理系くんの誤算と旅の終わり(宮城県一万円旅編その4)
牛タンの美味しさは、ちょっと言葉にできないくらいだった。
「理系くん。牛タンって東京の焼肉屋さんで食べても普通に美味しいよね……?」
「うん。だから“美味しい牛タン”って正直想像できなかったけど……」
美味しい、なんて言葉で終わらせたくない。
牛タン利久の2枚4切、2035円。
正直高いなと思ってた。
でも、今目の前にあるお肉はなんだ。
厚く切られた牛タンが、心地よい弾力で噛み切れて。
甘い牛脂と肉汁が、口の中で踊り狂う。
舌が、美味しさの悦びに震えてる。
「美味しすぎない……?」
「脂っこいのを、テールスープが洗い流してくれて。あと味噌漬けの唐辛子が牛タンに合いすぎてる」
「報酬系快楽物質が脳内で暴れてる気がする」
理系くんが一口食べるたびにため息をついている。
分かる。
これは美味しすぎる。
ちょっぴりお肉が少ないかなと思ったけど、ちゃんと満足感があって驚いた。
ここから怒涛の観光が続く。
瑞巌寺。
寺そのものが国宝。
門をくぐる前から、圧倒的な景観。
春なら花々が美しく。
夏は新緑が目に鮮やかで。
秋なら紅葉が明媚に燃えて。
冬は侘びをたたえて壮麗に。
四季を通して美しいだろうなっていうのが分かるくらい、庭園も建物も全部が美しかった。
「――瑞巌寺が綺麗すぎたから期待してなかったよ松島」
「いや、これは……」
私の独白に、理系くんも言葉を失っていた。
白い絶壁の島の上に、松が黒黒と茂ってる。
そんな島が、いくつも不規則に浮かんでる。
ひとつひとつが盆栽のような美しい風情をたたえていて。
「すごく雰囲気があるね……」
「うん。これを風流って言うのかな」
仙台城で、人の力に圧倒されて。
牛タンで、美味しさの暴力に翻弄されて。
瑞巌寺で、歴史の重みに思いを馳せて。
松島で、自然の奇跡に感動する。
そして。
「来てよかったね文系ちゃん」
「うん。理系くんと一緒で良かった」
大事な人と、この景色を共有できてる。
きっかけをくれた店長夫妻にも、ひょうたん揚げを教えてくれた妹ちゃんにも、そして、計画を立ててくれた理系くんにも、感謝してもしきれない。
「文系ちゃん。松島でもう一個楽しみがあってね」
「え、まだあるの!?」
仙台から松島海岸駅往復の交通費840円と、牛タンの2035円、瑞巌寺の拝観料700円。
もう財布の中には2020円しかない。
「うん、ギリギリだけど焼き牡蠣食べよう」
「焼き牡蠣!」
理系くんの案内で行ったお店で焼き牡蠣が250円。
「美味しい!!」
「さすがに美味しいね牡蠣」
もう空が、すっかり暗くなってきた。
私たちはゆっくり歩いて駅に向かい、電車に乗る。
真っ暗で海は見えなかったけど、景観はとても綺麗で。
だんだんと増える建物に、夢見心地だった心が、現実に引き戻される気持ちになっていた。
実はね。
このとき気付いてたんだ。
理系くんが財布を気にしてたの。
仙台に帰って、お土産屋さんに入る。
これだけは二人で決めてた。
店長夫妻へのお土産は、二人でお金を出し合って、笹かまぼこの詰め合わせ。
「あった、これだ」
「おいしかった阿部蒲鉾店の笹かま詰め合わせ2660円!」
ひとり1330円。
これでひとりの残金は440円。
「さっき見たずんだシェイクが420円だから……20円余り。ほぼぴったりでいけたね」
理系くんの言葉に、少しの違和感を覚える。
ほぼぴったり?
じゃあなんで少し寂しそうな顔をしてるの。
何か見落としがあるはず。
私は、必死に今日一日を思い出す。
高速バスと、仙台城とずんだのお団子、そして――ひょうたん揚げ。
「あ、そうか」
「ん、文系ちゃんどうしたの?」
「――妹ちゃんのお土産、計算に入れてなかったでしょ」
「…………うん」
ひょうたん揚げの話題が出た時に、私が喜ぶと思って入れてくれたんだよね。
もともと家族のおみやげを買う余裕はなかったから、計算に入れてなかったはず。
でもひょうたん揚げが美味しかったから。教えてくれた妹ちゃんに、何か返したくなったんだよね。
「妹にお土産を買いたくなると思ってなかった」
「もともと家族へのお土産はあきらめる予定だったもんね」
「気持ちを計算に入れてなかった。僕らしい誤算だ」
「でも、せっかくだから買いたいよね」
理系くんはなにかを悩む表情をしたあとに、ゆっくりと首を左右に振った。
「僕の計算ミスだから、僕がずんだシェイクを諦めるよ」
「……理系くんの計算ミスなんて珍しいね」
「完全に数字しか見てなかった」
「――ねえ理系くん。おねえさんから提案があるんだけど」
計算の苦手な私でも、理系くんに鍛えてもらったおかげで440円の使い道くらいは考えられるようになったよ。
「……提案?」
「せっかくの一万円旅、予算オーバーしたくないんだよね?」
「うん。だから僕がシェイクを諦める」
「二人でシェイクを飲めて、お土産も買えるとしたら?」
「……え、無理じゃない?」
計算の得意な理系くんだから、むしろ見えないってことがあるんだろう。
私は、なんでもないことのように言う。
「ひとつのずんだシェイクを、一緒に飲めばいいじゃない」
「……あ」
「さっきの笹かまぼこ、単品もあったからそれ妹ちゃんへのお土産として、一緒に買わない?」
単品の笹かまぼこが一個230円だった。
「え、それって」
「ふふ、理系くんに計算で勝ったね」
本当は、勝ったなんてことない。
高速バスから食べ歩き、交通費まで緻密に計算してくれた理系くんがいたからこそ。
それに、即座に単品の笹かまの値段を思い出して、残金から計算した理系くんはさすがだ。
今のひとりの残金は440円。
「お土産に笹かまぼこ単品1個じゃ寂しいから、一人ひとつずつ買って、残りが210円。二人合わせて420円」
「そして、ずんだシェイクが420円」
ずんだシェイクを二人でひとつ。
ぴったり残りが0円になる。
「……計算で文系ちゃんに負けるとは」
「あはは。一緒に飲もうよずんだシェイク」
「……うん、ありがと」
私たちは、店長夫妻へのお土産と、笹かまぼこ単品を二つ買って店を出た。
そして、420円を握りしめ、ずんだシェイクのお店へ。
――あのね。
完全に忘れてた。
ずんだシェイクひとつには、あたりまえにストローがひとつしかささってないってこと。
私が何も考えずに口をつけたあと、顔を真っ赤にして飲むのを拒否する理系くんにずんだシェイクを飲ませるの、本当に苦労した。
旅の最後に飲んだずんだシェイクは、ずんだのコクと牛乳のまろやかさが合わさって、幸せな甘さを演出してた。
私はこの美味しさをきっと忘れないだろう。
帰りのバスは二人ともぐっすりだったけど。
行きとは違って。
理系くんの腕を抱きしめて、暖かさと幸せを感じながら。
バスの揺れすらゆりかごのように、私を心地よい夢にいざなってくれるのだった。




