月がまるい夜
木曜の夜は、どうしてこうも長い。
互いに予定が詰まっていて、気づけばもう何日も会えていなかった。
連絡は取っているし、気持ちが離れたわけでもない。それでも、顔を見られない時間が続くと、胸の奥に小さな空白が生まれる。
私はベッドに腰掛けたまま、スマートフォンを手にしていた。
通話画面の向こうで、呼び出し音が数回鳴る。
「もしもし」
聞き慣れた声が耳に届いた瞬間、胸の奥がふっと緩む。
「お疲れさま、理系くん」
「文系ちゃんも。今日は遅かったんだ?」
互いの一日を、少しずつ言葉にしていく。
忙しかったこと、寒かったこと、夕飯を食べるタイミングを逃したこと。
大した内容じゃない。
それでも、声を通して共有できるだけで、今日という一日がきちんと終わる気がした。
少し間が空いて、私は窓の外に目を向ける。
「ねえ、理系くん」
「なに?」
「今日は満月なんだって」
「ああ……」
一拍置いてから、彼は言った。
「空を見上げる余裕、なかったかも」
「私も」
同じだね、と言わなくても分かる。
声の向こうから、ほんのり笑う気配が伝わってきた。
「月ってさ」
私は言う。
「うん」
「いつも同じ面しか見せないって話、私好きでね」
子供の頃に聞いた、何気ない豆知識。
でも理系くんは、ちゃんと続きを待ってくれる。
「月と地球が、ずっと見つめ合ってるみたいだなって思ってたの。小さい頃」
少しの沈黙のあと、彼が息を整える音がした。
「……それ、実際かなり近い考え方だよ」
「え?」
「潮汐固定っていう現象でさ」
そこで一度、言葉を区切る。
「最初は月も自転の速度が今と違ってたんだけど、地球の重力で少しずつブレーキがかかって」
「うん」
「結果的に、公転と自転が同じ周期になった。だから、同じ面しか見えない」
淡々とした説明。
でも、どこか慎重で、押しつけがましくない。
「力が強すぎると壊れるし、弱すぎると離れる。ちょうどいい引力が、何億年もかけて今の関係を作ったんだ」
私は、その言葉を頭の中で転がす。
「……なんか、時間がかかる話だね」
「うん。すごく、時間がかかる」
一瞬の沈黙。
「……だとしたらさ」
理系くんの声が、少しだけ低くなる。
「僕は月だと思う」
「え?」
「地球の引力に引かれて、勝手に回ってるだけなんだけど」
自嘲するような言い方。
「でも、地球は自転してるから」
「……うん」
「毎日、違う表情を見せる」
そこで彼は、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「だから、見てて飽きないんだと思う」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
一緒に本を読んでいたからかな。
最近の理系くんは、比喩の選び方が少しだけ柔らかい。
それでも、声はやっぱり微かに震えていて。
きっと、耳は真っ赤なんだろうなと思うと、自然と笑みが浮かんだ。
「……文系ちゃん」
「なに?」
「ちょっと言い過ぎた」
「電話だから?」
「うん。電話だから」
顔が見えない夜は、少しだけ勇気が出る。
通話を終えたあと、私はカーテンを少しだけ開けた。
夜空に浮かぶ月は、確かに満ちていて。
――きっと、同じ月を見ている。
そう思うだけで、胸の奥の空白は、すっかり埋まっていた。




