3.「にゃあっ!」
少女に手をひかれながら路地裏を走り抜けていた。
「いや、あの……ちょっと……」
「え?あ、いや、ごめんなさい」
俺がどうしようかと声を掛けたら、ようやく少女は足を止めこちらに振り返った。
少女も俺も肩で息をしており、二人してやみくもに走り回ったことがわかる。まるでそうするのが正しいと思ったように。
そしてもう一度、改めて目の前の少女を見上げて俺は確信した。
―――やっぱり魔王だ。昔あった時よりも随分と成長しているけど間違いない。どことなくだけどしっかりと面影が残ってる。
そして少女の方も俺をジッと見下ろしながら何事かを考えているようだった。
それでも俺は久方ぶりの再会が嬉しくて、つい「魔王」と声をかけようとした。
そしてそこではたと気づいた。
あ……俺……今、女の子じゃん、と。
ここでようやく前世の知り合いに会うのがどういう意味を持つのかようやく理解した。
俺……俺……ただの美少女になっちゃってるじゃん!!どうすんのこれ?え?もし……もし俺が生まれ変わって女の子になってるってばれたらどうなる?どうなるの?どうなっちゃうの?そんなん答えは一つに決まってんだろが!絶っっっ対にヤベー奴だって思われる!!思われる?ねぇ思われるよねぇ?いや、思われないかも…………いや、ダメだ!ネコミミが生えている!それはダメだーーー、ネコミミはダメだぁ!よくわからんが何かネコミミはアウトな気がする!それ以前に男としてのプライドが女の子になっちゃったとか認められねぇ。わかってくれ!断じて俺はこんな可愛い姿になりたかったわけじゃない。自分からそんなこと希望しちゃいない。邪神とかいうやつのせいなんだぁ。頼むう、信じてくれぇぇぇぇ!ヘルプミーーーーーー!!!
頭を抱えてグガガッと壊れていると少女もとい魔王は困惑する様子なくニコニコしながら尋ねてきた。
「ねぇ、キミ、名前はなんていうの?」
ひざを折って俺に目線を合わせながら優しく聞かれた。それに対して俺は、
「な……まえ……????」
まるで未知の概念にでも出会ってしまったかのような反応しかできなかった。
だってしかたないじゃん。ネコミミ生えた美少女になってから名前つけてもらってないんだもん。出会ってまともに会話した人間なんてクソジジィとエディックくらいだ。それも一日でクソジジイに捨てられたし。前世の名前?とっくのとうに忘れましたね、そんなの。まぁ覚えててもこの姿じゃ名乗れないんだけども。
そうして名前も名乗れずに口詰まっていると、魔王は嫌な顔せず自分の方から自己紹介を始めてくれた。
「私はリリーベル・ホワイト。ねえ、リリィって呼んで」
「え、えっと……リリィ?」
「うんっ」
名前を呼んだだけで物凄く嬉しそうにされてしまった。なんで?
「え、え~と、リ、リリィはなんで…………」
「ねぇ?キミは名前まだないの?」
「え?あ、うん。住所不定無職で生まれも名前もわからないただの怪しい猫耳娘です」
「……そっか。ねえ、それならさ、私があなたに名前をつけてあげてもいい?…………私のね、この名前もとっーーーても大切な人がさ、つけてくれたとっても大切な名前なの」
魔王は本当にうれしそうにはにかみながらそう教えてくれた。
そしてその笑顔を見つめながら俺自身も色々と思い出す。いや、ようやく思い出せていた。
リリーベルと名前をつけたのはたしか俺だった。まだ自分が死神なんて大層な呼ばれ方をする以前のことだったか。
魔王を魔王たらしめるとある呪いから助けようとした時、彼女と別れる最後に自分がリリーベルとその名を贈った。
なぜ今までそんな大切なことを全て忘れていたのだろう。
魔王にこうして再会するまで、その名前もその少女のことすらも全て忘れてしまっていた。
うつむいて黙っているとリリィが慌て始めてしまった。
「あ、いや、あの、無理にじゃなければの話よ。その、ちょっと調子に乗ったというか私自身もうれしすぎて少し舞い上がっていたというか、あの、ごめんなさい。何言ってるか分からないと思うけど、え~と、その~、あの~」
「いや、ううん。嫌ってわけでは。その、どうせだから俺に名前つけてよ。てきとうでいいからさ」
慌ててそういうと何に引っ掛かったのか魔王がわざとらしく訝しむように俺の顔を覗き込んできた。
「んー?俺~?」
「えっ?い、いや……わ、わたし?」
そう言い直すと、からかうような目に変わっていた。
うわぁ、マジか。これから一人称私にしないといけないのか。あ、なんかさっそく面倒くさくなってきた。
……でも、そうか。絶対に気をつけねえと。絶対に俺が死神本人だってばれるわけにはいかない。俺自身の尊厳にかかわる重要なことだしな。
……尊厳とかもうない気がするけどそんなの気にしたら負けだ。うん、負けだ。絶対に考えないようにしよう。
ドっと冷や汗を流してる間もこっちの気は知らずにリリィは嬉しそうにコロコロと笑っていた。
何がそんなに嬉しいのかわからん。
「フフフッ、そうねえ……どんな名前がいいかしら?可愛らしいの……可愛らしいの……」
「いや、別に可愛らしいのじゃなくても……」
「だめよー、せっかく可愛いいんだからお名前も可愛いのにしなくちゃ。え~と、シ……シー……シ……シェ……シェリー……シエル…………シエラ………………」
そうしてうう~んと頭を悩ませながらリリィは一生懸命考えてくれた。ただし何で最初がシで始まるのが確定なんだ?
すると突然、リリィはパンッと手をたたき満面の笑みで名前を告げた。
「シエリアなんてどうかしら?シエリア・ホワイト!良い名前だと思わない?」
「………えと、その名前どういう意味?」
「可愛いって意味のシェリーと世界3大美女の一人なんて言われている初代勇者のお嫁さんのシエルで、この二つの名前をこう上手くもじったみたいな名前よ。どう?音の響きはとってもいいと思うのだけれど?」
「まあ、いいんじゃない?なんでも……それよりもホワイトってファミリーネームはなんで?」
「え?それは死神さんが……あ、いや。何でもないわ。あれよ、名付けまでしたんだからそれはもう皆家族ってことよ。うちの家族の名前は皆ホワイトよ。そういうことで、よろしくね、シーちゃん」
「……う、うん、よろしく。早速略称呼びなんだな」
「ええー、いいでしょ?シーちゃん。フフッ、可愛くていい呼び方でしょ」
「もう何でもいいよ……」
ホワイトとは前世の俺がいた教会のホワイト孤児院の子供たち全員が名乗っていた姓だった。当然俺もそのホワイトの姓を名乗っていた……はずだ。
そしてそのファミリーネームは俺が魔王に名前をつける時、同じようにホワイトと名付けた。魔王と孤児院は関係がないけど、俺と彼女との間に何かしらの繋がりをちゃんと作ってやりたかった。
だから俺と同じホワイトの姓をあげた。彼女が一人ぼっちにならないように。
そしてそれが何十年か越しに俺に帰ってきた。
偶然?だといいですね。
「あの……えと……もしかして気づいてる……」
「え?なんのことかしら?」
冷や汗がとまらねえ。だって何かわざとらしすぎる。え?もしかして魔王さん気づいてる?これ俺が幼女に生まれ変わったって気づいてらっしゃる?
ボタボタと汗を流しながらギギギとリリィの目を見る。
相変わらずリリィはニコニコしていた。
「あの……何かに……気づいて」
「ううん、気づいてない」
「気づッ」
「何のことかわからないわ」
「……………きっ」
「づいてないわよ」
「…………そうですか……」
「ええ、そうよ」
俺とリリィは朗らかに笑っていた。
「ウフフフフフフ」
「ア……アハハハハ……ハハッ」
誰か俺を殺してくれ。
その後俺たちは路地裏を抜け、たくさんの人でにぎわう大通りを並んで歩いていた。
「なあ、本当に気づいてないんだろうな」
「さあ?何のことだかさっぱりだわ。それよりもシーちゃん、ちょっとにおうわよ」
「それはまあ、そうだろうな」
一応街に入る前に川で水浴びをしたんだが、それだけでは半年間の染みついた野生臭はとれなかったか。
「何というか……獣って感じのにおいが凄いするわ。今までどこで何をしていたの?」
「今まで野生に帰っていました」
「えっと、それは……そう、おつかれさま。なら今からお風呂に入りに行く?」
「…………うん、はいる…………」
涙が自然と溢れてきちまうぜ。そうか、これからは人としての最低限の営みができるのか。人じゃないけど。獣人だけど。
ハハハハと笑みも自然と出てくる。だが、そんな喜びを浮かべているのは俺だけではなかった。
「お風呂で洗いっこ…………その次は色んな服着せてお着換え………デートして何して夜は……ウフフフフフフフフ……」
―――。――――――?
魔王が不穏なことを呟きながら笑っている。
「あ、あのリリィさん?なんか笑顔が怖いんだけど……」
「さあ、いきましょう、シーちゃん。一緒に体綺麗にしましょうねえー」
「え?あの、リリィ?腕引っ張る力が強いんだけどもっ!」
コイツ今舌なめずりしやがった。
その間もリリィはうれしそうにズルズルと俺を引きずって歩いていく。いや、ほんとに力が強え!何がどうなってんだ。
「怖いんだけども!なんか怖いんだけども、リリィが!何か目が怖いよ!急にどうした、何があった!」
「いや~、ようやく実感がわいてきたというか、なんかもう女の子でもカワイイしもう何でもいいやって思えてきちゃったのよ」
「意味が分からない!急にどうしたんだお前はっ!何のスイッチが入ったんだよ。あの、ちょっ、あのっ!ニャアアアアアアアア!!!」
ズルズルと引きずられていった。
あたいすっかりキレイになっちまったぜ。
「んも~、まだブーたれてるの~?いいかげん機嫌なおしてってば。お風呂上りにアイスでもなんでも買ってあげるから」
「…………アイス!」
「あ、ようやくこっち向いた」
甘い誘惑に顔を上げてしまい慌てて目をそらした。
今、湯船につかっている俺の前には一糸まとわぬ姿のリリィがいた。風呂場なのだから当然なのだが、それはそれ、これはこれと言った感情だ。
リリィの長くて白い髪が肌にぴっとりとはりついていて艶めかしい。
クソッ!魔王と初めて会ったときは今の俺ぐらいのチンチクリンだったのに………そうか、あれから13年ぐらいたってるのか。それでも魔人は人間よりも長寿でそんな急激に成長するなんて聞いたことねぇぞ。
チラッと見たらニコッと目が合って返された。
―――成長早すぎ……
今のリリィの外見は16,7才ぐらいで十分大人として見ることが出来た。体つきもこの浴場にいる誰よりもスタイルが良く、ダメだと分かっていてもそのキレイな肌色が目に入ると顔が赤くなる。
とてもそっちの方を向いて人心地はつけそうになかった。
それが分かってなのかリリィがぐりぐりとほっぺを人差し指でつついてくる。
「どうしたの~?そんな恥ずかしがって。別にこっち見てもいいのよ~。女の子同士なんだから」
リリィはニマニマしながらさっきからこの調子でずっとからかってくる。
「……クソッ、なんで女湯のほうなんだよ」
「そりゃシーちゃんは女の子なんだから女湯の方に決まってるじゃない。それとも~?女湯じゃ何か困るようなことがあるのかな?かなかな?」
「うっさい………」
「尻尾を……ていっ!」
「にゃあっ!」
されるがままにもういじられ続けた。
ぶくぶくと顔を湯船につけながらそっぽを向くぐらいしか最後の抵抗手段として残されていない。
そうしたら急にむにっと後ろからリリィが自分の体を押し付けてきた。そうして耳元でコショコショと囁きかけてくる。
「ねっ、お風呂からあがったら次は何しよっか?」
――――――っ!!!
脳みそを溶かしてしまいそうなほどの艶のある色っぽい声。普段の俺なら脳がオーバーヒートでもなんでもしてパニックとかにでもなっていただろう。
だが、今はそれどころではなかった。
背中に押し付けられた胸が柔らかい。
はい、それだけでもう先程から脳みそは使い物にならなくっていました。え?だってしょうがないじゃん。柔らかいんだもの。
「ん?あれ?シーちゃん!ちょ、ちょっと顔真っ赤!ちょ、大丈夫?シーちゃん!」
「………人生最高……」
「シーちゃああああああん!!!」
のぼせてしまいました。色々なものに。はい、反省します。
風龍の観察日記
「こっからが本番やな」
「……なんの?」




