05303R.アルティ・ティーダ過去編その3
「――アルティ様!」
「…………っ!」
振り向き、その先に立っていたのは、見知らぬ男。
一目、まず「暗い」と思った。
その姿が存在が、闇に紛れるように暗い。しかし、よく見れば、その第一印象は間違っていると気付く。栗色の癖毛は目元まで綺麗に整い、目鼻立ちは端正。佇まいは気品に溢れ、それに見合った立派な装いを着こなしている。暗色で纏まっているが、村の外でしか見られない高価な織物だった。
気品ある男は、目を見開いていた。
私の反応の早さに驚きながらも、すぐに手を腰にある剣まで持っていく。
技は拙いが、斬ろうとする判断が早い――
けれども、その前に一拍遅れて状況を把握したアルティの声が止める。
「あれ、昨日の格好いい従者様?」
男は一歩大きく後退ったが、その手を剣から離さない。
そして、私だけでなく私が守ろうとしたものにも目をやる。
「……ああ、そっちは『千里眼』の娘さんか」
そこで男はようやく手を緩めて、安堵した様子で微笑を浮かべた。
……安堵? 本当に?
その大げさな脱力はわざとらしかった。
だが、こう見せつけられると、私も同じく警戒を解かざるを得ない。
客人と思われる男とアルティのやり取りを邪魔することはできなかった。
「なぜ裏口から入ろうと? 君の家だろう?」
「それは、その……。大事なお話をしているみなさんのお邪魔になるかなって思って」
「だから、裏から私たちのことをこっそり覗き見しようとしてたって?」
「覗き見なんて、そんなあ……。……はいぃ、すみません、その通りですぅ」
「いや、怒ってるわけじゃないんだ。ただ、真正面から来てくれたほうが、私たちは嬉しかったかなって。ほら、こっちにおいで」
主導権を握った男は、勝手知ったる我が家のようにアルティを手招いて、正面からの帰還を促そうとする。
男の足取りは軽く、無駄が無かった。
ただ、年上で目上だからではない。
村には無い気品ある振る舞いに、自然と私たちは付いていってしまう。
これが貴族というものなのだろうか。
下々が逆らえないのは権威や資産の問題だけではないと、そう感心したのは私だけではないようで、男の背中から三歩離れたところでアルティが小声で話しかけてくる。
「ねっ、ねねねっ。……格好いいでしょ。顔が、凄くいいお顔でしょ。見に来て良かったでしょ」
「あ、うん。確かに、一緒に見に来て良かった。……でも私は、本の話のほうを早くして欲しいかも」
ぼそぼそと話す。
アルティは例のいいお顔にお熱のようだが、私は本題に入るならこの気品があって腕の立つ男でも十分な気がしていた。
そこで前を歩いていた男が振り向く。
「へえ」
そして、私たちを『目』で――いや、私とは別種の『眼』で見て、小さく声を漏らした。
……は?
私やアルティと違って、少し冷たい印象の受ける瞳だった。
しかし、すぐに暖かさを伴って、その両目を細めてくれる。
「そういうことか。……二人の用事はなんとなく分かったよ。でも、そういうのは私が少し困るかな。こっちはそういうのに慣れてるから、次からは普通に頼むよ」
優しく、諭されてしまった。
その対応にアルティは「はい!」と素直に答えて、私も一応頷いておく。
……嘘はない。優しいのも間違いないだろう。
同時に、色々と慣れている男だと思った
ただ、それは女性の扱いに慣れてるとか、田舎での対応に慣れてるとか、そんな生易しいものではない。
こちらを舐めるような『眼』。
それが気に入らなくて、つい私は口出ししてしまう。
「困るんですか? あなたが?」
「ああ、困るんだ。これでも護衛だからね。中で主が話しているのに裏でこそこそされると、どうしても仕事をしないといけなくなる」
「…………」
ずっと私は長い前髪の隙間から『目』で見つめている。
それが特別な行為であると、似た特技を持ってる男は感じ取ったようだ。
「…………。……どこかおかしいか? 本職とまでは言わないが、ちゃんと従者らしい格好をしてきたつもりなんだが」
「いえ。申し訳ありません、村で生きる私たちから見れば南からやってきた人たちは、みんな立派な貴族様に見えるもので」
「へえ、それは嬉しい見間違いだ。ただ、それだと私の主を見たとき、もっともっと驚いてしまうよ。大丈夫かな?」
「心の準備をしておきます。この調子だと、その御方を王族様と見間違える可能性が高いので」
自然と話しながら、見つめ合う形となってしまっていた。
いつの間にか私たち三人は立ち止まっている。
もう会話が一段落しているのに、私と男は目を離せない。
目を逸らしたほうが負けな気がした。
隣のアルティは「え、なんで張り合ってるの?」と困惑していたが、正直私も同じ気持ちだ。
こんな出会い頭に、客人とピリついてもいいことなんて一つも無い。
護衛という自己紹介に嘘はなかったし、今の邂逅は気を張り詰めすぎた従者同士の行き違い。
だとしても、どうしても思ってしまう。
――負けては駄目だ。こいつにだけは。
それは自分が村一番であるという誇りからか。
私が負ければ、外の者に村が呑み込まれるという危機感からか。
珍しく、自分が自分に振り回されているのは自覚している。
ただ、その困惑は目の前の男も同じようだった。年上として穏やかな微笑を保ち続けている――その裏で、なぜ自分がこんなみすぼらしい子供相手にムキになっているんだ――と、不思議ながらも男と私は通じ合えてしまっていた。
その初めての感覚に困惑しつつ、つい私たちは睨み合い固まってしまう。
が、その時間は長く続かない。
向かっていた先から一人の男が歩き現れたからだ。
こちらも同じく、街では見られない気品があった。
しかし、印象は打って変わって、「明るい」。
一目で、先ほど話していたロミス・ネイシャだと察しがついた。
従者とお揃いにでもしていそうな髪と顔つきをしていて、装いも佇まいも似ていて、しかし全てにおいてこちらの男のほうが上回っていた。
新しく現れた男は、より気品があり明るい声を、こちらに向かって投げる。
「おいおい、ティーダ。入り口の見張りを放棄して、こんなところで綺麗なご婦人たちと逢い引きか?」
親友に対する冗談めかした問いかけだった。
それを聞いて、やっとティーダは私から目を離す。
勝った……! と私は子供のように、先に折れた相手の背中に笑いかけたあと、お客さんの会話を見守っていく。
「ロ、ロミス……!? いや、これは違うんだ。ただ者じゃない足音が聞こえたから、従者として確認に向かっただけで……」
「ただ者じゃないだって? っと、確かに、もうただ者じゃなくなったお嬢さんだな。昨日はそこまでだと気付かなかったが、ああも所望されるほどのお嬢さんだったとはな。ははっ」
「じゃなくなった? 中で一体何が……?」
ティーダは私のことを話していたが、ロミスの視線はアルティに向けられていた。
隣から「へ?」と照れる声が聞こえてきて、また私は彼女を守ろうと身を乗り出そうとする。
しかし、それを止める声が、さらにロミスの後ろから投げかけられる。
少し遅れて、見慣れた顔も来てくれていた。死した優しい長さんから村の管理者を引き継いだアルティの父だ。
いつもの私たちと同じ装いに、いつもの白髪を垂らしている。
ただ、その新しい長はいつも違って、今日は優しい声をしてくれていなかった。
「我が娘アルティ。いや、『千里眼』の巫女よ。早急に、おまえに会わせたい御方がいる」
村をとりまとめる者としての固い言葉だった。
それに私とアルティは畏まって一礼して、応じるしかなかった。
その素直な私たちを見て長さんは頷き、ロミスは安心しながら説明していく。
「ティーダ、予想通りだった。私たちのあと、すぐにあの御方たちがいらっしゃったのだ。今朝、村長殿と話している最中だったので、この私も少々驚いてしまったがな」
新しく現れた二人が繰り返す「御方」。
それに痺れを切らしたティーダは「いらっしゃったって、誰が……」と小さく聞く。
その友の言葉を待っていたと言わんばかりに、ロミスは喜色の混じった声となる。
「誰? 当然、我々の待ち望み続けた御方。暗雲より高き天から遣わされた使徒様たちのことさ」
そう答えたとき、長さんとロミスは目を合わせる。
続いて、一瞬だけ自らの後方に目をやったあと、ゆっくりと互いの距離を空けた。
道を作るかのように。
それも、自らよりも高貴な人を出迎えるように。
その空けられた道の奥から、また新しい顔が見えた。
大きめのローブを纏った老人だった。
しかし、私の知る老いた人間と、それはまるで違った。
もう「暗い」「明るい」どころの話ではない。「神々しい」と、この私の『目』が一目で眩んでしまった。
気品ある従者より、それより明るいロミスより、ずっとずっと眩しい存在感を老人は持っている。
装いが特別に派手なわけではない。
髪や顔つきも、そこにいる貴族の客と比べて麗しいわけでもない。
そこそこ身なりが整っているだけのお爺さん――のはずなのに、なぜか目が潰れるような眩しさがあって、肌がひりついて、妙な重圧感に後退りそうになる。
その老人は私たちに自己紹介していく。
「うむ、使徒ディプラクラじゃ。そして、こちらの小さく無口なほうは――」
「使徒レガシィ」
気付かなかったが、老人の傍らに少年もいた。
私たちと同じ頃の年に見えるが、異様なまでに覇気がなく、存在感も薄い。ロミスたちと似て顔つきは非常に整い、神々しさもあるはずなのに、隣の老人ディプラクラの圧倒的な存在感に覆い尽くされている。
「まだ一人使徒はおるのじゃが、あやつは形式張った挨拶や小難しい話を嫌っておる。あとで合流できるじゃろう」
老人は使徒を名乗った。
その大層すぎる名乗りに、私は首を振れなかった。
急に伝説そのものが現れて、それを疑うことなく認めさせられている。
全身の毛が逆立つのを抑えられない。
この老人には異様な存在感がある――のではなく、おそらく『魔の毒』の保有量が段違いなのだ。
例の便利なあれを理解し、支配し、自らの力として纏っている。
だから、一瞥だけで、ここまで圧倒されてしまう。
後退り、頭を垂れつつ、自分が下であると思いそうになってしまう。
ずっと私はモンスター除けに『魔の毒』を利用していたのだが、そのモンスターたちの気持ちを思いがけず知れてしまう。
これが『魔の毒』。
やばい。
確かに、これはやばい。
明るすぎて、避けたくなる。
眩すぎて、目を背けたくなる。
魂が揺さぶられすぎて、離れたくなる。
というこちらの感情は把握しているようで、老齢の使徒は柔和に笑いかけ続けて、こちらの緊張を解こうとし続けていた。
そのまま、優しさに満ち溢れた声色を保ち――
「それで、あの娘が噂の『千里眼の少女』か? 『不敗の男』に続き、我々は幸運じゃな。いや、これが魂は引かれ合うということなのじゃろうか」
目をやる先は、私の隣のアルティ。
どうやら、この使徒たちの目的は私の親友のようだ。
噂を聞きつけたとのことだが、どんな誇張された情報を信じてやってきたのか私は気で気がならない。
そして、それは使徒の前にいる誰もが同じで、まずロミスが頭を下げて答えていく。
「使徒様、私は負けを知らないわけではありません。偶々、決闘での不戦勝が重なり、妙な噂となってしまっただけで……」
「わ、わわわ、私も偶々です。何も特別なものは見えていません。生意気にも父に口を出し続け、それが幸運にも上手くいき続けてしまっているだけで……」
二人は謙遜するしかなかった。
だが、そんなものは許さないとばかりに、ぴしゃりと言い止められる。
「偶然でも幸運でもない。なぜなら、儂らは世界全てが必然のものであると知っておる。偶々、相手を不戦敗に追い込み続けた? 偶々、未来の出来事を的中させ続けた? 違うな。そのような勝利が続くのは、おぬしらには読めておるからだ」
褒め称えられた……ように聞こえる。
同時に、少し妙な言い回しだと思った。二人に実力があるのだと褒めているようで、話の本質は別にあるように聞こえた。
「頭を上げよ、『魔の毒』の流れを読めるものたちよ。おぬしたちは、本当に素晴らしい。よくぞ、この世に生まれてきてくれた。――ゆえに、この世界を救う『器』に相応しい」
賞賛の果て、ついには「世界を救う」なんて言葉まで出てきてしまう。
それを聞いた二人は「私が世界を……」「せ、世界を、救う?」と、興奮した様子で顔を上げて、使徒の顔を見つめた。
視線が絡み合うように、交差していく。
私は不安になって、先ほど私と通じ合った男に目を向ける。
従者のティーダも不安そうに、自らの親友の喜びに満ちた顔を見つめていた。
おそらく、彼も私と同じく、この使徒とやらの賞賛の裏にある本質に気付いて、案じている。
使徒を名乗る老人ディプラクラ。
あの無駄に立派そうで神々しい瞳の奥に潜むものは、おそらく――
だが、いま友の前に躍り出て、この合わさる視線を断つわけにもいかなかった。
従者として大人しく、この出会いを見守り続けるしかない。
こうして、私たちの始まりの邂逅を終えていく。
マリアとアルティ。
ティーダとロミス。
ディプラクラとレガシィ。
これから、それぞれ深い因縁が生まれ、運命が交錯する三組。
どういう形であれ、この村を――いや、村どころか北の地全てを滅ぼす六人だった。
先生から色々頂いて、ちょっと設定が変更された過去編プロローグですが、一先ず終わりです。
左藤先生の二章コミカライズのおかげで(ティーダの一人称が「ワタシ」になってあの性格になる……その切っ掛けのシーンを入れたくなり)、アルティとファニアの村の顛末の設定が固まりました。
※2024/11/21、ちょっとあとがき修正。すみませんー。
感謝しつつ、また明日ー。




