05301R.アルティ・ティーダ過去編その1
微睡みが、一番の幸せだった。
私に、十分な時間があった。
私に、暖かな毛布があった。
私に、健やかな身体があった。
間違いなく、「眠り」は贅沢品だった――
――その揺蕩う微睡みの中で、その声は聞こえてくる。
「――――、――――っ」
母の声だ。
緩やかな空気の震えが、私の鼓膜を揺らしてくれる。
「――ほらっ、早く。起きて。アルティちゃんが、うちまで来てるわよ?」
いつもの声掛けだった。
ただ、今日は少しだけ特別で、アルティと。
とても大事な人の名前が添えられていた。
だから、その幸せな微睡みから抜け出すことを決めて、すぐに声を返す。
「……アルティ様が?」
「まだ様付けで呼んでるの? そういうのやめたほうがいいんじゃない?」
瞼の裏に少しずつ光の油を染み込ませていく。
私は明かりを糧にして、ゆっくり身を起こしながら答えていく。
「やめないよ。だって、それが当たり前だから。もう立派な大人になった以上、しっかり様付けで呼ばないと」
数えで、もう十三だ。
成人になったら、みんなと同じように敬称を持って当たると、ずっと前から決めていたのだ。
「でも、向こうはそう思ってなさそうだけど?」
母の視線が閉め切られた木窓に向けられ、今の私の取り決めを霧散させる気の抜けた声が届く。
「おばさん! 今日もありがとうございまーーす!」
仕方なく私は、木板の窓を開けることなく、まず声だけ返しておく。
「おはよう、アルティ様! 今日は少し早いね! ちょっと待ってて!」
それから、すぐさま毛布を跳ね飛ばした。
ベッドと母から離れて、急いで身支度を調える。
その勢いのまま、家の扉を開け放つ。
見慣れた村の光景があった。
田舎も田舎。
山岳と森の合間にひっそりとある村。
古臭い木の家と黴臭い木の柵だらけ。
ほとんど獣道に近い砂利道が何本かあって。
放牧されている動物はゆっくり動き、実りそこそこの畑がいくつか。
そんな景色の上には、おどろおどろしい暗雲がどこまでも広がっている。
空気は非常に澱んでいた。だが、今日も――
「いい天気だね」
そう思えるのは、この村の明るさのおかげだろう。
単純に、家の外は明るかった。
特殊な篝火が、木の柵や砂利道に一定間隔で備え付けられている。
だから、この暗雲の時代に、ここには十分な光があった。
肌寒いときは、近くで暖だって取れる。
それだけで、ここは「いい」と、心から口にできた。
だって間違いなく、私たちは贅沢をしている。
この辺境の山村で、なぜそんな贅沢ができるようになったかというと――
答えは家の外で待っていた少女アルティと共に歩くことで、知れていく。
「うん! いい天気だねー」
アルティの背丈は私と同じく、大人まであと一歩というところ。
黒髪を肩口で切り揃えているのも同じで(ただ、前髪だけは私のほうが異様に長いのだけど……)、纏う服も同じ(とはいえ、村のほとんどが同じ田舎くさい服を着ている……)。
一つ私と違うとすれば、それは村の誰よりも濃い黒目。空の暗雲よりも黒い瞳が細まって、あどけなさを少し残しながら、柔らかく笑っては温かな挨拶を投げてくれる。それは二人で砂利道を歩くときも変わらない。
「あ、『千里眼』の巫女様……。おはようございます」
「アルティ様だ!」
「今日も村は、とても良い明るさです。どうか、その『目』でまた遠くまで見通してください……!」
途中すれ違った老若男女の村人たちの言葉の中に、一つの答えがあった。
それは「村が豊かなのは、炎神様の巫女であるアルティの『千里眼』の力のおかげ」という答え。
「はい! みなさん、おはようございます! ただ今日は急いでいますので、ご挨拶だけで」
彼女のおかげで、この村は明かりだけでなく、食うにも困っていない。
そんな特殊な事情のある村だから、「理解ある村人たち」なんて一番の贅沢に囲まれて、『千里眼』を持つ私たち二人は、元気に挨拶を返していける。
とはいえ、私は「どうも」とだけ頭を下げるだけで、友人のアルティが表立って対応していくのだが……。
「畏まっちゃって。あのアルティ様が、大人になったわね」
「ええ、もう大人ですよ。これからは、この私が村の未来を守っていくんですから。ふふっ」
何気ない朝の軽い会話だ。
ただ、それに水を差すのが私の役目。
「あの、みなさん……。決して、村の火だけは絶やさないように。アルティ様の授けたあれは、ただの明かりじゃないので……」
それは義務感だけの水差しではなかった。
最近、村の空気が見るからに気が緩んでいる気がする。
老人は口減らしで山に捨てられ、子供が腹を空かせて干からびるかもしれない。そんな数年前まではあった緊張感や危機感が、今の村にはない。
ただ、誰かが仕事をサボってるという話ではない。
この私がそれに気づけないはずがない。かといって、誰かの動きが鈍いわけでもない。停滞しているわけでもなければ、事故が起こったわけでもない。なのに、とてもまずい気がする。良くない流れみたいなものがあって、その中から抜け出せない感覚が、ずっとあって……。
そんな不明瞭な焦りが、最近の私にはあった。
それを親友アルティは察して、すぐに補足してくれる。
「うん。火を絶やさないことは、とっても大切なことだね。昨日の無事に感謝して、今日はもっと頑張ること、それが火神様への祈りでありお代にもなるんだから」
「そうねぇ。私たちも神様にしっかり感謝して、巫女様たちのように気を抜かないようにしないと」
「はい! そういう『取引』の炎なので、みなさんっ、しっかり祈りましょうね」
驚くことに、その私の言語化できない不安を、みんなは薄らとだが理解してくれていた。
だから、私の忠告を訝しむこともなければ、頭ごなしに否定することもない。
軽い会話と挨拶の末に、理解ある村人たちは水を差してばかりの私にも笑顔を向けてくれる。
そして、手を振り合って、別れて、また歩き出す。
「…………」
本当に贅沢だ。私は贅沢な環境で、贅沢なことを言っている気がする。
それを再確認しながら、微笑で手を振り返した私は、親友と共に村の中を歩いて行く。
目的地は、すぐ近くにある親友アルティの家。
いわゆる村長の屋敷と呼ばれる場所――の裏。
そこには使われなくなった物置のような小屋がある。
私たち二人は昔からそこを秘密の隠れ家にしていて、今となっては重要な仕事場となっていた。
その道中で、私は呟く。
「アルティ様……。アルティ、さっきはありがとう。私の発言を上手く助けてくれて」
「ううん、助かってるのはこっちだよ。気を引き締める嫌な役を、そっちはいつも買って出てくれてるんだからさ」
私のことを「心配性で神経質だ」と言うことなく、いつも褒めてくれる。
その彼女に甘えるように笑い返したあと、すぐに今日一番の違和感をつつく。
「それで、何があったの?」
「え? 何って?」
「見ればわかるよ。朝から妙にテンション高いし」
アルティと私の背格好は、ほぼ変わらない。
小さな村の親戚として、顔だちもよく似ている。
だからこそ、対比するようにアルティの異常は際立っていた。
私よりも、頬が紅潮している。呼吸の乱れに合わせて、髪が跳ねる。その両目は輝き、脈拍が上がって、あと単純に歩幅が大きい。
興奮して、急いでるのは明確だ。
いつもならば、もっとアルティは落ち着いていて、私と理知的なお喋りができるのだけど、今日は少し違った。
「やっぱりわかるー!? それがねっ、ねねねっ! 聞いて! お客さんが来たの!」
「お客さん? へえ、珍しい。こんな辺鄙なところまで」
「珍しいよね! こんな村に! それも、なんと貴族様たちがだよ!」
「え、貴族って……。それって、このファニア領の?」
「そう! うちの領の偉い人たちが、昨日から来てる!」
本当に?
周辺の地理は全て頭に入っている。
領主のいる区域までは、かなりの距離があった。
このモンスターが跋扈する時代で、気軽に人をやれるものではない。
と疑う私に、アルティは自信満々で返す。
「間違いないよ。だって、全然違ったもん」
「違ったって、何が?」
「……格好良かった」
「か、格好よかった?」
「それも尋常ないくらいに。ああいう凄く格好いいのって、何って言えばいいのかな? とにかく、お顔がいいの。凄く凄くお顔のいい人が来てた。いいところから来たとしか思えない、いいお顔が二人も!」
身なりや顔つきというのは、その人の生まれと環境を表す。
佇まいや振る舞いからは、その人の生き方と教養が表れる。
自然と、外面を分析すれば、内面も見通せるものだが……。
親友の贔屓目で見ても、アルティにその見通す才能はない。
彼女も天才なのだが、唯一の欠点として人を見る目がないというのがある。
特に異性に対しては、節穴も節穴だと個人的に思っている。
それでも、とりあえず身なりの整った余所者が現れたという情報だけは確かだろう。
「なるほど。それでか、朝からちょっと村が浮かれ気味なのは。それも女性たちが、特に」
「そういうこと! で今、その人たちがお爺さまたちとお話してるんだけどー、後でこそっと覗きにいかない? 一緒に見て欲しいの! あのいいお顔を!」
娯楽の少ない辺境だからこそのお誘いだなと思った。
ただ正直、そのいいお顔とやらよりも、大事なのは余所者の目的だろう。
人伝の情報だけでも、人の内面まで見通す自信はある。だが、今回のような重要人物が相手の時は、じかに会って見るのが安全だ。
「うん、見に行こう。私もとても興味ある」
「でしょっ。それに名前も格好いいのよ! まず、ロミス様! ロミス・ネイシャ様! それと、とても物静かで愁いを帯びた従者様は――」
「ネイシャ? ネイシャって、確か……」
ネイシャ家は知っている。
知らないはずがない。頭の中で最重要の印が押されている我らが領主様の家名だ。
しかし、当主の名前は違ったはず。
ロミスという名は、ネイシャ家当主の息子。その優秀さから次期当主とされている以上、実質領主扱いにしたほうが安全かもしれないが……。
「ロミス・ネイシャ。確かに、なかなかそそる名前だね」
「そう言うと思った! だから、見て欲しいの! マリアちゃんにも! 我が村の誇るマリア・ディストラスに、その『目』で確かめて欲しいなって!」
そして、私の名前が並べられる。
ネイシャ家のロミス。
ディストラス家のマリア。
烏滸がましいけど嬉しいことに、彼女の中で二つの名前は同等となっているようだ。
「その必要がありそうって、私も思ってるよ。でも、お客を見る前に……」
「まずは秘密基地にね! わかってる! 目の保養をしに行くのは、お仕事の後!」
こうして、私たちは二人、村の中を駆け足で目指し始める。
その二人の『目』は、いつもより明るく輝いていて――
――その輝く『目』。
このとき、まだそれは『慧眼』だった。
ただ火の神の伝承によって、『千里眼』と間違われた代物。
後に、燃え上がり、『炯眼』となる。
その『目』を持つマリアが、この先の未来で『火の理を盗むもの』アルティとなっていく。これは、そんな物語の始まり――
ではない。
今、僕たちが視るべきは、これから少女たちが出会う一人の男だった。
それは件の神にさえ届きかけた領主ロミス・ネイシャ。でさえもなく、その従者。
過去、あの領主の影に隠れ続けた従者。
――『闇の理を盗むもの』ティーダ。
千年前のティーダの物語を、今だから読み直していく。
迷宮の再構築が終わり、仕組みを理解しきったあとだからこそ、今。
歴史調査担当として一仕事終えた兄様とハイリさん曰く、「千年前のカナミ君の心労は凄いね。ティーダ・ランズだけは、絶対に二十層でしか喚べないよ」とのことらしい。
さらには「私たちは世界を引き継ぐものとして、誰よりもティーダ・ランズに感謝し、理解しないといけない」「『理を盗むもの』の中で唯一、本当の意味で世界の守護者を全うし、未来に繋いだ彼のことを」とまで評価されていた。
(唯一、本当の守護者か……)
例の「本当の騎士」や「本当の英雄」の親戚みたいなものか?
ならば、僕は無関係だと逃げることはできなさそうだ。
兄様たちはティーダ・ランズを「本当の守護者」と深く尊敬している。
その理由を、この『過去視』で確認しておきたかった。
※いぶそうコミカライズ七巻、11月25日発売! 予約もあるよ!
本編と違って、バッドエンド確定で暗くなるお話メインなので、ご注意を。
もし気分が優れなくなった方はIFのほうでお口直ししてください……。
山場なしの五千文字×五話くらいしかないので、すみません、まったりお読みください。
それではまた明日ー。




