動物公園
私は、その景色に圧倒された。
駅を降りると、大きな象が迎えてくれる。
そこからは、緩やかな上り坂。
モノレールの車窓から見える自然が、みるみる増えて。
まさに、山のなかに切り開かれた動物園。
私たちは、多摩動物公園に来た。
※※※※※※※※※※※※
「理系くん! 動物園に行こう!!」
小説『炎の魔女』を読んでいると、いろいろな動物が出てくる。
炎の魔女の唯一の友達である白い魔女。
彼女の使い魔は“ピグミーマーモセット”。
敵である黄色の魔女は“ベンガルトラ”の赤ちゃん。
最近出たばかりの緑の魔女は“パンサーカメレオン”。
多分作者さんが動物好きで、いろんな動物が出てくる。
だから、実際に観てみたくなった。
「いいね。ただ、上野はいまパンダの返還が重なってて、混んでるかも」
理系くんの言葉に、今朝のニュースを思い出す。
「あ、そうだったね。混んでるかなあ」
「横浜のズーラシアと東武動物公園と……あとは……」
「私ね、行ってみたいとこあるんだ」
「どこ?」
スマホで近県の動物園を調べてくれてた理系くんは、私の言葉に顔を上げる。
「多摩動物園!!」
「……どこ?」
あんまり聞き馴染みがなかったらしい理系くんは、首を傾げて私の言葉を待つ。
「ライオンバスが有名でね。ちょっと遠いけどいい?」
「ライオンバス……? ライオンのラッピングバスが走ってるとか?」
あ、確かにそうなるか。
私はいたずら心を発揮して、理系くんの手元にあったスマホを机に伏せさせる。
「ふふ。今回は私が企画するから理系くんは絶対に調べないで来て」
「……え、うん。いいけど……」
戸惑う理系くんに、「じゃあ来週ね!」とだけ告げて私は会話を切り上げた。
※※※※※※※※※※※※※
東京の新宿駅から私鉄を乗り継いで一時間とちょっと。
乗り継いだ先のモノレールで進んでいくと、だんだんと山の景色になってゆく。
ちょっと遠回りの乗り換えなんだけど、どうしてもモノレールに乗りたかった。
正解だったなと、心のなかで微笑む。
これはテンションが上がる。
「うわ、よくこんなところに動物園作ったね」
理系くんの言葉に、私も頷く。
「坂が多いし広いから歩くの大変かもだけど、園内バスもあるから適当に歩こう」
「あ、それが有名っていうライオンバス?」
「ふふふ。楽しみにしてて」
理系くん主催のデートだと、彼がきっちりと予定を決めてくれる。
多分それが彼にとって心地良いんだろうし、私もお任せしてて安心感がある。
でもたまには、心を空っぽにして楽しんでほしかった。
そわそわする理系くんをなだめつつ、私だけが園内マップを持って歩き出す。
まず見たかったのは――昆虫館だ。
「ねえ文系ちゃん。僕さ、正直虫って苦手なんだけど……」
「大丈夫、私も苦手!」
私の笑顔に戸惑う理系くん。
「動物園なのに、初手で昆虫館……?」
躊躇する理系くんの手を引いて、昆虫館の扉をくぐった。
綺麗な建物の屋内に、土と緑の香りと、暖かい空気が充満している。
外の冬の景色が、急に春に変わったようだった。
「う、わあ……綺麗だ……」
瞬間。
理系くんが、感嘆の声をあげる。
目に鮮やかなたくさんの緑の間を、色とりどりの蝶が舞っていた。
「私もね、昆虫って苦手なんだけど、ここの蝶だけは見せたかったんだ」
昆虫のために、館内はとても暖かい。
植物園もかくや、というくらいに整備された綺麗な館内に、自由にたくさんの蝶が放し飼いになっている。
「すごいね。蝶って綺麗だ……」
よし。
理系くんが驚いてくれた。
本当はゆっくりしたかったけど、多摩動物公園の園内は広い。
私は彼の腕を引っ張って、次へと移動する。
昆虫園から出て歩くとすぐにアフリカ園が見えてくる。
スマートでかっこいいチーター。
ちょっと前にアニメで有名になったサーバル。
ピンクが綺麗なフラミンゴ。
巨大で迫力のあるアフリカゾウ。
「ゾウちょっと臭かったね」
「生き物の匂いだね」
私の言葉に理系くんが笑いながら、園内を進む。
「――見えてきました!ライオンバス!!」
「ライオンバス……のりば?」
ライオンバスの乗り場には待機列ができていた。
大人ひとり500円の券を買って列に並ぶ。
まるで動物の檻の中に入るような待機列を進むと、私たちがバスに乗り込む番が来た。
「――ねえ、文系ちゃん? バスの外に肉が取り付けられてたけどまさか……?」
「ふふふ。楽しみにしてて」
ライオンバスは走り出す。
歩くくらいのスピードでゆっくりと。
すぐに、道の側で寝ているライオンが目に入る。
その瞬間。
私たちの目の前にぶら下げられた肉に、ライオンが飛びかかる。
「ねえ、文系ちゃん!! ライオンが肉を食べてる!!」
格子があるとはいえ、窓一枚隔てた数十センチの目の前に、大人のライオンがいる。
鋭い牙とツメ。
私たちより圧倒的に巨大で、力強いしなやかな身体。
自分たち人間など、絶対に勝てないと思わされる威容。
ライオンがバスの窓に飛びつくたびに、身体が少しこわばる。
「ライオンカッコいいなあ」
たてがみがないからメスライオンなんだけど、カッコいいと言いたくなる気持ちわかるよ、理系くん。
と。
私の目の前に、ライオンが飛びかかる。
とっさに理系くんに飛びついて、ぎゅっと抱きしめてしまった。
「ははは。文系ちゃん、怖がりだなぁ」
「理系くんだって、ずっと腰が引けてるよ」
「近くで見るライオンの迫力がすごいね」
「こういうのって壊れないようにできてるんでしょ? “安全率”だっけ」
「……それ、僕が言うはずだったのに」
私たちは抱き合ったまま、ひとしきり笑った。
普段だったら恥ずかしいはずなのに。
ライオンの怖さが、私たちを接近させてくれた。
ライオンバスを出たあとも、ゆっくり園内を回った。
ちゃんと見ると意外に怖い顔をしてるタヌキ。
ずっと寝てる、ほぼ動かないコアラ。
高いところを器用に渡るオランウータン。
「コアラってなんでこんなに人気なんだろうね、文系ちゃん」
「動きがゆっくりで、安心するからかな?」
笹の間で、身じろぎもせずに眠るコアラが可愛くて。
あとね。
ウマと写真撮りたかったけど、口も身体も大きくて、怖くて、ちょっと遠くからツーショットを撮る理系くんに笑って。
でも、園内の坂の多さで足が疲れたのもあって、ゆっくり歩いてたらだんだん暗くなってきた。
私の無計画がたたって最後まで全部は見られなかった。
「ごめんね、理系くん。全部見られなかった」
悔しがる私に、理系くんは夕日を背負って私に笑う。
「なんにも考えないで楽しめたから、いつもよりたくさん笑った気がする。ありがとう文系ちゃん」
「私がなんにも考えてないからね」
笑いで返す私に、理系くんは少し考えて。
「……文系ちゃんがいろいろ考えてくれてるの知ってるよ」
「え?」
「だから、嬉しかった」
理系くんの顔が赤く染まってるのは、夕焼けのせいだろうか。
「全部見れてないの、完璧主義の“理系くん”である僕としては悔しいから、また来ようね」
ライオンバスのあとから自然と繋いでた手を、私はぎゅっと握り返す。
「うん。また来る理由ができたね」
完璧主義なんて言いながら、うまくいかなかったことを怒られたことがない。
理系くんの優しさに触れて、心が軽くなる。
たくさん歩いて重いはずの足が、まだまだ動く。
彼といると自然と笑顔になるな。
自分に自信のない私だけど。
いつでも笑顔でいられるから、理系くんといる時の自分が一番好きかも、なんて。
ちょっと暖かさの増した理系くんの左手を握りながら思った。
「ねえ、理系くん。今日楽しかった?」
「楽しかった!」
いつも考えて言葉をくれる理系くんが。
素直な笑顔で笑ってる。
「――次は旅行の計画でも立てようか」
「うん! 頼んだ!!」
嬉しそうに笑う理系くんの手が、夕焼けみたいに、じんわりと暖かくなった。




