00510.レベリング実験その2の2
ボス《ミドガルズ・ブレイズ》を倒すのは、現時点で不可能だ。
僕が狙えるのは撤退のみ。
マリアから100メートル以上の距離を取って、経験値の分配を阻止することだろう。
その為に、僕は《ミドガルズ・ブレイズ》と追いかけっこを繰り返していく。
最終的には、魔法による加速や目くらましも行って――
「――《ワインド》!」
《ミドガルズ・ブレイズ》の死角に駆け出した。
さらに加えて、ラグネのように『隠密』で、僅かな魔力さえも体内に押し込んでみるが、
「――くっ!」
一瞬だけ《ミドガルズ・ブレイズ》は僕の姿を見失ったような素振りは見せた。
しかし、すぐに僕のいる死角に向かって、その鎌首をもたげてきた。
小手先だけでは通用しない。
すぐに僕は、本気の魔法を魂から絞り出す。
「ならっ……! ――月魔法《ライト》!」
自らの魔力性質を利用して、別属性の基礎魔法を構築した。
その際、がっつりとMPと体力を消耗していくのを感じる。
事前に魔石を呑んで、身体に《術式》を刻み込んでおけば、もう少し負担は抑えられたのだが……。そんな後悔をしている暇はなく、すぐに僕は生成した光を屈折させて、自らの身体を視覚的に透明化させる。
その上で、《ワインド》による消音と『体術』による特殊な歩法で、気配を消した移動を試みる。が、すぐに《ミドガルズ・ブレイズ》は反応して、追いかけてくる。
その余りに早く正確な感知能力に、何かタネがあるはずだと分析していく。
「いま、視覚も聴覚も騙してたのに……。なら、蛇らしく、熱感知をされた? いや、これは……」
術者のマリアは、サーモグラフィーを知らないだろう。蛇の持つピット器官が、赤外線を感知していることもだ。
つまり、これはマリアの持つ「蛇は暗いところでも、熱で獲物を索敵しているって聞いたことがある」というイメージから派生した力の可能性がある。
やはり、生物の持つ能力というよりは、ファフナーの呼び出す『血の怪異』の能力に近い。
「厄介な……!」
唸る僕に対して、《ミドガルズ・ブレイズ》は舌をチロチロと動かして、身体を揺する。
挑発されているわけではない。
単純に、この戦いを「追いかけっこの次は、かくれんぼ! 楽しい!」と子供のように興奮していると、魔法の専門家である僕は読み取れた。
自立型の魔法も、生まれたては精神が幼くなる傾向があるのかもしれない。
これをテーマに研究論文の一つでも書きたくなったが、いまは自宅に帰らなければそれも難しい。
「ぐぅ……、そっちは遊んでるだけっぽいけど、こっちは本気なんだよね……! 仕方ない。次は魔法《フリーズ》も併用して、本当に熱感知かどうかを――」
残り少ないMPを絞ってでも、氷結系魔法を準備していく。
そのときだった。
《ミドガルズ・ブレイズ》の立ち塞がる奥、少し遠くからいい汗を掻いたマリアが歩いているのが見える。
当然のように、ダッシュではない。
悠々と帰ってきて、暢気な挨拶を投げてくる。
「ただいまーです。カナミさん、大人しく待って……は、いないようですね」
帰りが早い。
僕の反抗を警戒して、小まめに返ってくる方針なのかもしれない。
「とはいえ、ここまで予定通り。ということで――神聖魔法《レベルアップ》と」
「くっ――! ぐ、ぐぁあぁぁあっ……!」
「なんでダメージ受けたかのような反応なんですか、もう」
「大事なレベルが……」
上がってしまった。
僕にとってはダメージも同然なので、なんとなくダメージ動作をしてみたが、マリアの目は子供の遊戯を見るように温かい。
その後、やれやれと苦笑する彼女は、背中を向けながら促す。
「この周辺は狩り尽くしたので、移動の時間です。……では、どうぞ」
狩り尽くしたらしい。帰りが早かったのは見回りや確認ではなく、単純に狩る速度が異常だったからだった。
軽く殲滅したことを報告したマリアは、向けた背中に両手を回した状態で手招きをする。
「どうぞって……、え?」
その意味が分からず、僕は困惑した。
ただ、ここまでやって来た移動方法を思い出して、徐々に意味は理解できていく。
「お姫様だっことおんぶ、どちらがいいですか?」
「どちらも、僕の尊厳が失われる気がするんですが……」
「そんなものが、まだカナミさんに残っていると思いますか? 観念して、乗ってください。おんぶのほうが守りやすいですから」
「乗れって、マリアの背中に? いや、それは何というか……」
「私は本気です。私を信じて、どうかお願いします」
「信じてるよ? ただ、それとこれは別問題だよね?」
「あー、昔の私もそう言って、嫌がったんですけどねー。でも聞いてくれない人がいましたねー。いまみたいにー」
「その恨み節だけで全部通そうとしてるけど! やっぱり状況がかなり違うよね!? 時間とか安全性とか! 特に、お互いの背丈とか見栄えの問題が!」
「ええい、面倒臭い。すぐ終わりますから、大人しくしてください」
「や、やられてっ、堪るかぁあああああっ――!」
嫌がる僕にマリアは向き直り、また手をワキワキさせながら近づいてくる。
負けじと僕も構えを取って、そのまま『体術』合戦になっていく。
ただ、その結果は、無残も無残。
一瞬で僕は関節を、次々と極められていく。
そもそもだ。
マリアは接近戦が弱いわけではない。
その驚異的な火力のせいで忘れがちだが、元々狩りを得意として、運動能力にセンスがあった。少し見ないうちに、無詠唱の身体強化も軽くこなしている。
つまり、レベルによって『筋力』『体力』などの問題を解消したマリアは、後衛・火力・援護・索敵・前衛・リーダー、全てをこなせる隙のない完璧な探索者なのだ。
結果、あっさりと僕は組み伏せられて、頑丈な布で両腕を拘束される。
そのまま、背中に担ぎ上げられたあと、マリアは容赦なく全力疾走していく。
当然ながら、彼女は『速さ』も探索者の中で随一で、迷宮の風景がめまぐるしく後ろへと流れる。
その速度は尋常ではなく、風圧が凄まじい。
このままでは、小さな女の子に両膝だけ抱えられて、身体がバンザイの状態で後ろに流れている――という不格好を極めた格好になってしまう。
「は、速っ……! 怖っ……!」
「ふふふ。まるで、乗用馬に乗ってるみたいでしょう?」
「明らかに僕の時より速いし! 馬どころじゃない、これ!」
「あっ、体勢気をつけてくださいね。しっかり捕まらないと振り下ろされて、そのまま地面ですりおろされますよ?」
「怖い想像過ぎる! でも、実際そうなる気しかない! くぅっ……!!」
いま何かの事故で放り出されれば、それは新幹線の窓から身を投げるに等しい。
仕方なく、僕は拘束された両腕をマリアの首にかけて、その背中にしがみつくしかなかった。
――そして、数分後。
しっかりと下準備は済ませていたのだろう。
人気が少なく、他の探索者に迷惑がないエリアまでやってきて、僕は地面に降ろされる。
今度は『正道』がない。おそらく、先ほどのレベリング試運転で、護衛は《ミドガルズ・ブレイズ》だけで十分だと判断したようだ。
僕は迷宮の地面に足を着けて、人心地つく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「分かります。捕まってるだけでも、息がきれますよね? 運ばれるのって、ほんと大変なんですから」
「はい……。以前は色々と、すみませんでした……」
「……それを聞けてしまうと、これ以上は申し訳なくなって遊べませんね」
そこでマリアは苦笑を浮かべて、優しい表情を見せてしまう。
しかし、初志貫徹といった様子で、口調を固め直していく。
「でも、以前の私はレベル3から7にされましたので……。そのくらいはやりきりますか」
マリアの予定を聞かされて、僕は『表示』で確認する。
いま、レベルは……。
【ステータス】
名前:相川渦波 HP65/65 MP30/71 クラス:魔法使い
レベル4
筋力1.32 体力1.62 技量3.98 速さ2.93 賢さ5.22 魔力4.01 素質1.12
先ほどの《レベルアップ》で、4になっている。
ここから7にされるとすれば、ほぼ一度目のときと同じペースだ。
この異世界で安全に生活できるラインに達してしまう。
「でも、カナミさん。本当の本当に嫌だと思った場合は、パーティーを解除してくださいね。それを合図とします」
「…………。マリア……」
ずっとマリアの中にあったであろう本当のレベリング中止の条件が明かされた。
同時に、彼女がここまでの流れを本当に楽しんでいて、その中止を残念がっていることも知れる。
だから、僕は強気に首を振る。
「いや、パーティ解除は……、たぶん、死ぬまで無理だよ。だから、もう少し色々やろう。これは勝負だ。まだ僕は負けてない」
パーティー解除の条件は単純明快で、「仲間じゃないと心から強く思うこと」だ。
それを満たすのは不可能だし、この勝負のような遊びがマリアにとっての「甘える」の延長上だと分かった以上、決して僕は退けなかった。
「……ありがとうございます。なら、その気持ちに甘えさせて貰って……、もう少しだけ遊びましょうか。カナミさんも、まだ少しMP残っていて、次こそはと思っているみたいですからね」
「あぁ。次こそは、マリアの思い通りに行かないよ。まだ最後の手段が残ってる」
「楽しみにしています。……では、行ってきますね。レベリング勝負です。――《ミドガルズ・ブレイズ》」
「ただ、これをレベリング勝負と呼ぶのは変な気もするけど」
そう答えたときには、目の前にいつもの炎蛇が現れて、マリアの姿はなかった。
勝負と宣言した以上、さらにマリアは狩り効率を上げるだろう。
一秒でも無駄にすれば、僕のレベルはガンガン上げられてしまう。
早くパーティー有効範囲の外に出ないといけない。
そして、その為には《ミドガルズ・ブレイズ》を攻略する必要がある。
ただ、もう『速さ』も『隠密』も通用しないと確認した。
なら、今度こそ、氷結魔法で――?
違う。
戦うことばかりを考えても仕方ない。
スキルやレベルのような数値ばかりが重要でもない。
だから、いま、僕が使う最後の手段とは――
「《ミドガルズブレイズ》……。いや、ミドブレちゃんって呼んでいいかな? もっと良い愛称があればいいんだけど……」
そう、『話し合い』。
唐突に僕から話しかけられたミドブレちゃんは、頭がおかしい人を見るような目つきで「…………?」と首を傾げる。
しかし、めげずに僕は残り全ての魔力を注いで、とある魔法を構築する。
とはいえ、本来の強さも大きさもなく、十分の一サイズだが――
「――魔法《ミドガルズ・フリーズ》。こっちはミドフリ君、君の姉弟みたいなものだから、仲良くしてやってくれは……できないか。流石に、炎と氷じゃあね。でも、距離さえ取れば、話は出来ると思うよ」
僕は子供のような《ミドガルズ・フリーズ》を作って、弟として紹介した。
その魔法にミドブレちゃんは驚き、困惑しているのが分かったので、僕は長年連れ添ってきた戦友のように語りかけ続ける。
「ははっ……、懐かしいよね。それと、ここまで長かった。……なんだかとても感慨深いよ。こんな迷宮で、こんな風に落ち着いて、こんな話を君とするなんて」
僕は腰を降ろして、拘束された両手でミドフリ君の頭を撫でながら、遠い目をする。
そう……。
あれは、千年前のこと……。
「覚えているかい? 君の《ミドガルズ・ブレイズ》の基礎となった《ミドガルズ》という『呪術』は、僕が開発して生み出したんだ。ロミスって男の魔法を真似てね」
とても懐かしい物語だ。
あのとき、ロミスの圧倒的な力に危機感を覚えた僕は、補助だけでなく攻撃用の魔法を開発するようになった……。
ただ、その《ミドガルズ》は結局僕よりも、ティアラや陽滝のほうが上手く使えていて……。でも、確かにあれは僕が『詠唱』から『術式』まで構築したものだったんだ……。
「それが千年前、遠方のアルティまで伝わって、千年後のマリアまで届いて……、こうして二つの《ミドガルズ》が邂逅してる」
どこか運命的だと思う。
歴史的だとも。
そして、忘れないで欲しい。つまり、それは僕が――
「そして、思い出して欲しい。つまり、それは僕が、君の生みの親と言っても過言じゃないってことだ。そう思わないかい? いや、決して、マリアを裏切れと言ってるわけじゃないんだ。僕を魔法のご主人様と認識して欲しいわけでもない。ここは生みの親の顔を、ほんの少しだけ立てて――って熱! あっついっ!」
『何やってんですか、カナミさん』
話している途中、頬に強い熱を感じて、叫んだ。
目を向けると、そこには『炎の目』が浮いていた。
それが形状を口に変えて、魔法の振動を発して、マリアの声を出している。
「……き、聞いてた?」
『見て、聞いてますよ。……こっちは狩り中なんですから、笑わせないでください。あと、うちの《ミドガルズ・ブレイズ》に、適当なことを吹き込まないでください』
「くっ……、僕の最後の手段が!」
マリアがストップをかけたと言うことは、一応『話し合い』は有効だったらしい。
しかし、もう通用しないだろう。
ミドブレちゃんにかけようとした『詐術』は、これから常にマリアが「あんな胡散臭い人の言葉は信じちゃ駄目ですよ? 約束を一切守らない嘘つきさんなんですから」と言い聞かせて無効化し続けるに違いない。
ゆえに、僕は覚悟を決める。
「なら、もう……、仕方ない。本気の本気だ。勝負は本気でやらないと、いけない」
『いままでも本気だったのでは? いまの氷蛇で、もう魔力も空っぽですよね?』
「ああ、空っぽだ。でも、いつだって僕たちは魔力がなくなってからが本番だった。そうだ、ここからなんだ――」
イメージするのは、最高の魔法。
いや、最高だった自分の人生そのもの。
その効果は、より良い運命を引き寄せる。
抽象的だが、あらゆる魔法をも超えて、理想の未来に手を伸ばすことができる――!
「本当の『魔法』がっ、まだ僕にはある!! こういうときに使わないで、いつ使うんだ!! 『僕も世界が愛おしい』! 『これは世界と存在している物語』! 『湖面の掬われた星は――」
『いや、絶対こういうときに使うやつじゃないですよ、それ』
「ぐえーっ!」
いつの間にか、すぐ近くに浮いていた炎が、腕の形状に変わっていた。
そして、唱える僕の喉を絞めていた。
焼いていないのは、マリアの温情だろう。
どこか溜め息交じりに、彼女は持論を公開していく。
『前から思っていましたが、本当の『魔法』前の『詠唱』って、隙だらけですよね』
「ひ、必殺技の前置きだから……。そりゃあ、まあ……」
『あれが成立するのって、相手とのレベル差が埋まっているときだけですよ。もしくは戦っている相手が、その詠唱を聞きたがっている場合でしょうか。つまり、ほぼ通らないんです』
急に、すごく現実的な話をされてしまった。
慌てて、僕は論理的に話を返していく。
「あの、マリアさん……。いまの『魔法』が通ったら、僕の魔力問題が解決するんです……。というか、これが成立しないと勝負にすらならなくて……」
『はい。カナミさんの魔力の問題が解決するから、勝負の一環として邪魔しているんですよ?』
「で、でも、謂わばこれは変身の詠唱みたいなもので……。変身中に妨害するのは、僕の世界だとタブーで……。邪魔しちゃいけない流れってあるよね?」
『流れがあろうとなかろうと、こっちの世界では普通に邪魔します。……例えば、ラグネ・カイクヲラさんとか、そういうのを許さないタイプだったでしょう?』
「確かに、あいつなら妨害する……。いやっ、きっとしない! あいつ、最期は案外ノリよかったから! 僕と『詠唱』、ハモってたし!』
『え、えぇぇ……。ハモってたって……。人生の最期というのは、みんなそんなノリなんですかね。でも、いまは誰かの最期とかじゃないですよね? 普通のレベル上げ作業で、本当の『魔法』使ってた『理を盗むもの』さんっていました?』
「くぅっ……。さっきから正論ばかりで辛い!」
やってはいけないマリアとの口論で、案の定僕は論破され続ける。
あと、もう完全に、本当の『魔法』を使える空気ではなくなってしまった。
マリアの言うとおり、あれは専用の流れがないと中々成立しない大技なのだ。
最後の手段に続いて、最後の切り札まで封じられてしまった。
追い詰められた僕に出来るのは、もう一つだけ――
「こ、こうなったら、ミドフリ君を人質にして、《ミドガルズ・ブレイズ》を脅す!」
『……格好付けない選択肢も取れるようになったのは嬉しいですよ。けど、それはそれで完全に負けフラグなんですよねぇ』
「君の家族の命が惜しければ、道を空けろ! 《ミドガルズ・ブレイズ》ゥ!!」
僕は剣を抜いた。そして、その剣先を、隣でまったりと見守ってくれていた氷蛇に向ける。
するとミドフリ君は、唐突なご主人様の裏切りに驚愕したような顔を見せる。
え……、か、感情……?
君も自立してるの……? い、いつから、何の『代償』で?
と困惑する僕。
その僕を置いて、外道な行為に対して、目の前の《ミドガルズ・ブレイズ》は憤怒の顔つきとなっていく。
そこからは、本当に負けフラグのままの流れ。
さらに数分後、見事に僕は《ミドガルズ・ブレイズ》に完敗して、レベリング作業を完遂されていた。
ただ、マリアの温情でレベルは7でなく、5でストップして貰えていた。
完敗して気絶した僕は、結局お姫様抱っこで自宅まで運ばれて、ソファーに寝転がされたのだった。
※宣伝
8/25に『異世界迷宮の最深部を目指そう』16巻発売です!
コミカライズ4巻も同時発売!
表紙はノスフィー! よろしくお願いします!
活動報告にて、イラスト感想や特典のご紹介などもしています。