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05002R.鑑賞前のルール確認



 初めて相川兄妹が召喚された年。

 新暦1年。

 始祖の名が広がる序章は、『術式』という言葉が生み出されたすぐ後のことだった。


 その日、カナミはフーズヤーズ城の回廊で声をかけられる。

 眉を顰めた使徒ディプラクラから、重苦しい声で――


「カナミ、急いで来てくれ。《レベルアップ》の効かぬ個体が出た。儂だけではどうにも分からぬ」

「…………っ!」


 カナミは息を呑んだ。そして、すぐさま移動し始める。

 二人は揃って城内を急ぎ歩き、数ある部屋の一つに入っていった。

 特別なものは何も無い。テーブルと椅子と棚と、窓際に質素で薄汚れたベッドがあるだけ。そこに城の侍従と思われる少女が横になっていて、瞼を閉じていた。

 一目で具合が悪いとわかる赤毛の子供に、カナミは目を凝らす。


 血の気が引いている……。

 顔色が青紫っぽいのは、酸素不足チアノーゼか何かだろうか。それにしては静かだ……。


 拙い知識を思い浮かべながら、少女の前に立ったカナミは隣の使徒と話す。


「正直なところ、ここまで上手くいきすぎていました。もちろん、最初からあの術式一つで全て解決するとは思っていませんでしたが……」

「ほう? つまり、このむすめの状態はカナミの予定通りということか? それならば、朗報じゃな。……して、いまから《レベルアップ》の書き換えでも行うのか?」

「いえ、《レベルアップ》はあれで完成しているので変えません。なので書き換えではなく、派生の術式を作っていきたいと思っています」

「派生の開発……。心躍る文句じゃの」

「派生して、数を増やして、ときには別物に進化していく。それが僕の考える術式の未来ですから」


 たった一つの回復魔法で完結するとは、カナミは思っていなかった。

 その頭の中に、ゲームのイメージが呪いのようにこびりついているからだ。セオリーとして、完全な回復魔法がいきなり手に入ることはない。そう世界の理ルールのように彼は信じ込んでいた。


 だから、カナミは段階を踏む。

 いわゆる回復魔法の初級から中級へ。

 いつかは中級から上級へと。

 進化していく先の先。

 きっと妹の病にも届くと信じ込んで――


 そのカナミの意気込みに、ディプラクラは愉快そうに同意していく。


「確かにのう。その派生開発の先にこそ、『魔の毒』の循環を助ける術式もあるかもしれぬ。……よしよし、ならば派生の開発実験・・といこうぞ。儂らの悲願に向けて早急に次へと進まねばな」

「ディプラクラさん、急がないでください。それに今日は実験じゃありません。次のことを考えるのは、いま目の前にある問題を解決してからです」

「…………っ! う、うむ。そうじゃな、次ではないな。まずはいまここにいる子供を助けることを最優先に考えようぞ」


 使徒らしい発言にカナミは顔を顰めつつ、しっかり釘を刺しておいた。そんないつもの作業のあと、カナミはベッドの少女と向かい合う。


「では、見ます。いや、使います。――『次元の力』を」


 未来では《ディメンション》と呼ばれる力。その原型を、カナミは発動させる。

 魔法のような把握能力によって、対象を正確に観察していった。


 まず呪術《レベルアップ》は成功している。

 『素質』に問題はなし。

 『魔の毒』は全て、少女の『体力』に変換されている。

 効いていないわけではない。しかし、健康とは言い難い。


 続いてカナミは、癖で熱と脈を測る。

 妹の看病の経験が、最低限の情報を迅速に集めていった。ただ、その手が額に当たったとき、ベッドの少女が小さく呻いてしまう。


「……ん」

「…………っ!」


 カナミは少女が起きていたことに驚く。


 瞼を閉じていて、余りに静かだったので気付かなかった。

 そして、先ほどのディプラクラとの会話を聞かれていたことを案じた。それなりに物騒な発言もあったので……これまた癖として、自動的に、対象を安心させる言葉を口にしていく。


「大丈夫だよ。安心して。ちょっと看るだけだからね」

「……はい」


 咄嗟の作り笑顔のまま、返答を聞いたカナミは本腰を入れていく。

 正確には近くのテーブルとチェアを引き寄せて、ベッドの隣に並べて座った。そして、「ふう」と息を吐いた後に『次元の力』を強めて、テーブルの上の紙に羽根ペンを走らせる。


 まだ《ディメンション》と呼べるほどに精度が高くないというのもあったが、単純にカナミは自身の能力を疑い、予期せぬ失敗を怖れていた。


 もしこれから何か起きて、不測の事態に陥ったとき――

 最終手段として、陽滝に引き継ぐことは考えるべきだ――

 情報伝達さえ正確にしておけば、後詰めの陽滝・・・・・・さえいる限り・・・・・・、取り返しはつく――


 狂信的で悲観的なカナミは、視ながらメモを取ることを心がけていた。

 紙はフーズヤーズで貴重品だが、王族と使徒の計らいによって異邦人は無制限に消費できる。そもそも、この暗黒の時代では、呪術の開発は世界的に最優先事項というのもあった。


 ゆえにカナミは贅沢な資源を使って、第三者用の記録が取れる。

 性別、年齢、症状などの文字の羅列。さらに簡易な画を描いて、頭、肩、胸、腰、脚といった箇所の腫れ具合なども残す。『次元の力』で推察できる体重に、筋肉量や水分の密度も書いていき――


 記録されていくメモを見て、ディプラクラは一つ疑問を持つ。


「……む。日本語は使わぬのか? ながらで書くならば、母国語がよかろうて」


 このとき、既にカナミは異世界の読み書きをマスターしていた。


 読みの部分は妹ヒタキによる呪術《リーディング》のおかげだったが、書きの部分は少し別である。

 コツと訓練が必要だった。

 そして、そのコツを掴む際に、カナミは一つの疑問を持ってもいた。


 ――異世界こちらの言語は……。

 どちらかというと、日本語よりも英語に近い。

 文法の癖は、アジアの外のような気がする。

 頭の中で置き換えをするとき、英語のほうがわかりやすかった。後々を考えると、きっと日本語での記録は向いていない(・・・・・・)。なぜそうなのかは分からないが……いや、今はルビそれどころではない――


 このときのカナミは、異世界の言語体系に気を割くよりも大事なことが多かった。なので、使徒と異邦人の大事な疑問は噛み合うことなく、話は続けられていく。


「もちろん、日本語が一番楽ですよ。けど、あとで他の人に分かりやすく読んで貰えるように、できるだけ異世界こちらの言葉を使っているんです」

使徒わしら以外にも読ませることを想定しておるのか。……あの姫じゃな」

「ええ、ティアラです。彼女には色々と期待していますから」

「…………」


 使徒はただの人間であるティアラを好んでいない。しかし、その暗闇に星を見つけたようなカナミの表情に、彼は同調の笑みを浮かべるしかなかった。


 そして、そこで会話が途切れて数分後。

 カナミが一呼吸置いたのを見て、ディプラクラは経過を聞く。


「――どうじゃ? 何か分かったか?」

「彼女の《レベルアップ》は正常に働いていますね。新たな生命力は得られていますし、もう体内に『魔の毒』はほぼありません。けど、『魔の毒』とは別の毒が彼女を蝕んでいるようです」


 別の毒と表現したが、元の世界で言うところの菌やウィルスであるとカナミは見当をつけていた。ただ、知識不足ゆえにアバウトな言葉で留めておく。


「別の毒? 城の医者はどうしようもないからおぬしを頼れと言っておったが……。とにかく、《レベルアップ》に問題はなかったということか?」

「この彼女の問題は、彼女だけのものだと僕は思います」

「ふむ。まずそれを聞いて一安心じゃな」


 そのディプラクラの発言に、カナミは「この子にはまだ不安しかないんだから、言葉には気をつけて欲しい」と眉を顰めたが、この彼の悪癖とは長い付き合いになりそうだと再度注意するのは断念した。


 それより、カナミには少女のほうが大事だった。


 城の医者の発言も気になるが、いま一番重要なのは、この恒常的に熱が出ている子供だ。

 ……常識外れの症状ではない。

 『魔の毒』の欠乏に起因する合併症のように見えるが、妹の陽滝と比べたら理解の範疇にある。


「…………」


 本当は、この世界の医者に頼みたい。本職の助言に従いたい。

 しかし、《レベルアップ》を施した時点で、そんな段階はとうに通り越してしまっている。ティアラを治して以来、城の学者や医療従事者の僕を見る目は既に……。


 カナミは自信なく、〝病気、毒?〟とメモに書くしかなかった。

 続いて、程度の数値も必要だと『次元の力』による測定を始める。これまでの常識は捨てて、良くも悪くも、異邦人アイカワカナミとしての全力を尽くし始めてしまう。


「…………」


 おそらく……。

 放っておけば致死するラインを〝100〟とすれば、彼女は半分くらいだろうか。

 彼女の『体力』は《レベルアップ》で上がっている。

 脱水と酸欠で命が危ぶまれることはない。とはいえ、正常な大人の『生命力』を〝100〟とすると、もう三割くらい。……いや、もっと細かい数値を残した方が、後に視る陽滝やティアラには伝わりやすい。

 『筋力』も普通より少ない。こちらは〝21〟……。


 〝毒50 体力33 筋力21〟などとメモしたあと、カナミは続いて触診する。


「また少しだけ触れるね」

「はい」


 理想では、視るだけで終わりにしたかった。しかし、いまのカナミの未熟な『次元の力』では、身体の接触が必要だった。


 ただ、そのおかげで測定は進展していく。手のひらを少女の腹部に当てたとき、明らかな異常を感じ取り、カナミは思考する。


 お腹のあたり……。健康な人と違って、腸が腫れている?

 これまで《レベルアップ》してきたのは100人ほどだが、その誰にもこんな症状はなかった。それでも『生まれ持った違い』の病ではなく、後天的なものに視えるけれども……。


 先天性の問題かどうかを、カナミは気にしていた。

 妹という前例が頭の中を最も占めているからこそ、ここだけは正確に切り分けようとしていく。そして、〝後天的疾患〟〝状態異常:毒〟とメモを書き直したことで、そこまで静かだった少女が聞いてしまう。


「それは……、カルテですか?」


 カナミが固い言語でしっかりとメモしたせいで、少女は「カルテ」という単語を思い浮かべてしまった。


「カ、カルテ? こんな適当なメモが?」

「昔、見たことがあります。城のお医者様が書いていたものです」


 城で従事する少女は、本来なら上流階級しか知らないであろう単語を口にした。


 もちろん、カナミの世界の医者とは大きな差異があるだろう。たとえ《リーディング》で「カルテ」「医者」という言葉が通じても、正確な意味までは通じていないはず。

 そういった意味でも、カナミは首を振った。


「ううん、そんなちゃんとしたものじゃないよ。僕にそういう心得はない。ただ、何をしたのか記録しておくことは大切だと思ってるだけで……」


 妹の件もあって、カナミは常人より少し詳しい。しかし、所詮は学生レベルであり、応急処置が少しと素人知識のみだ。


「僕は『医者』じゃない。そんな立派な人間じゃない。絶対に……、…………っ」


 だから、カナミは強く否定した。


 しかし断った上で、『医者』という言葉に追い詰められるように『次元の力』を強めていく。

 これもまた癖のように、自動的に。

 目の前の少女が『医者』を望むのならば、口では違うと言っても全力で『医者』に近づく。そんな矛盾した演技いきかたをするのが、異邦人アイカワカナミの生態だった。


 ――『代償』として、『次元の力』は膨れ上がる。


 透視するかのように、少女の炎症部分が見え始めた。

 衣服と皮膚どころか脂肪と筋膜の先、臓器の内側まで。

 ただ、透けて見えるだけで原因の特定にまでは確信が持てない。

 異常に増殖する菌は把握できて、すぐさまカナミは自身の腹に手を当てて、自らの胃腸と見比べていく。さらに、未確認の菌の形状を顕微鏡のように見たとして――そこまで。


 形状や動きを特定できたとして、それのアンサーをカナミが知るはずがない。

 せっかく内部の情報まで視えるのに。元の世界の機器でもここまで早くは分からないだろうに。目の前の少女を救えない自分に腹が立って、顔を顰めて――ディプラクラが見咎める。


「カナミらしくないのう」

「…………。何がですか?」

「医者ではないと言って、そんな顔をしてしまえば、少女が安心できぬじゃろう」

「それは……、そうですね」


 どこか苛立っていたカナミは我に返った。

 そして、僕の診察を受けていた少女の顔色を見て、いつかの相川家を思い出す。


 ……いつだって患者は、何もできなくて、怖かった。

 なのに、僕は小さな子の前で情けない。

 こういうことがトラウマだとしても、もっとだ。

 もっともっと表情に気をつけないと……。


 そのカナミの反省を把握したディプラクラは、友人として助け船を出す。


「少女よ、安心せよ。そこにいるカナミは謙遜しておるが、他者を癒やす事に関して城の誰よりも秀でておる。その力は、まさに奇跡的。奇跡をもたらしてくださる呪じゅ――魔法の使えるお医者様じゃぞ」


 だからといって、誇張表現が過ぎるとカナミは呆れた。


 しかし、相手は子供だ。

 そのくらいのほうが安心しやすいかと見逃して、『次元の力』に集中する。


「魔法のお医者様……。千年前、奇跡を起こしたという魔法使い様のような……?」

「ただの魔法使いではないぞ。カナミは新たな魔法の始祖・・と呼ばれてもいい存在になるじゃろうて」

「始祖様……」

「うむ。その始祖様の奇跡を有り難く受け入れるがいい」


 ディプラクラは人の心を学び、多くの術を身に付けていた。

 その『詐術』を今回だけは少女の安心の為だと、カナミは止めない。


 なにせ、いまカナミが考えられる事は一つだけ――

 それで、もういい。

 なんでもいいから集中させて欲しい。

 もう助けられないは許されない。

 少女を早く笑顔にする。

 そうしないと僕のほうこそ苦しくて、堪らなくて――


 『次元の力』は深まっていく。

 過去最高の力が迸って、茹だる頭の中で情報を処理しつつ、手は常に記録を続けていく。目録を右腹部、腫れの範囲、菌、形状、血液と埋め尽くしては、次の頁へ次の頁へと進んでいき、徐々に紙は束となっていった。


 ――自然と、束そのものが『次元の力』を帯びていく。


 千年後、それはカルテではなく別の名を持つ。その無駄に歴史的価値のある束を読み直しつつ、カナミは別のメモを作った。


「大体の見当はつきました。このままでは不味いので……一先ずですが、彼女の毒を取り除きます」

「ほう。別の毒とやらは初見じゃろうに、もう除去に踏み切れるのか?」

「できます。できるはずです。シスさんの言うとおり、イメージから始まったものでもいいのなら……。ただ、安全性を高めるのに必要なものがあるので、ここに書いたものを全て集めましょう」


 そう頼んで、ディプラクラにメモを渡した。



 コミカライズ『異世界迷宮の最深部を目指そう 8』が、ガルドコミックスさんにて6月25日発売です。

 先んじて、OVERLAPSTOREさんにて限定特装版アクリルスタンド付きセットが5月27日まで予約受け付け中なので、どうかよろしくお願い致しします。


 アクリルスタンドのイラストは、オーバーラップさんのストアや左藤先生のXにて確認できます。

 躍動感溢れる人馬一体なカナミとマリアちゃんですね。マリアに機動力ないって話ならこの戦い方でもよかったんじゃね……ってなれます。カワイイ! なにより、二人が凄く楽しそう!

 同時に本日より、コミック単品の予約も開始となります。

 つまりどちらかを悩み選べるのは、今日から五日間だけかもなので、よろしくお願いしますー。


 ちなみに今回のお話のほうは、四章あたりで挟もうとしていたけど説明的すぎるなと思って放置していたネタですね。

 後日譚用のライナー視点に変えたので、地の文はカナミに厳しめ+メタ強め。

 明日と明後日、20:00前後くらいに続きを投稿します。



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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます!! 「よめてない『行間』を、ゆっくりと観劇で確認していこう。」と言っていたライナーでしたが、実際に既出の話の間に挿し込まれていくのが視点とリンクしているようでとても良いですね…
投稿ありがとうございます、更新ありがたいです……! アクリルスタンド付きのコミカライズ8巻も予約いたしました、またアクスタ付きを出して頂けるの嬉しいです〜デザインも前回に続き素敵。 医者かと勘違いされ…
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