04485.里帰りその12
触れるだけでいい。
相川渦波に近づいて、その思慮の外から、例の『魔法』を叩き込む。
それだけを考えて、俺は暗闇の中を疾走した。
目印としたのは、スパークする二人の雷光と閃光だ。
おかげで、フロアは暗かったが道を間違えることはなかった。
魔法の対象を違えることも、その光の色で決してない。
タイミングは完璧だった。
相川渦波とラスティアラ・フーズヤーズが正面からぶつかり合って、俺は背後から近づき――
三人が錯綜して、交わった。
今日最高の電撃も、奔った。
ただ、奔ったのはフロアだけではなかった。
俺の頭の中にも、紫と青と白の混じり合った火花が散っていた。
さらに言えば、視界もパチパチと明滅している。
フロアの暗闇の中で、どうにか対象に触れた――そう思ったときには、目印としていた光が目一杯に広がって、俺の方向感覚と平衡感覚が全て失われていたのだ。
「――――ッ!!??」
全身が硬直して、膝から崩れ落ちる。
貧血かのように倒れ、顔面を冷たいタイルにぶつけた。
鼻の奥から出血するのを感じたが、匂いは一切ない。
視覚だけでなく、触覚や嗅覚も滅茶苦茶だった。
ただ、聴覚だけは耳鳴りの中で、一つの外部情報を拾う。
いや、拾わされる。
「僕もだよ」
それは頭上から聞こえた。
痺れる脳内に、台詞が届く。
「母さんの停電を待っていたのは、僕もだった。……確かに、さっきの立ち合いは、とても良かったよ。素晴らしかった。クライマックス感もあった。だが、決着の頁には全く足りていなかった。まだまだ足りない。だって、そうだろう?」
聞いている内に、少しずつ頭の中のスパークが終わっていき、視界が白から黒に染まっていく。
自分が感電したことを理解しつつ、ゆっくりと俺は瞼を開けた。
その開けた先は、また黒。
暗闇の中から相川渦波の声が聞こえてくる。
「だって、この『里帰り』は四人で構築されていた物語だった。相川渦波、ラスティアラ、相川進、相川希……という家族四人が登場人物だ。なのに、最後の舞台に四人が出揃ってないなんて、ありえない。母さんという伏線が残ったまま、物語が決着するのも、ありえない。必ず、母さんが劇的に登場するって、僕には分かっていたよ。いや、最初から読んでいたが正しいかな? 僕とラスティアラの戦いが佳境となったとき、〝相川希はタイミング良くブレーカーを落とす〟と……。ふ、ふふっ、あーはっはっははハハハハ!!」
何を言っているのか、理解できなかった。
一瞬、相川渦波の母親に対する信頼の結果かと思った。
だが、すぐに違うと思い直す。
これは娯楽中毒者が妄想で、創作と現実の境目を見失っているだけだ。
そして、物語のよく分からないお約束を、現実に適用させただけ――
だけなのだが、そのクソみたいな読みが、しっかりとハマってしまった。
悔しいが、ハマってしまうだけの土台はあったのかもしれない。
なにせ、もう俺たちの現代日本の戦いは、ほぼ魔法世界のファンタジーで上塗りされていた。
その上塗り――いや、上書きをした張本人が、水を得た魚のように喋り続ける。
「父さん……、実はずっと僕は『異世界』で敗北者だったんだ……。ただ、だからこそ、得意だ。いや、これが僕の生態と言った方がいいかな? 敗北し、記憶を弄られ、洗脳されて……、そこからだ。『月の理を盗むもの』相川渦波は、真昼の光の下よりも真夜の闇の中でこそ、淡く、鈍く、輝き出す――」
そこまで嘯いたところで、フロアに明かりが満ちた。
同時に大きな稼働音も聞こえたので、マンションの非常用電源が動き出したようだ。
天井から電灯の光が照らし出す。
その明かりのおかげで、顔を上げた俺の視界に、やっと暗闇以外のものが映った。
前方三メートルほど先。エレベーターの扉の前で、相川渦波がラスティアラ・フーズヤーズを抱えていた。所謂、お姫様抱っこというやつで。
それは戦いの決着の証明でもあった。
先ほど、楽しそうに突撃していたラスティアラ・フーズヤーズが気絶して、手に持った玩具の剣を落としている。
対して、相川渦波は手にスタンガンを持ったまま。
不意打ちは失敗した。
むしろ、全てを読み切っていた相川渦波によって、俺たちは逆に不意打たれたのだ。
その人外めいた読みによって、思慮の外からのカウンターをされて――
場の流れを支配しきった相川渦波は笑い続ける。
復旧したシャンデリアの光をスポットライトのようにして、舞台の上で。
「あはっ、あはははははっ! よしっ、決まった! ――っぽいな! この理不尽さと強さは、本当に陽滝っぽい! やっぱり、陽滝役は僕だ! そして、父さんこそが僕役に相応しい! なんて適役なんだ! 気づかなかったなぁ! ずっと父さんは僕で、僕が父さんみたいなものだった! 一周回って、ディプラクラの言ってたことが正解だったんだぁ!!」
妻や娘を思い出す笑い方と仕草だった。
鏡で自分を見ているかのような不快感もあった。
その複雑に絡み合った『演技』のまま、相川渦波は満足げにラスティアラ・フーズヤーズを大きめのテーブルの上に横たわらせる。どこか、友達と遊びに遊んだあとの後片付けのようにも見えた。あと、ついでのように、またグラスに酒を注いで煽っている。呑みすぎだ。
腹が立つほどに、余裕があった。
悔しいが、もう俺にはどこからどこまでが振りなのか分からない。
そして、痺れて上手く立てすらしない。
なんとか膝を突くのが精一杯の状態で、俺は相川渦波に聞く。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……、クソが……。さっきのは『魔力と電力が無限にあるかのような演技――の演技』だったというわけか……」
「正確には、『父さんに約束した演技で騙せて嬉しい演技の演技』かな? ……正直、もうどこからどこまで『演技』なのか、自分でもよく分かってないよ。ふふっ、父さん、『演技』は本当に奥が深いね。『演技の演技の演技の演技の――って、どこまでも深みへ落ちていける。いつしか、自分が『演技』していることさえ、自分で忘れるくらいの深みまで――」
「や、役者が役を忘れてどうする……。バカが……」
「結局、『演技』というのは、どれだけ自分を捨てられるかどうかだと思うよ。……だからこそ、洗脳がいい。あれは、とてもいいんだ。捨てる切っ掛けを、簡単に掴めるからね。それに――」
「それに、失うからこそ、本当に大切なものも分かるって……? 阿呆が。自分を捨てた『演技』など、ただの錯乱だろうが……」
「……でも実際、父さんは僕の『演技』を見抜けなかった。『演技』を極めるとは、自分を失うことだよ。すぐに父さんも、その真理に気づくと思う。『異世界』に迷い込めば、必ず気づける。ふふふっ」
そう相川渦波は言い切った。
ムカついた。
その上から目線に、俺は腹の底から怒りが湧き立った。
敗北感はない。『演技』で負けているとは一切思わないからだ。
しかし、『演技』を繰り返しすぎて、自分でもよく分からないだって?
おまえは何も演じていない。技もない。
ただ何も考えずに、既存の役に逃げ続けているコピー機なだけだ。
「だから、俺にもごっこ遊びをしろと……? おまえみたいに『異世界』で飯事を繰り返せと……? ふざけるなよ……!!」
演技論を語れるほど、もう俺は若くない。だが、この相川渦波の『演技』に対してだけは、譲れない何かがあるような気がした。
その湧き立ち続ける腹立たしさのままに、俺は睨みつける。
しかし、それを相川渦波は嬉しそうに受け入れながら、近づいてくる。
「ごっこ遊びも飯事も、立派な『演技』だったよ。だって、振りをし続ければ、いつかなれるんだ。死ぬまで頑張れば、本物にだってなれる。……あははっ、父さんも、なろう? この僕を超えて、全ての『世界の主』に――!」
さらに相川渦波は世迷い言を足して、動けない俺に向かって左手を伸ばしてきた。
その憎たらしい指先が、俺の右頬に触れる。
先ほどと同じように、俺の『魔法』をコピーして引き出すつもりだろう。
やらせるものか……。
この俺を『主人公』にするという台詞は、聞こえだけは良い。
だが実際のところは、俺から主導権を奪い、圧倒し、支配することだ。
それだけは、絶対に許されない……! 許せるものか……!!
その溢れ出す怒りのままに、俺は悪態を繰り返す。
「ふざけるな!! ふざけるなよ……!!」
そこに『演技』は一切なかった。
なにせ、もう付き合いきれない。
こんな愚息相手に『理想の父親』などやっていられないと、やっと悟った。
「父さん……? まだ、力が残って――」
別に力は入っていない。
俺の身体は痺れて、まともに動かない。
相川渦波の絶妙な力加減の電撃は、見事に無力化を成功していた。
だから、これは俺の意地でしかないのだろう。
腕が千切れるほどに力を込めて、なんとか左腕一つだけを動かした。
その伸ばす先は、相川渦波と違って頬ではない。
相手の首を絞めるように掴みかかり、心のままに悪態を吐き足す。
「何が、全ての『世界の主』だ! 本っ気で、くだらない!! おまえのそういう幼稚で夢見がちなところが、ずっと生理的に無理だった!!」
「…………っ!!」
それは、ここまで敵対していながらもずっと押さえつけていた本音だった。
ついに聞かされた相川渦波が、目の前で驚いている。
「昔から、おまえは甘くて甘くて、本当に気持ちが悪い……! 心も生き方も見積もりも、何かもかもが甘過ぎて……。その甘さが、ずっと俺は苦手だった。近づきたくなかった。見たくなかった!」
本音を続ける。
それは先ほど『魔法』を使うための人生の独白――の続きでもあった。
「理由は、もう分かってる。そのおまえの顔が、昔の俺と似ていたからだ。血とは、こうも争えないのかと恨んだからだ……! 幼少の自分を見ているような気がして、吐き気がしたからだ……!!」
俺の叫びを聞く相川渦波は、まだ口を開けて驚いたまま――で、とても喜んでいる。
明らかに口元を緩めて、拒絶も罵倒も全て等しく、美味しそうに味わっていた。
ああ、分かっている。
こいつは、そういうやつだ。
腹立たしい。気持ちが悪い。殺してやりたい。
「ずっと、そう俺は思っていた……が、いまっ、はっきりと分かった! それは違った! 俺とおまえは親子でも、全く違った! 当たり前だ!! たとえ同じ『演技』の才能があったとしても、おまえは俺と違って恵まれていたからな! 家は裕福で、飢えに困ることはなく、望めば全てが手に入った! 金のかかった英才教育を受け、その上で親から期待されていた! 見捨てられることなく、しっかりと親からの寵愛を受けていた! 俺たちが欲しかった全てを、生まれながら持っていたんだぞ!? そのくせ、全てを台無しにしやがって……! 俺とおまえが似ている!? なわけあるかっ、このクソ贅沢野郎が! おまえは絶対に、おまえ役しかできないし! 俺にしか、俺役は絶対にできない!!」
全力で、俺たちに『繋がり』なんてないと主張した。
それが相川渦波の『魔法』のコピーの妨害に繋がればいい――と期待したが、その期待に相川渦波は応えてくれない。さらに嬉しそうに、恍惚の表情で笑う。
「……ふふふっ。でも、これから父さんは恵まれるんだ。『異世界』に迷い込んだ『主人公』は、必ず運命に恵まれる。裕福な環境で、魔法の英才教育を受ける……! もちろん、師も選び放題で、親どころか世界からも愛される……!!」
「馬鹿馬鹿しい! いや、馬鹿にしている! そんなところに行かなくとも、俺は俺の人生の主役を生きている! 『異世界』で少し成り上がったからと、こちらの世界の積み重ねを下に見るな! おまえみたいな反則で強くなれた気になってるやつを見てると、こっちは殺したくなるくらいに腹立たしいんだよ!!」
俺が「殺したくなる」とまで言ったとき、まるで『好き』と告白されたかのように相川渦波は微笑んだ。
底なし沼のようなプラス思考が、あらゆる言葉を好意的に捉えてくる。いや、ここまでくると鏡のように、『反転』させていると言った方がいいかもしれない。
「うん、僕も同じくらい『好き』だよ、父さん……。だからこそ、『異世界』に招待したいんだ。あの最高の物語で、本当の『一番』の強さを、大好きな父さんに手に入れて欲しい……!!」
「勝手な理想だ! そんなものなくとも、すでに俺は強い! おまえよりも、ずっと!」
「知ってるよ。ただ、『異世界』に行けば、もっともっと強くなれるんだ。それが『主人公』という存在なんだ……。ふふっ、ははは、あはははハハハハ!」
駄目だ。
話にならない。
どれだけ俺が否定しても、勝手に『主人公』として見てくる。
こうやって、俺が叫び返すことすら、相川渦波にとっては『主人公』らしい謙虚な姿勢として見ているのだろう。
もっと根本的なところから、相川渦波との向き合い方を見直さないといけない。
『主人公』から遠ざかるように、別の端役を俺は『演技』して――いや、別の何かになろうとしても駄目だ。この相川渦波は平然と見破ってきて、勝手な役を押しつけてくる。
俺は素のまま、俺らしく振る舞うしかない。
問題は俺側でなく、相川渦波側だ。
向こうをどうにかする必要がある――
と考えたとき、倒れているラスティアラ・フーズヤーズの姿を捉えた。
助けに来たと言いながら、あっさりとやれられた馬鹿二号だ。
あんなにも訳知り顔で、相川渦波のことを語っていたが……。
そう言えば、その語りの中には、確か――
「……渦波、もう俺が『主人公』とか、そんなことはどうでもよくないか? いまは俺よりも、おまえのことじゃないのか? いまのおまえの状態のほうが――バカ息子のバカ具合のほうが、よっぽど問題だ……!!」
「父さんよりも、僕……? それは違うよ。これから先、『主人公』になるのは父さんだからね。父さんが物語のスポットライトを――」
「それだ! そういうことを言うおまえが、ずっと親として俺は恥ずかしいんだよ!!」
「え? は、恥ずかしい……?」
一番の理解者である相川渦波の嫁は、戦う前に「つまらなくする」と言っていた。
その上で、テンションを相川渦波に合わせていたような気がする……。
面倒な夫との付き合い方の見本のように……。
もし、あれが無敵めいた相川渦波を倒す方法ならば、そのやり方は俺のほうが――
とは関係なく、もう限界というのもあった。
言いたいことが溜まりすぎていた。
この一週間我慢しすぎて、ここまで本音を抑えすぎて、だから――
「もう『演技』かどうか分からないってことは、いまのおまえは役者じゃない! 間違いなく、素ってやつだ! なのに、さっきから素で平気そうに、恥ずかしい台詞を何度も何度も!」
「えっ、えぇ……? ま、まあ、確かに? どんなときも「僕は僕だ」っていうのは真理であり、人生の答えだからね。これは『演技』であり、素かもね?」
「素で、真理とか人生の答えとか言うな! 親の俺から言わせて貰えばな! 放り込みたいのは、こっちのほうだ!!」
「僕を放り込む……って、いや、もう僕を放り込んでも仕方ないよ! この前まで、ずっと『異世界』にいたんだし!」
「違う! 学校だ! 地元の高校に通い直せ! やはり、フリーターは許さん!」
「――――っ!? きゅ、急に何を……!」
「やっと分かった! 間違いなく、おまえの一般的感覚を取り戻すことが、俺の野望よりも先決だ!! 本当は小学校からやり直して欲しいが……、もう高校でいい! 友達とかいただろう!? 再会して、色々と常識を摺り合わせてみろ!!!」
「い、いやぁ……、学校? 今更、学校なんて通う必要はないような? だって、もう千年くらい生きてるし……、人生経験だけなら何億年とかあるし……?」
「どれだけ年をとっても、さっきから子供みたいなことしか言ってないだろう!? 漫画やゲームの話を、現実に持ち出すな! 持ち出せる力があっても、混同させるんじゃない!」
「そ、それは、もちろん分かってるよ!? ただ、いま僕は洗脳されてて、お酒にも酔ってるから、仕方ないところもあって……!」
「言い訳に酒を使うな! 酒が暴いたのは、おまえが『演技』だと思い込んでる素のおまえっ――、その奥にある悪癖だけだろうが!!」
「ち、ちちち違うしっ!? これはお酒に酔って暴れてるだけで――」
「そんな言い訳、通るか! 通らないとおまえが分からないのは、おまえのコミュニケーション能力が小学生で止まってるからだ! 異世界で大冒険したからって、何もかもチャラになるわけじゃない! 地道に学校で学び直してこい!!」
「ぐっ、うぅうう……! いや、それは父さんの価値観であって、社会一般的には――」
「ああっ、そういうことか! もしかして、学校に友達がいないのかぁ!? 待ってくれてる友達がいないなら、そりゃあ行く甲斐もないよなぁ!?」
「あ、あぁああぁああ゛あ゛っ!! 言っちゃいけないことを!! 絶対わかってるくせに! というか、僕に友だちができなかったのは、この家のせいだああぁああ!!」
「家のせい!? いや、陽滝は友人がいたぞ!? そんな体たらくで、本当に陽滝役なんてできるのかぁ!?」
「こ、このぉおっ……! クソ父さん……!!」
いまさら。
本当にいまさら、本音をぶつけ合う。
そして、やっと相川渦波の笑みが崩れ始めた。
叱られるのならば、どんな内容でも嬉しいような振りをしていたが……やはり、そうではなかったのだ。
相川渦波が笑っていられるのは、気持ち良くファンタジーができているときだけ。
世界とか魔法とか。血の運命とか家族の絆とか
洗脳とか記憶喪失とか。人格否定とか人生の意味とか。
しかし、そういうドラマチックな物語的要素とは関係なく、現実的でつまらない話をされると息子は苦しむ。ダメージが通る。
ならば、俺は役者の誇りとしてのドラマ性を捨てるだけでいい。
助言された「つまらなくする」に沿って、『理想の親』ではなく、ただの『普通の親』として――
一旦『異世界』を忘れて、「最近、学校はどうだ?」と、「ちゃんと友達は出来たか?」と、「勉強はついて行けてるのか?」と、『普通の子供』が嫌がるようなつまらないことを言い続ける。
「子供は学業を忘れるな! その偏った感性と知識を、しっかりと学び舎で修正しろ!」
「僕は偏ってない! そもそも、一般教養は『紫の糸』で世界を支配したときに、全て吸収し終えている! 僕の感性は、どこにでもいる男子高校生と遜色ない! 一切!!」
「どこにでもいる男子高校生が、そんなこと言うかぁっ! 設定と脚本の作り方から、演劇を学び直せ! このバカ息子が!!」
「さっきから直せ直せって……、偉そうに……! こっちのほうが、もう年上なんだからね、もう……!」
「経験や知識があっても有効利用できなければ、ロバが本を背負っているだけだろうが! 渦波、まず高校を卒業して、大学受験しろ! それからならば、いくらでも俺は『異世界』に迷い込んでやる! 年上で社会経験も豊富なおまえの助言に従ってなあ!」
「い、いまさら……!? いまさら、僕が学校に行っても仕方ないだろ! バカ父さんが!」
ああ、仕方ない。
そう俺も思う。なにせ、俺も中退から特殊技能だけで登り詰めたタイプだ――が、ここまで底知れなかった相川渦波が、ムキになって言い返してくるのは楽しかった。愉快だった。ざまあないな。
だから、弱点を突きまくる。
たとえ『異世界』で、何をして、どんな成長しようとも、相川渦波は――
息子は、息子とする。
記憶を失っても、洗脳されても、なぜか学校を怖がる息子。
俺の知っている引きこもりメンタルから、何も変わっていなかった息子。
ゲーム脳過ぎて、いつまで経っても周囲に馴染めない息子。
息子相手ならば、親として何度も言い負かして、マウントを取って、支配してきた。
だから不思議と、手に力が入る。
逆に息子の手の力は緩む。
すでに、『魔法』の構築は始まっている。
両者の身体からは、紫の魔力が溢れ出ている。
親と息子で鏡合わせのように、同じ『魔法』を浸食させ合っていた。ついでに言えば、互いの酒臭い息も近い。
「行っても仕方ない!? そうだな! だが、こっちも同じだ! いまさら、『異世界』に行っても仕方ないことだ!!」
「あ、あぁー! はいはいっ、そーいう風に話を繋げたいんだね? そういうことなら、僕だって行けるし! 高校くらい、行ってみせる! きっと楽しい学園物になるだけだよ! いまの僕なら、異世界返り系の物語のように――」
「バカ息子が! 魔法なしに決まってるだろ!? 何のために行かせると思ってる!」
「は、はぁあぁあっ!? なしぃ!? なしだと、どこも面白くないじゃん!」
「さっきおまえは、父親を記憶喪失で『異世界』に行かせようとしただろ! おまえだって異世界の記憶もなしで、魔法もなしに決まってる!!」
「でも、魔法なしだと、後日談どころか学園ファンタジーにすらならないよ!?」
「ファンタジーに逃げるな! それとも、自信がないのか!? 魔法なしだと、一般常識がなさ過ぎてクラスで浮くかもって、そう思ってるんだろう!?」
「う、浮かない……! 僕は『異世界』で成長したんだ! みんなのおかげで、『話し合い』能力は抜群だ! どこにだって溶け込める!」
「おまえの『話し合い』能力、まじでなんかおかしいからな!? そもそも、こっちに来てから、ずっと日本社会から浮いてる分際で、よく言う!!」
「はあ!? それを言い出したら、こっちはもうどうしようもないじゃないか! ああ、やっぱりイチャモンをつけたいだけなんだね、父さん……! なら、学校なんて絶対行くもんか……。そもそも、子供は学校に通うべきなんて、今時ナンセンスなんだ。考え方が古い……!」
「この国に教育の義務があるだけだ! できるだけ息子を学校に行かせたいと願う親で、何が悪い!」
「自分を棚に上げて、思ってもないことを言う親は悪い!! もう絶対に、僕は学校なんて行かないからね!? これからは、ずっとラスティアラと一緒に楽しく生きるんだ! このぬるくてゆるーい後日談を、死ぬまで過ごす! その資格を、『異世界』で僕は得た! みんながくれた!!」
「本音が出たな! この放蕩息子が! だが、間違ってはいない! 力ある者は何をやっても良い……と、そう俺も夢見続けてきた!!」
「やっぱり、さっきから何か……! 話を混ぜっ返そうとしてるだけだ!! 父さんの狙いは分かってる! 『魔法』の主導権を奪うためだ! だけど、僕に勝てるものか! 僕は全ての魔の『始祖』! ――『俺は世界を踏み締める』。『波打つ道なき道めが』『よくも世界は導いてくれた』!!」
「バカみたいな自称で、親の詩を変に飾るな! 所詮、人の欲望など『人の上に立ちたい』『人に崇められたい』『人を支配したい』だけだ!!」
親子揃って、同じ『魔法』を構築する。
が、『詠唱』は全くの別。
途端、どこかから大量の『魔の毒』がフロアに流れ込んでくるのを感じた。
あるルールに則って、いま世界が贔屓を始めている。
ただ、酷く混雑している。
同じ『魔法』のはずなのに、全く別の『詠唱』が重なったせいで、手続きが狂っているのだろう。
だから、供給される『魔の毒』は入り交じった。
構築される『魔法』も、もうぐちゃぐちゃだ。
俺と息子は額をぶつけ合って、互いに負けまいと『魔法』で浸食し合う。
当たり前だが、それはもう――『親和』だった。
共鳴していくのを感じた。
ただ、親子揃って、共鳴を相殺に変えようと必死でもあった。
俺は魔法に詳しくない。しかし、これが不味い現象だというのは、センスで理解出来る。
このまま、どちらも譲らなければ、どちらに対しても『魔法』が暴発するだろう。しかも、失敗魔法がさらに不完全な形となって、襲ってくる――
それは息子も分かっている。
しかし、息子は退かない。
両者、退くはずがなかった――
「僕のほうこそが、完成形だ! ――月魔法《陽奥の月、崇める下よ》!!」
「その鳥肌の立つ名前はやめろ! ダサい! これは、ただの《対象を自分のものにする魔法》でしかない!!」
「ダ、ダダダダサいぃぃっ!? いや『異世界』じゃ、これが流行ってたし!」
「余所の流行を持ち込むのがダサいと言っているんだ! 場の空気を読んで、色を合わせる努力をしろ!!」
「そんなこと知らない! 聞いたことない! 父さんは教えてくれなかった!」
「芸能の基本だ! 教えた! おまえに覚える気がなかっただけだ!」
「なら、教え方が悪かった! 薄情な父さんは、物覚えが悪い相手だと、すぐ諦める悪い癖があった!!」
「違う! バカ息子相手に二度も教えるほど、暇じゃなかっただけだ!!」
一歩も退かずに、言い合い続けていく。
その果て――
息子は父を超えようと、全力で叫ぶ。
俺は息子に超えさせまいと、全力で叫び返す。
「――月魔法《陽奥の月、崇める下よ》!! 父さんが楽しく『異世界』へ迷えるように、その記憶を消せぇえええ!!」
「――《対象を自分のものにする魔法》!! また息子が普通に高校へ通えるように、その記憶を消せぇえええ!!」
どちらも絶叫する。
両者、もうどうなろうと構うものかという勢いがあった。
相打ちだろうと構わない。目の前のこいつだけを、どうにかできたらいい。たとえ、ここで共倒れになっても、まあ、まだ信頼する伴侶もいるし――
と責任の投げ方まで、俺たちの思考は似ていた。
……そう。
似ている。
と、それが分かってしまったのは――
『魔法』が溶け合っているからか。
そういう『魔法』の側面もあったからか。それとも――
確認は出来ないし、俺も息子も止まらない。
いまにも、レストランフロアに詰まった『魔法』という火薬が爆発する。
その間際のことだった。
背後から、それは聞こえてくる。
「いい話……と思おう。仲もいい……はずだ」
ありえない第三者の声が、レストランフロアに響いた。
透き通った声だった。そして、とても小さい。
ぼそりと呟いたような大きさだったが、不思議と俺の耳まで通った。
役者に向いている声質だ。
それも主演に相応しいレベル。
こんなくだらない親子げんかをしている相川家の誰よりも、ずっと向いている。
そんな感想を抱いた声が、さらに背後から聞こえてくる。
いまにも『魔法』が暴発するという最中で。
「余所の家の問題に口出しするつもりもなければ、どちらの作る流れでも構わなかったが……、これは酷い。はあ……。酔っ払いの共倒れなど、僕たちはどんな顔で後処理すればいい?」
呆れていた。
そして、その呆れ声を聞いていたのは俺だけではなかったようだ。
息子が顔をあげて、目を見開いていた。
いま目の前にいる俺から、視線と注意を逸らして、声を漏らす。
「エ、エル……? エルミラード・シッダルク!? いつから――」
その声の相手を、全力で警戒した。
エルミラード・シッダルクという名は、俺も知っていた。
俺に魔法を教えた者が、何よりも警戒していたからだ。
話によれば、エルミラード・シッダルクは追跡者であり、二つの世界で最も危険な敵。
それに近い評価を息子もしているのだろう。
人生最大のライバルが現れたかのような顔をして、俺の背後にも戦意を分散させた。
ただ、俺は違った。
視線も注意も一切逸らしていない。
誰が現れようとも関係ない。
必ず、俺が勝つ。
この『魔法』は、俺の『魔法』だ。
その一心で、息子だけを見た。
クリスマス、誕生日、年末に何を書いているのか……。コメディとはいえ、ライブ感の塊ですね。
ということで、良いお年を!




