ライデンフロスト
朝から静かに降る雪が道を白く染め、薄くアスファルトを覆い隠している。
隣を歩く理系くんの息が、眼鏡の縁を白く曇らせた。
全身白っぽい服装の中で、寒そうな頬の赤さだけがやけに目立っている。
私も私で、冬毛の雪うさぎかよってくらいモコモコに着込んでいた。
「今日は本当に寒いね、理系くん」
今日何度目かわからない言葉を吐く私に、理系くんはマフラーを首に寄せて、ゆっくり頷く。
「今日は最高気温で一度しかないらしいよ」
「えー、さむっ」
「暖かいものでも食べようか。何食べたい?」
「んー……もんじゃとお好み焼き!」
「いいね」
鉄板を想像すると、不思議と少しだけ体が温まる気がする。
私たちはそんなことを言って笑いながら、駅へ向かって歩いた。
「文系ちゃんさ」
いつもの雑談みたいな口調で、理系くんが言う。
「“ライデンフロスト効果”って知ってる?」
「んー、名前だけは聞いたことあるような」
理系くんの頬の赤さが、ほんの少し増した気がした。
雪のせい、だよね。
「熱した鉄板に水を落とすとさ。ジュッて消えるんじゃなくて、粒みたいになってコロコロ滑ることがあるでしょ」
「あー! 私あれ、“かつお節と一緒に水滴も踊ってる”って言って笑われたことある!」
「ははは。文系ちゃんらしい」
「それで、それがライデンフロスト?」
理系くんは小さく頷いて、言葉を選ぶみたいに目を伏せた。
「鉄板が熱すぎると、水が触れた瞬間に蒸気が出て……水滴の下に膜みたいなのができるんだ」
「膜?」
「うん。水蒸気の膜」
「それがあると、水が直接鉄板に触れにくくなる」
「触れにくいから、熱が伝わりにくくて……すぐに全部は蒸発しない」
「だから粒みたいに残って、滑る」
「……踊って見える」
「へえ……」
理屈の全部を理解できたわけじゃない。
けど、今の私はわかってることがある。
理系くんは、いま、回り道で何かを言おうとしている。
私はわざと軽く笑って言った。
「心のライデンフロスト効果?」
「……うん」
理系くんはそれ以上は言わない。
言えないんだと思う。
本音で言いたいことがあるときほど、考えすぎて回りくどくなる。
それが優しさだって、今の私ならわかる。
だから私は、理系くんが逃げ込んだ比喩の中で、ちゃんと手を伸ばした。
「熱すぎると触れられない、ってやつ?」
「……近い」
「今、ちょっと……そんな感じ」
短い。
でも、私には十分だった。
「……理系くんの心が、私という鉄板で熱せられてる状態ってことね?」
「はは……まあ」
笑ってるのに、声が少しだけ震えてる。
たぶん耳も真っ赤だ。
私は、さっきの話を思い出して肩をすくめた。
「じゃあさ」
私はここで、大きく白い息を吐き出して。
理系くんの目を見つめて言った。
「理系くんの心って、踊ってるんだね。かつお節と一緒に」
理系くんが一瞬きょとんとして――次の瞬間、堪えきれないみたいに吹き出した。
こんなふうに笑う理系くん、初めて見たかもしれない。
「それ、ずるい」
「ずるいってなに」
「……いや、なんでもない」
理系くんは咳払いでごまかして、視線を前に戻した。
それから少し間を置いて、私は疑問を口にする。
「突然こんな話したの、鉄板で思い出したから?」
「それもあるけど」
理系くんは言いかけて、いったん止まる。
息を白く吐いてから、短く続けた。
「……小学生のころ、“ライデンフロスト”って響きがカッコよすぎてさ」
「うん」
「変なきっかけだけど、理系の道に行った」
「へえ……可愛い」
「可愛くない」
即答が、逆に可愛い。
そのきっかけの大事な言葉を、私との距離の話に使ってくれた。
それが嬉しくて、胸の奥がじんと熱くなる。
私は自分の傘を閉じた。
そして、理系くんの腰に抱きつく。
雪が視界を隠してくれることに、少しだけ感謝しながら。
理系くんは一瞬固まって――それから、笑い声を押し込むみたいに息を吐いた。
「……文系ちゃん、寒い?」
「うん。寒い」
「じゃあ、急ごう」
理系くんの手が、迷いながら私の背に触れて、そのまま歩き出す。
触れられない膜なんて、最初からなかったみたいに。
白い道の上を、私たちは歩いた。
ざくざくと雪を踏む音が、耳に心地よかった。




