04475.里帰りその10
近づきながら、相川渦波は親しげに話しかけ続けてくる。
「父さん……。そんなに心配しなくても、母さんも必ず送るから……」
「あ、希も同じだ……! 年を……、画面を考えろ! 俺のような大人たちに、おまえらの若い脚本が辿れるか!」
「平気平気。いまは父さんぐらいの年代だって、『冒険』する時代だからね。父さんの姿なら、よく《ディメンション》に映えるよ。ふふっ、絶対に格好良くなる……!」
もう『演技』を取り繕わなくなった俺は容赦なく怒鳴るが、相川渦波には暖簾に腕押しだった。
『異世界』など、受け入れられるわけがない。
なにせ、ゆったりと近づいてくる息子の表情は、狂信者そのもの。
喜びで弛緩し続ける口元。
興奮で深く荒い鼻息。
焦点は合っていないが、確かに俺を捉え続ける泥沼のような黒い双眸。
間違いなく、狂っている。
が、その恐ろしき漆黒の瞳は、俺の魂の大切なところに容赦なく踏み入ってくる。こちらの否定する心を、的確に鈍らせてくる。
「なにより、そこで父さんは僕の『演技』の秘密を知れる。……ずっと知りたかったんだよね?」
「秘密……? おまえの『演技』の……」
「父さん、僕は『異世界』で至ったよ。究極の『演技』とは、空っぽになることだったんだ。自分の中に、いつでも自由に好きなだけ何でも詰め込められるように、『表皮』と『靄』だけになる……。その訓練に、記憶喪失と洗脳は本当に丁度良いんだ。喪失も敗北も、決して悪いことじゃない。きっと父さんを、本当の『演技』まで導いてくれる……!!」
「そ、そんな訳あるか……! 余り父を舐めるな、渦波! そういう形で得た『演技』など、嘘臭いと相場が決まっている……!!」
「……ま、まあ? う、胡散臭いとは少し……、ほんの少しだけ言われてたかも? ……でも、大丈夫。絶対、大丈夫。それもまた『表皮』で覆い隠せば良いだけの話なんだ。僕が洗脳を洗脳で包んだように、『表皮』を何重にも被り続ければ、父さんも『理想の父さん』に必ずなれる! 必ずなれるんだよ! あはっ、あははははは!!」
あ、あぁ……。なぜ……。
あの気弱で臆病な息子が、こうなった……。
原因は予測できる。
分かっている。
聞かされている。
『異世界』に迷い込んで、あんな目に遭わされたからだ。
「そういうのは中身のない下手クソ……、三文役者と言うんだ……! 渦波!」
あの才能に溢れた息子を歪ませた『異世界』を恨みつつ、俺は準備を始める。
もう一度だ。
あの『対象を自分のものにする魔法』を、もう一度叩き込む。
先ほどのように漫然とした使用ではない。
新たに確かな目的を持って、いまの会話の情報を下に、今度こそ完璧な調整を行って、息子の心を取り戻す。
そう決意したとき、相川渦波は歩き終える。
俺との間にあった距離が、ゼロになったとき――
親子の手と手が交差する。
勝算はあった。
俺と希は仕事柄、『護身術』を学んでいる。
その『護身術』のままに、俺は手を払おうと――見せかけて、得意の『柔術』で相川渦波の服の裾を掴んだ。さらに逆の手で、手首を取る。そのまま、背負い投げるつもりで力を入れる。
――瞬間、俺は宙に放り出されていた。
眼下に相川渦波の頭頂部が見える。そして、理解する。俺は手首を取った手を逆に取られ、放り投げられていたのだ。
浮遊感を覚えて、「あり得ない」と頭の中で叫ぶ。
明らかに、慣性といった物理法則を無視している『体術』だった。
俺は急速に冷えていく頭をフル回転させて、受け身を取ることに集中する。
次の瞬間には、床に叩きつけられる。運良く、両の足と右手で接地したものの――その衝撃は計り知れない。衝撃と痛みで顔を歪ませているうちに、相川渦波は目前まで迫る。
俺は用意していた次の手を切るしかなかった。
ポケットに忍ばせた持ち物から、希と一緒に用意した改造スタンガンを取り出す。
すると、相川渦波は二メートルほど距離を空けたところで止まり、少しばかり驚いた様子を見せた。が、すぐに口を歪めて、笑い出す。
「あははははっ、父さんは用意がいい! それに天才だなあ! いまの受身といい、判断力といい、すごいよ! ああっ、やっぱり『ステータス』のレベルなんて、ちっとも信じられない! これぞ『数値に現れない数値』だ!! 『力』も『速さ』も僕の十分の一ほどでも、こうやって父さんは僕と渡り合う!! その上で、しっかりと体内で『魔法』の準備までしている!!」
「そこまで褒めるなら……、俺の『異世界』旅行のほうは諦めて欲しいところだ。そこそこの力が、俺にはもうある。これ以上は間違いなく、過剰で不相応な力だ」
「不相応……? どうか勘違いしないで、父さん。ただ、僕は父さんを助けたいだけなんだ。その世界最高の『素質』を活かして、もっともっと強くなって欲しいって、善意で提案してるだけなんだ……」
狂った会話をしながら、俺は頭の隅で考える。
いま明らかに相川渦波は、その雑技団のような奇妙な『体術』で、掴みに来ていた。
打撃する気がない。
目的は、捕縛と拘束と推察する。
相川渦波の《陽奥の月、崇める下よ》の条件は、間違いなくゼロ距離の接触状態だろう。
件の月魔法とやらで、勝手にコピーされたのは反則的だったが、何もかもが反則というわけではない。
条件は厳しいはずだ。おそらく、生身で触れ合い、魂を侵食し、術式を操り、やっと発動する。それも《陽奥の月、崇める下よ》の対象に取れるのは、俺か相川渦波のみ。
今回の反則が成立しているのは、俺たちが家族であり、血が繋がっているから――
「そうだよ、父さん! これは血が繋がっているおかげなんだ……。僕と父さんの『絆』だ! その『繋がり』! 本当の『糸』が! この奇跡を生んでくれた! 『相川進が異世界に迷い込む』物語という奇跡を、未来まで繋げてくれたんだ! ふふっ、ははははっ! だからぁああ――!!」
その俺の思考を読んで、相川渦波は勝手に答えた。
上位存在が土足で頭の中に入り込んでくるように、神懸かった読みだ。
「…………っ!」
そして、薄笑いを浮かべた息子は、大義名分があるとでも言うように、自信満々の足取りで再度近づいてくる。
俺の手にあるスタンガンが安全性を無視した違法出力と分かっているだろう。
だが、無防備に距離は潰れていく。
そして、もう一度。
親子の手と手は交差し合う。
ただ、今度は俺が先に触れることはできなかった。
二度目は通じないと、俺のスタンガンは空を切る――どころか、肘に衝撃が奔ったと思った瞬間、渦波の手にスタンガンは渡っていた。
さらに手首を掴まれ、重心と体勢を崩され、足を払われる。
攻防は一瞬だった。
動きを読まれ切っていたのだろう。
止めに俺はタイルに頭を押さえつけられ、『魔法』を唱えられる。
脳裏に薄紫色の発光を感じる。
「『俺は世界を踏み締める』――」
このままでは、俺を通じて、俺の『魔法』が、俺に放たれる。
もう迷っている暇はない。
同じ『魔法』で相殺するしかない。
「ひ、『人の上に立ちたかった』『人に崇められたかった』――」
詠みながら、不利を感じる。
当たり前だが、『魔法』では相川渦波に一日の長がある。
『詠唱』も偽装要素がない分、向こうの方が重い。
なにより、体勢が最悪だ。
センスに任せて、イメージだけで『魔法』を成功させている俺にとって、この「息子に上に乗っかられている状態」は構築に支障がありすぎる。
できれば、いま、こんな形での『魔法』勝負は避けたい――
という俺の願いは、運良くも叶う。
落雷のような轟音だった。
ガラスが割れる音だと気づいたとき、次の音も鳴り響く。
「お義父様ぁあっ、危なーーーい!!」
弦楽器のような美しい声と共に、俺の上で衝撃が走り抜けたのを感じた。
俺の頭を押さえつける重みが消えて、身体の拘束も全て解かれる。
俺は反射的に起き上がり、また距離を取り、何が起きたのかを知る。
フロアの窓ガラスが一面だけ砕かれて、先ほどまで自分がいた場所に足を上げたラスティアラ・フーズヤーズが立ち、相川渦波はカウンターテーブルの奥にある棚へと頭から突っ込んでいた。
相川渦波を蹴り飛ばすことで、俺は助けられたようだ。
それを息子のほうも、立ち上がりながら理解していく。
「ラ、ラスティアラ……? 一体どこから……? ああ、壁をよじ登ってきたんだね。あははっ、ナイスな登場シーンだ。いらっしゃい。ラスティアラも一緒に、カクテルでも呑む? いまコンシェルジュさんはお休み中だから、僕が作ってあげるよ」
カウンターは激しく散乱しているが、受け身は完璧だったようだ。
相川渦波は何事も無かったかのように、散らばった周囲からボトルとシェイカーを手に取って、プロのような手つきで混ぜてから振り出す。
続いて、無事だったグラスも手に取って、その中にマジックのように――というより、まさしく氷結魔法の《アイス》で氷を作っていく。
その演出めいた『演技』を見て、ラスティアラ・フーズヤーズは顔を顰めながら蹴り上げた足を下ろし、苦笑する。
「あー、やっぱりこうなってたんだねぇ……。洗脳魔法は……ともかく、この気障具合は、まだ二杯目くらい? 急いで良かったー」
大体の状況は把握しているようだ。
洗脳魔法は希から聞いたのだろうが、飲酒量まで推察できているのは勘が良過ぎる。
その驚き続ける俺に向かって、彼女は背中を向けたまま、語る。
「カナミは悪癖全開の役者モードみたいですが……、どうかご安心くださいませ、お義父様。この私が、助けに来ました」
「た、助けに来ただと……」
先ほどから、洗脳魔法には何の罪もないかのような口ぶりだ。
洗脳よりも泥酔のほうが危険と考えていることに、俺の困惑は増す。
その俺を置いて、息子夫婦は強敵を前にしたかのように油断なく、視線を逸らさない。
相川渦波はグラスにカクテルを注ぎながら、自らの伴侶にも同じ提案をかけていく。
「ラスティアラ。これから僕は、父さんと母さんから記憶を奪って『異世界』に迷い込ませるよ……。僕の『たった一人の運命の人』なら分かってくれるはずだ。このアイディアの素晴らしさが」
「おーう、そういう感じかぁ……。やっぱり、すっごく楽しそうなことを考えてたね! そんな気がしてた!」
「ああっ、いま僕は、すっごく楽しい! これから、もっともっと楽しくなるのも確信してる! だって、少し役は違っても、またあの『冒険』だよ!? あの最高の時間を、また味わえる! なんて素晴らしい! そりゃあ、舞台前挨拶にも気合いが入る!」
そして、ラスティアラ・フーズヤーズに用意したはずのカクテルを、自ら煽った。
これで三杯目だ。
「でも、少し役を変えるんだね。今度は私たちが、あの陽滝ちゃんとティアラお母様になるの?」
「次は、作る側だね。この原案を基に、二人で手を重ね合って同じ筆を持って、物語を執筆していこう……? それはきっと凄く楽しいことで……なにより、あのときの二人の気持ちを味わえる」
「確かに、あのときの二人の気持ちが分かる。こんなに素晴らしいアイディアは他にないね!」
助けに来たと思われるラスティアラ・フーズヤーズだったが、あっさりと相川渦波の言葉に流されていく。
横目でも、その黄金の目をキラキラさせているのが分かる。
やはり、この夫婦は似たもの同士。
ラスティアラ・フーズヤーズという女も、見かけ倒しのガキなのだ。
相川渦波一人でもギリギリだというのに、さらに奥さんまで相手にするのは不味い。
ただ、そう俺が考えたのとは裏腹に、冷静な声が返されていく。
「カナミ、嬉しいよ。だって、そういう滅茶苦茶は、ずっと私の役目だったからさ」
「ずっとラスティアラに任せ切りだったね。でも、僕だってこういうのが好きだったんだ。だから、これからは僕もラスティアラの『多少のリスクを負ってでも、物語を盛り上げる役目』を負っていく。夫婦とは比翼連理、助け合うものだからね」
「だからこそ、私は止めるんだ。これからは私も、カナミの『物語が暴走し過ぎないように、リスクを減らす役目』を負う。二人で二人を分け合って、楽しく生きていくんだ!」
そう返されたとき、初めて相川渦波は顔を顰めた。
俺に視線をやりながら、怒りと笑みを深める。
「ラスティアラは、ティアラ役だよ? 渦波役は、絶対に父さんだ」
「えー? いやいや、私だよ。誰よりもカナミを知ってる私だけしか、カナミ役はできないよ」
「そんな訳あるか。渦波の役程度……、父さんなら軽くこなせる。いや、僕程度、軽く超えられる」
「程度とか軽くこなせるって思ってるのは、カナミだけだと思うけどねー。あと、親への過大評価も良い感じに狂ってない?」
「親への過大評価ぁ? それは、むしろラスティアラだろ? レヴァン教一の狂信者のくせに」
「私のティアラお母様へのリスペクトは、普通くらいだよー。狂信者ってのはカナミのためにある言葉だから、遠慮しないでいいよ。よっ、二世界一の狂信者!」
「いやいやいや、ラスティアラには負けるよ。僕と違って、そっちは使い捨てられて死ぬところまでいったんだから――」
「いやいやいやいや、あれは色んな要因が絡んでの選択だからね? いまの渦波のほうが、命を捧げるよりも絶対やばいって――」
なぜか役振りで拗れて、そのまま喧嘩に発展していった。
二人して「なんだとぉ……」と睨み合っているが、正直俺としては、どっちもだ。
正気ならば、もっと単純に「親を異世界に捨てるなんて馬鹿のやることだ」と言い合って欲しい。
しかし、予期せぬ味方になりそうなラスティアラ・フーズヤーズを失いたくないので、迂闊に口を出せない。夫婦喧嘩を見守るしかなかった。
「はあ……。とにかく、ラスティアラは協力してくれないんだね? 父さんに協力する僕の協力を」
「いいや、これこそが協力だよ。だって、たぶんこうなったのは、カナミが私を信頼していたからこそだからね。――たとえ自分が洗脳されても、またラスティアラが元に戻してくれるって」
「この素晴らしい『魔法』を、元に戻すだって? ……ありえない」
「どれだけ危なくなっても、カナミは安心してる……。その私への期待に応えるためにも、私はやるよ! あの格好良い『主人公』役を、私は私なりに『演技』する!」
そう叫んで、ラスティアラ・フーズヤーズは手に持っている獲物を構えた。
ただ、そのまるで主役のような振る舞いを相川渦波は嫌っているのだろう。
『主人公』は俺だと好意的に見つめたあと、彼女に首を振る。
「ラスティアラの『演技』は本職の父さんと違って、まだまだ素人だよ……。はあ、決裂だね。となると、ここからは楽にはいかない」
「いい勝負になると思うよ。私たち、ずっとレベル合わせてるからねー」
「レベルは同じだけど……。そっち、ちょっといい武器を持ってない? こっちなんて、スタンガンなのに」
「いいでしょ、これ。来る前に、ちゃんとお土産から持ってきたんだー」
軽く決闘を成立させて、二人は戦意を漲らせていく。
ただ、そのゲーム感覚過ぎる気軽さは、法治国家生まれの俺にとっては堪らない。
なにより、ラスティアラ・フーズヤーズの持っている獲物が冗談じゃない。
よく見ると壊れた玩具だ。いい武器などと二人は言っているが、どう考えても狂っている。
せっかくの援軍が、折れたプラスチックの剣で戦おうとしているのを見て、とうとう俺は口を挟んでしまう。
「お、お嬢さん、玩具でやるつもりなのか? いま、渦波は――」
「やります。状況も分かってますので、ご安心を。この住まわせ合い勝負は所謂、新婚によくある同居問題ですから。もちろん、それとは別に、まず酔っ払いを叩いて眠らせますねー」
全く安心できない返答だった。
この洗脳という死よりも恐ろしいものがかかった状況を、ラスティアラ・フーズヤーズは温い家庭問題として見ていた。
だが、そこにはあえて触れず、彼女の勝率を高めることだけに努めて、情報を伝える。
「あ、ああ……、分かった。ちなみに、渦波の狙いは俺……いや、俺の特殊な魔法だ。おそらく、接触されると、その魔法のコピーを使用される。効果は簡単に言うと、俺を好きになる魔法だ」
「好きになる? 洗脳は分かっていましたが……、それは本当ですか?」
「砕けた言い方だが、それが最も君に伝わりやすい表現だと思う」
「あぁ、お義父様……。やってしまいましたね。それは洗脳魔法の中でも、カナミにとって最悪です」
「それは……、最悪だろう。洗脳なのだからな」
「洗脳でも、ただ記憶を弄るだけのやつなら、カナミはこうならなかったんです。しかし、感情操作もとなると……、ほんと未完成の『魔法』ってそんなのばっかだぁ。上手くいかないようになる余計な効果が、必ずくっついてる」
そう呆れて呟くラスティアラ・フーズヤーズは、口元を半月の形に歪めていた。
どこが面白かったのか分からないのも含めて、俺にとっては理解の出来ない部分ばかりだった。
その中、俺の傑作が「そんなの」と纏められたことに、つい俺は言い返してしまう。
「しかし、俺のことを憎んでいた渦波に、感情操作は必須だ。ただ記憶を弄っただけでは、いつか潜在的な嫌悪感で反逆されてしまう……。だから、最悪なわけがない。この嫌いを好きに変える力は間違いなく、あらゆる意味で理想の魔法だった」
「だからですよ。理想だから、私は最悪だと言っています。ぶっちゃけ、カナミってアレです。ヤンデレキャラなんですから、そういうのは逆効果なんですよ」
「……や、やんでれきゃら?」
「むむっ? まさか、ご存知でない!?」
「いや、知ってはいる……。こっちの用語……で、いいはずだ。病んでいるキャラクターは、ドラマや映画にもよく出てくる」
「そうっ! 病んでるんですよ! カナミは、愛の病に! それは私への恋心だけでじゃなくて、お父様たちへの家族愛も! その家族が大好きなカナミに、もっと好きになる魔法をかければ、そりゃあこうなりますとも!」
ずっと嬉しそうだったラスティアラ・フーズヤーズが、ついに興奮で、その拙い敬語を崩した。
さらに、病んでいるというのは一人だけじゃないという勢いで、最高の伴侶を自慢するように叫ぶ。
「元々、洗脳されてやっと自由になれるのがカナミでした! そのカナミに、もう愛を我慢しないでいいなんて言えば、そりゃお節介が止まりませんよ!? カナミがお節介で、世界を支配しようとした話は聞いたでしょう!? ああ、本当にアイカワ家はっ、ほんっとーに素晴らしい親子ですねぇっ! カナミは大好きなお父様をお節介で支配しようとするのを、もう決して諦めないことでしょう!!」
俺にとって最悪の情報を、嬉々として伝えてくる『異邦人』――
やはり、こいつも敵だと再確認しながら、その情報を吟味しながら俺は首を振る。
「ま、待て。好きだと? カナミが、俺を……? それだけは、ありえない。ずっと息子を『いないもの』と……、無視してきた親だ」
「…………。……ほんとのほんとに似てますね。カナミが暴走するのは、いつも誰かへの愛ゆえにですよ。最近は、私という『たった一人の運命の人』で落ち着いていましたが、そのバランスが魔法で崩れたとなると――」
「……どうなる? お嬢さんの目からして、この流れの先には何が待っている?」
「『異世界』で陽滝ちゃんがお父様と同じミスをしたときは、世界が凍りましたねえ! 私がミスったときも、そりゃもう大変でした! 一歩間違えれば、世界崩壊の序曲! ふ、ふふっ……、ふははははハハハッ――! ああ、本当に! ありがとうございます、お父様! もちろん危険なので、すぐにつまらなくしますけど!!」
言っている意味は分かるが、喜んでいる理由は分からなかった。
とにかく、言葉選びと表情作りが酷い。俺は役者の先輩として顔を顰めて、人として会話を諦めるしかなかった。
そして、説明を終えた黄金の瞳の恐ろしき少女は、身体を前に向ける。
散乱したテーブルで悪役のようにグラスを傾けて、カクテルを嗜む相川渦波(四杯目だ)に向かって、笑顔で報告する。
「という感じのノリだよー、こっちは! 待たせてごめんね、カナミ」
「いいよ。話すのは大事だからね……。じゃあ、そろそろ戦ろうか。ラスティアラもティアラらしくなれるように、《陽奥の月、崇める下よ》を受けよう。父さんの最高の魔法《陽奥の月、崇める下よ》は、みんなでかかるだけの価値がある」
み、みんなでかかってどうする、大馬鹿者めが……。
大事な舵取りがいなくなるぞ……と俺は思ったが、当然のように俺の味方(?)から出てくる反論は、全く別の理由だった。
「んー。私が受けたら、あとでカナミが自己嫌悪で自殺する可能性あるから――、遠慮する!!」
「遠慮するな、ラスティアラ! 洗脳はいいぞ! 最高に新しくて楽しい『冒険』がスタートする! また僕たち二人で、一杯楽しもうっ!! ――魔法《ワインド・アロー》ォ!!」
そう叫び合って、まるで前から示し合わせていたかのように、二人は同時に動き出した。
まず相川渦波は一跳びして、カウンターテーブルの上に土足で立った。続いて、用意していた風の塊のようなものを三つほど射出した。
それを駆け出したラスティアラ・フーズヤーズは、顔のすれすれの紙一重で避けながら直進していく。そのスピードはオリンピック陸上選手のスタートダッシュを、ゆうに超えている。
俺の動体視力でなければ、姿を見失っていただろう。
軽やかに跳んだラスティアラ・フーズヤーズは、格闘家のように鋭く動き――跳び、蹴る。
それを相川渦波は横にステップして避けてから、すぐに次の魔法を構築しようとする――が、着地したばかりのラスティアラ・フーズヤーズは息をつく間も与えずに、駒のように回りながら玩具の剣を一閃した。
それを相川渦波は屈んで避ける。
さらに、その目の良さと『体術』に任せて、続けて放たれる『剣術』も全て、かわしていく。先ほどのラスティアラ・フーズヤーズと同じように、どれも顔のすれすれのところで紙一重だった。
「…………っ!」
凄まじい攻防に、俺は息を呑む。
瞬きすら許されない速度で、見ている側も息のつけない密度だ。
ただ、おかしい。どうしても、違和感があった。
なにせ、ずっと相川渦波は手にグラスを持ったまま、中身の酒を零さずに捌いている。まるで、どこかの圧倒的に強い悪役キャラのような『演技』をしているのは明らかだった。
ラスティアラ・フーズヤーズも、わざわざカウンターテーブルの上という狭い足場で、その玩具の剣を振るい続けている。まるで、どこかの映画のワンシーンを演出しているような戦い方だ。
明らかに二人とも、人の目を気にしている。
あと、なんというか……、カメラか?
おそらく、例の『切れ目』というやつをカメラに見立てていて、オーバーでわざとらしい動きが多い気がする。
た、楽しんでやがる……。くそが……!
という俺の悪態を加速させるかのように、二人は洗脳という自我をかけた勝負だというのに、楽しそうにお喋りする。
「あーーはっはっは! まだまだ甘いなあ、ラスティアラ! この僕を、距離さえ潰せばなんとかなる魔法使いと思うなよ!」
「くぅっ! 味方のときは、すぐ変なドジ踏むくせに! 敵に回ると、安定して強いんだからぁ! もしかして、いっつも手加減してない!?」
「し、してるわけないだろ!? ただ今回、この『元の世界』は、この僕の領域ってだけで! さあ、気絶させろ! ――魔法《ライトニングアロー・スタン》!」
ただ、その会話に相川渦波は押されて、声を上ずらせながら次の一手を切る。
俺から奪ったスタンガンだ。
ただ、本来の使い方ではない。
スイッチを入れて、電極をスパークさせて相手に向かって突き出す――ことはなく、その場で軽く杖のように振った。
すると、電極の間から、雷が迸る。
形状は矢。弓から放たれたかのように飛来する。
魔法というものは溜めが必要だと、俺は聞いていた。
だが、それは機械仕掛けの杖を介しているせいか、余りにノーモーションで、非常に素早かった。
ラスティアラ・フーズヤーズも堪らず、大きく避けるしかない。
カウンターテーブルから降りて、折れた剣先を突きつけながら文句をつけていく。
「ほらっ、やっぱり! それ、初めて見る魔法!!」
「いやっ、別に隠し持ってたわけじゃないから! 前々からやりたいと思ってたけど出来なくて、でも今日はいい機会だから使ってるだけだから! ――魔法《ライトニングアロー・スタン・散花》!!」
またスタンガンは指揮棒のように振られて、今度は十近い雷の矢が飛来する。
それをラスティアラ・フーズヤーズは躍るように、全て避けていく。
とはいえ、その物量に距離を縮めることはできない。延々と後方で、レストランの備品の椅子や机が雷に打たれたかのように砕け散っていく。
このまま、膠着状態が続くのかと思われたとき、相川渦波はスタンガンを振るのを止める。
それを見たラスティアラ・フーズヤーズは「魔力切れ? それとも、電池切れ?」と言って、体力差による消耗戦を狙っていたことを明かした。
ただ、返ってくるのは、変わらない息子の演劇めいた言葉。
「ふう……。本当に、今日は良い機会だ……。そして、良い場所でもある。ラスティアラ、ここだ。ここが何か、知らないだろう? いや、知識として知ってはいたかもしれない。けれど、どういうものかの実感がない。僕も『異世界』ではそうだったよ。だから、もっと味わって欲しい。『異世界』に迷い込むという醍醐味を、もっともっと――」
戦いながら、相川渦波は壁際まで移動していた。
そして、片肘を突いて、触れる――
フロアのインテリアを邪魔しないようにひっそりと設置されていたコンセントに。
カバーを外して、指を突っ込んでいた。
瞬間、閃光が奔る。
ただでさえ明るいフロアが、真昼の太陽の下のように明度を上げていく。
さらに、観賞用稲妻を発生させる変圧器かのように、身体のあちこちから放電をし続け始めた。
その青白い稲妻は、チリチリと焦げるような音を立てながらスパークし続ける。
「苦手な雷の魔法を連発していたのは、補充の当てがあったからだよ」
「雷を纏ってる……? やばいくらい格好いい……けど、それって痛くないの?」
「生活用の便利な雷なんだ、これ。だから、僕側は軽い《ライトニング》で、いい流れを少し作るだけでいい」
口ぶりからすると、相川渦波が変圧器そのもの。迸る稲妻の向きや圧力を操り、自由に感電させられるのだろう。
このマンションに供給される電力が、全て相川渦波のものとなった。
それを俺が理解したとき、身体に悪寒が奔る。
悪化した状況に対する精神的なものではない。単純に、室内だというのに冬の寒空のような冷気がフロアを満たし始めたのだ。
天井に設置されたエアコンの駆動音が、異常なまでに大きかった。
いつの間にか、相川渦波はレストランの空調にも手を出して、冷気を集めようとしていた。
この環境全てが相川渦波の味方だと気づいて、俺は冷や汗を浮かべる。
対照的に、相川渦波は楽しそうにマンションの電気と冷気を纏って、立ち上がる。
「さあ。もっともっと、らしく……。僕の階層らしく、いこうか」
そして、それ以上にワクワクして、遊園地の子供のように楽しそうなラスティアラ・フーズヤーズ。
二人が再度向かい合って、共に武器(のようなもの)を構えた。




