00400.やっと恩返しをできるから
それはラスティアラと迷宮デートに向かって、結局パーティーでの探索になった後のこと。
その日のお昼過ぎ、家に戻った僕の前に仁王立ちで現れたのは、嬉しそうなスノウだった。玄関で待ち伏せされて、第一声が叫ばれる。
「カナミ、ラスティアラとデート行ったんだって!?」
その質問には「いや、それがデートにはならなかったんだよ……」と返したかった。
しかし、その言い訳はきかないだろう理由が察せられる。
「それ、誰から聞いたの……?」
「ラスティアラから!」
本人が「楽しいデートだったよ!」と言い張ったのだ。ならば、あれは最高のデートだったという事実だけが綺麗に残ってしまう。
その上でラスティアラが言いそうな続きの言葉も分かる。きっと「その分、スノウも何かカナミにして貰いなよ」とでも言ったのだろう。だから、スノウはこんなにも嬉しそうで、わくわくしているのだ。
そんな経緯があって、結果――
いま僕はリビングのソファーに座り、さらにその上でスノウは寝転がっていた。
つまり、デートに相当することをして貰いたいという流れで、なぜか膝枕をすることになったのだ。そこそこ重い。
最初はもっと過激なことを提案されていたので(同じギルドの魔法使いテイリ・リンカーさんの入れ知恵を感じる。ウォーカー家当主様は意外に清純なので、たぶん違う)、これでも一応折衷案だ。
僕は膝の上にスノウの頭を乗せて、狭いソファーで何度も寝返る彼女の話を聞く。
「――あぁ、私も連れてって欲しかったなぁ。私がお義母様の小言を聞いている間に、遊びに行くなんてぇ……」
ちょっと拗ねた振りをしているスノウに向かって、一応僕は小さく「ごめん」と謝っておく。のだが、それとは別に、もう自然と迷宮が遊び場扱いになっているのが、元制作者として密かに少し悲しくもあった。
「最近、さらにお義母様の小言が凄くなって、会うたびに「マリアさんは働き者ですよ」「マリアさんと比べてあなたは……」って言われるんだよね。ぁあぁ、昨日は疲れたぁ……」
もしこれが一年前ならば、ここで僕は強気に「マリアぐらい頑張れ」ぐらいは言っているだろう。
しかし、もうそうは答えられない。
僕が六十六層に落ちている一年の間、スノウはみんなの為に頑張ってくれた。止めに『終譚祭』で、あのセルドラを説得してくれた。他にも色々スノウに助けて貰った分を考えると、一生頭が上がらない――というのは流石に言い過ぎだが、丸一年くらいは甘やかさないと計算が合わないなと、個人的に思っている。
「もう完全にお義母様は、マリアちゃんに取られたねっ! いや、取ってくれってお願いしたのは私だけど、取られたら取られたで少し寂しい気もしてるんだ……」
そして、出会ったときから変わった家族の関係を知れる。その相談に対して「なら、仕事以外で、何か誘ってみたら? 食事とかさ」と軽い後押しをしてみる。
ただ、スノウは幼少の苦手意識から「んー、んー」と悩む。その間ずっと彼女の柔らかな蒼い長髪を梳きながら、たまになでなですること、数分後――
「元気出た! ありがとう、カナミ! ちょっと頑張ってくる! ばいばい!」
一年前のスノウならば、きっと夜までなでなでし続けて貰っていただろう。
しかし、いまの彼女は拗ねた振りと気だるさを振り払って、動き出すことができた。苦手だったはずの自らの家の当主に向かって、精力的に、前向きに。
その背中を見送った僕は、スノウと全く同じことを思う。
かつてウォーカー家当主さんからスノウを奪った僕だが、いつの間にかウォーカー家当主さんに取り返されている。それはいいことだけど、少し寂しい気もしてしまう……。
そう思いながら、スノウが去って行ったあとを見つめていると、違う方角から視線を感じる。
振り向くと、別の部屋から移動してきたマリアが紙束を持って現れて、僕を見つめていた。
どうやら、こっそり様子を観察されていたらしい。
僕だけでなく、自分の義姉にあたるスノウも心配していたのだろうが……。ただ、そこで見せられたのは、僕とスノウのソファーでの膝枕。
一瞬不味いかと思ったが、マリアの表情に灯るのは温かな微笑のみ。
その優しげで献身的な顔つきから、少し前に別れた大事な女性を思い出す。先ほどスノウを見て、セルドラを思い出したように、彼女の遺言を――
『――マリアのことは別だからな、カナミ。これが終わったら、ちゃんと一杯甘やかすように』
二度彼女と別れて、同じようなことを頼まれた。
しかし、甘やかすと言っても、どうすれば……。
と悩んだ末に、僕は中途半端で手探りの提案をしてしまう。
「……えっと、マリア。肩、揉もうか?」
それにマリアは「ふふっ」と微笑を深める。
その『火の理を盗むもの』アルティを思い出す仕草が、なぜか僕は嬉しかった。
「急ですね。いま誰を思い浮かべたのか、分かりますよ」
「……アルティだけの話じゃないよ。マリアには色々と家のことをやって貰ってるから。そのお礼がしたいんだ」
「以前の船旅のときも言いましたが、家事をやってるのは私が好きだからですよ。気にしないでください」
「好きなら良かった……。でも、僕としては『終譚祭』で迷惑かけた分を、ちょっとずつ返したいなって」
「私としては、そこを一番気にしないで欲しいんですけどね。あの『終譚祭』、そこまで迷惑かけられた気はしてませんので」
「かけてないわけないよ。あれだけの大事だったんだから」
「大事と言われても、正直なところ、楽勝でしたからね。完全に、勝ち試合でしたよ、あれ」
「……そ、そこまでだった?」
「だから、私はカナミさんの応援をしたんですよ。で、その『終譚祭』で最終的に、私はアルティたちと再会できて、一度目はできなかったきちんとしたお別れの挨拶もできて……。ふむ、これはむしろ、こちら側がお礼をしたいくらいでは?」
相変わらず、言い合いで勝てる気が全くしない。
そして、どこかアルティを思い出す論調だとも思った。少し懐かしさを感じながらも、一応僕は抵抗してみる。先ほどのスノウを真似て、どこか拗ねた振りをして。
「いや、でもやっぱり勝ち試合は言い過ぎかな。僕は最後まで本気だったし、最後まで勝負は互角で、どうなるか分からなかったよ」
「そうですかね? あの戦い、最初の温泉旅行の時点で、私は最後どうなるか分かってましたよ」
「温泉旅行……って、最初も最初の? あのときが勝負の分かれ目だったの? もっと、その……、セルドラやクウネルが寝返ったあたりとかじゃなくて?」
「カナミさんは戦力を重視してましたが、全部無駄でしたよ。そこの二人は、どうせこっちに寝返り返すだろうなって、こっちは確信してましたので」
「ぐっ……」
「なんでこの人、味方に爆弾を集めてるんだろうって、不思議でした」
実際その通りになっているから、僕は何も言い返せなかった。
その僕に向かって、近づいてきたマリアは勝利者の余裕として、紙束をテーブルに置いてから背中を向ける。
僕は敗北感を味わいながら立ち上がって、ゆっくりと彼女の肩に手を置き、揉み始める。
「カナミさんに必要だったのは、盤石なメンバーや『計画』などではなく、こちら側の情報だったんですよ。なのに、それを出来る魔法がありながら怠ったのが、カナミさんの最大の敗因です。……覗いてくださいよ、女風呂くらい」
「の、覗けるわけないだろ。プライベートの侵犯どころか、完全に犯罪者だから、それ」
「そういえば、同性のライナーやフェーデルトさんのプライベートまで、律儀に守ってたんでしたっけ? もう本当に、カナミさんは……。そもそも、世界中のみんなを『幸せ』に導くことが、最大最悪のプライベート侵犯で犯罪なんです。遠慮するところが違います」
「……犯罪は一つもしてなかったよ。『糸』や《ディメンション》を伸ばしても、他人が見られたら嫌だろうなってところは、ちゃんと綺麗に除外してたから」
「はあ……。それです。法を決める立場どころか、『世界の主』を超えて『神』になるとか豪語しておきながら、覗き一つさえできない。ほんと『矛盾』してるんですから」
「ぐ、ぐぬぬっ」
「ぐぬぬじゃありません。カナミさん、私たちの勝ち試合だったって理由、しっかり分かってくれましたか?」
話せば話すほど、不利になっていく。
なので仕方なく、僕は「はい」と応えて肩揉みに集中していくのだが……。
途中でマリアが零す。
「というか、別に凝ってませんよね。私の肩」
僕が下手だから気持ち良くないとか嫌とかいうわけではないだろう。
くすぐったそうにしながら、マリアが嬉しそうな顔をしているのは後ろから見える横顔だけでも分かる。
それはそれとして、肩揉みに効果が余りがないという顔だ。
単純にマリアは若く元気で、肩が凝りにくい身体をしている。その上、彼女は就寝前に入念なストレッチをして、明日に疲れを残さないタイプなのだ。
なので、マリアは振り返りながら、さらにいい笑顔で告げる。
「交代しましょう。なにせ、こちらがお礼をする側ですからね」
「いや、それはいいよ。僕もそんなに凝る体質じゃないし」
「体質というか……。カナミさん、健康マニアですもんね。私と同じで、ストレッチとかよくしてるの見ます。なら、そうですね。スノウさんと同じやつにしましょうか」
そう言って、マリアは先ほどまで僕が座っていたソファーに着く。
そして、膝の上をぽんぽんと叩いて、誘う。
その意味を理解した僕は、小さく首を振って拒否するが――
「スノウさんにはして、私にはしてくれないんですか?」
「するんじゃなくて、させるってなると話は違うよ。あと、色々とハードルが高い。性別とか、体格差とか、絵面とか……」
「誰かに見られているわけじゃないので平気です。……本当に、駄目ですか?」
一度だけマリアは食い下がる。それに僕が一度だけ拒否すれば、間違いなく優しい彼女は無理強いすることなく、諦めるだろう。
だが、僕の心にある言葉が――
『一杯甘やかすように――』
僕は「分かったよ」とマリアに頷いて、ゆっくりとソファーに寝転がっていく。
しっかりと、その頭を彼女の小さな太ももの上に乗せて。
僕の後頭部が、マリアの柔らかさと体温を感じ取る。
混じり合う熱と共に、互いの鼓動が重なり合うのも感じつつ、今度は僕の黒髪を彼女の指が梳く。
その膝枕をされた状態で、僕はおでこの上あたりを「よしよし」と撫でられる。
き、気恥ずかしい……。
流石に一回り以上小さな女の子に身を委ねているのは、どこか背徳的で、いけないことをしている気分になってしまう。
ただ、それ以上に感じているのは、安らぎ。
徐々に上がっていく体温に合わせて、少しずつ心が落ち着いていく。
いままでの僕じゃなくて、『終譚祭』を乗り越えた僕だからこそ、この状況を開き直って堪能する余裕があった。
だから、とても温かい。
思えば、膝枕をして貰ったことは一度もなかった気がする。
陽滝に近いことをされたけれども、あれは『作りもの』を完成する一環だった。母親は育児下手で、子供を撫でることすら厭う人だった。父親も同様だ。生まれたときから、こんなにも真っ直ぐな甘やかされ方は初めてで――
「私からやっておいてなんですが、涙ぐまれると驚きますね……」
僕が感慨深さに涙腺を緩めていると、ちょっとドン引きしているマリアがいた。
「いや、こういうのに慣れてなくて……、ごめん」
自分の手で目尻を拭いながら、涙脆い自分に反省しつつ、謝る。
ただ、それにマリアは首を振って、撫でていた手を口の上に軽く乗せた。
「謝らないでください。……ただ、ここまで感動されると、ラスティアラさんに申し訳なくなってきました。こういう初めては、恋人相手の方がいいような」
気にしているようだが、それは絶対に平気だ。
僕は手をマリアの手と重ね合わせて、柔らかく押し退けてから、首を振り返す。
「ラスティアラなら気にしないよ。そんなやつじゃないから」
「……ですね。一時期、脳内ラスティアラさんとお話ししていたカナミさんの断言なら信じられます。よかったです」
「いや、あれを理由に安心されるのは、ちょっと……」
「あの黒歴史、一生言われますからね。どうか楽しみにしててください、カナミさん」
「…………。よしっ、仕方ない。もう、ここは前向きに、誰よりも恋人への理解ある彼氏ということで自慢する方向で行こう」
「おっ、いい開き直りですね。私はいいと思いますよ。ラスティアラさんのためにも、色々自慢してあげてください。それを私は全力で羨ましがって、じわりじわりと熱とか溜めていきますから。……それで、偶にはちょっと本気で燃え上がって、奪いにいったりするんです。ふふっ」
マリアは僕に対して「ラスティアラをよく理解している」と褒めてくれる。ただ、こちらからすると、マリアのほうこそだ。
彼女の「ラスティアラをよく理解している」からこその発言と意地悪な微笑に、頷き返す。
そして、ラスティアラがいないのにラスティアラ中心になっている奇妙な状況に、二人で苦笑いしていく。
「ほんと今更ですが……、恋人のラスティアラさんを放置して、こんなことをしてるのってなんだかおかしいですよね。ラスティアラさん自身が推奨してるとはいえ」
「……仕方ない。まともな付き合いは、もう僕は色々と諦めてるよ。はっきり言って、ラスティアラと『理想』のお付き合いは無理だ」
「私はラスティアラさんばっかりが悪いとは思いませんけどね。カナミさんの『理想』は乙女チックで、現実味ありませんから」
「それ、酒場の元先輩たちからも言われたよ。マリアから見ても、そう思う?」
「思います。けど、だからと言って、『頭がカナミさん』じゃないカナミさんは、カナミさんらしくないですけどね。ラスティアラさんもしょんぼりすると思いますから、このままでいいですよ」
「なら……、いいのかな? ラスティアラが悲しむのは見たくないからね」
「私もラスティアラさんが悲しむ姿は見たくないです。ラスティアラさんのこと、大好きですから。……もちろん、『終譚祭』をしでかしたカナミさんには負けますけど」
膝枕をされて撫でられながら談笑するが、その途中でマリアは少しだけ悔しさと嫉妬を混ぜた表情となった。ただ、その感情はラスティアラに対してだけでなく、僕に対しても含んでいるように感じる。
もう隠すことも抱えることもなく、こんな至近距離で見せてくれるマリアに対して、僕も隠さずに好意を伝えていく。マリアの口ぶりを真似して。
「ラスティアラも大切だけど、マリアのことも大切に思ってるよ。僕にできることは全部してあげたいって思ってる。マリアのこと、大好きだからね」
「……直球ですね。嘘じゃないって分かるからこそ、なんだか恥ずかしいです」
マリアは『炯眼』の宿った目を見開いて、驚く。
それに僕は苦笑いで応えていく。
「もう嘘はこりごりだから。やっぱり、感じたままに話すのが一番だ」
「……もう、ちょっとくらい嘘ついてもいいんですよ? 人間、建て前も大事ですから。とはいえ、私が家を燃やしたのが原因のトラウマっぽいので、私からは強く言えませんが」
「バランスが大事ってことも、もう分かってる。一つの方向性だけに拘って進み続けると、辿り着くのは『終譚祭』だ」
「はい、そういうことです。カナミさん、反省し始めると急に振り切れて暴走する困ったさんなので、よく気をつけてくださいね。……ということで、そろそろバランスを取って、さらに交代して貰いましょうか。カナミさんを愛でるのは、十分に堪能しましたので」
いい笑顔で、マリアは膝枕の立場交代を提案した。
それは僕の本来の「マリアの甘やかし」に沿っていたので、特に反論はなく、スムーズに二人で動く。
次は僕の膝の上に、彼女の頭を乗せる。
彼女の黒髪に触れると、かつて妹を看病していた頃を少し思い出す。
こちら側は慣れたもので、マリアの頭を優しく撫で続ける。
すると、漏れ出る吐息。
「あぁ」
「……どう?」
十分に膝枕を堪能し合ってから、感想を聞く。
それにマリアは素直に答えてくれる。
「これはこれで……。やっぱり、強がっていただけで、こっちのほうがいいですね。少し昔を思い出しました」
「なら、よかった。これで……」
これで、アルティとの約束が果たせた。
さらに言えば、僕と同じくマリアも、ちょっと涙ぐんでいたが……。
安心して撫でられ続けて貰えるように、どちらも口には出さずに続けていく。
そして、時には目を合わせて、恥ずかし合ったり、笑い合ったり、話し合ったりして。
その数分後に、別のお客さんがリビングルームに入ってきた。
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表紙はノスフィー! 本当に明るい『頂上』の素晴らしいイラストなので、みなさんも見てください!
よろしくお願いします!
活動報告にて、イラスト感想や特典のご紹介などもしています。
あと特典と言えば、肩揉みから色々派生しようかと思っていましたが、立ちはだかる書籍特典の異世界マッサージ編計八話……!