいずれ討ち死に、若人に同じように死ねと見せることになってしまう。それは本懐ではない。本懐でこそないが、戦って討ち死ぬ事自体はどこか本望であるとさえ思ってしまう節はあった。
指導に当たり、砦にいる他領兵と家領の者達との違いは多岐に渡る。地域を問わず集まった王国軍である以上当然だが考え方、モチベーション、教育のレベルと挙げればきりが無い程だ。だがそれでも彼らはどのような形でも軍の選抜を経てここに命を懸けるために居るのだ、指導官である以上立場に甘んじて横柄な扱いをするつもりはなかった。己が従軍の際に決めた心構えを元に訓練を続けた。
半月ほど前、国から各砦に通達が走った。内容は各地域において一番の辺境であろうという場所に不審な人物が居れば至急確保し、王都に護送せよとの事だった。勿論各砦の司令部は頭を抱えた事だろう。
余りに抽象的で自分の所属する砦ですら老いた王の戯れではないかと言うのが真意を探ろうとする総司令の口をついて出たほどだ。しかして王命であり、蔑ろにするわけには行かず形だけでも調査をせねばならないと言う話になった。
この地域で辺境で狙いの人物がいるかも知れぬとすれば、王国の東にあるこの砦の更に分け入った東のスタンピードが起これば発生はまず其処だろうと少し前まで言われていたスタグ山だ。
起伏は激しく存在する魔物の強さも地元では有名だった。そこに行くとなれば大人数ではいけず、人員の選定に呼ばれたのが自分だった。
これ幸いと志願兵のリストを眺め、この二年で指導した中から見合うであろう腕前の歩兵三名と弓部隊からの推薦を一名魔法部隊から治療魔法も使える一名と総司令に懇願した己を入れ六名で向かった。
そして二日前けたたましい音と共に歩兵が二名先ほどまで見せてくれた精悍さも消えさった鉄と肉の塊となり退避しようにも道に迷い、更に今日は追撃を受け肩を貸して逃げる間に魔法師はいつの間にか姿を消した。監督者である己のせいで荷と三名の損失、そして後少しもすればそこに一名増えるだろう。
だがしかし何たる僥倖か壮年の猟師らしき人物に出会い、かの御仁は事もあろうか人の身でありながら精霊の力を借り彼の足を治療した。だが助かったかに見えた今回の戦いは未だ己を離してはくれなかった。
砦に所属し三年近く経ち、最後に戦いらしい戦いに参陣してからは四年の月日が経っていた。それに気づいた己は酷く焦り、あの時感じた本望の所在を求め憤っていた。今回がそうでないならそれでも良いが挑まないというのは余りに惜しく、死なせてしまった部下の事もあるがそれ以上に今までこの五体に宿り共に歩んだ血肉が魔力が己に死地を求めさせた。
悩むまでも無く腹は決まり、四肢に力がみなぎった。今度は初見の存在からの奇襲を受けるのでなく迎え撃つのだ。首の無き赤黒い馬体が木々を難なく避けこちらに向かってくる。御仁の指示通りに盾を構える、受けた瞬間の記憶は無い。
飛んでいるようだ。重さで言えば常人の倍以上はあろうという己の巨体に装備まで含めたとてまるで意に介さぬかのように吹き飛んだ。木の葉のように舞う体でも必死に己の後ろに居た御仁に目を向けた。不思議だが時がゆっくりと進む。
己が吹き飛ばされた直後だろう、怪馬はそのまま御仁に向かう。御仁はその諸手で構えた斧を横なぎに振るようだ。ゆっくり進むように見えるついでにおかしくなったのか、その斧が青く輝いて見えた。その後、ジェダンの視界は暗転した。