00500.レベリング実験その2
「――ということで、レベリングをします」
そして、怒られる僕。
とはいえ、リビングルームの冷たい床に正座しているのは僕だけではない。
隣には、どんなときでも楽しそうなラスティアラが、反省している振りをしつつ内心わくわくしながら、一緒に話を聞いてくれている。
「お二人の自主性に任せた育成を考えていましたが……、アル・クインタスからのレポートでアウトと分かりました。このままでは非常に危険なので、とりあえず中級探索者くらいには引き上げます」
マリアは一人だけ椅子に座って、僕たちの前で話していた。その右手にはアルから貰った書類があり、パンパンっと叩かれている。
すぐに僕は自分のレベルを守るために戦う。
「でも、マリア。色々とアル君たちからノウハウを教えて貰ったんだ。だから、もう大丈夫――」
「もう大丈夫と思って、今回の探索でしたからね」
駄目らしい。アルから落第扱いだった僕とラスティアラの探索だったが、マリアにとっても同じ採点だったようだ。
学校で貰った悪いテスト結果がバレた子供二人かのような状況に、僕は隣の仲間と、こそこそ話し合う。
「ま、不味いぞ、ラスティアラ。このままだと強制的にレベルを上げられる……」
「みたいだね。この表情のマリアちゃんの決意は固いよ……」
「言い訳しても、全く通じる気がしないし……。僕よりも、おまえ相手のほうがマリアは甘い気がするから、なんとかしてくれ」
「こういうときは私も同じだよぉ。ど、どうしよう……」
二人で情けない声を出して、震える。
僕たちはレベリングを受けたくなかった。
この前の探索で確信したが、低レベルならではの楽しみは多い。
もちろん、安全や安心も大事だが、大切な楽しみを犠牲にすることは人生を犠牲にするのと同じだ。
しかし、目の前には、だらしない探索の有り様に怒るマリア。
彼女によるレベリングを避けるには、もう――
「や、戦るしかないのか……?」
僕は立ち上がり、戦意を漲らせていく。
そう簡単に屈しない僕を見て、マリアは意外そうに頷く。
「なるほど。いまのレベルでも強いところを見せることで、私を納得させてみせると?」
「あぁ……。僕たちがアル君の指導で変わったところを見せて、マリアを安心させてみせる。なあ、ラスティアラ。――ラスティアラ?」
頼りになる相棒に向かって、視線を向ける。
しかし、僕と同じく隣で正座していたはずのラスティアラは、もうそこにいなかった。
さらに視線の先にある窓に、彼女は足をかけて、いまにも脱出するところだった。
「勝てるわけない! ということで、カナミの犠牲は忘れないよ!」
「あ、あーっ! おまえっ! ここは協力して立ち向かうところだろっ!?」
「マリアちゃんは絶対無理だって……! 私はまだこのレベルで遊ぶことがあるんだ! レベルを上げられて堪るかぁ!」
「あいつっ、一人で逃げやがった!!」
どうやら、僕と違って、ラスティアラの中では敗北が確定していたらしい。
なので、あっさりと僕を見捨てて、一人で外に出てから全力疾走していく。
その小さくなっていく背中を見送るのは、家の中の僕とマリア。
「なあ、マリア……。あれ、いいの? 追いかけない?」
「安全を考えれば、一人ずつ順番がいいと思っていましたので、別に追いかける必要はありません。ラスティアラさんは後日、必ず捕まえます」
さほど気にしていない様子だった。
そして、僕だけがレベリングされる未来が固まっていく。
どうにか打開策はないかと、僕は周囲を見回す。
視線の先の庭にいる仲間を見つけて、助けを求める。
「ディア、助けてくれ!」
庭先には僕が教えた新しい剣の型を振り続けるディアがいた。
ただ、その彼女の反応は非常に落ち着いたものだった。
「んん……? ああ、詳しい話は聞かなくても、大体のことは分かるぞ。――マリアが正しい。カナミとラスティアラがおかしい」
「あ、あれ……!? なんか最近、ディアからの評価が冷たい気がする! 前は、あんなに尊敬してくれてたのに!」
「いまも凄く尊敬してるぞ。だから、こうして言うとおりに、新しい型を身体に馴染ませてる」
「それ、ローウェンが敬われているだけな気がする! 僕への信頼は!?」
「カナミが変に拘ると碌なことにならないってことは信頼してるな」
「くっ……、ディアの精神的成長が恨めしい! なんて冷静で的確な判断なんだ!」
「それよりも、カナミ。後ろに――」
「――――っ!?」
僕が後ろを振り向く前に、首筋に触れられたような感触があった。
そして、そこから流入してくる膨大な魔力。
すぐに視界は暗転した。
それがマリアの魔法の仕業だと気づいたときには、もう意識は完全に遠ざかってきている。
――真っ暗な闇の底に、僕は落ちていく。
その深海のような無意識に漂い続けること、何分だろうか。
徐々に身体が揺れ始める。
その振動によって、僕の意識は覚醒していき――
目を覚ますと、そこは慣れ親しんだ迷宮の回廊――の光景が、後ろへ流れていっていた。
「こ、ここは……」
呟くと同時に、状況を理解する。
僕は気絶している間、マリアに運ばれ続けていたのだ。
しかも現在進行形で、運搬方法はおんぶ。
いま僕は、マリアの背中に抱き付かされている。
僕の両腕は、彼女の両肩の上を通り――しかも、器用なことに長めの布タオルで結びつけて、その両手首は手錠をされているかのようだった。
マリアのほうの両腕は、こちらの両太ももを支えて、軽々といった様子で僕を運び、回廊を疾走している。
その『速さ』は熟練の探索者どころか、超人的だ。
見事な誘拐を実行中の彼女は、背中で目覚めた僕に気づいて、疾走を徒歩に戻しながら答える。
「――はい。ということで、やってきました。迷宮五層です」
階層が分かり、視界を動かすと、真下には『正道』が伸びていた。
おそらく、寄り道なしで真っ直ぐやってきたのだろう。
一体どれだけの人に、この有様を見られたのか……、考えたくないなあ……。
とりあえず現実逃避しつつ、僕は現状確認で恐る恐ると聞く。
「……ねえ、マリア。まだ僕は一層しか探索できていないし、レベル2だとちょっと五層は危険だと思うなぁ」
「そうですね。でも私なら大丈夫です」
「いや、僕が危険だって言いたいわけで――」
ここまで話して、既視感を覚える。
そういえば、この会話を、かつて僕とマリアは同じ五層でしていた。
いつぞやの意趣返しだと分かり、まず僕は布の手錠を強引に捻り外してから、マリアの背中から降りる。
すると、『正道』の上でマリアも足を止めて、神妙に説明してくれる。
「……私は心配なんですよ。迷宮だけの話ではありません。カナミさんたちには、未だ色々な危険が付き纏っていることを自覚してください。もし出会っていた熟練探索者がアル・クインタスのような善良な人間ではなく、もっと邪な人間だったなら……。他にもカナミさんたちを討って、名を上げようとする人もたくさんいることでしょう。単純に、恨みや仕返しを考える人も。それら全てを分かった上で、新たな出会いを求めて、隠居する気なしのお二人に……、私は容赦しません」
思うところが全て、語られた。
マリアが本当に心配していて――しかし、最初は僕たちのために譲歩していてくれたことも知れた。
けれど、アルから届けられたレポートで、限界を迎えてしまったのだろう。
いまの状況原因が自分にもあると分かり、そこからの僕は往生際が良かった。
マリアの説明を全て受け入れて、ここでレベルを上げることを受け入れる。
「……なら、仕方ないか。……うん、分かったよ。レベル上げをやろう。それなら、僕が前衛で、マリアは――」
「いえ、カナミさんは一切戦いませんよ? 何もさせません」
「え? でも、レベル上げするなら、僕も協力したほうがいいよね?」
「いま言ったでしょう? 恨みや仕返しを考える熟練探索者が、迷宮にはいるかもしれないと」
「……ん? ああ……。え、うん?」
「それが、私です」
先ほどまでのマリアの神妙な顔つきが消えていた。
いつの間にか、意地悪をしてくる同級生の女の子のような顔つきになって、手をわきわきと動かしてから、僕を脅してくる。楽しそうに。
「正直、いまの心配だというのは建て前ですね。今日は、以前の恨みや仕返しがメインですので、カナミさんは大人しくしていてくださいね」
さらりと伝えられるマリアの私怨。
…………。
もちろん、いまの話の全てが、嘘というわけではないだろう。
心配というのも建て前でなく、本当のところのはずだ。
ただ、ここに来る前の「ちょっとした嘘はついてもいい」を、お手本のようにマリアは実践して、楽しんでいるのだ。
つまり、これは心配と仕返しの混ざった楽しいお遊びの誘拐。
それは分かったが、それはそれとして――
「まだパーティーシステムは継続中ですからね。あの千年前のカナミさんが、自分を超贔屓したシステム。せっかくですから最大限に利用して、最高効率で狩っていきましょう」
「あのぉ……、最高効率だと、すぐレベル上がっちゃうんですけど……」
それはそれとして不味いし、問題だ。
マリアはかつての僕を真似ながら、淡々と合理的に探索を進めていく。
「ちなみに、有効距離もよく分かっていますので、ご心配なく。どこかの誰かさんが私で試してくれたおかげで、大体100メートルですね。さらには、経験値の分配がレベル差に関わらないことも分かっています」
「……ほんとごめんなさい! 僕がやったことだけど、恨みが深いなあ!」
生半可な説得では止まらないと分かり、僕の冷や汗は増していく。
けれど続くのは、以前と役割を逆にした無慈悲な再演。
「ええ、恨みは深いですよ。なので、カナミさんは、ここで静かに待っててくださいね。ちゃちゃっとたくさんモンスターを狩ってきますので」
「いや、いやいやいや、待って。ここに僕を一人で放置? 何の楽しみもなく、ただボーっと?」
「ああ……、そういえば、私のときはそれにプラスして恐怖もありましたねー。もちろん、今回は五層のモンスターが現れても大丈夫ですよ。この魔法を置いておけば、完璧ですから。――《ミドガルズ・ブレイズ》」
そして、マリアの足下から生み出されたのは、《ミドガルズ・ブレイズ》君……いや、ちゃんか。
体長は三メートルほどに抑えられている。しかし、見る者の足を震えさせる巨大炎蛇だ。呼吸するだけで殺人的な熱気を放つ《ミドガルズ・ブレイズ》は、近づく全てのモンスターを燃やし尽くすだろう。
その圧倒的な熱量の恐怖がプラスされて、僕は呻く。
「ぐっ……! 安全は安全だけど、これってつまり見張りだ!」
「ということで、行ってきます。このあたりが狩り終われば、またおんぶで移動ですよ。……もし逃げたければ、その《ミドガルズ・ブレイズ》を突破してください」
レベル2の僕にはできない打開策を残して、マリアは『正道』から離れていく。
彼女が迷宮の回廊の角を曲がり、その姿が見えなくなったところで、僕は足に力を入れる。
しかし、その足に力を入れるという僅かな変化も、《ミドガルズ・ブレイズ》は見逃さない。
その大きな炎の瞳を僕の足に向けて、その長い炎の下をチロチロと動かしながら、こちらに躙り寄ってくる。
術者は遠ざかっても、魔法の反応が良い。
前から知っていたことだが、明らかにマリアの炎蛇は自立して、それぞれが知能を持っている。
ただ、リーパーやティアラの魔法生命体とは少し違う。どちらかというと、ファフナーの怪異の具現化に近い。
基となったイメージは「マリアによく懐いたペット」あたりかと分析したところで、「ならば」と僕は軽く微笑みかけてみる。
すると、《ミドガルズ・ブレイズ》は少しだけ熱を抑えて、警戒を解いたように見えた。
マリアだけでなく、一応僕にも懐いているように見える。
つまり、僕という個人を認識した上で、見張りをマリアのためにしている――と、この魔法の目的も分析したところで、『正道』から少し離れたところにモンスターの姿が見えた。
遠目に、四足歩行の獣系モンスターがこちらに近づいてきているのを確認できる。
《ミドガルズ・ブレイズ》も確認できたのだろう。
そのモンスターの接近に合わせて、振り向き、補足し、突風のように回廊を這い動き出した。
一瞬だった。
《ミドガルズ・ブレイズ》がモンスターに接触したかと思えば、魔力の粒子や魔石さえ残すことなく、完全消滅させていた。
五層でありながら、九十層前後のボスキャラが突進したのだから当然の結果だ。
そして、また突風が吹くように、僕の近くまで戻ってくる。
お、恐ろしい……という僕の感想をよそに、《ミドガルズ・ブレイズ》はどこか自慢げな瞳を僕に向けていた。
忠犬がフリスビーを取ってきたかのように感じたので、「すごいね」と褒めておくと嬉しそうに頷いた気がした。
なるほど。
意思疎通はできる。
なので、続いて「それじゃあ、僕はこれで……」と、流れで去ろうとするが、すぐに《ミドガルズ・ブレイズ》は僕の行き先に、また風のような『速さ』で先回って、立ち塞がる。
次は自慢げな瞳から、どこか好戦的な瞳に変わっていた。
間違いなく、この《ミドガルズ・ブレイズ》は僕を特別視してくれている。
しかし、一度敵と認定されれば、容赦なく攻撃してくるだろう。マリアと同じ感性の可能性が高い。
その炎で攻撃されれば、動けなくなるどころか両脚が消し炭になっても驚かない。
マリアならば「あと少しでディアの本格的な義手義足を作るのだから、カナミさんの足がなくなっても大丈夫ですね」くらいのことは、異世界的価値観で軽く考える。
どれだけマリアが心優しくとも、やはり根は殺伐としているのだ。本気で警戒したほうがいい。
「…………っ」
息を呑み、僕は動けなくなる。
蛇に睨まれた蛙の状態だった。
そして、『表示』を見ると、勢いよく貯まっていく経験値。
もうマリアのレベリングは始まっていた。
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