EX.1 アリア・ミシェーラ・ハートの話 [前編]
今日この日、聖都マルケールは混乱の中心、動乱と絶望の中にあった。
死神が攻めてきた。たったそれだけのこと。
だが、そのことだけを世界は恐れていた。
『戦場の死神』がたった一人、聖都を守る数千の軍勢相手に攻めてきた。
字面にすればどうということはない文面に感じられるも現実はひどく違った。
愛するものを守るために、神につかえる者の使命として、それぞれがそれぞれの大義や義務、使命感として死神にはむかった。戦場の常識をかなぐり捨て勇敢に立ち向かった。戦士も騎士も兵士も魔術師も。
たった一人、最後の一人になるまで‥‥‥
聖都の中心である大聖堂府の上階で彼女と死神は向かい合う。
両者ともに動かず静かに見つめ合う。彼女にとって死神と剣を交えるのはこれで五度目のことだった。
聖騎士である彼女は史上唯一、死神と対峙して四度生き残った。
世界は朗報として彼女を称賛したが、対峙した本人にとっては到底納得できるものではなかった。
彼女自身しか感じなかった。戦った本人しか分からない。だがそれでも自分と戦う死神はどこか手を抜いていたようにしか思えなかった。
なぜ死神が彼女だけに手を抜いて戦い、毎度見逃すのか。そもそも死神自身に感情や意思といったものがあるのか、それは誰にもわからない。
ただ一つ言えることは今彼女の前に立っている死神は、城壁の前で決死の思いで戦った兵士を全員殺した。いや、それ以前から世界各地の戦場で何千何万の命を無感動に、ただ一度の慈悲もなく殺し続けた、世界の敵であるという事実のみ。
「ここより先に行かせるわけにはいかない。それ以前に、いまここで貴様を殺して全てを終わらせよう」
彼女が大聖堂の真の最終防衛ラインを任された理由なんて大した理由はない。
先程のたった四度生き残ったからという理由しかない。一号の剣戟ですら勝ったこともない、敗北の結果しか残せていない。
だが、それでもなお彼女は誇り高く己が聖剣を抜き放ち、死神を見すえ駆け出していった。
――――――そうして、目覚めたときには全てが終わっていた。
朝焼けが小さく差し込む簡素な部屋で一人の少女がベットの上で瞼を開いた。
「あのまま寝てしまったか……」
そう思いながらアリアは目を覚ました。
あの日から一週間が経過した。
絶望が絶望で塗り固めてられていく非業の日。しかし、希望でもある祝祭の日。
自分の運命を大きく変えたその日をどうしても呪わずにはいられなかった。
「………まだこの世界に希望はない」
誰に聞こえるでもない独り言がポツリともれる。悲しみや悲壮ではない感情が言葉の周りを渦巻いていく。彼女にとってこの事実は決意でしかない。
そうしてアリア・ミシェーラ・ハートはベッドから降り立った。
窓から見える朝焼けに沈んだ聖都を眺める。
もはやクセとなったその行動にアリアは小さくため息をついた。
窓に映った自分を見つめて目を細める。その目には年相応の可愛らしさはなく、ただただ戦士としての決意が見受けられる。
ただ今日という、アリアにとっても特別な日である今朝は新たなる決意が宿っていた。
その決意がどんなものなのかそれは彼女しか知りえない。
ただ自分を見据え、守るべき民を見据え、未来を見据える。
アリアの目はより一層険しくなっていた。
アリア・ミシェーラ・ハートはとある貴族の次女としてこの世に生を受けた。
シルクのような美しい金髪に透き通った深いブルーの瞳。
可愛らしく美しいことで有名だった姉にそっくりで、両親や家臣などは明るい将来を確信して全員が大手を振って喜んだ。そうして皆に祝福されて生まれてきたアリアは、順調に皆に愛され真っ直ぐに育っていった。
ただ、清く正しく真っ直ぐに育っていった彼女にはどうしても不正が許せなかった。
一方が苦しみ、一方が下卑た笑みを浮かべる。その現状がひどく許せなかった。
そんな彼女が力を求める様になるのにはそう長い時間はかからなかった。
そうして、アリアは一人の騎士に剣を指南してもらうこととなった。家族の誰もが心配したし、やめさせるべきなのではと反対する者もいた。
この世界では特に女性の剣士や騎士が珍しいわけでもなく、貴族の中にも教養の一つとして女の子であろうと剣を教えたりする家もある。ただそれでも、ハート家の面々はアリアが剣を学ぶことに難しい顔をし続けた。
だがここでアリア自身も予想だにしない驚くことが発覚する。
アリアにはたぐいまれなる剣士としての才能があった。
その才覚は他を圧倒し、師範を次々と超えていく。もはや彼女の才能についてこれるものは誰一人としていなかった。
金髪碧眼の美しい容姿に、高潔な精神。高い教養と知識、そして常に努力し続ける誉れ高き性格。ここに圧倒的な剣の才能が加わり、ついに彼女は周りから神に祝福された少女と呼ばれるようになる。
そんな彼女が聖騎士見習いとして聖都に招集されたのは10歳のころであった。実にこのことは史上最年少記録であり世界に明るいニュースとして小さな希望となった。
それもこの頃の世界は最悪の時代として人々は絶望の中に沈んでいた。
『戦場の死神』。全てに死を等しく与える死神に世界は絶望していた。彼の化け物をすでに討ち取ることは皆諦め膝をついていた。そして戦場にいる者はことさらに恐怖し、安寧を今まで以上に求めむせび泣いていた。
この現状に、この時のアリアは歯ぎしりすることしかできなかった。どれだけ手の中で爪を立てようと現実が変わることは無い。ただ無心に剣を振り続けた。
そうして彼女が聖剣に無事選ばれ聖騎士になれたのは4年がすでに経過した14歳のころであった。
だがここで、ついに死神に撃って出れると意気込む彼女に無情な命令がくだされた。
『死神とは戦うな。聖騎士は戦場に死神が現れた瞬間、如何なる状況でもってしても自身の命を第一優先とし、他全てを捨て、一般兵が突撃を敢行している隙になんとしても逃げ延びよ』
死神は戦場にしか現れない。どこの国にも軍にも属さない謎の存在。ただただ戦場を渡り歩き死を振りまく亡霊。故に『戦場の死神』。
大なり小なり戦場の規模に関わらず必ず現れるが戦場以外では決してその姿を現さない。この法則に一切の例外も存在はしないが、そのことがますます死神を超常の存在であると思わせる一因となっていた。
そして、この考えのせいでその超常の存在と思われる死神に戦いを挑むものは、そう時間をおかずにすぐにいなくなった。
一部の例外をのぞいてこの頃の戦争では「死神を見た瞬間すぐに逃げろ」この言葉が戦場に立つ兵士達の常識となっていた。
事実そのほうが敵味方関係なく兵の損耗が一番少なく、戦争をやっていくうえでも重要なことへとなっていた。
例外として『鉄血』ローレンス・バーリウッドなどの腕に自信がある者たちは単身、死神に向かって戦いを挑んだが、そのことごとくは殺されるか手酷い仕打ちを食らうかのどちらかでしかなかった。
だが、死神討伐大戦と呼ばれる大敗の歴史を期に戦いを挑むものはいなくなった。この出来事を期に上記のような命令が正式に聖騎士たちへとくだされた。
『死神』に膝を屈した世界はもはや神頼みしかとれる手段はなく、情けばかりの戦力温存の名目のもと、いつか死神を打ち取れるものが誕生することを夢見て逃げのびることを選択した。
この命令に異を唱えるものはいなく、誰もが意気消沈の中ただてきとうに頷くだけであった。
たった一人、アリアをのぞいて‥‥‥
四度、たったの四度でしかなくともアリアは命令を無視して死神に立ち向かった。
死神と戦う回数が増えていくごとに戦闘時間も長くなっていく。確実に着実にアリアは強くなっていっていた。
この事を世界は称え、万雷の喝采をあびせ、神と彼女に救いを求めて祈り、その思いは奇跡として成就したと誰も疑わずに信じた。
死神が聖都を襲撃した絶望のあの日、一件の発表が枢機卿から発せられた。
「絶望の日々は終わった。世界を包んでいた闇は希望の光によって見事晴れた。死神が死んだ。『戦場の死神』は聖騎士アリア・ミシェーラ・ハートによって見事討ち滅ぼされた」
誰もが最初は意味が分からずただ黙ってたたずんでいるしかなかった。だが次第に歓声は大地を揺らすほどに大きくなっていったという。
世界はこの日救われた。絶望の日として歴史に名を刻むはずであった混沌を、17歳の一人の少女が全てを塗り替えた。世界は喜びに満ち溢れ感謝した。
亡くなった者の死に泣きながら、喜びを叫んだ。
たった二人の真実を知るものを除いて。
アリアが大聖堂で目覚めたとき、そこには枢機卿のみが立っていた。
「お、目が覚めたかい」
「!?」
聖騎士であるアリアでさえも枢機卿のその老人と面会したことは一度もない。
元老院の最高位責任者も同時に務めるその男は多忙ということで滅多に人前にその姿を現さない。
アリアも目の前に立つその老人が枢機卿のみが許された紅い法衣、そして大聖堂奥の枢機卿自身の肖像画とどこか近い雰囲気を感じ取れたので何とか彼の者だと当たりをつけられた。
だが、己の前に立つ老人はどうだ。年老いたなどと言う次元ではないほどにしわがれており、生きているのが不思議なほどのやせ細って体格である。
しかし、その目だけは未だ野望や野心を感じるほどに力強く、この世界で唯一未だ諦めていない者の輝きがあった。
そんな枢機卿に初めて会ったアリアは何がおきたのかわからず、一応の礼儀として起き上がろうと、傷ついてボロボロになっている体に何とか力を入れた。
「はっはっはっ、別にええよ、そのままで。なに、そのまま聞いてくれてかまわない。とりあえず何から話そうかな」
「そ、そんな失礼なことは、ツッウ……」
「ほれほれ、そんな無理はしなさんな。あんな化け物と戦った後なんだから仕方ない。それよりも、その化け物からここを守ってくれてありがとうね。本当はこんな簡単な言葉では済ましてはならないほどの勇気があって、もっと君を称えなくちゃいけないはずなんだけど…………いや、すまない。こう言うのは昔から苦手なんだ。何百年たとうとね。ハハッ、恥ずかしいかぎりだ」
「は、はぁ……」
目の前の枢機卿がどうにもこの死神が攻めてきた状況に似つかわしくない、その軽すぎる態度にアリアは困惑することしかできなかった。
だが、次の瞬間には無理矢理にでも目が覚めさせられる発言がその枢機卿からされた。
「ああ、そうそう。その肝心の死神なんだがな、ついさっき死んだよ」
「はぁっ………?」
自分の立っている足元が急に不安になるようなことを当たり前のように言われた。頭が言葉をそのままの意味で理解しようとしない。
だがなおも言葉は紡がれていく。
「やはり死神といえど主相手には何もできずに、そのまま殺されるしかなかった。フフッ、死神なんぞ大それた名をつけられようと、所詮は今までの奴らと何ら変わらん最後を迎えおった。ロイド君とかも頑張ってはいるけれど、たぶん彼もダメだろうね。時間がかかりすぎている」
「…………な、何を言って……」
「死神のことか?なに、今すぐに実感できなくともいずれ分かるようになる。もうどれだけ戦争が起きようが、あれがひょっこりとその姿を現すことはないだろうからね。なに、今までの戦争に元通りに戻っただけ、難しく考えなさんな」
「あ、貴方は……先程から何をおっしゃって……」
「ここからが真面目な話なんだが、『死神』を討ち取ったのは主ではなくて、君がここで殺したということにしてくれないか」
絶句しかなかった。
先程から目の前のこの老人が何を言っているのかアリアには理解することができなかった。
だが、枢機卿は一人で話を進めていき、ことここにいたっては『戦場の死神』を殺した者として世界に公表すると言い出した。
「待って!待って下さい!そんなこと到底信じられることではありません。それに……いえ、やっぱり信じられません。仮に本当に死神が死んだとしても、私にはそんな嘘をつけません」
「悪いがこれは命令だ」
突如、低く冷徹な声が枢機卿から発せられた。それが老人から発せられたものとは思えずアリアはビクッとしてしまった。
そうして有無を言わせず、今後の確認だけを淡々と一方的にしていく。
「私はこの後、世間にこの事を発表させてもらう。死神は君に倒されたと。死体や証拠となるものが無くとも私の方からそういった輩は黙らせておこう。なに、権力だけはこの世で最もある。君が心配するようなことはない。それとずっと空白のままだった聖騎士団団長の座にでも就いてもらおうか。今回の功績があれば反対するものは誰もいないはずさ。皆喜んで賛辞を述べるよ。これから何かと忙しくなるかもしれないがよろしく頼んだよ。大英雄君」
最後まで異を唱えられず、捲し立てられてアリアは呆然とするしかなかった。
だけど、彼女の中でこの事だけはどうしても聞いておかねばならぬことがあった。
意を決して目の前の不思議な老人に尋ねる。
「どうして…………どうして私なのでしょうか。もっと他に相応しいものや扱いやすい者も他にいるでしょう。もし……もし私でなければいけない理由が、自惚れなどではなくあるとするならば……それだけは、それだけは教えていただきたい」
精一杯の精一杯の彼女の胸のうちの疑問であった。
もしも理由が「死神と何度か戦ったことがある」というものでしかないのならば、それは到底彼女には受け入れられる理由ではなかった。
この称えられている評価は彼女にとっては敗北の記録でしかない。
だが、現実は最も彼女が聞きたくなかった言葉を残酷に彼女にあびせた。
「君が世界の真実に気付いている者だからだ」
たったこれだけの言葉でアリアは絶望に沈んだ。
今まで誰にも打ち明けたことのない自分の考え。何度も間違っていると否定し続けてきた一つの答え。それがここに言外に肯定されてしまった。その相手が神に遣える自分よりも、さらに上の偉き身分の方なのだから、もうこれ以上の答えはない。
何も喋れずにうなだれていると、枢機卿は何事もなかったかのように別れを告げ、その場を立ち去った。
「では、私はもう行くとしよう。君には本当に悪いがこれが神のご意志だ。逆らうようなことは決してしないでくれ。頼むよ。それと、私はこの後自分の仕事をしたらまた眠りにつく。くれぐれも今日ここで私と会ったこと、私と話したことは誰にも言わないでおくれ。君にはまだまだ世界を救い続けてもらわねばならないのだから。それでは体にだけは気をつけて、さようならだ」
そうして一人取り残されたアリアはその後、色々な人に取り囲まれ、様々な事を言われた気がしたが全て心ここに有らず、といった感じで何も覚えていなかった。
一週間たった今でも少し状況を整理できる程度でしかない。
あれから激務に追われる日々しかなく彼女はすでに疲労困憊であった。
昨夜も余りにも疲れすぎて、アリアは着替えることもできずにそのままベットに倒れ込むように寝入ってしまっていたのだった。




