3.「じゃあの。死神(笑)」
牢屋でローレンスと出会う前、まだ俺が寝ていた時のこと。
どこからか俺を呼ぶ、女性の声が聞こえる。
「起きなさい……起きなさい……起きろって言ってんでしょ」
ドゴッ
「いっっったっ!?」
頭頂部に強い衝撃を受けた。
「ようやく起きた。まったく。なかなか寝ないと思ったら次はなかなか起きないなんて、ワタシの事なめてるのかしら」
目を開ければそこは何もない、ただ真っ白なだけの空間。
そして聞き覚えのあるこの声は、
「邪神?」
「そうよ、なにか文句でもある?」
「いや、文句しかないんだけど」
「あら、そう。興味ないわ」
そこで初めて邪神の姿をしっかりと認識できた。
自分と同じ猫耳を生やした獣人の少女。
切れ長の瞳に、真珠のような淡い輝きを放つ美しい白髪、薄い和服を少し崩しながら着ている。………胸はそんなにねえな。14,5才ぐらいか?年相応の大きさだな。いや、以下か?
「あ?」
「いや何も」
だが、彼女の何よりも特筆すべきはその圧倒的存在感。その場のすべてを支配するようなそんな絶対的オーラがある。
可愛いと感じるはずの彼女の容姿を美しいと感じさせていた。
だがそこに、邪魔な羽虫がイヤな音を立てて近づいてきた。
「えらい、エエ悲鳴やったで自分。最高やったわ」
風龍のムカつく声が耳元で聞こえる。
ドラゴン型のぬいぐるみを単純に緑色で塗りつぶしただけのような見た目の風龍が俺の周りをクルクルと飛び回ってくる。
「文句なしの100点やったで、ホンマに」
「あぁ、そう。握りつぶしていい?」
「ええやんか、かわええやろ自分。ほんまキュートやで、その猫耳。うんうん、似合っとる、似合っとる」
ホントにこいつはどうしてこんなにムカつくのだろう。喋る以外は何もできなさそうなマスコットのくせに、ここまで人の神経を逆なでることが出来るってある意味凄い才能。今すぐ死ねばいいのに。
「こんなん生えてても意味ねぇだろ。戦闘で何の役に立つんだよ。そもそも、かわいいとか男には関係ねえだろ!」
「え?自分なにゆうとるん?」
「え?」
「はぁ?」
しばしの沈黙。
風龍は本当に何を言ってるんだと困惑した顔で見つめてくる。だが、しばらくしてその小さな手をポンッとうち鳴らして合点が言った顔で死の宣告をしてくれた。
「あ、あぁ。そういうことか。まだ自分の全身の姿を見とらんのね。そういうことね」
「?」
俺はいまだ理解不能の状態で立っている。
だが、いやな予感だけはひしひしと伝わってくる。とりあえず何が起きても良いよう厳戒態勢で身構えておこう。
そこに風龍は空間に突然、パッと大きな姿見を出現させた。
「ほい、鏡」
そうして全身写る鏡が俺の目の前に置かれる。
そこに写っているのは先ほども見た整った顔に可愛らしい猫耳。そしてボロきれをまとった小さい子供の体。
大人へと成長すればどんな男も振り返るだろう神秘さと儚さがもう既にそこにはあった。
そうあまりにも可愛すぎる。
サーッと血の気が引いていくのが分かった。この瞬間、とある最悪の事態が脳内をよぎったからだ。
そうして、おそるおそる手を確認すべき所に伸ばした。
[結論]
何もなかった。
「――――――――コヒュッ」
「…………ねえ、この子ちゃんと息してる?」
「そらしとるやろ………あれ?息しとる?」
死神。第二の生。享年5時間。
「――――ッて、そんなこと許すわけないやろ!」
「ごふぇっ………て、てめ……」
腹に強い衝撃を受けて何とか現世?に帰ってこれた。
「危なかったで、ほんま。もうちょっとでお嬢にマウストゥマウスしてもらわな、あかんかったところやで」
「誰がするか」
「なら、初チューはワシとのあついベーゼになるところやったで。って、反応がないやん。何しとるん」
何してるかって?この世のすべてを呪ってるところだよ。
「ねえ、何で何もないのかな……」
「安心せい。明日は明日の風が吹く」
「風が吹いたところで……」
「何も変わらん」
コロス。
「おい!何で何もねえんだよ!俺の威厳も尊厳もアレももう何もないんだけど。何でだよ?遠い昔に俺は全てを失ったとか思ってたけどそんなことなかったわ。今日ホントに自分のすべてを失くしたよ。ハハッ、何か笑えてきたよ、何でだろうなあ?」
「……わかったから……少し落ち着き、な?ええか。これは誰が悪いとかそんなんやない。誰も悪くない。事故でもないし仕方なかったことなんや。けしてノリとかウケ狙いでこうなったんちゃう。ほんまやで。せやからこの手離し………く、苦しい……首…………絞まっとる、絞まっとるから……」
「ハハハ、元の体に戻すまでこのまま首絞め続けてやる」
自暴自棄。もはや涙目で目の前のドラゴンの首を両手で絞めつけていた。
「あ、あかん。ギブギブッ。もうそろ限界や」
遠巻きに見ていた邪神がため息をつきながら話しかけてきた。
「もう茶番はすんだかしら。早くアナタを呼んだ理由を説明したいのだけど」
「何が茶番だ!こっちは死活問題だ!」
そうしてぐったりとしてる風龍を投げ捨てて、邪神に向かって拳を振り上げた。
だが、勢い良く殴りかかったもののその拳は空をきり、そのままドテッと地面に倒れこんでしまった。
「わかったでしょ。アナタは今のままじゃ戦えない。自分の間合いすら把握出来てないんだから」
「空飛んでる奴に間合い云々言われたくないんだけど!?」
実際、邪神が空中へと逃げなければ俺の拳は当たっていたと思う。
けど、もうそんなの関係なく何か色々と疲れてきた。もうだめだ。死のう。
倒れたまま地面に突っ伏して静かに落ち込み続けた。
「さすがにちとやり過ぎたか?」
「やっぱりわざとなんじゃない」
あれから数分ぐらいたった後、今は倒れ伏している俺の頭の上で赤ちゃんをあやす用のメリーゴーランド傘がクルクルと回っている。風龍のクソが。
邪神がつまらなそうに尋ねてくる。
「もうそろそろいい加減、機嫌は直ったかしら」
「一生お前らのこと恨んでやる。クソが……」
「そんなに泣いとったらせっかくのかわいい顔が台無しやで」
「泣いてねぇよ!あーもー誰のせいだと思ってんだ」
この体でじたばたするとホントにガキがワガママ言ってるようにしか見えない。俺悪くないのに!
「いいからもう勝手に説明するわよ。アナタを何でまた危険を侵してまで、ここに呼んだのか」
「せやった。からかうために呼んだんやなかった」
「おいコラ、クソドラゴン。ホントに丸焼きにして食っちまうぞ」
「もう、このゴミは無視してちょうだい。とりあえずアナタに新しく《スキル》をあげることにしたから。こっち来なさい」
「…………《スキル》?」
「そう、アナタに与えるのは《邪神の加護》。性能は全ての状態異常を私の意志で無効にできること」
「ん?おお、《反逆の魔眼》と似たような効果、いや、一緒か?」
「アナタがうるさかったから創ってあげたのよ。感謝しなさい」
《スキル》創ったって、さらっととんでもないこと言ってないか、この神。本当に神格持ちの神様だったんだな。
「でも、その《スキル》は神との戦闘の時使えんの?」
「当然でしょ。私オリジナルなんだから」
「ほお、それは普通に嬉しいな」
さも簡単に言ってるが全状態異常無効とか普通あり得ないし破格の性能すぎる。
だが、ここで害悪指定生物が余計なことをポロっと漏らしてくれた。
「それに、この《スキル》のお陰で常に死神ちゃんのこと監視できるしな」
「え?」
「何でもないわ」
「いや、今このクソドラゴンが何かいったけど……」
「無視しなさい」
「いや、えっと…………」
「無視しなさい」
「あ、はい」
全く腑に落ちなかったが、邪神が口を滑らしたであろう、その風龍を自身の手の中で無理矢理丸くしている。ドンドン丸くしていく。
わ~、凄い。風龍の体ってあんなに柔らかいんだ。と言うか、ミチミチと変な音がなってんな。でも、「次はお前がこうなるか」みたいな目で邪神がすごい睨んでくるから黙っとこう。うん、そうしよう。
「後は何であの場所に向かわせたか説明してなかったわね。まったく、何も知らずに生まれ直してるんじゃないわよ。勝手なやつね」
「いや、それは急にそっちが下に落としたからで…………」
「知らないわ、興味もない」
なんだか、この邪神の性格がわかってきた気がする。最悪の性格だ。自分の非を絶対に認めない。それでいて傲慢。
高飛車お嬢様だってもっと慎ましいだろうにこの邪神様は。慎ましいのは胸だけか。
「ああん?」
「いや、何も」
つい訝しんだ目で見てしまった。
「まぁ、いいわ。とりあえずアナタはまず戦い方を学びなさい。これまでの戦い方じゃない。武術を学んでくるの」
「ブジュツ………?」
「そう。アナタが知るべきは弱者の戦い方。非力な力でも強者を殺す方法。それが武術よ!」
「………ホントか?それ。何か武術ってものを凄い勘違いしてる気がしてならないんだが」
「そこら辺はいいのよ。とにかく神相手に今までよりも格段に戦えるようになるのは間違いないわ」
「それが……あのコロシアムに捕まった理由?あんなとこでホントにその武術とやらが学べんのか?」
「コロシアムは関係ないわ。アナタがするべきことはただ一つ。前聖騎士団長にして『鉄血』のローレンス・バーリウッド。彼に会い弟子になることよ!」
「誰だそりゃ」
ビシッと指をこちらに向けながら宣言してきた。やっぱりこの邪神様ドヤ顔してるわ。
たぶんシルエットしか見えなかった時も同じ表情してたな。そのドヤ顔よくお似合いで。
でも今は俺のこと凄い目で見下してきてる。
ごめんね、知らなくて。だってそういうの疎いんだもん。
うろんだ目で俺を見ながら邪神が事務作業の様に手短に話を切り上げようとした。
「あのコロシアムの地下に幽閉されてるわ。行き方は後で教えてあげるから」
だが、そこに俺は待ったをかけた。
「いや、ちょっと待って。聖騎士団長?何でそんな凄いのがあんなとこにいんだよ?いや、そもそも聖騎士って敵じゃん。神の僕でバチクソ敵対関係じゃん。それに弟子入り?頭沸いてんの?」
「彼は事情があって今は神を恨んでるわ。要するにコッチ側の人間よ。後、次にムカつくこと行ったらこのボールと同じ姿にするわよ」
見ると、邪神の手のひらには風龍だった何かが上手に乗っかっていた。
それはもう完璧な球体であった。
だが、それでも。
「いや、やだよ。俺が師匠以外の誰かに弟子入りするの」
「諦めや、これも神を殺すために必要な事や」
そう言って、パタパタと球体の体から器用に羽だけ出して浮いている風龍が話に加わってきた。どうなってんだそれ?
「うわ、まだ生きてんの?と言うか、どっから声だしてんの?お前」
「ハッハッハッ!この程度でくたばる五大龍王ではないわ」
「なんか………もう、威厳とか何もないな」
「マスコットになってからその辺のことは色々と諦めたし、もうええねん」
それでもこんな球状にされて気にしないのはどうなのだろうか。やっぱりアホなんだな。
「おい、哀れみの目を向けんなや」
「アホ二人でまた盛り上がってんじゃないわよ。いい?アナタのやるべきことはちゃんと理解した?他に質問はないわね。なら、とっととまた下に落とすわよ」
「いやいや、ちょっと待って!まだ聞きたいことがある」
もう用事は全部済んだと元の世界に返そうと準備する邪神に再び待ったをかけた。
「何よ」
ジロリと睨まれる。だがここで臆する訳にはいかない。勇気をもって尋ねた。
「何で獣人なの?」
「それはいずれ理解ることよ。まぁ、その時は私に感謝することでしょうけれど」
「何で猫耳?」
「偶然よ」
「女の子である必要性は?」
「そんなのないわよ。誰かの趣味でしょ」
もはや、言葉を失いうなだれるしかなかった。何でそこは理由がねえんだよ。
「やっぱりこんな世界間違っている。………そうだ、早く壊さなくては……」
「そんなアホみたいな理由で世界壊そうとしてんじゃないわよ。まったく」
「せやで、仮にも死神なんて恐れられてた男が抱えていい復讐理由やないで、プスッ」
その最後の風龍の言葉がトドメとなった。
バタリとその場に倒れ伏し絶望する。
「………死のう……」
「また、死のうとしとるよ。そんな悠長にここに長居しとったらホンマにぽっくり逝ってしまうで」
「………どういうこと?」
「ここに自分呼ぶためにな、いったん仮死状態になってもらってんねん。体の方は今もコロシアムの牢屋の中で寝とるで」
「はあっ!?」
「そういう事よ。早く『神の間』から帰りなさい」
「せやで、体の方は今………あ、白目むいて泡吹いとるわ」
「はあああああああああ!?」
「じゃ、時間がないならとっとといくわよ。ちゃんと言ったとおりにやるのよ。じゃあね」
「じゃあの。死神(笑)」
「ああっ?テメェ!!って、ホントにちょっと、だから、待…………ああああああああーーーーーー」
またしても突然、落とされた。
もうこいつらを信用するのはやめよう。
そうして俺は元の現世へと帰っていった。涙の軌跡を空中に作りながら。
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死神の叫びが徐々に聞こえなくなり、静かになった空間で一人と一匹は
「ホンマにこれでええんか」
「知らないわ。いいのよ、私たちには既に未来なんてないんだから」
このやり取りは何度目なのか。
風龍はまだ何か言いたげだったが掛ける言葉が分からないのか、それ以上はなにも言えずにただ押し黙った。
邪神もその反応を珍しくもないと無視をする。
「……なぁ、一つだけええか」
「何よ……」
「この体ホンマにもとに戻らんのやけどあの、ちょっと助けてくれへん」
「…………ほんとに知らないわよ。なにそれ、わざとやってたんじゃないの?お湯でもかければ元に戻らないかしら?」
「んな、アホな」
下に落とした死神の気も知らずにふざける邪神と風龍。
だが、まだ邪神は己の運命の流れが確かに変わったことを知ることはなかった。
邪神ちゃんの日常
「ホンマに元に戻ったわ」
「謎ね」