表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/19

糾える縄の如し

【理系くんSide】


うまくいかない日、というのはなぜか存在する。


悪い方の確率が、たまたま同じ日に重なっただけなんだろう。


占いはあまり信じない。


だって今日の占いは「運勢最高」だったから。



「――この課題ね。“対数軸で”表を作れって書いてあるよね」


朝イチ。

教授の第一声がそれだった。


一週間かけて書いたレポート。


評価はD。

再提出。


「内容はいいんだよ。データの集め方も丁寧だし、考察も悪くない」


ショックで教授の言葉が頭に入ってこない。

声が遠くで聞こえる気がする。


「でも、課題の意図が見えてない。論点がズレてる」


出題の意図の読み取り。


確かに苦手だ。

ただ、内容的に高校化学の延長みたいに見えたから、油断した。


データ集めが楽しくて、時間をかけたのに。


そもそもの見せ方を間違えていた。


“対数軸でプロットして直線になるかを見る”


そこが課題の芯なのに、僕は生データのまま表を作って、「相関があると思います」みたいな結論を書いてしまっていた。


「再提出……いつまでですか」

「明日ね」


参った。


今日はこれから文系ちゃんに会う予定だった。


今からやり直せば――会うまでに間に合うだろうか。



……これが、よくなかった。


気付けばデートの時間ギリギリ。


文系ちゃんはレポートのためなら、遅刻しても仕方ないって絶対言ってくれる。


だからこそ、その優しさには極力甘えたくなかった。


(走ろう――!)


完全に忘れていた。


昨日降った雪で、地面が凍っていたことを。


足が、空振りした。


次の瞬間、体が横に流れて――肘から落ちた。


痛い。

というより、手袋の中が熱い。


立ち上がった瞬間。


遅刻、という文字だけが頭の中に残った。


(血……?)


見ないふりをして走った。


痛みよりも、会う時間を雑にしたくない気持ちのほうが勝ってしまった。



【文系ちゃんSide】


私はページをめくる指が、急に重くなるのを感じた。


『炎の魔女よ。なぜ俺の言葉が届かない!』


若い錬金術師が叫ぶ。


魔女は答えない。

答えないまま、炎だけが広がっていく。

そして、やっと知る。

天涯孤独だと思っていた魔女に、

たった一人、大切な存在がいたことを。


妹。


魔力を持つからと、実験材料にされていた。

助け出した時には、もう遅くて。


魔女は言う。


『孤独のままなら、つらくなかったのに』


――私は、そこで本を閉じた。


暖かさを知らなければ。

人の心を持たなければ。


失う辛さなんて、知らずに済んだのに。


魔女の言葉が、私の胸に刺さったまま抜けない。


もし家族や理系くんを失うとしたら。

私は耐えられるのだろうか。


そんなこと、考えたくないのに。

考えてしまった。



【理系くんSide】


あちこちにアザを作って、やっとたどり着いた待ち合わせの駅。


このあとはネットで見つけた美味しそうなパンケーキを、二人で食べに行く予定だった。


なのに。


電車が降雪のため運休。


踏んだり蹴ったりとは、このことだ。


「理系くん、このあとどうしようか」


どこか、文系ちゃんの元気がなく見える。


僕も散々な一日で、元気が出なかった。

でも二人でいる時間を雑に扱いたくなくて、必死に頭を回転させる。


「……いつもの喫茶店で、ゆっくり本でも読もうか」


こんな普通のことしか言えない自分に落ち込む。


文系ちゃんが元気がないときは、せめて彼女の好きなものに触れさせてあげたい。


そう思って提案した――のだけど。



【文系ちゃんSide】


心なしか、理系くんの元気がない。


彼がここまで分かりやすく落ち込んでいるのは珍しい。


私も私で、さっきまで読んでた本に心を引っ張られて、明るさが発揮できずにいた。



「理系くん、このあとどうしようか」


こんな気の利かない言葉しか出ない自分に落ち込む。


「……いつもの喫茶店で、ゆっくり本でも読もうか」


“本”というワードで、さっきの『炎の魔女』が一気に蘇る。


普段ならこんなに引きずらないのに。


好きな作品だからこそ。

好きなキャラクターたちだからこそ、感情移入しすぎてしまっていた。


あ、だめだ。

こんなタイミングで泣いてしまう。



【理系くんSide】


え。

文系ちゃんが泣いた。


僕が泣かせた?


どうしよう。

何が悪かったんだろう。


浮かない表情をしていたかもしれない。

つまらなそうに見えただろうか。


「文系ちゃん、あの……」

「――ごめん、理系くん。違うの」


違う?

でも言葉に、僕を責める色がない。


僕はそれを文系ちゃんの優しさだと受け取った。


僕はゆっくりと文系ちゃんの背中をさする。

指先が震えないように、力を抜いて。


「ごめんね、文系ちゃん」


文系ちゃんの震えが、彼女の背中から伝わってくる。


「一週間かけたレポートが再提出になったのと」


僕はなるべくゆっくり話す。


「雪道で転んだのと」


自分の1日を咀嚼するように。


「僕が企画したのにパンケーキ食べに行けなくて」


なんだ。不運じゃなくて、全部自分が悪かったんだ。


「……全部、申し訳なくて。ちょっと元気失ってた」

「――え」

「でも、文系ちゃんの顔を見たら、ちゃんと元気出たから。だから……泣かないで」

「違うの、理系くん。私――」

「違う?」

「うん……さっきまで読んでた本が悲しくて」

「……うん」

「大切な人が死んじゃう話だったから……」


文系ちゃんはゆっくりと息を吸い込む。


「理系くんの手から血が出てるの見えたら、余計に悲しくなっちゃって」


しまった。

ケガしてるか見る余裕もなかった。

いや、見ないふりをしてた。


「……文系ちゃん、ごめん」

「謝る必要はないよ」

「…………」

「でもね――ケガするくらいなら、遅刻してくれたほうが悲しくない」


その言葉が、痛いくらい優しくて。

僕の胸の奥に、ゆっくり沈んだ。



【文系ちゃんSide】


理系くんは、自分が辛いときでも、私を労ってくれた。

私の好きなものを、差し出してくれた。


たぶん、彼なりに一生懸命だった。


不器用なくらい真面目に。



禍福は糾える縄の如し。

幸と不幸は、撚り合わさった縄のように交互にやってくるって言うけれど。


理系くんに出会えてからは、感じる不幸よりも、もらってる幸福のほうが多すぎて。


不幸が細くて、幸福が太い。


そんな偏った縄になってる気がした。


「……理系くんに出会えてよかった」


口から出て、あとで自分がびっくりした。


物語の主人公に、

『出会わなければ良かったなんて、そんなこと絶対にない』

って言ってあげたかった。


なのに、いま私は。


理系くんに向かって、それを言っている。


理系くんの耳が、みるみる赤くなる。


痛いところをかばうみたいに、でも必死に平気な顔をして。

それが可笑しくて。

それが愛しくて。


私は、胸いっぱいの幸せを感じた。



【理系くんSide】


「理系くんに出会えてよかった」


そんなストレートな言葉を、僕が受け取っていいのだろうか。


今日みたいに、うまくいかない日ですら、

文系ちゃんは僕を責めないで、救ってしまう。


僕の中で、幸福が増えていく。


指数関数みたいに。


気付けば、加速度がついている。

文系ちゃんの背中をさする手から、じんわり伝わってくる熱が、いま僕が生きてることを、僕に教えてくれた。


不運も、痛みも、間に合わなかったパンケーキも。


全部が絡まって、ほどけなくて。


それでも、最後に残ったのは――


(……文系ちゃんに会えてよかった、ってことだ)


僕は口にする代わりに、背中をもう一度だけ、そっと撫でた。



糾える縄のその先に、今日の僕らがちゃんと結ばれている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ